【F-117】(えふひゃくじゅうなな)
Lockheed F-117 Nighthawk(ナイトホーク)
1980年代、ロッキード・マーチン社の設計チーム「スカンクワークス」が設計・開発したステルス攻撃機。
レーダーによって探知されることを防ぐため、直線のみで構成されたくさびの様な独自の形状をもち、レーダー等の電波を出す機器を必要最低限(通信機など)しか搭載していない。
また、機体には木材等の非金属素材が多用されている。
目標の探知や捕捉はレーザー目標指示装置やFLIR/DLIRを使用する。
ステルス性を最優先にした機体設計の結果、空気力学的に不安定な形状となっている為、機体は4重に管理されたデジタル・フライ・バイ・ワイヤ・システムによって操縦安定性を確保している。
さらに、赤外線探知を避けるために、排気口を機体上面に移し、ジェット排気を外気と混ぜて排出するなどの対策が採られている。
従来のレーダーに殆ど映らない利点を活かし、湾岸戦争では先陣を切って中枢施設に対する夜間攻撃を行い、全機帰還という快挙を成し遂げた。
誘導爆弾を使用したピンポイント爆撃という言葉を世間に広めたのもこの機体である。
形式記号に「戦闘機」を示すFナンバーがついていることから、俗に「ステルス戦闘機」と呼ばれることも多いが、実質的には対地攻撃専門機である。
これは、アメリカ空軍では基地や橋梁といった「固定地上目標に対する攻撃」を「敵戦闘機に対する攻撃」と同様に「空中戦闘任務」と定義しているためである。
そのため、本機と同様に実質上攻撃機であるF-111やF-16にもFナンバーが割り振られている。
なお、同じ攻撃機でもA-10やAC-130がAナンバーなのは、この「空中戦闘任務」の定義に該当しない敵地上部隊を主目標とするCASを主任務としているからである。
同様の理由から、30ミリ機関砲を搭載したCAS仕様のF-16は「F/A-16」と呼称された。
自己防衛用のAIM-9を搭載することが可能であるが、これは抑止力的意味合いが強く、実際に装備することはほぼ無いと言っても過言ではない。
また、その高いステルス性を活かし対AEW撃墜に用いられるという説があるが、厳しい機動制限がある等、実戦での空戦能力は無いため、そのような運用は行われないと思われる。
本機は任務を後継のF-22に譲り、2008年をもって全機退役した。
しかし、アメリカ空軍では「当面の間は廃棄せず、必要な事態が生じた場合には復帰させる(即ちモスボールする)」と述べている。
スペックデータ
F-117 (航空機)
(F-117) から転送)
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- 1 F-117 (航空機)とは
- 2 F-117 (航空機)の概要
F-117(メカキートン(『2』))
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「ソニックウィングス」の記事における「F-117(メカキートン(『2』))」の解説
特徴として、ショットのフルパワーアップ状態は54発撃った時点で終了する。
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F-117
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「ステルスファイター・アタック」実行時に飛来するステルス攻撃機。搭乗不可。
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F-117
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「凱歌の号砲 エアランドフォース」の記事における「F-117」の解説
移動しなくても移動力の半分の燃料を消費。先に攻撃できる。夜間に攻撃力が低下しない。敵に隣接しても移動できる。
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F-117
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F-117のステルス性は、その機体構造(概観の形状)からレーダ入射波を散乱及び後方背面波としてRCS(レーダー断面積)を下げているものと考えられる。この機体のステルスの特徴としては、レーダに対するRCS低減は全方位でなく前方方向と背面方向に対してRCSが極端に小さい。また運動性を犠牲にしているがステルス機の中ではRCSが最も小さい機体と考えられている。
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F-117
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"F-19"に対する世間の関心が冷めやらぬ中、1987年10月14日、ネバダ州トノパー近郊のグルームレイク試験場内で軍用機の墜落事故が発生し、この墜落事故について空軍当局は詳細を発表せず、軍の不審な態度は昨年(1986年)7月のカリフォルニア州セコイア国有林への墜落事故(前節参照)との関連を思い起こさせ、「"F-19"が墜落事故を起こしたのではないか?」と再びメディアの注目を集めた。更にその一週間後の10月20日、A-7 コルセア II攻撃機がエンジントラブルによる緊急着陸に失敗してインディアナ州インディアナポリス国際空港近傍のホテルに激突して爆発炎上し、多数の死傷者を出す墜落事故を発生させた(1987年 インディアナポリス ラマダホテルA-7墜落事故)。 詳細は「:en:1987 Indianapolis Ramada Inn A-7D Corsair II crash」を参照 空軍当局はグルームレイク試験場での墜落事故に関しては「軍用地内での事故であり詳細は軍事機密である」として情報の公開を拒否したが、インディアナポリスでの墜落事故は民間地、それも市街地への日中の墜落であったことから、先年のカリフォルニア州での墜落事故のように墜落地点を封鎖して軍関係者以外を締め出すことが不可能で、墜落機の機種を始めとして多数の目撃情報とメディアの詳細な報道が世間に広く流れた上、多数の犠牲者を出した惨事となったことから、空軍は事故に関連する情報を公開せざるを得なかった。記者会見において空軍当局は墜落したA-7に搭乗していたパイロットは第4450戦術飛行群(英語版)の所属であることを公表したものの、部隊の任務の詳細等については巧妙に回答を避けたが、この部隊は件の先年の墜落事故機の所属部隊として発表されていた部隊であり、公式にはA-7以外の機種を装備していないことから「先年の事故機も既に存在の広く知られているA-7攻撃機であったとしたら、なぜ軍はあれほどまでに情報を公開しなかったのか?」という点において俄然メディアの注目が集まった。 公式に表明されている同隊の任務は「A-7を用いた航空機用電子装備の開発支援」であったが、メディアに紹介された軍事 / 航空評論家の見解は「秘密裏に開発されているという“ステルス戦闘機”の飛行訓練を人目につきやすい日中に行うための代用機なのではないか」というもので、「同部隊は特殊な改造が施されたA-7攻撃機を用いて“ステルス戦闘機”の運用を支援する任務に就いている」という憶測が広まった。これは「アメリカ空軍では既に“ステルス戦闘機”が実際に運用されている」という推論が導かれることにもなり、“軍が極秘に開発したステルス戦闘機、F-19”の実在をメディアと世間に確信させるものとなった。 1988年1月にはアメリカの老舗軍事情報誌である『Armed Forces Journal』(英語版)が、同月に発行された号にて「"F-19"として存在が噂されている機体は実際に存在しているが、形式名はF-19ではなく"F-117"であり、“ナイトホーク(Night Hawk)”というニックネームも与えられている」との記事を掲載した。この時期になると、メディアに掲載される推測も多分に実態に迫ったものになってきており、更には並行して開発が進められていたATB(Advanced Technology Bomber. 先進技術爆撃機(B-2ステルス爆撃機として結実したもの)および新たなステルス戦闘機の開発計画であるATF(先進戦術戦闘機計画)の両計画が情報非公開の状態で進めることが難しい段階に進んでおり、B-2の公表も決断されていたため、既に実戦配備されているF-117の存在と併せて“ステルス機”についての情報を秘匿することが不可能だと判断したアメリカ国防総省は、情報の公開を決定した。 ステルス機についての情報を公開するにあたり、当初は1988年10月内が予定されていたが、この年は大統領選挙(1988年アメリカ合衆国大統領選挙)が行われるため、上院軍事委員会(SASC. United States Senate Committee on Armed Services)からはカーター政権下で起きたような政治的混乱を回避することが求められ、選挙の終了する同年11月8日以降が情報公開の時期として定められた。国防総省は事前に与野党議員やNATOを始めとする同盟各国等の関係各方面に内密に打診した上で準備を進め、1988年11月10日に会見が行われた。 この会見では極秘裏に開発・配備を進めていたステルス機の存在が正式に公表されると共に、名称がF-117であり、1978年から開発計画が極秘裏に開始されていたこと、1981年には初飛行に成功して1983年には部隊運用が開始されていたこと、また1986 / 1987年に墜落事故を発生させたがその際には事実を公表しなかったことを発表した。この他、F-117に先立って、“ハブ・ブルー(Have Blue)”と名付けられた縮小試作機(概念実証機)が1977年には初飛行に成功しており、1978年には墜落事故で失われていたことも公表された。 詳細は「F-117 (航空機)」を参照 F-117の存在が初めて公表された際の公式写真の一枚。意図的に実際とは違った機体形状に見える構図のものとなっており、機体の前後方向の長さが実際よりも詰まって見える。 F-117の試作機(概念実証機)である“ハブ・ブルー(Have Blue)”。実用機のF-117とは尾翼の傾斜方向が逆になっている。 この発表は「実際の“ステルス戦闘機”はこれまで推測されていたものとは全く異なる外形をしている」ことがメディアを始めとした各方面に大きな衝撃を与えたが、その制式番号について、-19の欠番と相まって更なる謎を生んだ。現実的に考えれば、極秘としている戦闘機に対し、命名規則通りの「F-19」という名称をそのまま与えるはずもないという意見もあったが、-117という番号は発表当時のアメリカ軍戦闘機に付与されるものとしては異例であった。 前述の1962年の軍用機の命名規則改正によって、空軍戦闘機の「F」ナンバーはF-111で終わっており、仮にそこからの連番としてもF-112 - F-116が欠番となっており、その理由が明らかではない。F-111から117に飛番となったことに対し、空軍の報道担当官は「111を最終番号とする取り決めはない」としか回答せず、この名称が与えられた理由は公表されなかった。 これに関して、アメリカ空軍がソビエト製戦闘機を極秘裏に入手し、それらで編成されるテスト部隊(第4477試験評価飛行隊(英語版))内での機体呼称には欠番となったF-112からF-114の各番が与えられているという説があり、あるカリフォルニア州エドワーズ空軍基地の元管制官はこの話をパイロットから聞いたと話している。この他にも、F-117の開発元であるロッキード社が過去に開発した軍事兵器のWS(ウェポン・システム)のコード番号に117が用いられていたことに関連性を見出す推測もあった。 なお、F-117の公表後には、当該機の試作機(飛行特性試験機)である"YF-117A"の他に、"YF-117D"および"YF-117E"の制式番号が与えられた航空機がある、という情報が流れたが、どちらもロッキード社のF-117とは無関係の別の機体であるとされ、"F-117"という制式番号については今だ謎が多い。
※この「F-117」の解説は、「F-19」の解説の一部です。
「F-117」を含む「F-19」の記事については、「F-19」の概要を参照ください。
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