工区割
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当初計画で塩沢トンネルとされていた区間は、南、上の原、君帰(きみがえり)、庄の又の4つの工区に、六日町トンネルとされていた区間は、南、寺尾、北の3つの工区にそれぞれ分割して建設された。塩沢トンネルと六日町トンネルの双方に南工区があるため、以下では塩沢南工区、六日町南工区と記述して区別する。 塩沢トンネル工区割当初トンネル塩沢トンネル六日町トンネル工区名塩沢南上の原君帰庄の又六日町南寺尾北着工1973年8月 1972年8月 1972年9月 1972年10月 1973年3月 1972年9月 1973年3月 竣工1977年9月 1977年2月 1978年3月 1976年3月 1977年5月 1977年2月 1976年11月 キロ程164 km 683 m -165 km 150 m 164 km 150 m -167 km 400 m 167 km 400 m -169 km 400 m 169 km 400 m -170 km 700 m 170 km 700 m -172 km 210 m 172 km 210 m -173 km 900 m 173 km 900 m -175 km 900 m 延長467 m 2,250 m 2,000 m 1,300 m 1,510 m 1,690 m 2,000 m 作業坑なし 上の原横坑 583.6 m166 km 780 m地点 君帰横坑364.9 m169 km 162 m 21地点 庄の又斜坑114 m170 km 330 m地点 四十日(しとか)横坑155 m171 km 900 m地点 寺尾横坑481 m 8173 km 580 m地点 なし 施工業者三井建設 飛島建設 鉄建建設 熊谷組 大成建設 錢高組 佐藤工業 平均月進11 m 56 m 40 m 36 m 38 m 41 m 45 m メートル単価178万円 229万円 308万円 246万円 294万円 212万円 179万円
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工区割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:11 UTC 版)
立地条件から見て、作業坑を設置できる場所は上ヶ原、新甲陽、北山、劔谷、芦屋、住吉、鶴甲、摩耶、春日野の9か所と見込まれた。このうち上ヶ原と春日野は、トンネル坑口付近の家屋密集地帯で工事に支障となる施設の移転をして着工が遅延することを避けるために設けたもので、通常のトンネルの坑口に相当する。新甲陽は地形上開削工法を実施できる(地表から施工基面まで16.3メートル)ため、実際には新甲陽から春日野の間の約13.7キロメートルをどのように分割するかが検討の対象となった。6か所の斜坑・作業坑設置可能地点のうち、2か所、3か所、4か所を利用する案を全部で12案作成して比較し、これを7案に絞ってより詳細な工期や工費の検討を行った。その結果、作業坑が3か所までの案では、1か所で掘削しなければならない長さが1キロメートルを超える箇所が多数あり、しかも地質の悪い場所に集中することから、不適当であると判断された。作業坑4か所の案では、北山、芦屋、鶴甲、摩耶に設ける案と、北山、芦屋、住吉、摩耶に設ける案がどちらも工期が伯仲していたが、後者では住吉から摩耶までが長大となって取り付け道路事情の悪い摩耶の作業負担が大きくなることが問題視され、前者の案が採用された。 横坑、斜坑、立坑を比較すると、横坑は排水も掘削もしやすいが、長大となりやすく、都市部では作業坑口付近の設備用地を得るのが難しいという問題がある。立坑は延長を短くしやすく比較的地質の良好な場所に位置を選べるが、運搬効率上の問題から断面積を大きくしなければならず、湧水対策が困難という問題もある。六甲トンネルでは、たとえば鶴甲斜坑を横坑にする検討もしたが、斜坑ならば約450メートルで済むところが横坑では約1,300メートルとなり、採用されなかった。また芦屋斜坑を立坑にする検討もされたが、約640メートルの斜坑に対し約280メートルの立坑となり、工費工期とも斜坑が有利であると結論された。 六甲トンネル工区割工区名上ヶ原甲陽北山芦屋鶴甲摩耶春日野工事区西宮御影神戸着工1968年(昭和43年)11月17日 1968年(昭和43年)1月11日 1968年(昭和43年)1月11日 1967年(昭和42年)3月3日 1967年(昭和42年)3月3日 1967年(昭和42年)3月3日 1967年(昭和42年)3月20日 竣功1971年(昭和46年)5月20日 1971年(昭和46年)5月31日 1971年(昭和46年)7月31日 1971年(昭和46年)7月31日 1971年(昭和46年)7月31日 1971年(昭和46年)3月22日 1970年(昭和45年)3月31日 キロ程16K020M - 17K250M 17K250M - 19K450M 19K450M - 22K200M 22K200M - 25K100M 25K100M - 27K600M 27K600M - 30K500M 30K500M - 32K270M 延長1,230 m 2,200 m 2,750 m 2,900 m 2,500 m 2,900 m 1,770 m 作業坑横坑145.5 m16K360M地点 立坑16 m17K492M50地点 斜坑434.9 m19K701M55地点 斜坑632.6 m22K774M23地点 斜坑447.3 m27K100M地点 斜坑430.1 m30K162M37地点 斜坑294.4 m31K290M地点 施工業者大成建設 大成建設 大林組 間組 熊谷組 鹿島建設 前田建設工業 工費21億8300万円 21億9200万円 28億1000万円 29億3600万円 37億4300万円 28億6000万円 17億8600万円 脚注を付した箇所以外は、『山陽新幹線 新大阪・岡山間 建設工事誌』640ページの表より作成。
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工区割
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「中山トンネル (上越新幹線)」の記事における「工区割」の解説
中山トンネルのように長大なトンネルを両側の坑口からの工事のみで建設すると、完成までに非常に長期間を要するため、通常は斜坑や横坑で本坑の中間に取り付いて中間からも工事を進めることで工期の短縮を図る。斜坑や横坑はあくまで準備のためのトンネルであり、これそのものの工事に時間がかかっては意味がないので、トンネルそのもののルート選定の際に斜坑や横坑の建設のしやすさが考慮されることが通例である。しかし、中山トンネルは高原状の地形の部分に建設されており、本坑に取り付く横坑・斜坑を建設するために適当な谷筋がなく、立坑を建設しなければならなくなった。鉄道のトンネル建設に際して立坑を掘ることは珍しく経験者がほとんどいなかったために、立坑の工事経験の多い炭鉱へ技術者を研修に派遣して対処しようとした。ところが、炭鉱では地質年代が古い地層に立坑を掘ることがほとんどで湧水が少なく、中山トンネルの新しい時代の地層とは大きく様相が異なって、大きな誤算を生む要因となった。 中山トンネルでは当初、表に示したように起点側から小野上南、小野上北、四方木(しほうぎ)、高山、中山、名胡桃(なぐるみ)の6つの工区に分割して着工された。資料によっては小野上南を小野上(南)、小野上北を小野上(北)のように表記しているものもあるが、以下ではカッコなしで表記する。このうち両坑口から着工した小野上南、名胡桃を除く中間4工区については、立坑3本、斜坑1本を用いて取り付くことになった。中でも立坑は300 mにもおよぶ高さとなった。 小野上北工区については、斜坑の建設中に大出水事故を起こし、斜坑の経路変更を行った。しかしそれでも掘削を進めることができず、その間に順調に工事を進めてきた小野上南工区が小野上北工区の範囲にさしかかる見込みとなったことから、途中で契約解除となり工区が廃止となった。結果として小野上北工区は本坑の完成に何らの寄与もすることができず、むしろトンネル周辺の渇水被害などをもたらす結果となってしまった。以降の建設は3つの立坑と両坑口から行われることになった。こうした難工事で本坑建設が進まなかった他の工区を救援することになった小野上南工区と中山工区は、全長が5 km近い長大なものとなった。 中山トンネル工区割工区名小野上南小野上北四方木高山中山名胡桃着工1972年9月1日 1973年3月1日 1972年2月8日 1972年6月1日 1972年6月1日 1973年1月10日 竣工1982年2月1日 1976年11月18日(契約解除) 1982年3月31日 1982年3月31日 1982年3月12日 1976年7月31日 計画キロ程101 km710 m -104 km610 m 104 km610 m -106 km300 m 106 km300 m -109 km200 m 109 km200 m -112 km100 m 112 km100 m -114 km900 m 114 km900 m -116 km540 m 延長2,900 m 1,690 m 2,900 m 2,900 m 2,800 m 1,640 m 実績キロ程101 km710 m -106 km 430 m (工区廃止) 106 km430 m -107 km500 m 107 km500 m -110 km300 m 110 km300 m -114 km900 m 114 km900 m -116 km540 m 延長4,720 m (工区廃止) 1,070 m 2,827 m 4,600 m 1,640 m 作業坑横坑188 m101 km860 m地点 斜坑(当初)810 m104 km900 m地点斜坑(変更)626.6 m104 km660 m地点 立坑372 m107 km734 m本線左20 m地点 立坑295 m109 km460 m本線右20 m地点 立坑313 m112 km640 m本線右20 m地点 なし 湧水量40 t/分(最大95 t/分) 8 t/分(異常出水時340 t/分) 7 t/分(異常出水時80 t/分) 15 t/分(異常出水時110 t/分) 0.5 t/分 0.3 t/分 作業軌道軌間912 mm - 762 mm 912 mm 912 mm 912 mm 施工業者鉄建建設 三井建設 佐藤工業 大林組 熊谷組 清水建設 平均月進40 m - 9 m 24 m 37 m 38 m メートル単価576万円 - 3467万円 1284万円 470万円 153万円
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工区割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:45 UTC 版)
北九州トンネルは起点側から井堀、鞘ケ谷、大谷、上津役(こうじゃく)の4つの工区に分割して工事が行われた。 北九州トンネル工区割工区名井堀鞘ケ谷大谷上津役着工1971年(昭和46年)4月起工式9月18日 1971年(昭和46年)4月起工式4月26日 1970年(昭和45年)10月起工式12月23日 1971年(昭和46年)1月起工式5月20日 貫通1973年(昭和46年)8月9日 1973年(昭和48年)5月28日 1973年(昭和48年)3月14日 - 竣功1975年(昭和50年)5月20日 1974年(昭和49年)12月31日 1974年(昭和49年)2月8日 1974年(昭和49年)3月31日 延長3,190.76 m 2,780 m 3,210 m 2,566 m 作業坑井堀斜坑284.9 m501 km 945 m地点井堀立坑38 m501 km 866 m地点調査立坑24 m501 km 075 m地点 鞘ケ谷斜坑197 m503 km 630 m地点 大谷横坑500 m506 km 300 m地点 なし 施工業者前田建設工業 佐藤工業 奥村組 飛島建設 工費63億3801万9000円 23億7102万6000円 23億5184万1000円 21億9546万5000円 貫通日の欄は、その工区と終点側に隣接する工区の間で貫通した日を示す。竣工日の欄は、北九州トンネル各工区に関わる各工事の竣工日のうちもっとも遅い日付を示す。工費の欄は、北九州トンネル各工区に関わる各工事の契約金額合計(請負金額と支給材料費の合計)を示す。
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工区割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:45 UTC 版)
安芸トンネルは起点側から乃美尾、楢原、イラスケ、熊野、海田の5つの工区に分割して工事が行われた。 安芸トンネル工区割工区名乃美尾楢原イラスケ熊野海田着工1971年(昭和46年)11月30日 1970年(昭和45年)11月10日 1970年(昭和45年)12月13日 1970年(昭和45年)12月19日 1970年(昭和45年)9月1日 延長790 m 2,770 m 3,040 m 3,000 m 3,430 m 作業坑大多田立坑内径4 m深さ26.0 m283 km 110 m地点 楢原斜坑375.4 m285 km 100 m地点 イラスケ斜坑631.0 m288 km 402 m 34地点 熊野斜坑699.8 m291 km 941 m 20地点 なし 施工業者飛島建設 飛島建設 奥村組 前田建設工業 大成建設 平均月進55 m 99 m 103 m 103 m 105 m メートル単価104万円 67万円 74万円 81.1万円 69.4万円 トンネルの入口キロ程は282 km 455 mとするものと、800 km 015 m 43とするものがあり、前者は建設キロ程、後者は管理キロ程によるものである。両者を換算できる資料がなく、単純に工区の長さを足して正しい値が得られる保証もないため、以下では必要に応じて両者を併用して記載する。 また、各工区の着工日は明確であるものの、竣工日については3種類の異なる日付が工事誌に記載されており、特定できなかったため、上記の表には記載していない。
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