富山大空襲による焼失と仮閲覧所の開設とは? わかりやすく解説

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富山大空襲による焼失と仮閲覧所の開設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 07:37 UTC 版)

富山県立図書館」の記事における「富山大空襲による焼失と仮閲覧所の開設」の解説

1945年昭和20年2月20日紀元二千六百年記念富山県立図書館長に就任した大田栄太郎は、東京における経験活かして蔵書疎開急務なることを説いた。この大田栄太郎館長意向によって疎開作業速やかに開始され同年3月27日には早月加積海恵寺蔵書3000冊を送達以降7月30日まで9度渡って県内各所蔵書疎開進めた1945年昭和20年8月2日アメリカ軍第73爆撃団B-29182機の編隊は、富山市市街地猛爆して13.79平方キロメートル(4172700坪)を焼き尽くした富山大空襲)。富山市一望焼け野原化し紀元二千六百年記念富山県立図書館館舎もまた全焼するに至ったそれにもかかわらず、約65000冊の蔵書疎開されていて無事であり、焼失した蔵書多く官報や県報、特許公報の類であった1945年昭和20年8月12日からは富山県文教課内図書館本部設け疎開せる図書貸出文庫として閲覧供することとなった一方館舎は全く焼失してしまったので、1945年昭和20年8月22日からは富山県庁紀元二千六百年記念富山県立図書館本部設置し疎開図書所在地であった早月加積月岡臨時事務所設置して職員分散させて業務再開したが、同年12月26日からは富山県立神通中学校至誠堂内に仮事務所開設し同所において総員勤務することとなった大田栄太郎一日早く閲覧設備恢復させるため尽力し1946年昭和21年2月2日から残存図書目録カード作成着手し同年4月25日からは仮事務所設置場所である富山県立神通中学校至誠堂において仮閲覧所を開設することができた。 これによって至誠堂入口廊下はその仮事務所として使用され階段傍聴席は仮書庫として疎開図書2万冊を収容することとなった。仮閲覧所の定員10名であり、一日20名ほどの利用があったという。

※この「富山大空襲による焼失と仮閲覧所の開設」の解説は、「富山県立図書館」の解説の一部です。
「富山大空襲による焼失と仮閲覧所の開設」を含む「富山県立図書館」の記事については、「富山県立図書館」の概要を参照ください。

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