政治的スペクトル上の位置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:18 UTC 版)
「ファシズム」の記事における「政治的スペクトル上の位置」の解説
Part of a series onPolitics and elections 第三の位置思想 黄色社会主義ファシズムナチズムシュトラッサー主義国家社会主義民族アナキズム国家サンディカリスム統合主義民族ボルシェヴィズムアラブ社会主義 党・運動 ファシスト党黒色戦線ファランヘ党新体制運動イギリス国民党国家ボリシェヴィキ党en:American Freedom Partyen:Parti Communautaire EuropéenParti CommunautaireNational-Européen en:National Bolshevik Front 関連項目 反資本主義反共産主義混合経済統制経済第三の道政治的シンクレティズム Portal:政治学 表 話 編 歴 「政治的スペクトル」、「左翼・右翼」、および「政治的シンクレティズム」も参照 ファシズムは通常は極右と記述されるが、いくつかの学者はファシズムは伝統的な「左翼・右翼」の政治的スペクトルには位置づけ困難としている。学術的な合意の1つでは、ファシズムには左と右の両方の影響が存在している。多くの歴史学者はファシズムを、革命的で中道的な信条か、あるいは左と右の哲学が混合した信条とみなしている。 多面的スペクトラム ロジャー・イートウェルは、伝統的な「左翼・右翼」の政治的スペクトルに関連した用語ではファシズムのイデオロギーの複雑な性質を完全にとらえる事には失敗する、と述べた。彼や多くの政治学者は、伝統的な単線の左翼・右翼スペクトラムの代わりに、多面的なスペクトラムを設定する。いくつかの2面分析の政治モデルのうちポリティカル・コンパスでは、ファシズムは経済面の軸では資本主義と社会主義の中間とみなされ、政治面の軸では極端な権威主義に位置している。 「第三の道」として イタリアのファシズムには、右や左の両方を含む複数の党派が存在した。1920年代にファシズムへの政治的な右の適合が進むと、イタリアのファシスト運動の中で多数の国内党派が作られた。「ファシスト左派」にはen:Angelo Oliviero Olivettiやen:Sergio Panunzio、en:Edmondo Rossoniなどを含み、彼らは経済の現代化や労働者や一般民衆の利益の向上のために議会制自由主義を置き換えるとして、国家サンディカリスムの優越性を確信した。「ファシスト右派」にはファシストの民兵組織の「Squadristi」のメンバーや、右翼のイタリア・ナショナリスト協会 (ANI)の前のメンバーが含まれた。「Squadristi」は非妥協的なファシスト達で、完全な独裁制のファシズムの構築を求めたが、他方では以前の ANI メンバーでもあるアルフレッド・ロッコを含めてイタリアで既存のエリートを保持するリベラルな国家を置き換える権威主義的でコーポラティストの国家の陣営を熱望した。更にイタリアのファシスト運動にはより小さい複数の党派も存在し、その中の「聖職者ファシスト」はイタリアのファシズムをその反カトリックの本質から、カトリックを受け入れるように転換することを考え、また極右の「王党派ファシスト」はファシズムを、王であるヴィットーリオ・エマヌエーレ3世による絶対君主制の作成に使う事を考えた。 多数のファシスト運動は自分達自身を、伝統的な政治的スペクトルの外側の「第三の道」と記述した。ムッソリーニはファシズムに可能な限り多くの人々を結集させるために、ファシズムの位置について曖昧さを進め、以下の発言をした (ファシストは)貴族あるいは民主主義者、革命家そして反動家、労働者そして反労働者、平和主義者および反平和主義者(であることができる) ムッソリーニは、イタリアのファシズムのコーポラティズムの経済システムは、国家資本主義あるいは、場合によっては「国家の経済活動の官僚主義化」である事も含む国家社会主義(state socialism)のいずれよりも、独自性があると主張した。ムッソリーニはファシズムを、いかなる言語でも彼は有用だと発見する、と記した。 ムッソリーニは1922年のローマ進軍で、国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の認可を得て政権を獲得し、王党派と妥協した形となった。1940年には第二次世界大戦に参戦し、日独伊三国軍事同盟を締結して枢軸国の一員となった。戦況悪化後に1943年の王党派による失脚とドイツ軍による救出後は、北イタリアにイタリア社会共和国の樹立を宣言して社会主義を強調した発言を行い、企業の国営化を進めた。 スペインのファシストホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラは、左翼と右翼の両方の政策を重視し、「基本的には、労働などの経済的構造の維持に関しては右の位置だが、他方では経済的構造の転覆が価値あるものの多くの破壊を引き起こすものだとしても、経済的構造の転覆を試みる立場としては左翼である」と述べた。 ドイツでは、ナチス(NSDAP)の前身はドイツ労働者党(DAP)で、社会主義やナショナリズムや反ユダヤ主義を特徴とする25カ条綱領を掲げた。ヒトラー自身も初期には以下の発言をした。 我々は社会主義者である。我々は、その不公正な賃金や、人間を責任感や能力の代わりに富と財産により不適切に評価することで、経済的な弱者を搾取している今日の資本主義経済体制の敵である。そして我々は、この体制をいかなる場合でも打倒する事を完全に決定する。 — アドルフ・ヒトラー、1927年3月1日の演説。 党内のナチス左派は社会主義を重視したが、1934年の長いナイフの夜で主要メンバーが粛清された以後は、25カ条綱領よりもアドルフ・ヒトラーの指導者原理が強調されるようになった。 右翼としてのファシズム 歴史学者のEugen Weber、David Renton、Robert Soucy (en:Robert Soucy)などは、ファシズムはイデオロギー的に右と見た。Rod Stackelbergは、ファシズムは特に人種的平等や民主主義などの平等主義に反対したが、それらは極端な右翼の運動を特徴づけるとした。Stanley Payneは、戦前のファシズムは右翼運動との同盟を通じて存在意義を持ったと述べた 。Roger Griffinは、第二次世界大戦の終わりまでにファシスト運動は、急進右翼と「ファシスト急進右翼」の一部集団との結びつきになったと主張した。 一方、ウォルター・ラカーは歴史的なファシズムについて「極左には属さなかったが、極右の一部との定義は明快ではない」とし、しかし「それは常に、急進的、ポリュリストの要素、極右への重力を持つ他の要素などの結合だった」とした。Stanley Payneは、「ファシストは、左や右や中道など、現在までの全ての主要な確立された彼らの歴史上で、ユニークだった」と述べた。Payneは他方で、ドイツのナチスは他の全ての非共産主義体制よりも、ロシアの共産主義(ソビエト連邦)に近かったと述べた。 シーモア・M・リプセット、ロジャー・グリフィン(英語版)を含む現代の多数の歴史家や社会学者は、ファシズムの位置は右でも左でもない、との見解を支持している。 経済の分野では、ファシストはマルクス主義者や国際的な社会主義者が広く掲げた階級闘争や国際主義の概念を拒否し、階級協調や国家主義的なナショナリズムに賛成した。しかしまた、イタリアのファシストは過度の資本主義への異議を宣言し、それを超資本主義と呼んだ。Zeev Sternhell (en:Zeev Sternhell)はファシズムを、サンディカリズムによる反正統派マルクス主義とみなしたが、政治的には依然として右と位置づけた。 ファシズムは腐敗した資本主義である — ウラジーミル・レーニン 左翼・社会主義としてのファシズム 経済学者のルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは新自由主義の立場から、ファシズムを左翼に分類した。また経済学者フリードリヒ・ハイエクもリバタリアニズムの立場から著書「隷従への道」の中で、ファシズムはソビエト連邦などの社会主義と同様、国家万能主義の全体主義であり、計画経済や集産主義を行う観点では本質的に同根として、ファシズムやナチズムも左翼に分類した。 ナチスは国家社会主義を掲げ、ヒトラーは「わが闘争」で「私はボルシェヴィズムから最も多く学んだ」と述べたほか、ナチスは政治将校や強制収容所などといったソ連の組織論や運動論、共産党のプロパガンダ活動(プラカード、集団行進、シュプレヒコール、戸別訪問、楽団、膨大な量のビラ・ポスターの配布など)を模倣し、党歌「旗を高く掲げよ」についても共産主義者のヴィリ・ブレーデルの詩を焼き直して作ったとする説がある。ゲッベルス自身も「ボリシェヴィキどもからは、とくにそのプロパガンダにおいて、多くを学ぶことができる。」と公言した。 レフ・トロツキーは永続革命としての階級闘争の立場から、1931年の「ファシズムとは何か」で、イタリアのファシスト運動は「小ブルジョアジー、ルンペン・プロレタリアート、そしてある程度まではプロレタリア大衆から発生した」とし、「元社会主義者のムッソリーニは…」と述べた。また、ドイツのファシスト運動は「イタリアの運動にきわめて類似して」おり、大衆運動を作り上げるために「社会主義的デマゴギーをふんだんに用いて」いると述べた。また1933年の「国家社会主義とは何か」で、ドイツのファシズムを「帝国主義の最悪の形態」と主張した。 日本では、丸山眞男が1964年に著書で「ファシズムは二十世紀における反革命の最も尖鋭な最も戦闘的な形態」として、ナチスが「社会主義」を掲げたことは大衆を吸引するための「巧妙な民主主義的偽装」であり、「ファシズムはしばしばその敵の姿に似せて己を扮装する」と述べた。 マルクス経済学者の大内力は、ファシズムを「はじめは反社会主義であるとともに、反資本主義でもあったのであり、とくに独占資本にたいして強い敵意をもっていた」と述べた。
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