西鉄北九州線
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北九州線(きたきゅうしゅうせん)は、かつて西日本鉄道(西鉄)が福岡県北九州市内で運行していた軌道路線の総称である。
注釈
- ^ 但し、筑豊電気鉄道は西鉄全額出資の完全子会社であるため、西鉄との関係は維持されている。
- ^ 歯数比約3.0で定格速度が約55km/hに達した。
- ^ ダイヤ設定上の平均速度は併用軌道区間で18km/h、専用軌道区間で24km/h前後であったとされ、戸畑線などの専用軌道区間での最高速度は60km/hとなっていた。
- ^ 本線である門司 - 折尾間(路線長29.3km)の直通に約1時間半を要した。
- ^ 1971年9月5日より実施。この施策は道幅の狭い小倉駅前周辺地域での電車運行速度の低下抑止に効果があった。
- ^ a b 北九州線車両保存会の公式フェイスブック
- ^ 大門停留場がY字分岐、中央町・幸町両停留場がデルタ型分岐となっているため、砂津→大門→幸町→中央町→大門→砂津と運行した場合や、黒崎方面→中央町→幸町→戸畑→幸町→大門→砂津と運行した場合等には方向転換を生じた。
- ^ 筑豊電気鉄道の所属車両は、2車体連接車は西鉄所属車と同様に黒崎駅前・砂津方がA車となったが、3車体連接車は筑豊直方方がA車(1977年(昭和52年)の最初の編成の改造導入時からこの向きであり、西鉄1000形の3車体連接車も、遅くとも同時期から廃車までは同じ向きとなっていた)で、編成の向きは逆となった。
- ^ 最寄り電停は到津車庫前電停で、車庫廃止に伴い遊園前バス営業所電停に改称した。
- ^ 1976年(昭和51年)まで筑豊電鉄は車両を保有せず北九州線車両の乗り入れによって運行されていた。同線への北九州線車両の乗り入れは北九州線の廃止まで続けられた。
- ^ 跡地は戸畑渡場バス停になっていたが、同バス停の移設に伴い現在は空き地となっている。
出典
- ^ a b c 『「完全子会社との会社分割(簡易吸収分割)に関するお知らせ」』(プレスリリース)西日本鉄道、2014年12月18日。 オリジナルの2014年12月18日時点におけるアーカイブ 。2023年4月14日閲覧。
- ^ 岩田武、関田克孝「絵葉書に見る阪神電車創業の頃」『鉄道ピクトリアル』No. 640 1997年7月臨時増刊号 〈特集〉阪神電気鉄道、鉄道図書刊行会、1997年7月、54-55頁。 — 同種の斜めに建植された架線柱が確認できる古写真の例。
- ^ a b c “「超低床式」54両投入 西鉄北九州線・25日からバスに 各種サービスも充実”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (1992年10月20日)
- ^ 筑豊電気鉄道(株)業務部「筑豊電気鉄道の現況」『鉄道ピクトリアル 臨時増刊号<特集>西日本鉄道』第49巻第668号、電気車研究会、1999年4月、87頁、doi:10.11501/3294802、ISSN 0040-4047、2023年9月2日閲覧。
- ^ a b 「モハユニ」『RAIL FAN』第48巻第1号、鉄道友の会、2001年1月号、26頁。
- ^ 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション 12 路面電車の時代』p86
- ^ a b c 「追跡風土記 西鉄北九州線をゆく(1)」
- ^ 奈良崎博保 「追跡風土記 西鉄北九州線をゆく(1)」(『鉄道ジャーナル』1971年9月号(No.53)、鉄道ジャーナル社、pp.70-79掲載)では、大門電停の自動分岐器制御に車輪検知器が用いられていたことが記されている。
- ^ 吉川文夫 『路面電車時代』 大正出版、1995年、p.73 には、昭和38年8月25日に撮影された幸町電停の写真が掲載されており、2階建ての操車所とトロリーコンタクターが確認できる。
- ^ 『福岡・北九州 市内電車が走った街 今昔』 p.125
- ^ 1988年11月7日付朝日新聞西部本社版掲載記事「西鉄北九州線にホウキ電車登場」より
- ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアルNo.292 1974年4月臨時増刊 西日本鉄道特集』10P-11P
- ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアルNo.443 1985年2月号 特集 路面電車』50-51P
- ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアルNo.517 1989年9月臨時増刊 特集 西日本鉄道』17P
- ^ 弘済出版社『鉄道ダイヤ情報No.111 1993年7月号』47P
- ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアルNo.668 1999年4月臨時増刊 特集 西日本鉄道』27P
- ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアルNo.847 2011年4月臨時増刊 特集 西日本鉄道』162P
- ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアルNo.688 2000年7月臨時増刊 特集 路面電車~LRT』227-228P
- ^ 佐藤信之/下村仁士 北九州高速鉄道 北九州モノレール小倉線について(初出『鉄道ジャーナル』第35巻第1号(2001年1月号)、2001年。)
- 1 西鉄北九州線とは
- 2 西鉄北九州線の概要
- 3 路線データ
- 4 施設
- 5 運行・ダイヤ
- 6 その他
北方線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/02 03:59 UTC 版)
魚町交差点から南へ伸びる県道三萩野・魚町線(のちのみかげ通り)上にあった。停留場部分で上下線が1線に収束して着発線となり、1面の乗車場安全地帯が設けられていた。着発線は、上り線側に下り線が合流する形だった時期とその逆だった時期があり、何度か異動を繰り返している。上下線が合流する手前の上り線横には安全地帯のない降車場があり、路面上に白線表示が設けられていた。線路の終端部に車止めなどの防護設備はなく、電車に空気ブレーキのなかった単車時代に、停止しきれなかった電車が終端部を突破し、北九州本線をも乗り越えて電車通り北側の店舗に突入する事故が2度にわたって発生したことがある。
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北方線
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北方線はトゥトゥバン駅から近郊のカローカン市まで通勤列車があるものの(現在運休中)、その先はすでに廃線状態となっている。 北方本線 詳細は「フィリピン国鉄北方本線」を参照 マニラ首都圏からブラカン州、パンパンガ州、タルラック州、パンガシナン州、ラウニオン州までを結ぶ。日本占領下の時代にラウニオン州サンフェルナンドから北に南イロコス州との州境まで延伸された。1984年、パンガシナン州ダグパン(英語版)以北を廃止。1988年、コラソン・アキノ大統領によりタルラック州タルラック以北を廃止。1991年、ピナトゥボ山噴火によりカローカン以北が廃線状態。
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北方線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 08:44 UTC 版)
バラグタス - カバナトゥアン支線 ブラカン州バラグタス(英語版)からヌエヴァ・エシハ州カバナチュアンまでを結ぶ。第二次世界大戦時に一時的に廃止になる。1969年に再開。1980年代に全線廃止。 アラヤット - カルメン支線 パンパンガ州アラヤット(英語版)からフロリダブランカ(英語版)までを結ぶ。本線とはサンフェルナンドで接続されている。 フォート・ストッツェンバーグ - ダウ支線 パンパンガ州マバラカットとアンヘレスを結ぶ。 ダウ - マガラン支線 パンパンガ州マバラカットとマガラン(英語版)を結ぶ。 タルラック - サンホセ支線 タルラック州タルラックからヌエヴァ・エシハ州サンホセ(英語版)までを結ぶ。イサベラ州およびカガヤン州への延伸が計画されていた。 タユグ支線 タルラック州パニキ(英語版)からパンガシナン州サン・キンティン(英語版)までを結ぶ。タユグ(英語版)は経由する町。 サン・ファビアン - キャンプ・ワン支線 パンガシナン州サン・ファビアン(英語版)とラウニオン州ロサリオ(英語版)を結ぶ。バギオを目指した路線であったが1914年に廃止。 アリンガイ - バギオ支線 ラウニオン州アリンガイ(英語版)とベンゲット州バギオを結ぶ。山岳地帯のため複数のトンネルがスペイン植民地時代に建設されたが、第二次世界大戦時に廃止。アリンガイの三角線とトンネルが残っているのみである。
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北方線
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北方線は九州電気軌道による開業ではなく、小倉軌道による馬車鉄道として開業した路線を小倉電気軌道に譲渡して電化し、のちに九州電気軌道による小倉電気軌道の吸収合併を経て西鉄北九州線の一路線となった。軌間は1067mm(狭軌)であり、1435mm(標準軌)の北九州線他路線との直通は不可能で、北方線専用の車両が用いられた。 1906年(明治39年)6月11日 香春口 - 城野 開業(馬車鉄道) 1907年(明治40年)2月23日 城野 - 北方 開業(馬車鉄道) 1920年(大正9年)9月21日 香春口 - 北方 改軌・電化 1927年(昭和2年)2月1日 旦過橋 - 香春口 開業 1932年(昭和7年)10月2日 魚町 - 旦過橋 開業(全線開通) 1958年(昭和33年)1月 連接車の運行を開始 1980年(昭和55年)11月2日 全線廃止(後に同区間に北九州モノレールが開業する)
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北方線
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300形(初代) - 小倉電気軌道から引き継いだ単車。 321形 - ボギー車。 323形 - ボギー車で軽量の丸型車体を採用、通称「馬面電車」。324は廃止後に土佐電気鉄道に譲渡され300形301となったが2008年に廃車、その後香椎花園内のレトロ電車パークに保存されている。 331形 - 2両連接車。車体構造は323形に似るが、やや角張った印象。
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