鉄砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/24 13:24 UTC 版)
伝来当初の価値
種子島伝来当初、未知の製法(ネジ・高品質の火薬)が用いられており、国内生産以前、種子島時尭は1丁につき2千両の大金で2丁(計4千両で)購入した[6]。のちに国内生産が可能となり、堺で大量生産されるに至り、価格も下がってくる。この量産化の成功と低価格化が爆発的な普及のきっかけとなった。
てつはう
宮内庁保有蒙古襲来絵詞前巻2(文永の役)に蒙古軍の炸裂兵器として「てつはう(鉄炮)」が描かれている。「震天雷」とも呼ばれるもので、長崎県松浦市の鷹島海底遺跡から元寇当時の遺物が引き上げられており、外部は土器と陶器の中間の質で直径約20センチの球状で、内部には鉄片や青銅片を火薬や硫黄とともに詰めた、手榴弾に近い兵器であったとされる[7][8][9]。従来は威嚇的な音響効果を狙ったものとするのが一般的な説であったが、近年では相応の殺傷能力を期待した武具であったものと考えられている。
「てつはう」については八幡愚童訓に記述があり、「日本の大将には少弐入道覚恵が孫・・・箭合(やあわせ)の為とて小鏑を射たりしに蒙古一度にドッと咲(わら)ふ。太鼓を叩(たたき)銅鑼を打ち、紙砲鉄砲を放し時を作る・・・」とある。
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てつはう
長崎県松浦市鷹島神崎沖出土。東京国立博物館展示。
脚注
参考文献
- 所荘吉「鉄砲」「鉄砲鍛冶」(『国史大辞典 9』(吉川弘文館、1988年) ISBN 4-642-00509-9)
- 塚本学「鉄砲」(『日本史大事典 4』(平凡社、1993年) ISBN 4-582-13104-2)
- 保谷徹「鉄砲 (小銃)」(『歴史学事典 7』(弘文堂、1999年) ISBN 4-335-21037-X)
関連項目
- 鉄砲の使用者
- 戦列歩兵
- レッドコート(スカーレットチュニック) - イギリスの火器を扱う兵士が身に着ける制服
- 神機営 (明朝)、* 神機営 (清朝) - 中国の明代・清代に設置された火器を専門に扱う禁衛軍(首都防衛近衛隊)・特殊精鋭部隊
- 火器営 - 中国清代の火器を扱う教練精鋭部隊。当初は、漢軍火器兼練太刀営として設置された。
注釈
- ^ 大戦初期にはまだスプリングフィールドM1903小銃が使用されていたが、中期の反攻作戦時にはM1ガーランドおよびM1カービンが装備された。
出典
- ^ “鉄砲/鉄炮(てっぽう)の意味”. goo国語辞書. 2020年11月6日閲覧。
- ^ 戦術、時代背景がよくわかる カラー版 戦国武器甲冑辞典、監修者中西豪、大山格、発行所株式会社誠文堂新光社、2015年4月16日、p.86.
- ^ 『真説 鉄砲伝来』宇多川武久
- ^ 令和4年警察白書、統計資料、統計2-28「許可を受けた銃砲刀剣類の数の推移」[1]
- ^ 警察官、自衛官、海上保安官、税関職員、麻薬取締員等のための装備品数は含まない。
- ^ 『大人の常識力を鍛える!! 日本「歴史力」検定』 日本の歴史研究班 編 リイド社 2007年 p.128
- ^ 九州国立博物館季刊情報誌「アジアージュ」[2]PDF-P.7
- ^ 「長崎県北松浦郡鷹島周辺海底に眠る元寇関連遺跡・遺物の把握と解明」池田栄史(琉球大学法文学部教授)[3]
- ^ 板垣英治、「硝石の舎密学と技術史」『金沢大学文化財学研究』 2006-3-31 8巻 p.19-58, 金沢大学埋蔵文化財調査センター, NCID AA11653114
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