扱いがネガティブになり始めた綿ふき病
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「綿ふき病」の記事における「扱いがネガティブになり始めた綿ふき病」の解説
増田陸郎(ますだろくろう)は1938年(昭和13年)に姫路の第10師団で短期現役士官の教育を田尻とともに受けた医学者である。増田はそれ以来、田尻とは旧知の仲であり、田尻の綿ふき病が公になって以降は一貫して田尻を弁護・擁護し続けた医学者である。東京大学医学部出身の増田は同期の仲間らとともに毎年末になると、恩師であり日本国内における高名な病理学者である岡治道を招き「岡先生を囲む会」を開催していた。綿ふき病に対する学会内の風潮がネガティブになり始めた1966年(昭和41年)、増田は田尻から借り受けた綿ふき病のスライド写真を例会の席上、恩師である岡に見てもらったが「外見的なもので、ジャーナリズム臭粉々たるもの」と酷評を受けてしまう。ただ、岡もこの時の応対は不親切であったと考え、その数日後、便せん4枚に細かい字でびっしりと丁寧に書かれた手紙を増田へ送った。 手紙の中で岡は綿ふき病を考える上で2つの重要な観点を増田へ説明している。まず1つ目は、なぜ大学の研究者たちが本気になって取り組まないのか、ということについてある。植物細胞と動物細胞の成り立ちを述べ、「こうした生物学の常識は研究者達に馬鹿馬鹿しくて話にならないと感じさせます」と一蹴した。つづいて2つ目の観点として、新しい病気が現れた時、医学者はどのように研究を進めるのかという問題についてである。研究の順序、方向づけ等を詳述したうえで、病気と見做すにはまだ早過ぎるとし、この「綿ふき病」の調査の手順、考え方を「自然科学時代以前のもの」「心構えが非科学的である」と諭されている。 スライド写真だけを見ての批判ではあるものの、手痛い叱責と教示を受けたと感じた増田は、胸の中に燃えるような何かを感じ、岡からの手紙に対する返答をすぐに書いて返信した。だが、それ以降の岡からの返信は無く、増田自身も後に「恐らく救いがたい輩と思われたのであろう」と言っており、出来ることなら「もし、綿ふき病が実在するとすれば、その条件はかくかくであるという見解を提示して頂きたかった」と無念さを述べている。 否定派と肯定派の見解の隔たりは容易に埋まることなく、法医学者の赤石英が著した新書『法医学は考える 事件の真相を求めて』では「一種の詐病であると断じてよい」とまで書かれるようになった。このように(前述した健田らを除けば)、否定派側の多くはN農婦を直接診察することなく「そんなこと、あるわけがない」と決めつけて検討すら行わず、肯定派側は厳しい立場に追い込まれていった。 否定派と肯定派の主な対立軸を以下に示す。 否定派側と肯定派側の対立軸論点疑念となる点否定派側の指摘 (発表当時の所属先) 健田恭一(京都府立医科大学小児科)赤石英(東北大学医学部教授)岡治道(元・東京大学医学部教授)肯定派側の反論 (発表当時の所属先) 田尻保(田尻医院院長・主治医)増田陸郎(昭和女子大学講師)二国二郎 (大阪大学産業科学研究所所長・同大教授) 中立的 (発表当時の所属先) 小林忠義(東海大学医学部教授・慶應義塾大学名誉教授)作為性について監視体制が要因となる疑念について#脱脂綿をいくつかの小さな綿塊(球形)に分け、傷口の奥深くに挿入しようと思えば、その実行は必ずしも困難でなく、誰にも気付かれずに挿入する時間的余裕は十分存在する(健田) #綿の形は球状ではなく、本患者の綿は単なる脱脂綿ではない(田尻)#入院初期の6人部屋で過ごしていた期間も綿の排出は頻繁にあり、家族でも知人でもない第三者が複数名同室する状態で誰にも気付かれずに挿入することは考えにくい(田尻) #このような従来の智識の手のとどかない「事実」に対して学者は、一種の自衛手段として、trickということを考慮するのが常である(小林)#トリックならばそのカラクリを徹底的に曝露しようという努力がまったくなされなかった(小林) ギプス固定による排出停止について#ギプス包帯で固定すると綿は排出されず、通常の包帯で巻くと綿が排出されるのでは、作為的な挿入を疑われても仕方がない(赤石) #綿の排出は微妙でデリケートな機能であると考えられ、その産出は膿瘍切開後に空気に触れること、新鮮な空気との接触を萌出の一条件と考える。緊張を伴うギプス装着こそ人為的なもので、真の意味の自然観察とは言えない(増田) -- 寡尿・無尿について-- #作為によるものと主張する側は、寡尿と綿排出量の反比例現象について全く言及がない。綿の人為的挿入を疑うのであれば、11日間に及ぶ無尿期間も患者本人の計画的作為とみなし得るのか(田尻) -- 金属管を使用し綿を押し込んだ疑念#太い金属管を皮膚に刺して、外から綿を押し込む可能性。綿が皮下深くに挿入されたとすれば、すぐに炎症反応は起こさないが数日で膿瘍、となり腫れた部分を切開、あるいは自然に潰れることにより綿が現れる。つまり綿は毎日詰め込む必要がない(健田) #排出する綿塊は細長い2センチから5センチの紡錘形で、これを形状を崩さずに皮下へ押し込むには、かなり太い金属管が必要で、皮膚切開を行わなければ困難である。しかし入院以来、そのような皮膚切開痕や金属管刺入跡、それらを縫合した痕跡などどこにもない(田尻)#高熱と衰弱により生死の境をさまよった際にも綿の排出はあった。もちろん歩行困難で傷だらけで激しい疼痛に悩む手で、これらのトリック紛いの操作を、綿の形状を崩さず挿入することは技術上不可能である(田尻) -- 排出された綿について成熟した陸地綿と同一であることへの疑念出て来たものは恐らく本当の木綿繊維でしょう。それ故に疑われても仕方がないのです。植物細胞の細胞膜は人間の細胞に存在しない(岡) #外部からの迷入、馴化、増殖、眼粘膜からの混入など、あらゆる可能性を検討しているが、現段階では原因を追究する材料が不足している(増田) -- 着色綿への疑問#明石病院(前述した類似例の5例目)で採取された綿を譲り受け顕微鏡で検査すると、赤・青・緑・黄色などに着色した原繊維があり、さらに詳細に調べると鱗状に並んだ毛小皮が青色に染色されていた。最早、人体内から自然発生したとは到底考えられない(赤石) #サンプルとなった綿が病室内でどのように採取され、どのように処理保存されたものなのかが不明である。患部に浮遊塵が落下する可能性もある。検査者自身が厳密な環境下で直接採取するべき(増田) -- 排出綿のリング#体内で産出されるのにも関わらず、自然綿特有の太陽光由来の年輪様リングが存在する(健田) -- -- 綿と膿について#行き届いた手当てを受け、頻繁に創口を消毒しているのも関わらず、排出される綿に多量の膿があるのは、外部より常に雑菌で汚れたものが混入されているからではないのか(健田) #創口の処置は一時洗滌(せんてき)を試みたが、全く効果がなく、健田氏も見られととおり、創口の周囲をハイアミン綿球で清拭するだけで、肉芽の中までは触れない。ハイアミンにそれほど強力な殺菌力はなく、いくら抗生物質を使用しても、異物性炎症にはほとんど無効で、排出されるわたが常に雑菌に汚染され、膿汁にまみれているのは当然のこと(田尻) -- その他工業化の可能性について#この現象を解明すれば、諸外国から原綿を輸入する必要がなくなり、日本の天然繊維の問題は解決するなどと真剣に論じている医師がいるようだが、自然科学者はもう少し冷静であってもらいたいものです(赤石) #可能性を論じているだけであって、市井の片隅で生活している学徒のささやかな夢まで壊して欲しくないものである(増田) -- 心理的要因について#詐病説に対して、患者が何を好き好んでこんなことをするのだ、という反論があるが、精神病者でなくても皮膚に不可解な傷をつけたり針を刺す事例は珍しくない。心理的原因の考察は第二の段階で専門医が行うべき(健田) #そんなばかなことがあるものかと考える前に、ぜひ一度患者を見ていただきたい。そしてそれが作為であればそれを見破り、真実であると考えられたらご協力願いたい。対象が人間の病気である限り、医学者が先頭に立ってくれなければ早急の解決は期待できない(二国) #患者が仕組んだトリックだとして患者に何の利益があるのか、いやいや嘗て多くの物理学者の目を眩ませた透視術のようなものもあったではないか。というように出発点で堂々巡りになってしまう点が、この病気の問題点ではないのか。(小林) 詐病視するのは人権侵害ではないか#いやしくも「患者に疑いを持つのは人権侵害だ」という意見があるが、それならば世の中に数多ある詐病の問題はどうなるのか。自殺なり他殺を家族や犯人が自己の利益になるよう偽装したものを、そのまま信じるなら法医学者など不要ではないか(赤石) #そもそも患者を直接診ないで「詐病」と診断することは医師法違反であり、名誉棄損ともなり得る(増田) #脱脂綿を丸めて外部から挿入したとしてしまうのは、早急安易な解決方法であり、本質からの逃避であり、加えて発病以来10年余り高熱と疼痛と煩わしい綿と膿に悩み続けている本患者に対して、ヒューマニズムに反した推断である(田尻) #ありあわせの既存の知識をつなぎ合わせただけでは、却って混乱させる元になる。事実だけを提示しておいたほうが第三者を思考停止に陥らせなかったかも知れない(小林) このように否定派側の学者はもちろん、これらの報告を見聞きした多くの医療関係者は、口には出さずとも、原因究明に入る手前の次元に拘泥してしまい、探求的な思考を停止してしまった。
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