俳優デビュー、スターダムへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:06 UTC 版)
「石田純一」の記事における「俳優デビュー、スターダムへ」の解説
「演劇集団 円」や、アクト青山ドラマティック・スクールでの下積み生活を経て、1979年にNHKドラマ『あめりか物語』(日系三世のタイ人の店員役)で正式にデビューする。当初は「石田 純」の芸名を使用していた(のちに現在の名前に改名)。1980年、父・武が、仕事中突然脳卒中で倒れ、左半身に麻痺が残り、NHKを退職した。父・武との溝を埋められないでいた純一は役者として芽が出ず、合わせる顔がなかった。 1984年の昼ドラ『夢追い旅行』で準主役で出演しその名を知られると、1985年から1989年にかけて放送されたクイズ番組『TVプレイバック』にレギュラー解答者に抜擢され、そのルックスと萩本欽一やザ・ドリフターズのメンバーにも臆することのない軽快な話術が受け、知名度が上がることとなった。また、1987年にはテレビ朝日の音楽番組『オリジナルコンサート』の司会を務めた。 そして、1988年にテレビドラマ『抱きしめたい!』(フジテレビ系列)に二宮修治役として出演したことから、数多くの「トレンディドラマ」に出演し、バブル期を代表する俳優として活躍した。当初、二宮修治役は陣内孝則が演じる予定であったが、陣内が同時期に放送されたテレビドラマ『結婚してシマッタ!』(TBS系列)に主演として起用されたためにダブルブッキングが発生。陣内が「役が大きい方」を選んで『抱きしめたい!』への出演を辞退し、さらに次候補として挙げられていた加藤雅也もスケジュールが合わなかったことから、同役が石田に回って来たという経緯がある。ただ、それまで俳優として芽が出なかったこと、それに所属事務所の社長を継いでほしいとの話もあったことから、石田自身は同作品への出演が俳優としてのキャリアの最後のつもりであったが、同作品の放映開始後から石田の人気が急上昇したことにより俳優を続けていくことになった。
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