京葉線用
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E331系電車(全体の出典…) 量産先行車14両編成1本が配置されていた。編成番号はAK1であった。 2007年3月18日ダイヤ改正より京葉線で営業運転を開始、整列乗車の観点から平日ラッシュ時の投入は避けられ、土曜・休日のみの限定運用であったが、運行開始直後の同年5月に、新機軸の不調による機器改良のため運用から外れた。 2008年12月に運用復帰したが、2009年に再び運用を離脱、2010年4月3日から土曜・休日のみの運用で再開、その後2011年からは定期運用から離脱していた。 当形式はE233系5000番台投入に伴う置き換えの対象外であったが、2014年4月2日付で廃車され、形式消滅した。 205系電車(全体の出典…) 0番台京葉タイプ前面車10両編成×12本(最高速度110km/h対応、ケヨ1~12編成、120両)と、三鷹電車区と山手電車区から転入した原型前面車10両編成×7本(110km/h非対応、ケヨ22〜27編成、70両)の計19本190両が配置されていた。 1990年3月1日の京葉電車区発足時に新製配置された車両の先頭は、前部標識灯が下段にあり、前面ガラスが曲面形状であり、FPR部分は白く、前面全体を覆う構造である。外房線設備改良に伴って最高速度向上のため1995年12月1日までに全編成に110km/対応改造を施工した。 原型前面車は、2002年4月の三鷹電車区からの転入車がケヨ21編成、2002年と2004年の山手電車区からの転入車がケヨ22〜27編成であった。転入編成の内ケヨ21編成は客室ドア窓が大型構造の量産車後期形、ケヨ22〜27編成の内、ケヨ22・23編成の2本は、客室ドア窓が小型構造の量産車前期形、ケヨ24〜27編成の4本は、客室側窓が二段式の量産先行車編成であった。原則として内房線・外房線(千葉-蘇我間を含む)へは京葉タイプ前面車(110km/h対応編成)のみが入線したが、ダイヤが乱れた場合は原型前面車(110km/h非対応編成)も代走で入線した。 2007年1月21日の川越線内踏切事故に伴い、埼京線用205系1本の一部車両が使用不能となった為、代替車両としてケヨ21編成のモハ1ユニット(モハ205・204-277)が川越車両センターに転出、同編成の8両は運用を離脱し保留車となった。2007年3月18日のダイヤ改正に伴い、同年2月にケヨ23編成が運用を離脱、サハ2両を保留車として残した上で、他8両が武蔵野線運用車に転用され、同線の列車増発分に充てられた。また、2009年3月14日のダイヤ改正に伴い、横浜線増発用として武蔵野線運用車1本を転出することになり、上記により保留車となっていたケヨ21編成の8両が、5000番台化されて武蔵野線運用車に転用、 2009年4月30日に、2007年3月18日のダイヤ改正時に保留車となったサハ2両を、元ケヨ23編成の武蔵野線運用車の中間モハ1ユニットと入れ替えて、鎌倉車両センターに転出した。 ケヨ8編成は2010年7月28日にサハ2両を外し8両編成となり編成番号を「81」として、武蔵野線から東北貨物線経由で大宮への直通運転に先立ち、一時的に乗務員訓練車となった。 E233系の投入が完了したことにより、2011年7月25日をもって同線での定期運用を終了、京葉タイプ前面車の内、ケヨ11・12編成を除く10本の先頭車と東京方2・3号車のモハユニット(計40両)は、宇都宮線・日光線用に転用され小山車両センターへ転属した(うちY3編成(元ケヨ4編成は観光車両「いろは」に再改造)。その他の編成はケヨ24編成を除き3両が長野総合車両センターで転用改造施工後、富士急行へ譲渡、ケヨ24編成の蘇我方の3両(クハ205-1、モハ205-1、モハ204-1)は、2011年9月30日除籍直前の29日に大宮総合車両センターに搬送後、しばらく留置された。 2012年10月からセンター内「大宮グローアップスクエア」の検修技能訓練所にて、職員の検修技能アップのために使用されている。 201系電車(全体の出典…) 0番台 10両分併編成×4本(4両(K1〜K4編成)+6両(51〜54編成)、40両)、10両非分併編成×3本(71〜73編成、30両)、10両貫通編成×2本(70、74編成、20両)の計9本90両が配置されていた。10両非分併編成と10両貫通編成は三鷹電車区(現・三鷹車両センター)から中央・総武緩行線用の10(4+6)両編成を転入させたものであった。 これら3種類のうち最初に京葉車両センターに配置されたのが10両分併編成である。中央・総武緩行線用E231系0番台の投入で捻出された201系10両分併編成は、日常的に分割・併合を行う京葉線へと2000年8月1日、8月26日、10月18日、11月3日に計4本が転入し、K1~K4編成+51〜54編成と付番された。この際、車両は黄色5号から青22号へ外部塗装の変更と、両先頭車に停車駅通過防止装置の取付、中間先頭車には自動解結装置が取付された。京葉線内と、外房線蘇我 - 勝浦間・東金線全線への乗り入れ運用に使用、分割・併合は外房線誉田駅で行い、4両編成は成東、6両編成は勝浦まで運用された。 103系10両非分割編成置き換えのため2001年6月8日、8月4日、9月27日に、分割・併合未対応の201系10(4+6)両編成計3本30両が転入した(71〜73編成と付番、6月と9月の転入車の中間は、900番台が含まれていた。詳細は下記)。2005年11月2日に900番台が廃車となり、それ以外で4+6両の非分併編成に組成、新72編成とした。2007年2月8日と3月21日に、京葉線用205系10両編成計2本の転用・転属に伴う運用離脱の為、穴埋めとして、豊田電車区から、元中央線快速用の10両貫通編成×2本計20両が転入した。 209系500番台の転入に伴い、2008年12月5日と12日に10両貫通編成×2本(70・74編成)が、2009年1月23日に10両非分併編成×1本(71編成)が廃車された。2009年2月6日に、K1+51編成の中間先頭車(クハ201-37・200-36)以外の8両と72編成の中間先頭車(クハ201-103・200-104)が廃車、K1+51編成の残った中間先頭車を72編成に組み込み、新K1+51編成に改編した。 E233系5000番台の投入に伴い、2011年6月20日にK4+54編成にて、定期営業運行を終了した。 900番台 上記の転入編成の中で900番台は、2001年6月8日に転入の72編成に4両、9月27日に転入の73編成に6両が組み込まれ、900番台の先頭車は、転入前から中間先頭車として組み込まれていたため、転入後も同番台が先頭車として運用されることはなく、モハ201-902〜904のパンタグラフは、新製時は両端に1個ずつ配置していたが、量産化改造時に片側(モハ200-900寄り)を撤去した為、パンタ取付台跡があった。 2005年9月から11月まで置き換え用に東京総合車両センターから205系10両編成計4本40両が転入したことに伴い、201系900番台は各編成から抜かれ2回に分けて大宮総合車両センターに回送され、2005年11月2日に廃車された。置き換え後は900番台以外の10両が72編成となり、73編成は欠番となった。 103系電車(青22号)(全体の出典…) 1986年3月3日の前身の津田沼電車区新習志野派出発足時に、分割・併合を可能にした103系10(4+6)両編成(10両分併編成)×7本70両を所属区所を津田沼電車区として配置、6両編成を基本編成、4両編成を付属編成とした。配置当初の編成は、(蘇我方)TcMM'Tc+McM'TMM'Tc(西船橋方)の4+6両で、編成番号は両者とも400台が付けられ、付属編成には「附」をつけて区別した。なお、西船橋方が基本編成、蘇我方が付属編成で組成されていた。車両運用は、朝夕の通勤・帰宅時間帯は10両編成で、それが終わると新習志野駅で付属編成を分割し、日中・深夜は基本編成の6両編成で運転した。同年9月1日に日中の利用率が芳しくない為、基本編成4両、付属編成6両と変更して、日中・深夜の運用を4両編成とし、編成を(蘇我方)McM'TMM'Tc+TcMM'Tc(西船橋方)とした。また、所属区所は習志野電車区に改称した。 1988年12月1日の新木場-南船橋間・市川塩浜-西船橋間開業、千葉港-蘇我間旅客営業開始に、浦和電車区から103系10両分割編成×3本30両が転入、配置10両分併編成×10本100両に増強された。同開業に伴い、運用車両の全先頭車にはATS-P形が取付けられたが、先頭のクモハは受信機の取付に伴い、前面の運行番号表示機窓を埋め、表示機は前面窓へ移設した。また、編成の組替を行い、基本編成6両、付属編成4両とし、編成は(蘇我方)McM'TTc+TcMM'MM'Tc(西船橋方)となり、日中・深夜の運用も6両編成での運転となった。同開業に伴うATS-P形の取付工事による、車両不足の時や、開業後の予備兼用として、所属区所の中央・総武緩行線用103系10両貫通編成2本を充当した。 1990年3月1日の京葉電車区が発足時に、習志野電車区から京葉線運用車両の103系10両分併編成×10本100両及び、浦和電車区から103系10両分併編成×3本30両が転入した。浦和電車区からの転入車は、(蘇我方)TcMM'Tc+TcMM'MM'Tc(西船橋方)で、付属編成が従来のMcM'TTc(以下:クモハ付属編成)と転入車のTcMM'Tc(以下:クハ付属編成)の2種類になった。また、編成番号は基本編成が100台、付属編成が200台となり、同年4月1日までに、豊田・川越電車区からの転入車を受けて、基本編成×13本(101〜113編成)、クモハ付属編成×10本(201〜213編成)、クハ付属編成×5本(211〜215編成)の体制となった。 1993年12月1日から各駅停車終日10両化に伴い、新習志野駅での分割・併合が終了。1994年4月1日時点では、基本編成×13本(101〜113編成)、クモハ付属編成×9本(201〜203・205〜210編成)、クハ付属編成×4本(204・211〜213編成)の体制となった。上記に伴い同年から、分割・併合をしない固定編成(10両非分併編成)へ変える動きが始まり、まず101編成の中間に、浦和電車区から4両を借り入れて、中間先頭車の無い10両編成を組成した。109編成の中間に、209編成をTc-McM'Tに組替て組成した、10(4+6)両編成が誕生、この編成は分割・併合をしない非分割編成となった。なお、これらの編成の編成番号は300台が付けられた。 1996年1月26日と2月9日に5両ずつ、浦和電車区より103系が転入、同年3月30日に10両貫通編成に組成して、輸送力の増強に当てた。浦和、川越、豊田、中原、習志野、松戸の各区からの車両の転入・転出も盛んになり、習志野電車区から1次改良形クハ103-188の転入があり、また、編成の組替により、同年10月1日時点で、10両分割編成×7本、10両貫通・非分割編成×6本となった。その後も、浦和電車区からの転入と老朽廃車が続き、2000年4月1日時点では、10両分併編成×7本(基本編成×7本、クモハ付属編成×6本、クハ付属編成×1本)、10両貫通編成×5本、10両非分割編成×2本となった。 2000年8月〜11月と、2001年6月〜9月かけて、三鷹電車区から201系が転入し、2001年10月1日時点では、10両分併編成×2本(基本編成×2本、クモハ付属編成×1本、クハ付属編成×1本)、10両貫通編成×4本、10両非分併編成×1本まで減少した。 2002年3月三鷹電車区から205系が転入、10両分併編成のクモハ付属編成(204編成)+基本編成(104編成)×1本の運用が、7月と8月に山手電車区から205系が転入、10両分併編成のクハ付属編成(202編成)+基本編成(102編成)×1本の運用が終了した。2002年6月26日に、大宮工場でモハ103-502にDDM駆動改造を施工し、304編成のサハ103-182と差し替え試運転の後、定期運用にて試験走行をした。同車は、2003年12月10日に唯一残った10両非分割編成304編成と共に廃車された。これにより同編成の運用が終了した。この時点では、10両貫通編成×4本が残っていたが、2004年4月1日の京葉車両センターへ改称時点では、1本減の10両貫通編成×3本となった。 2005年9月〜11月にかけて、東京総合車両センターから205系が転入、最後の302編成が11月18日をもって運用を終了し、19年にわたる同線の青22号の103系の活躍にピリオドが打たれた。302編成のクハ103-713の車体の一部は鉄道博物館で展示され、同車は2017年4月17日以降に、館内のリニューアルに伴い、車体の塗装を青22号から、車体が白色で、JR東日本で見られた車体色を水玉模様に散りばめたデザインに塗り替わっている。 過去に京葉車両センターに配置されていた車両(京葉線用) E331系 205系0番台(京葉前面車) 205系0番台(原型前面車) 201系 103系(青22号)
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