車両の歴史
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ダッジブラザース(1936年式) 104 1954年廃車戦後バス事業再開時に導入された中古車。この際に導入された車両、全15台(うち新製車は3台)中5台が当該車両で最大勢力だった。 いすゞBX91(1950年式) 1161960年廃車戦後バス事業再開間もない頃に導入された新車(帝國車体架装)。背景は藤沢営業所奥田車庫。検修庫の中には民生BR351若しくはRF90若しくはRX80(奥)と日産NUR690(手前)と思われる2台が見える。 日産R6B(1956年式 再生シャーシー車) 3011965年4月4日廃車『ダルマさん』の愛称で親しまれたキャブオーバー車。 いすゞBX91改1963年3月29日廃車ボンネット車の車体載せ替えキャブオーバー化改造車。1956年にBX91型4台に施工された。 ふそうR280(1957年式) 2091965年12月25日廃車初のふそうリヤーエンジン車。中扉ロマンスシート仕様で定期遊覧や小貸切にも使用された。 日産UR591(1958年式) 1341965年3月廃車初の日産リヤーエンジン車。この年式からはRX80に代わり日産ブランドの本系列が導入された。ロマンスシート仕様で定期遊覧や小貸切にも使用されたのが本型式。三方シート仕様はフロントオーバーハングが短いNUR591を採用し、大量導入された。 いすゞBA351D(1958年式) 3151964年3月31日廃車初のいすゞリヤーエンジン車。1950年代~1960年代前半のいすゞリヤーエンジン車は横浜営業所に集中配備されていた。このグループ3台は、廃車後、仙北鉄道に譲渡された。 トヨタDR10(1959年式) 3041965年4月廃車新三菱車体を架装したトヨタ車。1960年以降のトヨタ車は富士重工車体を架装。1960年代前半までトヨタリヤーエンジン車は横浜営業所に集中配備されていたが、1960年代後半に一部が藤沢営業所に転属した。 日産NUR690(1960年式) 2171968年1月10日廃車1960年代前半の主力車。1959年までのNUR591をモデルチェンジし前照灯4灯化したのが本型式。同形車は高根線でも運用された。 ふそうR470(1961年式) 2161968年6月廃車1960年代の長尺ツーマン車。長尺ツーマン車は1958年3月12日にふそうR270が2台(社番204・206)導入されたのが嚆矢である。 日産ディーゼル4R103(1962年式) 329 1971年5月28日廃車1960年代の長尺ツーマン車。この年式から塗り分けが大幅に変更された。 日産ディーゼル4R103(1963年式) 136 1973年9月6日廃車長尺ツーマン車末期の増備車。本車は1970年1月に前扉増設中扉引戸化改造を施工されワンマン車となった。本グループは8台が購入されたが、うち4台はワンマン化改造を施工。別の3台は1969年~1970年にかけてロマンスシート化改造を施工され東京線でも運用された。 日産ディーゼル4R93(1964年式) 156 1976年7月21日廃車初のワンマン車。ふそうMR490と共に大量導入された。 ふそうMR490(1964年式) 259 1975年10月16日廃車4R93と共に大量導入された初代ワンマン車。新製時は正面庇中央部に3個の角型マーカーランプが埋め込まれていた(前述の4R93参照)が、この写真が撮影された1973年には撤去されていたのが判る。。 日産ディーゼル4RA93(1965年式) 229 1976年廃車貸切車は1966年購入車まではスタンディーウインドウ、冷房無し、リクライニング機構無しのロマンスシート仕様で導入された。塗装も、路線車と同色であったが、写真に示す通りアイボリーと朱色の新塗装に順次変更された。この写真は乗合登録に格下げ後の撮影で、東京線や定期遊覧の他、一般路線のツーマン運行にも充当された。。 日産ディーゼル5RA110(1967年式) 289 1980年9月2日廃車初の冷房付リクライニングシート貸切車。2台が導入された。正面方向幕部分が採光窓となった仕様はこの年式のみの特徴である。 ふそうMR470(1967年式) 242 1977年廃車ワンマン車大量導入により、長尺ツーマン車の導入は一時途絶えていたが、1967年に中扉引戸、補助席付ロマンスシート仕様で2台が導入された。東京線や定期遊覧の他、一般路線のツーマン運行にも充当された。 日産ディーゼル4R94(1969年式) 179 1985年3月6日廃車神奈川中央交通からの譲受車。一大勢力を誇った本型式は、神奈中からの譲受車を加えると述べ60台が導入された。新製購入車とは正面方向指示器、屋上ベンチレーター形状、側面方向幕位置等が異なる。1978年11月16日購入の本車は神奈中仕様の後ヒンジ式前扉のまま使用された異端車である。 日産ディーゼルPR95(1970年式) 114(←旧337)1985年7月12日廃車PR95型市販1号車。この年式から1973年式までの路線車は、一部の例外を除き三方前向き混合シート仕様で新製された。 いすゞBA10(1971年式) 1171983年7月11日廃車最後の中扉ツーマン専用車。オール三方シート仕様としても最後の新製車であった。末期は高根線用予備車となっていた。同車はその後、個人に引き取られ準動態保存(車検は取得していないものの可動状態は保持)された。2019年現在も残存しており、可動状態にある元江ノ電バス在籍車では最古の車である。 ふそうMR410(1971年式) 2401986年12月10日廃車4R94と共に一大勢力誇った本型式は、富士重R13初期型、同サッシ窓、同13E型、神奈中から譲受した呉羽車体車と、多彩な形態であった。この年式はPR95と共に補助席付貸切兼用車が数台在籍したが、外観上は全く同一である。 ふそうMR410(1971年式) 2491985年11月9日廃車呉羽車体を架装した神奈川中央交通からの譲受車。本型式は新製車、中古車合わせて延べ51台が在籍した。 日産ディーゼル6RA111(1971年式) 120 1985年7月4日廃車新製購入車としては最後の2サイクルUDエンジン搭載車(貸切車)。 日産ディーゼルPR95(1972年式) 329 1985年11月14日廃車この年式からMR410と共に富士重工R13E型車体となった。本車は三方前向き混合シート仕様で新製されたが、1980年に前向きシートに改造された。前扉もその際に交換されている。 日産ディーゼルU20N(1975年式) 125 1986年12月5日廃車新製ワンマン車として初の長尺車。この年式から前扉がワイドドア化された。 日産ディーゼルK-U31N(1980年式) 153 1994年3月28日廃車一般路線用初の冷房車。本型式2台と、ふそうK-MP118N 1台の計3台が各営業所に1台ずつ配備されたのが嚆矢である。 ふそうK-MP118N改(1980年式) 257 1994年3月28日廃車2台だけ在籍した冷房化改造車(他方の1台は日産ディーゼルK-U31N改 1980年式 社番317)。1983年7月11日改造竣工で、エバポレーターはR15型用の物が装着されている。 日産ディーゼルK-RM80E(1980年式) 116 1988年8月30日廃車初の中型路線車。高根線用に導入された。 日産ディーゼルP-RA52M(1984年式)122 1996年12月廃車定期遊覧専用として初の新車。これ以前の定期遊覧には一般路線兼用の中扉ロマンスシート車や貸切格下げ車を使用していた。トップドアロマンスシート仕様でオレンジ/クリームの路線色は、1966年式4RA94以来、実に18年ぶりの導入であった。 P-MP218P(1986年式)203 2003年廃車1994年までのふそう新製大型リヤーエンジン車は、すべて富士重工車体を架装していた。 ふそうU-MP618M(1995年式) 502 2007年3月廃車初代高速羽田線用車。当車は後に定期遊覧用に転用され、821に改番された。 いすゞKL-LV280LI(2002年式)114 2016年12月廃車サンプル車を購入した当車はピンク色の塗装で異彩を放った。当初、辻堂西海岸線に限定運用されていたが、後に他車と共通運用されるようになった。 ふそうKL-MS86MP (2004年式)709 2014年9月廃車大型貸切車は、従来、基本的に日産ディーゼル車が中心となっていたが、1997年以降ふそう車が導入された。 日産ディーゼルPK-JP360NAN (2006年式) 110 江ノ島電鉄開業100周年を記念した塗色車両。 日野BDG-HX6JLAE(2011年式)291「こまわりくん」の愛称で狭隘路線に運用される車両。1967年に採用された貸切車の新塗色が踏襲されている。
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