天童寺高校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:54 UTC 版)
新潟県にある(私立)高校で、インターハイ優勝が義務付けられた高校バスケ界の絶対王者。スポーツ科があり、バスケに限らず各競技、各種目のエリートが集まっている。哀川和彦の兄がコーチを務めるバスケ部は、全国の中学から集まった名のある選手達が試合より厳しい内部競争に晒され、勝ち残った者だけがレギュラーの座を手にする事が出来る。これによりそれぞれがエース級の実力を誇り、個々で決めることができ、ディフェンスは常にハーフコートマンツーマン、「自分のミスは自分で取り返す」というチームプレイよりも個人プレイを意識したスタイルになっている。かつて哀川和彦が在籍していた高校で、絶対王者ゆえの勝利のみを優先した指導方法(先述の内部競争など)や、試合でどれだけ活躍しても和彦にのみ注目が集まってしまうことによる選手達(主に当時の上級生)の不満でチームとしてバラバラであったことなどが原因で、和彦は2年のインターハイ制覇直後にチームを去った。しかし、和彦が抜けたことでチャンスを感じて奮起する者がいたりとそれぞれが自覚を持ち、オフコートでは感情豊かな面も見せるなどチームとしては結束力が増す結果となり、榊原は「哀川和彦のいない天童寺こそが本来の天童寺の姿」と評している。部員達は突然チームを去った和彦に対して納得していない様子は見受けられるが、苦楽を共にした仲間とあって悪感情は持っていないようである。インターハイ決勝での和彦の在籍する瑞穂との対戦は激戦を極めたが、オーバータイムで接戦の末に敗れ、不敗神話に終止符が打たれた。 沢登 聖人(さわのぼり まさと) 声 - 野島裕史 3年。背番号4番(和彦在籍時は5番)。身長179cm。キャプテン。ポジションはポイントガード。藤原とは正反対の冷静なプレースタイルで、高い空間認識能力から確実に決められる場面を瞬時に判断でき、裏方に徹して味方の能力を最大限に生かすアンセルフィッシュな面と、試合の流れを読んで自ら決定的なプレーを決めるスキルを持つ名実共に日本一のポイントガード。和彦の親友で、彼が天童寺を辞めたことに対しても恨んだり責めることなく理解している。一方で本心ではまだ一緒にプレイしたいという感情も持っており、一度アパートへ和彦を天童寺へ連れ戻そうとやって来た事があるが、和彦の真意を知りライバルとして再戦を誓う。かつてコンビを組んでいた和彦とのプレーに絶対の自信を持っているが、和彦から自分以上に能力を引き出してくれる現パートナーの藤原の事を聞いて以来、全国的には無名の藤原に対して微妙なライバル心を抱いている。 チームメイトからは「ノボリ」の愛称で誰からも好かれる面倒見のよい性格で、またチームメイトの能力を引き出す術に長けており、当時ガードだった和彦にフォワードへの転向を勧めたり、剣や北沢も沢登のアドバイスをきっかけにレギュラーを獲得している。2年生時に上級生のチームに抜擢されたものの、理解が得られず孤立し苦悩していた和彦を助けることが出来なかった後悔の念をずっと抱いていたが、瑞穂との試合で和彦とチームメイトの結束を見てその思いも吹っ切る。 モデルは佐古賢一。 如月 彩(きさらぎ ひかる) 声 - 石塚堅(ゲーム) 3年。背番号10番。身長195cm。ポジションはスモールフォワード。天童寺の現エース。和彦が天童寺を去った事そのものについてとやかく言う気はさらさら無いようだが、それによって自身がレギュラーを獲得した事で常に周囲から彼と比べられ、批判されてきたために強烈なライバル心を抱いている。プレイスタイルにおいても高さとパワーを活かしてインサイドから強引に点を取りに行くという、あえて和彦とは正反対のやり方を貫いている。インターハイ決勝の瑞穂戦では和彦を意識するあまり、強引過ぎるプレーで自分を見失いかけたが、チームメイト達に「如月をエースとして支える」との叱咤激励を受け、和彦とのスコアリング合戦を繰り広げた。常に攻撃的な言葉を発するクールな性格だが、失踪した鎌倉を真っ先に見つけるなど仲間想いの面も見せる。 剣 武蔵(つるぎ むさし) 声 - 竹本英史(ゲーム) 3年。背番号6番。身長198cm。ポジションはセンター。顎髭と坊主頭に鋭い切れ長の眼という威圧的な容姿に似合わず雄弁で落ち着いた性格の持ち主。2mを超えるセンターにも負けない跳躍力とフィジカルを持ち、3Pも打てる(インサイドを北沢・如月が固めたときのみ)という広いシュートエリアを持つ剛と柔を備えた日本一のセンター。この事から二階堂にライバル視されているが、将来的にはフォワードに転向するのを目標としている。サイズに勝る相手にはスピードで、スピードで勝る相手にはパワーで、パワーで勝る相手にはテクニックで圧倒し、瑞穂戦では瑞穂のフロントコート陣を最後まで苦しめた。 鎌倉 元春(かまくら もとはる) 声 - 有馬克明(ゲーム) 3年。背番号5番。身長180cm。ポジションはシューティングガード。天童寺のシックスマン的存在。当時は和彦・沢登以外で唯一レギュラーに近いポジションにおり、挫折知らずの3Pシューターとして天童寺でも頭角を現していた。しかし、肘の怪我に加え同レベルの実力を持つ本田の台頭に焦り、シュートモーションで彼の真似をするなど自身のプレイを見失いかけたが、仲間の説得の中で取り戻す。高い弧を描く3Pを打ち、本田のシュートタイミングとは全くリズムが違うため対戦相手は非常に守り辛い。瑞穂戦では不調の本田に代わって多くのプレータイムを得た。軽い性格だが、レギュラー選手の中では最もエリート意識が強く、天童寺の一員だけあってディフェンスにも長けておりスキのない選手である。 北沢 龍之介(きたざわ りゅうのすけ) 3年。背番号7番。身長191cm。ポジションはパワーフォワード。「エース殺し」の異名を取るほどの徹底したディフェンスで相手校のエースを抑え込むなど、天童寺で随一のディフェンス力を誇り、理屈上止めることが不可能なフックシュートもシュートコースのラインを切ることで防いでいる。元々オールラウンダーとして入部したが、沢登の助言もあってディフェンスを第一に考えるようになりディフェンダーとしての能力を開花させた。試合ではシュート行為自体がフェイクになるなど滅多にシュートを打つことはなく、雑誌にも「ディフェンスオンリー」と書かれるほどである。プレイスタイルの影響もあってかスターター5人衆の中では最も地味で目立たない存在だが、鎌倉が「うちのイケメン様」と呼ぶほどの美形。瑞穂戦では、かつて練習相手を努めていた和彦のプレーを読み切り序盤はことごとく封じていたが、怪我から復帰後の予測不能で豪快なプレースタイルに切り替えた和彦に翻弄され、オーバータイムでファウルアウトを喫し、涙を流した。 本田 裕太(ほんだ ゆうた) 声 - 日野聡(ゲーム) 2年。背番号11番。身長185cm。ポジションはシューティングガード。天童寺で唯一の2年生レギュラーで、高階と同じく全中オールスター出身。得意技は高確率で決める超クイックモーションかつフェイダウェイからの3Pで、プレッシャーとは無縁の飄々とした性格もその確率向上に一役買っている。その一方で、ディフェンスにやや手を抜く傾向があったり、瑞穂戦の序盤で3Pをことごとく外してしまうなどムラも目立ち注意されることも多いが、その性格ゆえにあまり気にしておらず引きずることもない。事実、オーバータイムでは、ディフェンスファウルを受けながら3Pを決めてファウル後のフリースロー1投も決める4ポイントプレーを成功させ、天童寺に大きく流れを引き寄せた。 大沢 桂一郎(おおさわ けいいちろう) 3年。マネージャー。かつては有望なプレイヤーだったが度重なる怪我で選手としての道を断たれてしまい転向。選手として挫折、スポーツ特待生の立場上マネージャーというギリギリの立場にいる境遇などから、常にレギュラー同然の位置にいたにも関わらずチームを抜けた和彦を「自分勝手」と非難するなど激しく憎んでいるが、和彦の実力を疑問視する本田に対し怒りを見せるなどまだある程度の仲間意識はある模様。タイムアウト時は具体的な戦術を指示する役目も担っており、かつて将来を嘱望された選手であることを髣髴とさせる一端を見せている。 哀川 昭彦(あいかわ あきひこ) 声 - 檜山修之、津田英佑(ゲーム) 和彦の兄でありバスケ部のコーチ。常勝天童寺の優勝請負人としてバスケ中はサングラスを掛け感情を表に出さず、選手間の熾烈な生存競争に私情を交える事も甘やかす事もなく厳しい指導を行うが、その裏には「チーム内での競争に勝って初めて相手との競争に勝てる」という信念がある。厳しい一方で、弟の和彦が途方に暮れている時はバスケ部の寮に泊まらせ相談にも乗るなど、兄らしい暖かい一面も見せ、和彦が転校した理由もある程度は理解している。インターハイ決勝で瑞穂に敗れた後、父から監督を引き継いだ。 名前は弟の和彦と合わせて昭和から。 哀川 明大(あいかわ あきひろ) 声 - 土師孝也 和彦の父であり、天童寺高校の校長を務める傍ら、バスケ部の監督も兼任している。天童寺高校のバスケットボールを創り上げたその人でもあるが、現在は実質的な指導を息子の昭彦に任せている。多忙でインターハイ決勝でしか姿を見せないことから、部員達からは監督というより校長としか見られていないが、昭彦を名コーチに仕立てあげた指導力は本物で、更に非情さも兼ね備えている。インターハイ後は、監督の座を昭彦に譲ったが、インターハイ優勝を逃して空虚感を抱いていた3年に日本代表を目指すように発破をかけるなど、変わらず監督らしさを見せている。 紳士然とした外見とは裏腹に、自チームの選手に罵詈雑言を浴びせるなど感情的な性格で、温和で冷静な息子達とは対照的である。和彦に対しては事実上天童寺のバスケから逃げ出した形となったために許すことができず、試合では和彦を執拗に挑発したり、心労で倒れた母の見舞いに来ても実家の敷居を跨がせないなど勘当状態であった。しかし、インターハイ決勝で瑞穂に敗れた後は、和彦に対して肩を治すように話すなど関係も緩和したようである。また3年引退後も、和彦がチームを抜けたことで迷惑をかけた選手達に頭を下げて詫びるなど、父親らしい面も覗かせた。 名前は明治と大正から。
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