赤木圭一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 05:33 UTC 版)
レコード
- 霧笛が俺を呼んでいる(映画『霧笛が俺を呼んでいる』主題歌)
- 男の怒りをぶちまけろ
- 黒い霧の町
- ふたりの渚 (映画『邪魔者は消せ』主題歌)
- 激流に生きる男
- 野郎泣くねえ!
- 俺の血が騷ぐ
- 海の情事に賭けろ
- 流転(上原敏のカバー。B面は宍戸錠の「旅笠道中」)
ほか
脚注
関連項目
- 年代別プロマイド(ブロマイド)売上ベスト10 - 1956年 - 1960年、1967年 - 1968年。
外部リンク
注釈
- ^ そのジェームズ・ディーンも赤木が亡くなる6年前の1955年に自動車事故により、24歳で若くしてこの世を去っている。
- ^ その後、ストーリーそのものは大幅に変更せず、高橋英樹を代役に立て、出演者を一部交替して撮り直され、1962年に公開された。
- ^ 会員数は1,710人(2021年8月現在)にまで増え、年に3回の会報発行や、命日には揃って墓参りに行くなどの活動を絶やさず継続している。
- ^ 赤木が初期に出演した映画『嵐を呼ぶ友情』、『群集の中の太陽』で監督を務めた。
- ^ また、『大学の暴れん坊』の撮影期間中に急性盲腸炎で入院した時は、撮影を遅らせないため病室を抜け出して撮影を続けたという(本人の意志か会社側の指示かは不明)[6]。
出典
- ^ a b 関川夏央『昭和が明るかった頃』文藝春秋、2002年、104-105頁。ISBN 978-4163591704。
- ^ 大下英治「第1章 映画に魅せられて デビュー」『映画女優 吉永小百合』朝日新聞出版、2015年。ISBN 978-4022513359。
- ^ 西田敏行「第二章 東京さ行って映画俳優になるぞう」『役者人生、泣き笑い』河出書房新社、2016年。ISBN 9784309025063。
- ^ 水沢佐登留『赤木圭一郎写真集: わたしのトニー』赤木圭一郎を偲ぶ会出版局、1980年。
- ^ 『甦るトニー : 赤木圭一郎写真集』日活芸能、1977年。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 週刊現代9月4日号「昭和の怪物」研究その134・赤木圭一郎「21歳で散った青春」p173-180。
- ^ a b 『日本映画俳優全集:男優編』キネマ旬報社、1979年、7-8頁。
- ^ 野沢一馬『赤木圭一郎: 「光と影」二十一歳のフィナーレ』成星出版、1997年、[要ページ番号]頁。ISBN 9784916008343。
- ^ 総監修:舛添要一『検証戦後50年: 文化編』サンドケー出版局、1995年、130頁。ISBN 4914938723。
- ^ 『昭和二万日の全記録 安保と高度成長』 第12巻、講談社、1990年、122頁。
- ^ 『文芸所沢』 第26号、所沢市教育委員会、2009年、90頁。
- ^ “事故死した主な芸能人”. 日刊スポーツ (2013年10月6日). 2023年11月9日閲覧。
- ^ 『近代映画臨時増刊 赤木圭一郎思い出のアルバム』154頁他より、近代映画社 1966年12月刊
- ^ 『徹子の部屋』出演時などの江木の発言より
- ^ 『我が良き友よ 人生は愉快じゃないか』かまやつひろし、1970年6月5日、KKベストセラーズ、47ページ「トニーはもう帰らない」
- ^ a b 『好き勝手 夏木陽介 スタアの時代』 轟夕起夫編著、講談社、2010年 p.125
- ^ “美輪明宏、赤木圭一郎との関係を告白”. アサ芸プラス (2012年12月12日). 2021年9月25日閲覧。
- ^ 『驚きももの木20世紀』より
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