内燃動車の開発
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ドイツのルドルフ・ディーゼルは、1892年にディーゼルエンジンを発明した。彼が死去する前年の1912年に、世界で最初のディーゼルエンジンによる機関車がドイツのプロイセン邦有鉄道で試作された。船舶用の1,200馬力エンジンをそのまま載せたものであったが、あまり実用性はなかったとされる。1914年にはスイスのスルザーが、200馬力の電気式ディーゼルカーを開発している。 一方この頃、自動車が普及しつつあったアメリカでは、自動車用のガソリンエンジンを用いたガソリン動車が盛んに製作された。ゼネラル・エレクトリックが主に製作し、ガソリンエンジンで発電してその電力で走行する電気式であった。また、フランスのブガッティも1930年代にかなりのガソリン動車を販売した。しかし、鉄道用としては燃費のよいディーゼルエンジンの方が適しており、1920年代以降は主にディーゼル動車の方が普及していった。 また、飛行機が発明されて使用されるようになったことからプロペラ動力に関心が集まり、鉄道車両をプロペラで駆動する技術の研究がドイツで行われた。600馬力のガソリンエンジンに4枚羽根プロペラを取り付け、17.25 トンの車体に載せて走らせた。この車両はレール上のツェッペリン飛行船という意味で「シーネンツェッペリン号」 (Schienenzeppelin) と名づけられた。1931年6月21日の試運転では、ベルリン - ハンブルク間のテストコース256 kmの区間を98分で走破し、平均速度は154 km/h、最高速度は230 km/hを記録して、これは第二次世界大戦前の鉄道の最高速度記録であった。しかし他の車両と連結して走ることができず不経済で、試運転のみに留まった。 シーネンツェッペリンに続いて、ドイツではディーゼルエンジンを用いた通常の車輪駆動の高速列車に取り組んだ。410馬力のディーゼルエンジンと発電機を搭載し、その電力でモーターを回して走る電気式ディーゼルで、1933年5月15日からベルリン - ハンブルク間で営業運転についた。この列車は「フリーゲンダー・ハンブルガー号」と名づけられ、270 kmの距離を2時間18分で結んだ。平均速度は124.6 km/h、最高速度は160 km/hで、営業運転に用いられる列車としては世界最高速度を達成した。高速性能で乗客から人気を博し、コスト的にも蒸気機関車の牽引する列車より安いことが明らかとなった。ドイツ全土を結ぶディーゼル特急ネットワークが計画されて増備が進められ、その中にはフォイト製トルクコンバータを搭載した液体式のものもあった。この時期、チェコスロバキアではスロヴェンスカー・ストレラ、アメリカではパイオニア・ゼファーなど、同じようにディーゼル駆動の高速列車が運行されるようになった。 アメリカではゼネラルモーターズ傘下のエレクトロ・モーティブ・ディビジョン (EMD) がディーゼル機関車の開発を進め、1930年代には1000馬力級のエンジンを搭載したディーゼル機関車が各鉄道に次第に普及し始めていた。
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