小松帯刀 こまつ たてわき
鹿児島生まれ。幕末の志士。父は薩摩国喜入の領主肝付兼善、母は島津久貫の娘で、小松清猷の養子となり、藩主島津斉彬の小姓となる。その後、藩政改革派として藩政に携わり、家老となる。慶応2年(1866)1月、西郷隆盛とともに木戸孝允らとの間で薩長連合を締結。3年(1867)10月、将軍徳川慶喜に大政奉還を進言した。明治元年(1868)総裁局顧問に就任するなど新政府で重きをなすが、2年(1869)5月、病気のため官を辞した。
キーワード | 政治家 |
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小松清廉
(小松帯刀 から転送)
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小松 清廉(こまつ きよかど)は、幕末から明治初期の政治家。維新の十傑の1人。旧名は肝付 兼戈(きもつき かねたけ)。通称は尚五郎(なおごろう)のちに帯刀(たてわき)。また明治には従四位下玄蕃頭の位階官職を与えられたため、玄蕃頭とも称された[1]。
注釈
出典
- ^ 松田敬之 2015, p. 301.
- ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 610.
- ^ a b c 【文化の扉】薩摩藩に小松帯刀あり/融和路線 薩長同盟・大政奉還の真の功労者?『朝日新聞』朝刊2020年10月26日(扉面)2020年10月30日閲覧
- ^ 小田部雄次 2006, p. 349.
- ^ 『小松帯刀』pp.1-3
- ^ 鹿児島県歴史資料センター黎明館編集『鹿児島県史料 旧記雑録拾遺家わけ二』鹿児島県、1991年、596-601頁。
- ^ 『小松帯刀』p.1
- ^ 『小松帯刀』p.3
- ^ a b c d 『小松帯刀』p.4
- ^ a b 『小松帯刀』p.5
- ^ 『小松帯刀』p.7
- ^ 『小松帯刀』p.10
- ^ 『小松帯刀』p.9
- ^ 『小松帯刀』p.11
- ^ a b 『小松帯刀』p.18
- ^ 『小松帯刀』pp.25-26
- ^ 『小松帯刀』p.26
- ^ 『小松帯刀』pp.26-28
- ^ 『小松帯刀』p.28
- ^ 佐野静代 2020, p. 30-31.
- ^ 室町通り鞍馬口下る西入森之木町462附近
- ^ 原田.新出 2016.
- ^ 高村 2012, p. 269.
- ^ 高村 2012, p. 270-271.
- ^ 高村 2012, p. 271.
- ^ 高村 2012, p. 270.
- ^ 高村 2012, p. 271-272.
- ^ 高村 2012, p. 274.
- ^ 「日本初の新婚旅行は小松帯刀?通説“龍馬”に異論登場[リンク切れ]」『読売新聞』2008年10月16日
- ^ NHK『その時歴史が動いた』2008年11月19日放送
- ^ 『大隈重信自叙伝』P154岩波文庫
- ^ 『早稲田清話』P284
- ^ 『早稲田清話』P288
- ^ 『一外交官の見た明治維新』岩波文庫 1960年9月25日 ISBN 978-4003342510
- ^ 『近世禰寝文書』参照。
- ^ 『現代華族譜要』 維新史料編纂会編、日本史籍協会、1929, p278
- ^ 小松從志『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 脇坂子爵家 龍野藩主直球感想文和館、2004/07/01
小松帯刀
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薩摩藩家老。西郷、大久保に比べて穏健な人物として描かれている。
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