富山大学学長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 20:27 UTC 版)
1957年、富山大学第3代学長に選出。72歳ながら官舎に一人住まいし、多忙な任務を遂行。部屋には「慎独」と書かれた父遺愛の扁額を掲げていた。当時の学部校舎は県内各地に分散しており、富山市五福に広いキャンパスを確保し、分散していた文理学部・薬学部・工学部の集中を目指した。これを実現させるため、学内の意思統一を図るとともに県庁・市役所などの地元諸機関、文部省や国会への陳情などに奔走。後に各学部の移転予算が認められた。
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