富山大学への継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 04:41 UTC 版)
「高岡高等商業学校」の記事における「富山大学への継承」の解説
GHQの文教政策は、戦争中の転換・変更を戦争前の状態に復帰させることを基本方針とした。文部省もこれに沿う形で、当初は高商から工専に転換された彦根(現・滋賀大学経済学部)・和歌山(現和歌山大学経済学部)および高岡を経専に再転換する方針をとっていた。ところが富山県内部で工専存続を求めるグループが力を増し、県議会が1946年2月に工専存続の決議を行ったことなどもあいまって、翌3月に文部省は彦根・和歌山2校の経専再転換を認めると同時に、高岡については再転換を認めない旨の告知を行い、経専が廃止となった。しかし高陵会(同窓会)などを中心に経専復活運動は粘り強く続けられ、1949年の新制富山大学発足に伴い、同大文理学部内で社会科学を担当する経済学科が設置された。この学科は旧高岡高商の蔵書を継承し、また旧高商教官が多く採用されたことから事実上の「高商(経専)の復活」と見なされた。こののち、さらに経済学科の学部昇格で文理学部からの独立を達成しようとする動きが起こり、富山県有力団体のバックアップにより1953年経済学部設置が実現した。経済学部長は、2代大熊信行、3代小寺廉吉、5代土生滋穂、6代城宝正治と旧高商教官が就任している。 また、高岡工専を継承した高岡キャンパスの工学部には一般教養教育用蔵書、備品・文書、商品陳列室に展示されていた商品学教材が残された。工学部の五福キャンパスに移転後、教材は高岡短期大学を経て富山大学芸術文化学部に保存されている。
※この「富山大学への継承」の解説は、「高岡高等商業学校」の解説の一部です。
「富山大学への継承」を含む「高岡高等商業学校」の記事については、「高岡高等商業学校」の概要を参照ください。
- 富山大学への継承のページへのリンク