俳優・プロデューサーの活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:28 UTC 版)
「ラリー・ウィルコックス」の記事における「俳優・プロデューサーの活動」の解説
卒業後はテレビCM等の仕事をしていたが、24歳でテレビシリーズ「黒人教師ディックス」の1エピソードで俳優デビュー。 1973年の「名犬ラッシー」(1954年から1973年まで19シーズン続いたうちの最終シーズン)では300人の応募者から選ばれレギュラー出演を果たし、その後も「探偵キャノン」「ポリス・ストーリー」「ハワイ5-0」「マッシュ」など多数のテレビドラマにゲスト出演した。 1977年に始まった「白バイ野郎ジョン&パンチ」で主人公ジョンの役に抜擢された。直前にミニシリーズ「リッチマン・プアマン/青春の炎」のオーディションで主役の座をニック・ノルティに奪われたばかりだったので飛びついたという。 しかし相棒のパンチを演じるエリック・エストラーダと相性が合わず、またエストラーダの人気が上がったことでますます亀裂が深まりウィルコックスはシーズン5を最後に降板した。[要出典] その後すぐ、「特捜刑事マイアミバイス」のオーディションを受けて欲しいとマイケル・マンから声が掛かった。様々なスクリーンテストを行なった結果、ウィルコックスの演技は好評だった。NBCの社長ブランドン・タルティコフも彼にやらせるつもりだったと著書に記している。※ソニー・クロケットのオーディション映像 ところがクリスマスの前日、ドン・ジョンソンに決まったとの知らせが入った。ひどく落胆しながらも、あの賛辞はただのお世辞だったのか、NBCとマネージャーらで裏取引があったのではないか、純粋にドンが優れていたのか・・・などと様々な思いを巡らせたが、後になってみると『NBCは正しい選択をしたと思う』と述べている。 また「フルメタル・ジャケット」(1987)ではオーディションをパスしていたのに自分を”アーティスト”と錯覚し出演料を理由に断ってしまった。もし出演していたらその後のキャリアが変わっていたかもしれない、と後悔しているという。 その後も多くのテレビドラマにゲスト出演し、ときには監督・プロデューサーとして活躍中である。
※この「俳優・プロデューサーの活動」の解説は、「ラリー・ウィルコックス」の解説の一部です。
「俳優・プロデューサーの活動」を含む「ラリー・ウィルコックス」の記事については、「ラリー・ウィルコックス」の概要を参照ください。
- 俳優・プロデューサーの活動のページへのリンク