P、演出家、脚本家視点など
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「草彅剛」の記事における「P、演出家、脚本家視点など」の解説
草彅は劇作家・演出家・直木賞作家のつかこうへいから「大天才」と評価されている。つかは草彅主演舞台『蒲田行進曲』の作・演出を務めており、本作の公演期間前に草彅について「俺の想像を超えてた。あの子を待つためにこの20年近く、芝居をしなかったんだろうと思わせる」と発言しており、のちも「衝撃的だったね」と振り返っている。 つかは演出において俳優に多数の注文を繰り出すことで知られるが、草彅については「天才だよ、草彅君は。僕は1度も演技に注文をつけていない」と述べており、草彅本人には「好きにやってくれ」と伝えている。また、草彅を「非常に頭のいい子」と形容していて、「吸い取り紙にこう、水がスッと吸い上げられるような感じで、[手を真上へ挙げ]こんなふうに伸びていきましたんでね、[手で緩やかな傾斜のラインを作り]こういうふうにはならないもんですね天才ってのは、[力強く敏速に手を真上へ挙げ]こう上がっていくもんなんですね」と語っている。 つか作・演出の『蒲田行進曲』について、つかは草彅がヤス役で主演したあとの作品において、草彅以外からヤス役の俳優を決めなくてはならない状況に際しての難航をその作品の日記(つかこうへい事務所公式サイトのコンテンツ)に書いており、さらに、以下のように記している。 オレたちの前には草彅剛のヤスが山のように立ちはだかっている。 勝てるわけがないのは承知だ。 — つかこうへい、 なお、ヤス役の俳優が主演した作品も、「蒲田行進曲」のみがタイトルの作品も、草彅主演作が最後となった。 つかはJ・D・サリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』の主人公・ホールデンを演じる能力を持つ役者が日本に一人だけいることを記しており、その能力の高さを書き表して、「草彅剛である。」と結んでいる。つかは「後世に残す一冊をあげろと言われれば、私は躊躇なくこの『ライ麦畑でつかまえて』を推す」「この原作が書かれたのは1951年である。[サリンジャーは本書で]戦勝に沸き、新しき世界の盟主国としてもてはやされるアメリカが、実はすでに深く過酷にむしばまれている病理を、適当に生きることの出来ない少年[ホールデン]の絶望的な自己矛盾に託した」と述べていて、「人は独りでは生きられない。愛し愛されたいから本当の自分を知ってほしい。では、本当の自分とは何か。自分ですらそれを知るのは、非常に怖い。が、ホールデンはしっかりと『自分の心の底』を見下ろした」「自らの絶望と孤独の底を見つめる勇気は、万人の生きる希望へとつながったのだ」と書いており、「一人だけ、ホールデンがいる」と示し、サリンジャーがホールデンに託したものをすでに草彅が役をもって体現していることについて以下のように綴っている。 穏やかな笑顔の奥に哀しみが隠れ、静かなたたずまいの身中には秘やかにケモノが眠る。ひとたび台詞を発すればケモノは目覚め暴れだし、彼の内部は鋭い牙に切り裂かれる。その痛みを、絶望的な孤独を、まっすぐ見下ろし受け入れる勇気を持つ — つかこうへい、 また、つかは『ライ麦畑でつかまえて』の連想に際してのことを以下のように記している。 ふと、残酷なまでに無垢な天才・草彅剛の優しさのことを思った。友よ。元気でいるか。友よ。泣いていないか…。 — つかこうへい、 つかはダニエル・キイスの小説『アルジャーノンに花束を』においても「[前略]その絶望と赦しと共感の中にある、チャーリイ・ゴードン[主人公]の透明な哀しみを表せる唯一の男が日本にいる」と、草彅について記している。 草彅とつかがともに仕事をしたのは1999年・2000年の『蒲田行進曲』のみとなったが、つかは本作以外にも草彅主演作品の構想を述べてきており、つかが肺癌で闘病のすえ2010年に死去後は、つかと長年仕事をしていた制作スタッフがつかについて、「『もう一度草彅くんとやりたいな』といつも言ってらした。それが叶わなかったのは残念だったんじゃないかなと思う」とコメントしている。 演出家・脚本家・直木賞作家の松井今朝子は草彅について『蒲田行進曲』に主演したとき天才だと確信しており、草彅主演舞台『父帰る/屋上の狂人』(菊池寛の古典で前者「父帰る」は高松の、後者「屋上の狂人」は讃岐の方言を使った戯曲の作品)観劇後には「本当にふしぎなくらいピュアな役者」と形容し、そのことについて「たとえば梅沢昌代は巧い女優さんだけれど、舞台に立つとやはり女優がやっているようにしか見えないのに、草彅は舞台でただ座って新聞を読んでいるだけで、逆に明治の青年がそこにいるようにしか見えないのである。これって本当にスゴイことだと思う。役者がだれでもそれを目指してほとんどができないことをすらっと出来てしまう。天才の天才たる所以だろう」と綴っている。さらに、松井は本作の制作者が草彅にこの戯曲をもってきたことについてでも「今どき舞台でこんな芝居ができるのは、この人しかいないことを改めて知らしめたようにも思えるのだった」と記している。 また、松井は草彅について「驚嘆するほど集中力のある演技が発揮できる」と記し、草彅の感受性の強さにも言及して「私は彼を天才的な俳優だと高く評価している」と書いている。 演出家・脚本家の河原雅彦は、草彅の才を「天賦の才」と形容しており、草彅について「あの年代でNO.1の俳優だと力強く断言する」と記している。 脚本家・作詞家・戯曲家の坂元裕二は、「もし俳優のオリンピックがあったら、日本代表は草彅さんです」と述べている。 SF作家の小松左京から「草彅君にやってもらいたかった」と指名され、小松原作の2006年に公開された超大作映画『日本沈没』で主演を務めた。本作は邦画では破格の製作費が投じられた。なお、小松の映像化作品の遺作となった。本作の監督樋口真嗣は草彅について、役が憑依しコントロール自在なさまを目の当たりにして驚いたことを述べている。 草彅主演僕シリーズのドラマ・映画で監督歴 のある星護は草彅について「彼の手のなかにその役も作品もある。いつも驚かされるところです」と述べている。また、作品においての草彅を「役そのものなんですね」と語っている。 なお、星は草彅との仕事を振り返った際に、草彅を「監督が心から話が出来る俳優」と形容しており、「こちらの話を本当に真剣に聞いてくれるんです」「迷っていることも含めて全部話しました」と評価の高さを示している。 星は映画『僕と妻の1778の物語』撮影中の印象的な出来事で特に忘れられないことに、草彅が主演したSF作家の主人公が、妻の死去後に白紙の原稿用紙の上で、妻だけに伝わるように文字なき最終話を書いていく、長いラストシーンを撮っていたときのことを挙げていて、そこに書く文章を星自身で決めずに、リハーサルのあとに何を書いていたのかを草彅に聞いたら、星が想像してなかった妻への手紙内容だとわかり、「[草彅の返答を]聞いた瞬間に泣けてきて、『OK、OK…』って言いながら逃げていって、陰で泣きました。僕はもうそれ以上何も言えなかった。そして、本番。彼は演技の最中、ボロボロ泣き始めたんです。全く想定外のことでした」と語っており、「本当に素晴らしいシーンになった」と発言している。また、星はこういうことで作品は草彅の手のなかにあると思う旨を述べている。 これは星がこの仕事をしていて、草彅をすごいなと思う瞬間の一つで、星は「他にも、思い出すとたくさん、一晩でも語れるくらいに、彼との仕事では、そういう瞬間をいくつも味わうことが出来ました」と述べている。また、星は草彅について「例えば、彼が75歳で僕が90歳でも、何か作りたい」「そんな思いにさせられる人です」と発言しており、草彅を「大切な宝物」と言い表している。 草彅主演のドラマ・映画、『TEAM』や『任侠ヘルパー』で監督歴のある西谷弘は、草彅を「すごい役者」と形容している。西谷は草彅について「彼はとても精神が綺麗な人なんですね」と述べており、草彅の能力によって「いろんな役がすっきりとハマる」と評価している。また、「草彅さんが彦一というものを作り上げたときに、もちろん他の役でも今後、一緒に仕事していきたいけど、この彦一という存在を本当に消したくないなと。旅を続けさせたい……と、すごく思ってますね」と語っている。 草彅主演映画『ホテル ビーナス』の監督タカハタ秀太は、草なぎについて「超一流」、天才的と述べており、ぐっと引き込まれる表情に言及している。また、タカハタはもともとバラエティ畑で草彅の冠番組『チョナン・カン』のディレクターだった際に、それに関連する草彅主演の短編ドラマ2本の演出をしたのがほぼ最初のドラマの仕事で助監督の経験もなかった当時、草彅に撮影をリードしてもらったことも語っている。 草彅主演舞台『瞼の母』の演出を務めた渡辺えりは、草彅が役に入り込んだ際の天才性について「役柄を感覚でとらえて、納得すると細密画を描くように役を形づくっていく」と述べている。また、草彅について「天才的な人ですね」と形容し、いつ寝てるのかと思うほど本当に忙しい中、本作での役は出ずっぱりで、たくさんの台詞はすべて古典の言葉だし、所作もすごく大変なもので、立ち回りもある、それをすごい集中力で、こちらが言うとパッとやるんです、といった内容を語っており、耳もいいと、鋭敏な感性に言及している。なお、閉幕後において「[本作の]母に手紙を書く場面、そして母と再会する場面で、彼は毎回本当に泣いていました」と発言し、その状態にも触れ「感受性が強いんですね。毎回新鮮に演じるというのは、なかなかできないことですよ」と口述していて、「とにかく役の気持ちになって集中する人」と述べており、その特異な、役をもっての体現を「草彅君でなければ出せないリアリティ」と評価している。 民放史上初の5夜連続、総放送時間11時間半以上の超大作ドラマ『99年の愛〜JAPANESE AMERICANS〜』で脚本担当の橋田壽賀子から指名され、主演を務めた。橋田は普段はキャスティングへの要望は出さないため、この指名は珍しい行為となる。実際に橋田は草彅の出演が決定してから脚本を書いており、「まさに草彅あっての作品」と報じられた。本作は制作費も通常のドラマでは考えられないほどの巨額が投じられた。なお、橋田は4年がかりで企画・執筆した本作の主人公は、当初から草彅をイメージして書いており、橋田が特定の俳優を想定して“あて書き”したケースは過去にも他にない。 橋田は本作について、自身の一生のテーマ「戦争と平和」へのすべての想いを託した集大成であり「私の遺言」と述べており、構想を練っていた際を振り返って「主役を誰にするかで、私の脳裏に真っ先に浮かんだのが草彅くんでした」と口述し、主人公像について「草彅くんにしか出せない。彼しかいないって思ったんです」と言及している。さらに草彅について「実際やってみると、とにかく素晴らしい演技で、私が書いた脚本以上に素敵なドラマにしてくれました。彼が演じると本当に泣けるんです」と評価している。 宮藤官九郎は草彅主演映画で自身が監督・脚本の作品についてを振り返り、本当に草彅に救われた現場だったことを語っている。また、草彅について「天性のもの」に言及しており、「多くの監督さんが何度も仕事したくなるのも頷ける」「次はこんな役をやって欲しい、という想像力をかき立てる人」と述べている。 脚本家・演出家の三谷幸喜は「俳優としての凄さ」と記し、「役者に役が『乗り移る』瞬間を、僕は初めて見た」と、ともに仕事をした際の草彅について書いている。また、三谷は草彅に役が憑依している状態を「天衣無縫」と言い表しており、草彅が本番中、天災地変が起きた状況においても、その状態で通せることを綴って、「驚異の集中力」と述べている。なお、三谷は『burst!〜危険なふたり』について、「特にラストで見せる草彅さんの『静かな狂気』は、鳥肌ものだ。あんな表情が出来る役者さんを、僕は他に知らない」と記している。
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