故事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/20 06:46 UTC 版)
な行
泣いて馬謖を斬る
嚢中の錐
は行
背水の陣
必敗の陣形である、手取川の戦いにおける柴田勝家、淝水の戦いにおける苻堅など歴史上多くの将がこの陣を取って、取らされて敗れている。ただ唯一、楚漢戦争時に韓信が擬態としてこの陣形を取り、別動隊への注意をそらすことに成功して勝利した。
漢の劉邦に仕えていた韓信は兵力20万人の趙を約3万の兵で攻略しなければならないという難局に臨んだ。韓信は少ない兵力で勝つために、少ない上に更に川を背にして布陣し、兵法に疎い少数の軍が攻撃してきたように見せかけた。これは兵法道理に趙軍の総攻撃を誘い、空となった城と備蓄を別動隊が占領し韓信が勝利した。韓信の背水の陣軍が壊滅しなかったのは、敵が大軍であればあるほど、逆に、しばらく持ちこたえれば自軍が勝利することを知っていたから奮戦できたのである。
ところが通俗ではこの重要な戦略が伝わらず、戦術の定石を敢えて無視し、軍団を逃げ場の無い川の前に布陣させ、兵が逃げ場が無く、陣形の再構築もできないことを悟ることで決死の覚悟で奮戦する為に勝利すると誤解され、あえて自らを窮地に置き、最大限に力を発揮させようとする事を背水の陣と言うようになった。
白眼視
白眉
破竹の勢い
髀肉の嘆
刎頸の交わり
ま行
矛盾
明鏡止水
人は流水を鏡にするのではなく、止まっている水を鏡にする。鏡がはっきりとものを映すのは塵垢をとどめていないからであるということから[25]邪念なく澄み切った心境のこと。
孟母三遷
や行
病膏肓に入る
晋の景公が病にかかった際、秦の名医・高緩が来ることを知った病気の精が趙同・趙括という2人の童子となり、膏(心臓の下)と肓(横隔膜の上)に逃げ込んだ。高緩は「薬も鍼も届かない部位に病が入ってしまっているので治すことはできない。」といったことから[26]。病気が重く治る見込みがないことの例え。転じて物事に熱中してしまい抜け出せなくなること。
羊頭狗肉
肉屋が、店の表には上等な肉である羊の頭を吊るしておきながら、売っていたのは最も下等な犬の肉だったことから、劣るものを優れるもののように装い売りつけることのたとえ[27]。「羊頭を掲げて狗肉を売る」とも。
- ^ 『荘子』 秋水
- ^ “「井の中の蛙大海を知らず」には実はポジティブな続きがあった! /毎日雑学”. ダ・ヴィンチ. KADOKAWA (2020年10月9日). 2020年12月30日閲覧。
- ^ 『後漢書』列伝11・邳彤伝
- ^ 『後漢書』列伝9・耿弇伝
- ^ 『歴代名画記』 巻七 梁
- ^ Wikiquoteの中国のことわざに、水衡記を典拠とする記述があります。
- ^ 『列子』 説符篇
- ^ 『列子』 天瑞篇
- ^ 『戦国策』 燕策
- ^ 『晋書』 車胤伝
- ^ 『孟子』 魏恵王 上
- ^ 『淮南子』 巻十八 人間訓
- ^ 『史記』項羽本紀
- ^ 『韓非子』 五蠧篇
- ^ 『春秋左氏伝』桓公12年 - 国立国会図書館デジタルコレクション 春秋左氏伝(日本語訳)八二頁
- ^
春秋左氏傳 桓公. 春秋左氏傳/桓公#桓公十二. - ウィキソース.
- ^ 『孟子』 公孫丑 上
- ^ 『漢書』 朱雲伝
- ^ 『晋書』 孫楚伝
- ^ 『詩経』 小雅 鶴鳴編
- ^
世說新語 黜免. 世說新語/黜免#2.. - ウィキソース.
- ^ 『荘子』 斉物論
- ^ 『列子』 黄帝篇
- ^ 『戦国策』 楚策 - 楚の宣王に対して家臣の江乙が話したたとえ話。他国が令尹(宰相)の昭奚恤を恐れるのは、実際は楚王の軍を恐れるゆえと説明するため。
- ^ 『荘子』徳充符より
- ^ 『春秋左氏伝』成公十年より
- ^ 『無門関』「六則」
- ^ 『戦国策』「燕策」より
故事と同じ種類の言葉
- >> 「故事」を含む用語の索引
- 故事のページへのリンク