戦国時代の一揆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 03:08 UTC 版)
「一向一揆」も参照 また、この時代は寺社も領主であったことを背景に、寺社を基盤とした一揆もつくられ、浄土真宗の本願寺派や高田派、法華宗などの門徒が、自らが属する教団を中心として起こした一揆も形成された。特に著名なのが浄土真宗本願寺派の一向一揆で、加賀国(石川県)では、室町時代に応仁の乱で東軍に属した守護の富樫氏を追放し、戦国時代まで100年近くに亘って一揆勢が共和国的な体制を維持していた(加賀一向一揆)。ただし、これらの一揆の構成はかなり複雑で、門徒以外の参加者も多くおり、同時代では「土一揆」と変わらないものとみられていたこともある。 戦国時代末期には武士の集団を一揆と呼ぶことはほとんど無くなり、土民・百姓の集団を指す用語となる。しかし武士の一揆が消滅したわけではなく、戦国大名権力の中で形を変えて存続したと見られている。
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