車両の概要
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「名古屋市交通局の半鋼製単車」の記事における「車両の概要」の解説
1935年(昭和10年)から1939年(昭和14年)までの長期間にわたって製造されたため、製造時期によって外観に差異がある。 まず、1935年2月に試作車2両(151・152)が電気局西町工場製造された。改造種車は34人乗りの小型単車(SSA形)で、記録によれば旧番号は90と95である。車体は流線型を取り入れた設計で、塗装は下部が緑色、上部が黄色、屋根が銀色とされた。車体の窓は前面に3面、側面に6枚取り付けられ、ドアは前後に1か所ずつ設置された。31馬力のウェスティングハウス・エレクトリック製電動機を装備し、ブリル製の台車を履いていた。 試作車に続いて1935年から1937年(昭和12年)にかけて製造された18両(153-170)は前期型と呼ばれる。種車は160までがSSA形、161以降は42人乗り大型単車(LSA形)で、旧番号は順に38・58・59・64・79・86・96・143・169・170・173-180。前期型では、試作車にあった車体前後の傾斜が工作上の困難という理由でなくなり外観が変化したほか、窓枠がアルミニウム製から木製に変更された。また、161以降は電動機が33馬力のゼネラル・エレクトリック製のものに変わっている。 1937年から1939年にかけて製造された34両(171-204)は後期型と呼ばれる。種車はLSA形で、190までの旧番号は順に181・182・184-186・189・192・193・197-201・203-206・208・210・211である。試作車・前期型に比べて側面の窓の高さが高くなったほか、戸袋にも窓が設置された。 これらの電車はいずれも定員は50人である。電動機・台車を種車から流用したため種車同様の高床車両となったが、ドアステップの高さを低床車並みとしたため客室内に強い勾配がつき、乗客の安定を欠くと批判された。
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車両の概要
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「大阪電気軌道デボ1000形電車」の記事における「車両の概要」の解説
大阪電気軌道が従来保有していた奈良線・畝傍線といった路線は、車体規格が小さいことから車両もデボ1形電車であったが、のちに近鉄大阪線となる八木線→桜井線の区間や、同社の子会社である参宮急行電鉄(参急)が伊勢を目指して目下建設中の本線(後の大阪線・山田線)は、建築限界を拡大して大型車両の投入を行うことにしていた。参宮急行電鉄では、上本町(現・大阪上本町) - 宇治山田間の直通列車用に2200系を開発していたが、上本町 - 桜井・橿原神宮前間などの区間電車への電車は大阪電気軌道側で製造することになり、それによって誕生したのがこれらの車両群であった。開発に当たっては、参宮急行電鉄が開発を進めていた2200系電車との屋内競争(大阪電気軌道と参宮急行電鉄は同一社屋)も繰り広げたといわれている。
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車両の概要
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「レンフェ446系電車」の記事における「車両の概要」の解説
一編成は3両で、両端の先頭車が電動車(M)、中間車が付随車(R)のいわゆる2M1T編成を構成し、440系電車などのいわゆる1M2T編成と比べて加速する時間を短縮。また、製造時期により、一次車・二次車・三次車に分類される。
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