北方線とは? わかりやすく解説

西鉄北九州線

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 23:47 UTC 版)

北九州線(きたきゅうしゅうせん)は、かつて西日本鉄道(西鉄)が福岡県北九州市内で運行していた軌道路線の総称である。


注釈

  1. ^ 但し、筑豊電気鉄道は西鉄全額出資の完全子会社であるため、西鉄との関係は維持されている。
  2. ^ 歯数比約3.0で定格速度が約55km/hに達した。
  3. ^ ダイヤ設定上の平均速度は併用軌道区間で18km/h、専用軌道区間で24km/h前後であったとされ、戸畑線などの専用軌道区間での最高速度は60km/hとなっていた。
  4. ^ 本線である門司 - 折尾間(路線長29.3km)の直通に約1時間半を要した。
  5. ^ 1971年9月5日より実施。この施策は道幅の狭い小倉駅前周辺地域での電車運行速度の低下抑止に効果があった。
  6. ^ a b 北九州線車両保存会の公式フェイスブック
  7. ^ 大門停留場がY字分岐、中央町・幸町両停留場がデルタ型分岐となっているため、砂津→大門→幸町→中央町→大門→砂津と運行した場合や、黒崎方面→中央町→幸町→戸畑→幸町→大門→砂津と運行した場合等には方向転換を生じた。
  8. ^ 筑豊電気鉄道の所属車両は、2車体連接車は西鉄所属車と同様に黒崎駅前・砂津方がA車となったが、3車体連接車は筑豊直方方がA車(1977年(昭和52年)の最初の編成の改造導入時からこの向きであり、西鉄1000形の3車体連接車も、遅くとも同時期から廃車までは同じ向きとなっていた)で、編成の向きは逆となった。
  9. ^ 最寄り電停は到津車庫前電停で、車庫廃止に伴い遊園前バス営業所電停に改称した。
  10. ^ 1976年(昭和51年)まで筑豊電鉄は車両を保有せず北九州線車両の乗り入れによって運行されていた。同線への北九州線車両の乗り入れは北九州線の廃止まで続けられた。
  11. ^ 跡地は戸畑渡場バス停になっていたが、同バス停の移設に伴い現在は空き地となっている。

出典

  1. ^ a b c 「完全子会社との会社分割(簡易吸収分割)に関するお知らせ」』(プレスリリース)西日本鉄道、2014年12月18日。 オリジナルの2014年12月18日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20141218103319/https://www.nishitetsu.co.jp/release/2014/14_144.pdf2023年4月14日閲覧 
  2. ^ 岩田武、関田克孝「絵葉書に見る阪神電車創業の頃」『鉄道ピクトリアル』No. 640 1997年7月臨時増刊号 〈特集〉阪神電気鉄道、鉄道図書刊行会、1997年7月、54-55頁。  — 同種の斜めに建植された架線柱が確認できる古写真の例。
  3. ^ a b c “「超低床式」54両投入 西鉄北九州線・25日からバスに 各種サービスも充実”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (1992年10月20日) 
  4. ^ 筑豊電気鉄道(株)業務部「筑豊電気鉄道の現況」『鉄道ピクトリアル 臨時増刊号<特集>西日本鉄道』第49巻第668号、電気車研究会、1999年4月、87頁、doi:10.11501/3294802ISSN 0040-40472023年9月2日閲覧 
  5. ^ a b 「モハユニ」『RAIL FAN』第48巻第1号、鉄道友の会、2001年1月号、26頁。 
  6. ^ 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション 12 路面電車の時代』p86
  7. ^ a b c 「追跡風土記 西鉄北九州線をゆく(1)」
  8. ^ 奈良崎博保 「追跡風土記 西鉄北九州線をゆく(1)」(『鉄道ジャーナル』1971年9月号(No.53)、鉄道ジャーナル社、pp.70-79掲載)では、大門電停の自動分岐器制御に車輪検知器が用いられていたことが記されている。
  9. ^ 吉川文夫 『路面電車時代』 大正出版、1995年、p.73 には、昭和38年8月25日に撮影された幸町電停の写真が掲載されており、2階建ての操車所とトロリーコンタクターが確認できる。
  10. ^ 『福岡・北九州 市内電車が走った街 今昔』 p.125
  11. ^ 1988年11月7日付朝日新聞西部本社版掲載記事「西鉄北九州線にホウキ電車登場」より
  12. ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアルNo.292 1974年4月臨時増刊 西日本鉄道特集』10P-11P
  13. ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアルNo.443 1985年2月号 特集 路面電車』50-51P
  14. ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアルNo.517 1989年9月臨時増刊 特集 西日本鉄道』17P
  15. ^ 弘済出版社『鉄道ダイヤ情報No.111 1993年7月号』47P
  16. ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアルNo.668 1999年4月臨時増刊 特集 西日本鉄道』27P
  17. ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアルNo.847 2011年4月臨時増刊 特集 西日本鉄道』162P
  18. ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアルNo.688 2000年7月臨時増刊 特集 路面電車~LRT』227-228P
  19. ^ 佐藤信之/下村仁士 北九州高速鉄道 北九州モノレール小倉線について(初出鉄道ジャーナル』第35巻第1号(2001年1月号)、2001年。 


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北方線

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魚町停留場」の記事における「北方線」の解説

魚町交差点から南へ伸びる県道三萩野魚町線(のちのみかげ通り)上にあった停留場部分上下線が1線に収束して着発線となり、1面乗車安全地帯設けられていた。着発線は、上り線側に下り線合流する形だった時期とその逆だった時期があり、何度異動繰り返している。上下線が合流する手前の上り線横には安全地帯のない降車場があり、路面上に白線表示設けられていた。線路終端部に車止めなどの防護設備はなく、電車空気ブレーキのなかった単車時代に、停止しきれなかった電車終端部を突破し北九州本線をも乗り越えて電車通り北側店舗突入する事故2度わたって発生したことがある

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北方線

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フィリピン国鉄」の記事における「北方線」の解説

北方線はトゥトゥバン駅から近郊カローカン市まで通勤列車があるものの(現在運休中)、その先はすでに廃線態となっている。 北方本線 詳細は「フィリピン国鉄北方本線」を参照 マニラ首都圏からブラカン州パンパンガ州タルラック州パンガシナン州ラウニオン州までを結ぶ。日本占領下の時代ラウニオン州サンフェルナンドから北に南イロコス州との州境まで延伸された。1984年パンガシナン州ダグパン(英語版以北廃止1988年コラソン・アキノ大統領によりタルラック州タルラック以北廃止1991年ピナトゥボ山噴火によりカローカン以北廃線状態。

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北方線

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フィリピン国鉄」の記事における「北方線」の解説

バラグタス - カバナトゥアン支線 ブラカン州バラグタス(英語版)からヌエヴァ・エシハ州カバナチュアンまでを結ぶ。第二次世界大戦時一時的に廃止になる。1969年再開1980年代全線廃止。 アラヤット - カルメン支線 パンパンガ州アラヤット(英語版)からフロリダブランカ(英語版)までを結ぶ。本線とはサンフェルナンド接続されている。 フォート・ストッツェンバーグ - ダウ支線 パンパンガ州マバラカットアンヘレスを結ぶ。 ダウ - マガラン支線 パンパンガ州マバラカットとマガラン(英語版)を結ぶ。 タルラック - サンホセ支線 タルラック州タルラックからヌエヴァ・エシハ州サンホセ英語版)までを結ぶ。イサベラ州およびカガヤン州への延伸計画されていた。 タユグ支線 タルラック州パニキ(英語版)からパンガシナン州サン・キンティン(英語版)までを結ぶ。タユグ(英語版)は経由する町。 サン・ファビアン - キャンプ・ワン支線 パンガシナン州サン・ファビアン(英語版)とラウニオン州ロサリオ英語版)を結ぶ。バギオ目指し路線であった1914年廃止。 アリンガイ - バギオ支線 ラウニオン州アリンガイ(英語版)とベンゲット州バギオを結ぶ。山岳地帯のため複数トンネルスペイン植民地時代建設されたが、第二次世界大戦時廃止。アリンガイの三角線トンネル残っているのみである。

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北方線

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西鉄北九州線」の記事における「北方線」の解説

北方線は九州電気軌道による開業ではなく小倉軌道による馬車鉄道として開業した路線小倉電気軌道譲渡し電化し、のちに九州電気軌道による小倉電気軌道吸収合併経て西鉄北九州線一路となった軌間1067mm狭軌)であり、1435mm(標準軌)の北九州線他路線との直通不可能で、北方線専用車両用いられた。 1906年明治39年6月11日 香春口 - 城野 開業馬車鉄道1907年明治40年2月23日 城野 - 北方 開業馬車鉄道1920年大正9年9月21日 香春口 - 北方 改軌電化 1927年昭和2年2月1日 旦過 - 香春口 開業 1932年昭和7年10月2日 魚町 - 旦過 開業全線開通1958年昭和33年1月 連接車運行開始 1980年昭和55年11月2日 全線廃止(後に同区間北九州モノレール開業する

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北方線

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西鉄北九州線」の記事における「北方線」の解説

300形初代) - 小倉電気軌道から引き継いだ単車321形 - ボギー車323形 - ボギー車軽量丸型車体採用通称馬面電車」。324廃止後に土佐電気鉄道譲渡され300形301となった2008年廃車その後香椎花園内のレトロ電車パーク保存されている。 331形 - 2両連接車車体構造323形に似るが、やや角張った印象

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