俳優デビュー後
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1958年に映画デビュー。1963年の『孤独の報酬』ではカンヌ国際映画祭男優賞を受賞し、アカデミー主演男優賞にノミネートされるとハリウッドに進出し、憧れの存在だったカーク・ダグラスの知己を得た。そのダグラスの推薦で大作ミュージカル映画『キャメロット』に主演した。以後、知的さと男臭さを伴わせた演技で『ジャガーノート』、『カサンドラ・クロス』、『ワイルド・ギース』といったアクション映画を中心に活躍した。1980年代に入ってアルコール依存症および薬物依存症から低迷し、映画からは遠ざかるが、それを克服し、以後は舞台を中心に活動を続けた。1981年にはナイトの称号を授かった。 1990年の映画『ザ・フィールド』では、土地に執着する初老の農夫を演じ、『孤独の報酬』以来27年ぶりにアカデミー主演男優賞にノミネートされた。以後、『許されざる者』や『グラディエーター』といった作品で、主に貴重なバイプレーヤーとして再びスクリーンに登場することが増えた。 私生活では2度結婚している。1974年に映画『殺し屋ハリー/華麗なる挑戦』で共演したアン・ターケルと結婚、数本の映画で共演したが、1981年に離婚した。
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俳優デビュー後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:58 UTC 版)
俳優デビューから数年間、トントン拍子に仕事が舞い込んだことやアイドル的人気になったのとは裏腹に、本人は戸惑いや悩みを抱えながら活動していた。 先述の父の「何事も死ぬ気で」という考えが影響し、若い頃は「とにかく与えられた仕事を命懸けでやる」との思いで取り組んだ。同時に「自分ごときが仕事を選べる立場じゃない」と思っていたため、周りからの指示や要望を受け入れていた。 しかしその後とある作品で出演を後悔することがあり、「中途半端な覚悟で仕事をするのは相手にも失礼」との考えが生まれた。このため30代半ば頃から、事務所に相談をした上でやりたくない仕事は前もって断り、自分の意見も告げるようになった。 当初舞台出演には興味がなかったが、三谷幸喜脚本の『王様のレストラン』への出演や、三谷の舞台を観劇したことがきっかけで、1990年代半ばから舞台に出演するようになった。また、それまでは演じる苦しさを感じながら俳優業をしてきたが、三谷作品やその常連俳優たちのコメディ演技に刺激を受けて、人を笑わせる芝居もあることを知った。
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