富山市時代
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1940年(昭和15年)- 11月、逓信省告示第3216号により浜黒崎郵便局を富山浜黒崎郵便局と改称。同月、皇紀2600年を奉祝し、昭和天皇の「天地の神にそいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」の御製を歌詞とする「浦安の舞」を常磐神社に奉納、以後これを毎年の習いとする。 1941年(昭和16年)- 3月、富山県臨時飯米配給実施要綱に基き、飯米配給通帳制を実施し、旧浜黒崎村内においては浜黒崎産業組合が配給所として指定された。12月、大東亜戦争勃発。本年12月8日より終戦に至るまでの本村出身の戦死者は30名、富山大空襲による戦災の死者は2名であった。 1942年(昭和17年)- 4月、神明社の社殿及び鳥居を改築。 1945年(昭和20年)- 12月、富山電気鉄道が1940年(昭和15年)鉄道省に提出していた海岸線敷設免許申請書が返戻される。 1948年(昭和23年)- 8月、運輸省告示第240号により浜黒崎仮停車場が廃止される。9月、富山県立樹徳学園を富山県立富山学園と改称。 1949年(昭和24年)- 5月、新川自動車株式会社及び富山地方鉄道による富山駅滑川駅間のバス路線が開業、当村域内もこの路線のうちにあった。 1953年(昭和28年)- 3月、富山地方鉄道が再度海岸線の免許申請書を提出する。 1954年(昭和29年)- 4月、富山地方鉄道が1948年(昭和28年)に再申請を行った海岸線の免許申請が取下げられる。4月、昭和29年4月28日農林省告示第261号により、古志の松原が飛砂防備を理由として保安林に指定される。11月、浜黒崎が東京で開催された全国社会福祉事業大会で表彰される。 1956年(昭和31年)- 5月、旧浜黒崎村内が市内電話となる旨決定され、10月よりこれを実施する。11月、昭和31年11月7日郵政省告示第1234号により、富山浜黒崎郵便局に於ける電話交換業務を廃し、その業務を富山電話局が引継ぐ。 1957年(昭和32年)- 5月、富山、滑川、水橋の市町長や商工会議所等によって富山地方鉄道海岸線敷設促進期成同盟会が結成される。9月、海岸線敷設に係る調査が運輸省係官によって行われる。 1958年(昭和33年)- 9月、富山地方鉄道が海岸線敷設のための免許を取得する。 1960年(昭和35年)- 3月、古志の松原が新森林法によって保安林に指定される。7月、富山地方鉄道海岸線期成同盟会が、水橋町役場において当該路線敷設のため会合を行い、中滑川駅より水橋町、浜黒崎を経て岩瀬に通ずる計画を案出。 1961年(昭和36年)- 9月、富山地方鉄道が海岸線の西水橋・中滑川間区間の工事施工認可申請を行う。 1963年(昭和38年)- 泉福寺全焼。5月、工費2千万円を以て浜黒崎に富山ユースホステルが開業。 1964年(昭和39年)- 2月、今川橋の建替工事が完了する。PC桁橋で桁長42.7米、全長342米、幅7.7米の永久橋であった。6月、富山市指定キャンプ場として浜黒崎キャンプ場が開業。同月、富山地方鉄道が同年4月申請していた海岸線の路線変更(富山・稲荷町・広田・浜黒崎・西水橋)が許可される。 1965年(昭和40年)- 1月、浜黒崎の松並木が富山県の天然記念物に指定される。6月、富山地方鉄道が1961年(昭和36年)に行っていた海岸線の西水橋・中滑川間区間の工事施工認可申請が許可される。8月、昭和40年8月6日郵政省告示第563号により、富山浜黒崎郵便局における和文電報配達業務を廃し、その業務を富山電報電話局岩瀬分室が引継ぐ。9月、浜黒崎公民館落成。 1966年(昭和41年)- 2月、浜黒崎信用購買販売利用組合を富山市中央農業協同組合浜黒崎支店と改称。2月、昭和41年2月24日建設省告示第261号により北陸本線複線化のため土地収用法の適用が行われる。6月、富山地方鉄道海岸線の西水橋・中滑川間区間の工事施工認可申請が許可される。 1967年(昭和42年)- 6月、針日に浜黒崎野村病院開院。 1968年(昭和43年)- 2月、田畑針日間村川上の「古歌橋」の架替完了。5月、横越の西蓮寺再建。 1971年(昭和46年)- 10月、野田の所謂「鷺の森」が、鷺禁猟区域に指定される。 1972年(昭和47年)- 1月、野田の所謂「鷺の森」が鳥獣保護区に指定される。5月、浜黒崎海岸にマリーナ完成。8月、古志町の分譲を開始。 1973年(昭和48年)- 6月、富山地方鉄道が海岸線敷設免許の廃止を申請する。7月、海岸線敷設敷設免許廃止申請が許可され、富山地方鉄道海岸線は未成線となる。 1974年(昭和49年)- 泉福寺再建。4月、児童福祉施設認可を受け、市立浜黒崎保育所が設置される。 1976年(昭和51年)- 了照寺改築。10月、富山浜黒崎郵便局を浜黒崎より古志町に移転する。 1979年(昭和54年)- 4月、1972年(昭和45年)用地を取得し、1973年(昭和46年)より総計89億円の事業費を以て着工した浜黒崎浄化センターが運転開始。 1981年(昭和56年)- 4月、富山市役所浜黒崎出張所を浜黒崎地区センターに改組。 1989年(平成元年)- 4月、特別養護老人ホームすみれ苑が横越に開設。 1993年(平成5年)- 5月、富山市中央農業協同組合浜黒崎支店をなのはな農業協同組合浜黒崎支店と改称。 1995年(平成7年)- 10月、株式会社前田模範堂が社名をジャパンメディック株式会社と改め、本社を横越に移転。 2008年(平成20年)- 12月、なのはな農協浜黒崎支店を廃止し、その機能をなのはな農協北部支店に統合する。 2009年(平成21年)- 2月、日方江に日方江有料老人ホーム開設。12月、日方江温泉開湯。 2012年(平成24年)- 8月、富山県中央植物園職員が当村内の水田に於いて富山県内に於いては105年ぶりに「ミズキカシグサ」を確認し、また「オオアゼテンツキ」を発見したと報じられる。 2013年(平成25年)- 11月、浜黒崎野村病院閉院。 2014年(平成26年)- 4月、富山県立富山学園内に富山市立浜黒崎小学校の分校である富山市立浜黒崎小学校松風分校が開校。
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