富山市立図書館との合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 07:37 UTC 版)
「富山県立図書館」の記事における「富山市立図書館との合併」の解説
ところで、紀元二千六百年記念富山県立図書館の設立と共に中央図書館指定を解除された富山市立図書館は、紀元二千六百年記念富山県立図書館に統合するべきではないかとする意見が漸次高まり始めていた。これは戦時下の類似団体統合の風潮に影響されたものであって、富山県においては1940年(昭和15年)7月31日に北陸日日新聞社、富山日報社、高岡新聞社及び北陸タイムス社が統合され北日本新聞社となり、1941年(昭和16年)8月1日には日本海電気、高岡電灯等の電気事業者が合併して北陸合同電気を発足させるなど、すでに種々の団体が戦時統合によって合理化を図っていたのである。そもそも紀元二千六百年記念富山県立図書館の設立が論議され始めたころからすでに富山市立図書館との合併案は取り沙汰されていたのであるが、矢野兼三富山県知事の県立図書館と市立図書館は機能的に異なる存在であるという見識によって富山市立図書館とは別に紀元二千六百年記念富山県立図書館が開設されたという経緯があった。しかし、矢野兼三は1941年(昭和16年)1月7日に内務省からの転出命令を拒否して休職となり、爾来富山県と富山市の間において合併交渉は着々と進められた。当時富山県立図書館長であった加藤宗厚はこれに抵抗したものの、1943年(昭和18年)3月24日には富山市議会において富山市立図書館を紀元二千六百年記念富山県立図書館に合併させる案が可決され、同年3月31日を以て富山市立図書館は廃止された。 これによって同年4月1日から富山市立図書館の蔵書類はすべて紀元二千六百年記念富山県立図書館に継承され、富山市立図書館の館舎は紀元二千六百年記念富山県立図書館の本館となり、紀元二千六百年記念富山県立図書館の本館であった旧大正会館は別館となった。職員数は旧富山市立図書館員を迎えて総計31名となり、蔵書数も9万冊に増加し、経常費は3万5千円に増額された。当時としては東京、大阪、京都、福岡に次ぐ全国第5位の規模の図書館となったのである。
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