俳優デビューと芸名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:10 UTC 版)
成城大学文学部に進学し気ままな学校生活を送っていた1年生の夏休みに、父の囲碁仲間だった日活プロデューサー・高木雅行が赤木家に囲碁を打ちに来た。容姿端麗な赤木は高木の目に留まり、役者にスカウトされると「いいアルバイトになる」と軽い気持ちでこの誘いに乗って後日オーディションを受ける。当時日活は二枚看板俳優だった石原、小林に続く新人俳優を探しており、赤木は全国2万人を超える応募者の中から男8人女13人の「第4期ニューフェイス」の1人として選ばれて入社した。同期の日活俳優・野呂圭介によると、入社直後の赤木について「撮影所の女優たちの間で『裕次郎さんの後を継ぐのは赤木くんに違いない』と早くも評判になった」とのこと。 当初は本名の赤塚親弘で活動したが、入社からほどなくして井上梅次監督から「もっと簡単で親しみやすい芸名にした方がいい」と改名を助言された。井上の考案で、井上の母校である慶應義塾大学で当時野球部で活躍していた赤木健一から名前を借り、「下の名前は、石原裕次郎にあやかって三文字にしよう」ということから“赤木圭一郎”に決まった。
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