北方草原地帯〜東欧〜ホラズム〜メッカ〜イラク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 20:38 UTC 版)
「ガルナーティー」の記事における「北方草原地帯〜東欧〜ホラズム〜メッカ〜イラク」の解説
ブルガールを去った年代も不明であるが、その後ガルナーティーはキエフの町を経由して、ハンガリーのバシュキールの人々の町に向かい、そこで1155年から1158年まで滞在することになる。そこでもハンガリー人の王に一定以上の待遇を受けていたことが窺われる。また、彼自身はローマ(あるいはコンスタンティノープルのことを指すのかもしれない)へも訪問することを望んでいたようであるが、果たすことはできなかった。その後彼は再びサクスィーンに戻った後、1159年にはホラズムに向けて出発する。さらに1160年にはメッカ巡礼を志してホラズムを出立し、一路メッカを目指し、その年のうちに巡礼を行った、そしてそこからバグダードに帰還した。
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