急性出血性結膜炎(AHC)は、主としてエンテロウイルス70 (EV70)とコクサッキーウイルスA24変異株(CA24v)の二つのエンテロウイルスによってひきおこされる、激しい出血症状を伴う結膜炎 である。両ウイルスともヒトからヒトへ直接接触伝播する。EV70は1971年、当時国立予防衛生研究所ウイルス中央検査部長であった甲野禮作らによって発見されたウイルスで、北海道で分離された株が標準株になっている。CA24vはEV70とほぼ同時期の1970年に、東南アジアで流行していたAHC 患者から分離されたウイルスである。同じ病原性を持ったエンテロウイルスが時期を同 じくしてヒト社会に出現した理由は、今もって謎である。AHC と診断された患者からは主にEV70 やCA24vが分離されるが、アデノウイルスなどのその他のウイルスが分離されることもある。 疫 学 AHCは1960年代の終わりに突如としてヒト社会で爆発的大流行を起こしたが、臨床的にはそれまで経験されなかった全く新しい型の結膜炎である。その伝播の規模と速さはインフルエンザの それらに匹敵するものであった。当時の疫学解析からは、発生源は明確に2つのフォーカスを示していた。第一のフォーカスは1969年西アフリカ、ガーナの首都アクラの大流行である。その出現が アポロ11号の月面着陸とほぼ同時期であったため、この地域ではアポロ病というニックネームで呼 ばれた。これがEV70 による最初の流行である。流行はその後2~3年の間にオセアニア大陸を除く東半球全域に波及し、1980~1981年には2度目の大流行が報じられ、その伝播は西半球にも 及んだ。一方、東南アジアでは、1969年頃からジャワ島を中心にすでにAHC の流行が報じられ ていたが、伝播状況からすると、病原体がアフリカから直接広がったとは考えにくいものであった。 これはCA24v による流行で、この地域では以後約5 年ごとにCA24v による爆発的大流行を経験することになった。このように、1969年に端を発したAHC の世界的流行は同時期に出現し、しかも、 臨床的には区別し得ない新型の結膜炎を起こし、遺伝学的、血清学的に全く異なる2つのエンテロウイルスを原因とするものであった。 現在においても地球レベルでみれば、毎年両ウイルスによるAHC は散発的に、時に数万人規 模でひきおこされており、ウイルスも分離されている。わが国においては、1990年の宮崎県、1994 年の熊本県の流行からのウイルス分離は成功していないものの、EV70の遺伝子が検出されている。一方、CA24vは1985 年の沖縄県、1993年の宮崎県および鹿児島県、1994 年の東京都、1997 年の岡山県および熊本県などで流行がみられ、ウイルスも分離されている。 1999年4月施行の感染症法に基づく発生動向調査による報告数(定点当たり報告数)は、1999 年4 ~12 月に1,084 (1.89)、2000年および2001年1~12月にはそれぞれ1,430(2.29 )、1,319 (2.09) (後者は2002 年8 月現在の暫定データ)となっている。時期的には、大流行がないときには発生の 特別な季節性はみられない。年齢は広範囲にわたるが、6~7歳以下、特に1~4歳に多く、ときに 20~30歳代にもやや多くみられている。 病原体 大部分のエンテロウイルスは最初消化管に 感染するのが普通であるが、この二つのウイルスの場合、感染部位はもっぱら結膜であり、消 化管で増殖したとの報告はない。この性状は、培養細胞におけるEV70の至適温度が33 ~34 ℃ であり、39 ℃では全く増殖できないことと関連すると思われる。EV70 は眼に病原性を有すること、潜伏期が極めて短く、感染後24 ~36 時間で発症することが偶発的な実験室感染の結果明らかになったが、なぜ結膜下に激しい出血を引き起こすのか、そのメカニズムはいまだに明らかにされていない。 臨床症状 EV70とCA24vによる結膜炎は臨床的に酷似するので、臨床症状による病原ウイルスの鑑別は 難しい。突然の強い目の痛み、異物感、羞明などで始まり、結膜の充血、特に結膜下出血を伴うことが多い。眼瞼浮腫、眼脂、結膜濾胞、角膜表層のび慢性混濁が高頻度にみられる(図2)。 全身症状としては頭痛、発熱、呼吸器症状などがみられる。潜伏期はEV70が平均24 時間である のに対し、CA24vでは2~3日とやや長い傾向にある。通常、約1週間で治癒するが、EV70 では 罹患後6~12カ月に四肢に運動麻痺を来すことがあるので、経過観察をする上で注意が必要で ある。 病原診断 病原診断のためには、結膜擦過物や眼ぬぐい液からのウイルス分離を行う。出現当初のEV70は比較的容易に分離され、型特異抗体による中和試験で同定された。しかしながら、培養細胞 によるEV70の分離は近年極めて困難になっており、その理由は不明である。EV70の遺伝子は以 前に調べられた変異速度で変化しつづけ、一方アミノ酸配列にはほとんど変化がないことが報告 されている。したがって、診断は結膜擦過物や眼ぬぐい液から直接RNA を抽出後、RT‐PCRで遺 伝子を増幅し、その塩基配列を分子系統解析することによって行われている。一方、CA24vの場 合にはウイルス分離は現在も比較的容易で、通常50%以上が分離陽性となるが、型特異抗血清 による中和試験で同定する。血清診断も可能であるが、ペア血清での抗体上昇は低い場合が多 く、かつ抗体レベルの持続も短い。両ウイルスともに、近年はエンテロウイルスに共通なプライマ ーで遺伝子を増幅して、直接塩基配列を決定し、分子系統解析から同定されている。 治療・予防 AHC に対する治療法はないが、細菌の二次感染を防ぐ目的で、抗菌スペクトルの広い抗菌薬やサルファ剤の点眼が用いられることがある。感染予防には流水下で手指を石鹸で十分に洗うこと、タオルなどの共用を避けることが重要であり、ウイルスで汚染した器具や物品の消毒には、煮沸と塩素剤(オーヤラックス、家庭用塩素系漂白剤など)が用いられる。 感染症法における取り扱い(2003年11月施行の感染症法改正に伴い更新) 急性出血性結膜炎は5類感染症定点把握疾患に定められており、全国約600カ所の眼科定点より毎 週報告がなされている。報告のための基準は以下の通りとなっている。 ○診断した医師の判断により、症状や所見から当該疾患が疑われ、かつ、以下の3つの基準のうち2つ以上を満たすもの 1. 急性濾胞性結膜炎 2. 眼脂、眼痛、異物感などを伴う眼瞼腫脹 3. 結膜下出血 ○上記の基準は必ずしも満たさないが、診断した医師の判断により、症状や所見から当該疾 患が疑われ、かつ、病原体診断や血清学的診断によって当該疾患と診断されたもの 学校保健法における取扱い 急性出血性結膜炎は学校において予防すべき伝染病第3種に定められており、出席停止の基 準として「病状により学校医その他の医師において伝染のおそれがないと認められるまで」とされている。 (国立感染症研究所ウイルス第二部 武田直和) |