加賀見健介とは? わかりやすく解説

加賀見健介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/13 16:56 UTC 版)

加賀見 健介
名前
カタカナ カガミ ケンスケ
ラテン文字 KAGAMI Kensuke
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1974-11-21) 1974年11月21日(49歳)
出身地 埼玉県浦和市(現さいたま市[1]
身長 186cm[2]
体重 81kg[2]
選手情報
ポジション MF[2]
利き足 右足[3]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-2003 東京ガス / FC東京 75 (17)
2000 大分トリニータ 15 (02)
2002 川崎フロンターレ 22 (01)
監督歴
FCトレーロスU12
FCトレーロスU15
1. 国内リーグ戦に限る。2007年12月8日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

加賀見 健介(かがみ けんすけ、1974年11月21日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。2012年からはファンルーツアカデミーのコーチングスタッフを務めている。 2019年、日本サッカー協会公認A級ジェネラルライセンス取得。

来歴

1990年桐蔭学園高校に入学し、1991年度及び1992年度の全国高校サッカー選手権に出場[4]。92年度大会では同期の山田卓也と共に優秀選手に選出された。1993年青山学院大学に進学し、1995年及び1996年の関東大学リーグ2部でベストイレブンに入る活躍を見せた[4]

1997年東京ガスに入社し、社員選手として[5]ジャパンフットボールリーグ同社サッカー部(現:FC東京)へ入部。1998年には大熊清監督の下、FWアマラオのパートナーとしてトップ下(1.5列目)に配され[6]、攻守にアマラオをサポート[7]。同年の東京ガスのリーグ初優勝に大きく貢献し、新人王こそ佐藤由紀彦山形)に奪われたものの[8]ベストイレブンに選出された[4]。J2での戦いとなった1999年は、好不調の波もあって[9]出場機会をやや減らしたが、J1昇格が懸かった最終節では苦手としていた[注 1]アルビレックス新潟を相手に貴重な決勝点を挙げ[10]、劇的なJ1昇格の立役者となった[11]

J1初年度である2000年には、中心選手としての成長を期待され[9]、背番号を「10」へと変更。しかし、怪我やトップ下を置かない布陣の採用[注 2]によって思うような活躍が出来ず、シーズン途中で石崎信弘監督が率いるJ2・大分トリニータ期限付き移籍。大分では主力選手の一人としてチームを押し上げ[11]、J1昇格の可能性を残して迎えた最終節新潟戦では決勝点を挙げたが[12]、一歩及ばずに昇格を逃した。

大分からは完全移籍を打診されたが[13]2001年にはFC東京に復帰し[14]、背番号を「13」に戻した。この年はMFケリーがトップ下に定着し、加賀見がリーグ戦で先発出場の機会を得られたのはケリーが累積警告で出場停止となった1試合のみだった[15]

2002年、石崎が監督を務めるJ2・川崎フロンターレ期限付き移籍[16]。大分在籍時に石崎の戦い方を経験したことで川崎での戦いには自信をもっていたが[11]、前線にブラジル人選手を揃えた陣容の中[17]、加賀見の出場は大半が途中投入であったことから[18]、シーズン途中に東京へ復帰[19]

2003年限りで現役を引退し、FC東京普及部のコーチとなり[20] ジュニア年代の育成にあたった[1]2006年日本サッカー協会公認B級コーチライセンス取得[21]

指導にとどまらず運営面でもサッカーに携わりたいとの考えから、2007年よりレオックジャパングループのサッカースクール部門であるフィートエンターテイメントに所属。

2010年、FC東京普及部の一員として、フットサル調布リーグ1部に参戦し、2位以下を大きく引き離して得点王となっている[22][23]2011年はFC東京U-15むさしのコーチを務めた[24]

2012年より、株式会社ファンルーツが運営するファンルーツアカデミーとFCトレーロスのコーチングスタッフとして、幅広い年代層にサッカーを指導。

2015年、FC青山オーバー・フォーティーの一員として[25] 全国シニア(40歳以上)サッカー大会で優勝。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1996 青学大 - - - 1 0 1 0
1997 東京ガス 13 旧JFL 10 0 - 6 1 16 1
1998 27 9 - 3 0 30 9
1999 FC東京 J2 21 4 2 2 1 0 24 6
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯 FFA杯 期間通算
1999-00 パラマタ NSL
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2000 FC東京 10 J1 3 1 - - 3 1
大分 28 J2 15 2 0 0 3 3 18 5
2001 FC東京 13 J1 14 3 3 1 1 0 18 4
2002 川崎 J2 22 1 - - 22 1
FC東京 34 J1 0 0 - 0 0 0 0
2003 5 0 0 0 0 0 0 0 0
通算 日本 J1 17 4 3 1 1 0 21 5
日本 J2 58 7 2 2 4 3 64 12
日本 旧JFL 37 9 - 9 1 46 10
日本 - - 1 0 1 0
オーストラリア NSL
総通算 112 20 5 3 15 4 132 27

指導歴

  • FC東京普及部 コーチ
  • TPFCサッカースクール コーチ[26]
  • 多摩大目黒中学・高等学校サッカー部 コーチ[26]
  • 2011年 FC東京U-15むさし コーチ[24]
  • ファンルーツアカデミースクール コーチ
  • FCトレーロスU-12 監督
  • FCトレーロスU-15 監督

脚注

注釈
  1. ^ この年のJ2は同一カードを4度行うレギュレーションだったが、東京は新潟を相手に無得点での3連敗を喫していた。
  2. ^ 大熊は以前から加賀見をボランチで起用する構想を暖めていたが、公式戦でテストを重ねる余裕は無かった[5]
  3. ^ 1期後輩に三上和良
  4. ^ 同期に土屋征夫黄川田賢司
出典
  1. ^ a b 『サッカーでメシが食えるか?』ノースランド出版、2005年、46-47頁。 
  2. ^ a b c d e f g 登録選手一覧表”. 2003年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月4日閲覧。 Jリーグ 2003.12.05
  3. ^ 選手プロフィール (2002年版)”. 2002年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月4日閲覧。 川崎フロンターレ
  4. ^ a b c 選手紹介 (2003年版)”. 2003年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月6日閲覧。 FC東京
  5. ^ a b 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、196頁。 
  6. ^ 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、117頁。 
  7. ^ 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、19頁。 
  8. ^ a b c 選手紹介 (1999年版)”. 2000年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月4日閲覧。 FC東京
  9. ^ a b c 加賀見選手がオーストラリアに単身武者修業!”. 2000年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月4日閲覧。 FC東京 (1999年11月22日)
  10. ^ 【4th MEDIA連動企画:J2歴代十番勝負 1999年】 (archive) J's GOAL (2006年7月20日)
  11. ^ a b c 『FC東京ファンブック 2003』毎日新聞社、2003年、82頁。 
  12. ^ 【4th MEDIA連動企画:J2歴代十番勝負 2000年】 J's GOAL (2006年7月20日)
  13. ^ 『FC東京ファンブック2001』毎日新聞社、2001年、50-51頁。 
  14. ^ 加賀見健介選手 FC東京に復帰のお知らせ”. 2012年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月4日閲覧。 FC東京 (2000年12月22日)
  15. ^ 選手出場記録 1stステージ2ndステージ FC東京
  16. ^ 加賀見健介選手 期限付移籍決定のお知らせ”. 2012年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月4日閲覧。 FC東京 (2002年1月16日)
  17. ^ 川崎フロンターレの「必昇」は叶うか? スポーツナビ (2002年10月14日)
  18. ^ 選手出場記録 (1/3)(2/3) Jリーグ (2002年11月24日)
  19. ^ 加賀見健介選手 FC東京復帰のお知らせ”. 2012年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月4日閲覧。 FC東京 (2002年10月21日)
  20. ^ 加賀見健介選手 FC東京普及部コーチ就任のお知らせ”. 2012年7月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月4日閲覧。 FC東京 (2004年1月27日)
  21. ^ 2005(平成17)年度 公認B級コーチ養成講習会 判定結果【113名】 (PDF) 日本サッカー協会、2006.05.08
  22. ^ 2010-09-14(火) 調布リーグ最終節 試合結果 (PDF) ミズノフットサルプラザ調布
  23. ^ 調布リーグ2010 DivisionⅠ 1stステージ 得点ランキング (PDF) ミズノフットサルプラザ調布
  24. ^ a b FC東京U-15むさしコーチ陣 (2011年版)”. 2011年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月27日閲覧。 FC東京
  25. ^ チーム紹介 FC青山オーバー・フォーティ (関東第3代表/東京) 日本サッカー協会
  26. ^ a b フィート所属 コーチングスタッフ”. 2009年3月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年7月10日閲覧。 フィートエンターテイメント (2009年2月)

関連項目

外部リンク


加賀見健介(かがみ けんすけ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/12 14:27 UTC 版)

Romancers」の記事における「加賀見健介(かがみ けんすけ)」の解説

ロマンサー青年WOPは“死”。脇坂の元パートナーであったある事件で宝良を助けて以来行方不明になる。

※この「加賀見健介(かがみ けんすけ)」の解説は、「Romancers」の解説の一部です。
「加賀見健介(かがみ けんすけ)」を含む「Romancers」の記事については、「Romancers」の概要を参照ください。

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