名塩
名字 | 読み方 |
名塩 | なしお |
名塩
姓 | 読み方 |
---|---|
名塩 | なしお |
名塩 | なじお |
名塩
名塩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 01:27 UTC 版)
名塩川が武庫川に合流する木之元(このもと、古くは「木ノ本」と書いた。江戸時代には名塩村の枝郷となっており、現在は名塩木之元という町名である)には木ノ元地蔵尊木元寺があり、聖徳太子ゆかりの地蔵伝説がある。室町時代に赤松則村によって伽藍が建設された。文安2年(1445年)赤松満政は木元の山中で一族と共に最期を遂げた。 武庫川の支流名塩川を遡った盆地に名塩の古い街がある。文明7年(1475年)、当地を訪れた蓮如が設けた草堂が教行寺の始まりとされる。教行寺は蓮如の子蓮芸の子孫が代々住持を務め、「名塩御坊」と呼ばれる高い寺格を保ち、名塩は寺内町として発展した。 名塩は和紙生産の郷として知られ、名塩雁皮紙(名塩鳥の子紙)を特産品としている。名塩の紙漉の発祥にはさまざまな伝説があるが、和紙生産が盛んになり名塩が発展するのは17世紀以降である。江戸時代後期には名塩から蘭学者億川百記が出ており、百記の娘の八重は、百記の弟弟子である緒方洪庵に嫁いだ。この縁で洪庵門下の伊藤慎蔵によって1862年から1869年にかけて名塩蘭学塾が設けられ、洋学が教授されていた。 また、18世紀の中頃には武田尾温泉が知られるようになった。
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