初代 SS30V/40V型とは? わかりやすく解説

初代 SS30V/40V型(1979年 - 1984年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 10:16 UTC 版)

スズキ・アルト」の記事における「初代 SS30V/40V型(1979年 - 1984年)」の解説

1979年昭和54年5月発売軽乗用車フロンテ商用版姉妹車である。型式はH-SS30V。「軽ボンネットバン」と呼ばれる節税軽乗用車ジャンル創成し、その後軽自動車市場大きな影響与えた当時鈴木自動車工業社長に就任して間もなかった鈴木修が、社長就任後初め陣頭指揮を執って製品化あたった新型車であり、鈴木修自身にとっても自らの地位確固たる物とした記念すべきモデルとなった1970年代中期以降日本軽乗用車市場排出ガス規制対策550 cc 規格移行前後混乱低迷期最中にあり、各社在来モデル排気量車幅拡大などでお茶濁す停滞に陥り、新たな展開模索される状態にあったスズキでは排出ガス対策エンジンの開発不調で、トヨタ自動車からの伝手によって競合するダイハツ工業製のエンジン購入して自社軽乗用車搭載するなど、苦しい状態に置かれていた。1978年6月社長就任した鈴木修がその打開策として企画したのが、ベーシックカー原点立ち返った廉価な新型車の開発であった。 この時点次期フロンテとなるべき新型軽乗用車開発が相当に進んでおり、1978年中には発売される予定であったが、鈴木修は「新車発売1年延期」と「企画全面的見直し」を敢えて断行し、修の意向によって新型車のコンセプトには大幅な方向修正図られることになった当時日本で、軽乗用車には15%を上回る税率物品税課されていた。だが軽ボンネットバンを含む商用車物品税非課税で、税制面では格段に有利であったスズキではこの税制ギャップ逆手にとって合法的に節税できる「実質前席2人乗り軽乗用車として機能する商用車軽ボンネットバン)」という商品設定企画、主に買い物子供送り迎えなどに自動車を使う主婦層需要喚起新たに狙ったスズキでは開発に際して市場リサーチで、当時軽自動車基本乗車人数1 - 2名”というデータ得ており、前席の居住性乗用車並み確保できるバン市場商品性裏付け持っていた。 価格設定大胆なものとなった同時期の一般的な軽乗用車新車60万円超える価格帯で、これに高率物品税上乗せされた。一方市場調査当時日本中古車市場では40万円から50万円程度中古車売れ行き良好であると判明鈴木修はそのクラス需要狙い市販価格45万円程度廉価な新車提供することを目論んだ。この価格設定利益確保するには、製造原価当時としても極度に低い35万円程度抑えなければならなかった。「目標達成のためなら灰皿スペアタイヤエンジンまでも外せ」とまでの叱咤と共に鈴木修から過酷な目標課され開発部門責任者稲川誠一当時常務。のちスズキ会長)ら技術陣は、コストダウン最優先に、安全上問題ない範囲での製造原価見直し徹底追求した基本構成は、前輪駆動方式採用した2ボックススタイルであり、車内容積それなりに広く当時としてはそこそこ近代的な外観であった反面機構的に従来モデル旧型エンジン(T5A)から基本設計流用した2ストロークエンジン(T5B)、リアサスペンションには廉価コンパクトであるが旧弊なリーフリジッドを採用するなど、簡素な低コスト構造徹していた。排出ガス規制が緩い商用車であるため、コストトルクの面で有利な2ストロークエンジン採用が容易であった後部座席商用車としての規制荷台スペース後部座席スペース同等以上にする必要がある)から折り畳み式のごく小型なものであったが、実質2人乗り割り切られていたため大きな問題ではなかった。前輪駆動だがパワーステアリング小型車一般化する前の車種であり、プレート型の2本スポークステアリングは径を大きめとして、ラックアンドピニオン式の操舵機構ともども操縦性配慮している。ブレーキ前輪ディスク式が普及してきていた当時、ややグレードの低い4輪ドラムであったが、軽量車であったため、性能見合った制動力確保されていた。 その随所が、従前高額化しつつあった軽乗用車はまった正反対な、機能最優先徹した簡潔な仕様であった少な点数大型プレス部材組み立てたシンプルなボディ装備は、内外装とも極めて簡素に仕立てられていた。一体成形され単純な造形樹脂ダッシュボードインパネヘッドレスト一体型フロントシート見栄えはしない廉価必要な機能満たせるゴムフロアマットベニヤ板背板使った後部座席廉価なグレー塗装スチールバンパー電気モーターを全く使用しない手押しポンプウィンドウウォッシャーなどが特徴である。ドア等の内張り省略できる部分鉄板塗装処理、ドア開閉用の鍵穴運転席側のみで、なくとも済む助手席鍵穴省略している(キーシリンダーはめ込む凹み残してあった。キーシリンダー装着する仕様モデルとドアパネルを共用して量産効果上げるためである)。リア跳ね上げ大型ハッチゲートは、アルト利便性一つとしてPRされており、リアハッチダンパーを全車装備していたが、このゲート上の蝶番露出した外付け構造としてやはり簡略化してあった。 また当初モノ単一グレード車種内の装備差別化をせず、標準装備ヒーターのみで、ラジオシガーライターをはじめ追加装備一切多くディーラー施工となる50種類上のオプションで補う設定とした。 これらの取り組み結果当初計画45万円達成できなかったが、本体価格47万円」という、1979年当時新車軽自動車としては驚異的な低価格実現された。フロンテの最廉価グレード車で物品税課税価格より約10万円も安かったのである。この価格は、それまで慣例破って戦略的に自動車業界初の全国統一車両本体価格ワンプライス)とされた点でも画期的であった日本全国顧客平等な価格提示できると共に全国媒体等しくアルト47万円」と銘打った効果的宣伝が可能となったのである。さらに物品税非課税メリット加わり競合車種となる他社軽乗用車との実質価格差は著しいものとなった女性ユーザーへのアピール念頭に赤をイメージカラー採用したアルト発表されると、その異例な低価格市場衝撃与えた発売後の販売台数当初目標月間5,000台を軽く凌駕して1万8,000台を記録ほどなく大量バックオーダー抱え人気車種となった増産のため、工場増築緊急に行われたほどである。「アルト」の成功を受け、他の軽自動車メーカー追随して同様のコンセプトの軽商用車発売し、「セカンドカー需要開拓した。またアルト売り上げによる着実な収益で、日本自動車メーカーでも唯一2ストロークエンジン主力としていたスズキは、工場設備投資による4ストロークエンジン生産体制拡充取り組みアルト含めた主力車種エンジン4ストローク切り替え早めることができた。 ゼネラルモーターズは、後のサターンとして結実する未経験小型車開発にあたり世界各社小型車徹底的に分解し研究していたが、その中の一つであったこのアルト設計驚愕しスズキとの提携決めたと言われている[要出典]。スズキOEM契約を結び、GMのロワエンドにあたるジオ(GEO)ブランド向け車種ジオ・トラッカージオ・メトロ)の生産担当した累計販売台数は約844000

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