名塚秀二
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 16:37 UTC 版)
名塚 秀二
(なづか ひでじ) |
|
---|---|
生誕 | 1954年11月19日 福岡県 |
死没 | 2004年10月10日 (49歳没) ネパールヒマラヤアンナプルナ1峰[1][2] |
国籍 | ![]() |
著名な実績 | |
配偶者 | 名塚好子[3] |
名塚 秀二(なづか ひでじ、1954年11月19日 - 2004年10月10日)は、日本のヒマラヤ登山家[3][1][2]。8000メートル峰9座登頂[1][5]。
福岡県に生まれたが、父が早くに亡くなったため群馬県にある母の実家で育った[3]。群馬県山岳連盟理事長としても活躍した[1][6]。
経歴
- 1954年11月19日 - 福岡県に生まれる[3]。父の死後、母の実家がある群馬県に移る[3]。
- 1981年夏 - スワロガロヒニ(6,252m/インド)に前橋山岳隊の隊員として参加[3]。
- 1984~85年冬 - アンナプルナⅠ峰(8,091m/ネパール)に群馬岳連隊の隊員として参加[3]。
- 1985年10月30日 - 「植村直己物語」撮影隊の一員としてエベレスト[南東稜](8,848m/ネパール)登頂[3]。
- 1987~88年冬 - アンナプルナⅠ峰(8,091m/ネパール)に群馬岳連隊の隊員として参加[3]。
- 1989年秋 - マナスル峰(8,163m/ネパール)にヒマラヤ同人隊の登攀隊員として妻・好子ともども参加[3]。
- 1989年冬 - マッキンリー(6,194m/アメリカ)に遭難した山田昇他2名の捜索に参加
- 1989~90年冬 - キリマンジャロ(5,895m/タンザニア)にアルパインツアーのガイドとして登頂
- 1990年夏 - K2[北西壁](8,611m/中国)に横浜山岳協会隊の隊員として登頂[3]。
- 1991年春 - カンチェンジュンガ[北東支稜](8,586m/インド)に日本ヒマラヤ協会の隊員として登頂[3]。
- 1991~92年冬 エベレスト南西壁ルート(8,848m/ネパール)に群馬岳連隊の隊員として参加[3]。
- 1992~93年冬 - キリマンジャロ(5,895m/タンザニア)に山岳ガイドとしてお客を案内しながら登頂。
- 1993年秋 - チョ・オユー(8,201m/中国)に群馬岳連隊の隊員として北西面より登頂[3]。
- 1995年夏 - アコンカグア(6,959m/アルゼンチン)に山岳ガイドとして参加。
- 1997年夏 - アコンカグア(6,959m/アルゼンチン)に山岳ガイドとして登頂。
-
-
- 夏~秋 - 「群馬県カラコルム登山隊1997」の隊長としてガッシャーブルムI峰(8,068m/パキスタン)、ガッシャーブルムII峰(8,035m/パキスタン)、シシャパンマ(8,027m/中国)の3座登頂に挑み、成功[3]
-
- 1999~2000年冬 - マナスル峰(8,163m/ネパール)に群馬岳連隊の隊員として参加[3]。
- 2000年夏 - ブロード・ピーク(8,051m/パキスタン)に前橋山岳会の隊長として北東面より登頂[3]。
- 2001年秋 - ダウラギリ(8,167m/ネパール)に群馬ミヤマ山岳会隊の隊員として北東稜より登頂[3]。
- 2004年秋 - 愛知岳連隊によるヒマラヤ・アンナプルナ1峰への挑戦中に佐藤理雄とともに雪崩に巻き込まれ死亡[1][2]。
脚注
- ^ a b c d e f g 「ヒマラヤで雪崩、日本人登山家2人死亡」『読売新聞』読売新聞社、2004年10月11日。オリジナルの2004年10月13日時点におけるアーカイブ。2025年7月23日閲覧。
- ^ a b c d 「邦人登山家2人死亡 ヒマラヤ・アンナプルナ1峰で雪崩」『朝日新聞』朝日新聞社、2004年10月11日。オリジナルの2004年10月13日時点におけるアーカイブ。2025年7月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v “ヒマラヤNo.395” (PDF). 日本ヒマラヤ協会. 2025年7月23日閲覧。
- ^ a b 国際的に認められる冬季登頂は、冬至から春分まで。さらにサミットプッシュの全行程がその期間内に行われる場合に限るので、その基準だと冬季登頂(登攀)にならず、晩秋の登頂になる。 例えばWinter Climbing | The Bitter Cold and Wind, History, The Calendar Winter and More (Part-2/2) : ExplorersWebを参照。
- ^ 「桜に「生きる」誓い 3人の登山家、若くして遭難」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2021年4月8日。オリジナルの2025年7月22日時点におけるアーカイブ。2025年7月23日閲覧。
- ^ 「「登山界の柱失った」 名塚さん悲報に肩落とす仲間」『朝日新聞』朝日新聞社、2004年10月11日。オリジナルの2004年10月13日時点におけるアーカイブ。2025年7月23日閲覧。
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
- 名塚秀二のページへのリンク