東京ガスサッカー部とは? わかりやすく解説

東京ガスサッカー部

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東京ガスサッカー部(とうきょうガス・サッカーぶ)について、以下の2つがあり、それぞれこの記事内で記載する。


  1. ^ 当時は全国リーグ参入3年目。JFL内での成績も芳しいものではなく、また、ユースチームも発足していなかった。詳細は#成績およびFC東京の下部組織の項を参照
  2. ^ 準加盟クラブでは鳥栖フューチャーズが4位、コンサドーレ札幌が5位、ブランメル仙台が6位。
  1. ^ 「関東実業団蹴球」朝日新聞東京、1936年3月16日、2016年2月16日閲覧
  2. ^ 「東京実業団蹴球リーグ」朝日新聞東京、1937年2月20日、2016年2月16日閲覧
  3. ^ 「関東実業団蹴球」朝日新聞東京、1937年3月16日、2016年2月16日閲覧
  4. ^ 朝日新聞東京、1940年3月22日、2016年2月16日閲覧
  5. ^ 「実業団蹴球の加盟チーム」朝日新聞東京、1941年4月18日、2016年2月16日閲覧
  6. ^ a b 『FC東京ファンブック2000』毎日新聞社、2000年、127-頁。 
  7. ^ 読売サッカークラブ~東京ヴェルディ40周年記念誌発行委員会 編『クラブサッカーの始祖鳥 読売クラブ~ヴェルディの40年』東京ヴェルディ1969フットボールクラブ、2010年。  p.256
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  10. ^ 全国社会人サッカー連盟,108頁
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  12. ^ 全国社会人サッカー連盟,109頁
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  15. ^ a b c 【東京Jリーグの夢】原点からの出発(1)調布スタジアム『産経新聞』1994年1月5日 東京朝刊
  16. ^ a b 公益企業として限界 東京ガス、サッカーの調布進出見送り/東京『朝日新聞』1993年12月9日 朝刊
  17. ^ a b 【東京Jリーグの夢】原点からの出発(5)無念のサポーター『産経新聞』1994年1月11日 東京朝刊
  18. ^ a b c d 東京スタジアム建設計画”. 1999年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月8日閲覧。 調布市
  19. ^ a b 荒川,69頁
  20. ^ 東京ガス、Jリーグへ 調布拠点に加盟めざす『朝日新聞』1993年9月28日 朝刊
  21. ^ ヴェルディ、東京ガスの調布誘致 チーム名挙げ新たな一歩 シンポ開催も/東京『読売新聞』1993年11月30日 東京朝刊 都民2 27頁
  22. ^ 平成5年 第4回 定例会 12月10日-02号 企画調整部長(山家嗣人 君) P.111 調布市議会 議事録
  23. ^ a b c 東京 東京初のプロ「FC東京」来季J入り 調布に育てサッカー熱/東京『朝日新聞』1998年11月1日 朝刊
  24. ^ 平成5年 第4回 定例会 12月10日-02号 市長(吉尾勝征 君) P.108 調布市議会 議事録
  25. ^ 田中直希『Jクラブ強化論』ぱる出版、2013年、150頁。 
  26. ^ a b データブック2008 (PDF) Jリーグ
  27. ^ 荒川,70頁
  28. ^ 荒川,86頁
  29. ^ Jリーグニュース第33号”. 1998年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月3日閲覧。 Jリーグ
  30. ^ 村林裕の進め! F.C.TOKYO”. 2002年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月8日閲覧。 毎日新聞社
  31. ^ 荒川,118頁
  32. ^ 荒川,90頁
  33. ^ クラブスタッフ日記”. 2012年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月5日閲覧。 FC東京 (2009年2月27日)
  34. ^ サッカー批評ISSUE55双葉社、2012年、69頁。ISBN 978-4575452754 
  35. ^ Jリーグニュース第47号”. 2001年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月3日閲覧。 Jリーグ
  36. ^ 2部1ブロック”. 2003年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月8日閲覧。 東京都社会人サッカー連盟
  37. ^ 2部3ブロック”. 2003年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月8日閲覧。 東京都社会人サッカー連盟
  38. ^ 社会人連盟 大会情報 第38回 東京都社会人リーグ 東京都サッカー協会
  39. ^ 社会人連盟 大会情報 第39回 東京都社会人リーグ 東京都サッカー協会
  40. ^ 社会人連盟 大会情報 第40回 東京都社会人サッカーリーグ 東京都サッカー協会
  41. ^ 社会人連盟 大会情報 第41回 東京都社会人サッカーリーグ 東京都サッカー協会
  42. ^ 社会人連盟 大会情報 第42回 東京都社会人サッカーリーグ 東京都サッカー協会
  43. ^ 大会情報 第43回東京都社会人サッカーリーグ 東京都サッカー協会
  44. ^ 大会情報 第44回東京都社会人サッカーリーグ 東京都サッカー協会
  45. ^ 大会情報 第45回東京都社会人サッカーリーグ 東京都サッカー協会
  46. ^ 社会人連盟 大会情報 第46回東京都社会人サッカーリーグ 東京都サッカー協会
  47. ^ 社会人連盟 大会情報 第47回東京都社会人サッカーリーグ 東京都サッカー協会
  48. ^ 社会人連盟 大会情報 第48回東京都社会人サッカーリーグ 東京都サッカー協会
  49. ^ 大会情報 第49回東京都社会人サッカーリーグ2部2ブロック 東京都サッカー協会
  50. ^ 大会情報 第50回東京都社会人サッカーリーグ2部1ブロック 東京都サッカー協会


「東京ガスサッカー部」の続きの解説一覧

東京ガスサッカー部(1935年 - 1998年)

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「東京ガスサッカー部」の記事における「東京ガスサッカー部(1935年 - 1998年)」の解説

6月調布市議会にて「プロサッカーチーム誘致に関する決議」が可決された。9月、東京ガスサッカー部は東京スタジアム(後の味の素スタジアム建設計画に伴い発足したつくる会」や東京都サッカー協会から、同スタジアムホームとするJリーグクラブ創設打診された。「つくる会」は、スタジアム完成前できること模索し 開業までに地元のプロクラブを育てようというスタンスでいたため、東京ガスサッカー部代表としてJFL評議員務めていた上原英治は、これを好意的に受け止め前向きに検討する回答程なく東京ガス調布拠点Jリーグ加盟目指す方針報じられた。 時系列日付出来事1992年12月 つくる会正式名称東京にプロサッカーチームをつくる会」)発足 1993年06月17日 調布市議会Jリーグ誘致決議全会一致可決誘致予算880万円計上 09月27日 つくる会東京ガス調布進出打診10月19日 誘致する会(正式名称スタジアム建設促進とプロサッカーチームを調布誘致する会」)発足誘致予算全額誘致する会のものとなる。 11月29日 誘致する会が、ヴェルディ川崎東京ガス調布進出打診12月08日 東ガス進出断念 また、10月には新たに誘致する会」も発足。同会は東京ガスサッカー部が東京都サッカーチームとして最上位カテゴリーにいることや、「つくる会」が候補としていること、サッカー教室などの地道な地域活動評価し東京ガスにJリーククラブ創設打診。さらに「誘致する会」は発足当初からヴェルディ川崎(後の東京ヴェルディに対して調布進出打診する意向であったヴェルディ誘致急速に行われた結果、「つくる会」との対立発展時間をかけて東京ガス協議するつもりでいた「つくる会」においても結論を急がざるを得なくなり東京ガス側でも“無関係な騒ぎ”による動揺広がった12月東京ガスは、公益企業として限界から現時点プロ化できない時期尚早である として調布進出見送りJFL地域貢献力を入れるとした。なお、ヴェルディ川崎同月移転断念。これ以後、元東京ガスサッカー部監督で同部部長鳥原光憲中心にJリーグ参画向けて足固め強化図っていった。同年ジュニアユース及びジュニアチーム創立一連の誘致劇は市民大きなしこりを残し、後にFC東京として市関係団体との折衝を行う際には難航させられたという。 1994年 大熊清コーチとしてチーム復帰ヴェルディ川崎からFW関浩二ベルマーレ平塚からMF立石敬之獲得。さらに社員選手MF藤山竜仁を含む3名に対し創部以来初めてとなる日本人選手とのプロ契約結んだ大卒ルーキーGK堀池洋充DF浮氣哲郎活躍し全国リーグでは初の勝ち越し成功また、関東地区代表として天皇杯全日本サッカー選手権大会初出場果たした急遽監督退任した今井敏明に代わって大熊指揮執り初戦鹿島アントラーズ破ってベスト8進出1995年 大熊正式に監督就任ヘッドコーチ倉又寿雄と共にチーム率いた藤山を左SB下げ立石新加入の岡島清延でドイスボランチを構成攻撃陣にMFエドウィン加えた布陣機能。関は日本人得点王となった1996年 関は活躍買われ平塚移籍結果アマラオ1トップ採用することになった本田技研ヴィッセル神戸との優勝争い敗れ3位終わったが、新條宏喜浮氣中心にリーグ最少失点となる堅守構築しJリーグ準加盟クラブJリーグ昇格阻んだまた、4月よりユースチーム創立この年JFLクラブにはJリーグ2部J2)の創設と、その参加条件提示されていた。 1997年 第77回天皇杯 準決勝 布陣 奥原崇 エドウィン 小林成光 原田智宏 浅利悟 岡島清延 藤山竜仁 本吉剛 吉岡博史 新條宏喜 堀池洋充 監督大熊清東京ガスフットボールクラブ』に改称しJリーグへ参加表明8月Jリーグ2部への加盟申請が行われ、12月承認された。 また、6月には「東京フットボールクラブ創設準備事務局」を発足させ、東京ガスメンバー上原英治鳥原光憲村林裕城福浩小林伸樹ら)を始めとする中核出資予定企業東京都東京都サッカー協会東京商工会議所東京青年会議所がこれに参加したチームJFL準優勝してJリーグ昇格条件である2位以内に入るも、準会員資格有していないため、Jリーグへ昇格見送られた。大塚製薬から加入したDF本吉剛浮氣哲郎ジェフ市原移籍)の穴を埋め藤山大卒新人MF浅利悟と共にベストイレブン選出された。 その年の天皇杯では名古屋グランパスエイト横浜マリノス平塚Jリーグ勢3クラブ勝利してベスト4進出準決勝鹿島戦)では創部以来初め国立競技場の地を踏んだ1998年 4月翌年からクラブ名称が『FC東京』になると共にプロクラブ化し新たに2部制となるJリーグ ディビジョン2J2)への参加決める。JFL最終年となったこのシーズンは、MF岡島清延引退)の穴埋め苦しみ一時停滞したが、終盤12連勝追い上げ最終節川崎フロンターレ逆転してJFL初優勝果たした。しかし、Jリーグ準会員ではなかったため、J1参入決定戦へは参加できなかった。 10月1日(この日は都民の日とされている)に、東京瓦斯東京電力エーエム・ピーエムジャパンテレビ東京カルチュア・コンビニエンス・クラブTSUTAYA)、日本石油清水建設三菱商事の8社を中核に、計161団体出資運営法人東京フットボールクラブ株式会社』を設立同月20日Jリーグ理事会によって法人化認められ1999年より発足したJ2参戦。東京ガスサッカー部としての歴史終えた

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