京葉線用とは? わかりやすく解説

京葉線用

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 00:42 UTC 版)

京葉車両センター」の記事における「京葉線用」の解説

E331系電車全体出典…) 量産先行車14編成1本が配置されていた。編成番号はAK1であった2007年3月18日ダイヤ改正より京葉線営業運転開始整列乗車観点から平日ラッシュ時投入避けられ土曜休日のみの限定運用であったが、運行開始直後同年5月に、新機軸不調による機器改良のため運用から外れた2008年12月運用復帰したが、2009年に再び運用離脱2010年4月3日から土曜休日のみの運用再開その後2011年から定期運用から離脱していた。 当形式E233系5000番台投入に伴う置き換え対象外であったが、2014年4月2日付で廃車され、形式消滅した205系電車全体出典…) 0番台京葉タイプ前面10両編成×12本(最高速度110km/h対応、ケヨ1~12編成120両)と、三鷹電車区山手電車区から転入した原型前面10両編成×7本(110km/h非対応、ケヨ2227編成70両)の計19190両が配置されていた。 1990年3月1日京葉電車区発足時新製配置され車両先頭は、前部標識灯が下段にあり、前面ガラス曲面形状であり、FPR部分白く前面全体を覆う構造である。外房線設備改良伴って最高速度上のため1995年12月1日までに全編成に110km/対応改造施工した。 原型前面車は、2002年4月三鷹電車区からの転入車がケヨ21編成2002年2004年山手電車区からの転入車がケヨ2227編成であった転入編成の内ケヨ21編成客室ドア窓が大型構造量産車後期形、ケヨ2227編成の内、ケヨ22・23編成の2本は、客室ドア窓が小型構造量産車前期形、ケヨ2427編成の4本は、客室側窓が二段式の量産先行車編成であった原則として内房線外房線千葉蘇我間を含む)へは京葉タイプ前面車(110km/h対応編成)のみが入線したが、ダイヤ乱れた場合原型前面車(110km/h非対応編成)も代走入線した。 2007年1月21日川越線踏切事故に伴い埼京線205系1本の一部車両使用不能となった為、代替車両としてケヨ21編成モハ1ユニットモハ205・204-277)が川越車両センター転出、同編成の8両は運用離脱し保留車となった2007年3月18日ダイヤ改正に伴い同年2月にケヨ23編成運用離脱サハ2両を保留車として残した上で、他8両が武蔵野線運用車に転用され、同線の列車増発分に充てられた。また、2009年3月14日ダイヤ改正に伴い横浜線増発用として武蔵野線運用車1本を転出することになり、上記により保留車となっていたケヨ21編成の8両が、5000番台化され武蔵野線運用車に転用2009年4月30日に、2007年3月18日ダイヤ改正時に保留車となったサハ2両を、元ケヨ23編成武蔵野線運用車の中間モハ1ユニット入れ替えて鎌倉車両センター転出した。 ケヨ8編成2010年7月28日サハ2両を外し8両編成となり編成番号を「81」として、武蔵野線から東北貨物線経由大宮への直通運転先立ち一時的に乗務員訓練車となったE233系投入完了したことにより、2011年7月25日をもって同線での定期運用終了京葉タイプ前面車の内、ケヨ11・12編成を除く10本の先頭車東京2・3号車のモハユニット(計40両)は、宇都宮線・日光線用に転用され小山車両センター転属した(うちY3編成(元ケヨ4編成観光車両「いろは」に再改造)。その他の編成はケヨ24編成除き3両が長野総合車両センター転用改造施工後、富士急行譲渡、ケヨ24編成蘇我方の3両(クハ205-1、モハ205-1、モハ204-1)は、2011年9月30日除籍直前29日大宮総合車両センター搬送後、しばらく留置された。 2012年10月からセンター内大宮グローアップスクエア」の検修技能訓練所にて、職員検修技能アップのために使用されている。 201系電車全体出典…) 0番台 10両分編成×4本(4両(K1〜K4編成)+6両(5154編成)、40両)、10非分編成×3本(7173編成30両)、10貫通編成×2本(7074編成20両)の計9本90両が配置されていた。10非分編成10貫通編成三鷹電車区(現・三鷹車両センター)から中央・総武緩行線用の10(4+6)両編成転入させたものであった。 これら3種類のうち最初に京葉車両センター配置されたのが10両分編成である。中央・総武緩行線E231系0番台投入捻出された201系10両分編成は、日常的に分割・併合を行う京葉線へと2000年8月1日8月26日10月18日11月3日に計4本が転入し、K1~K4編成+5154編成付番された。この際車両黄色5号から青22号外部塗装の変更と、両先頭車停車駅通過防止装置取付中間先頭車には自動解結装置取付された。京葉線内と、外房線蘇我 - 勝浦間・東金線全線への乗り入れ運用使用分割・併合外房線誉田駅行い4両編成成東6両編成勝浦まで運用された。 103系10非分編成置き換えのため2001年6月8日8月4日9月27日に、分割・併合未対応201系10(4+6)両編成3本30両が転入した7173編成付番6月9月転入車中間は、900番台含まれていた。詳細下記)。2005年11月2日900番台廃車となり、それ以外で4+6両の非分編成組成、新72編成とした。2007年2月8日3月21日に、京葉線用205系10両編成計2本の転用転属に伴う運用離脱の為、穴埋めとして、豊田電車区から、元中央線快速用の10貫通編成×2本計20両が転入した209系500番台転入に伴い2008年12月5日12日10貫通編成×2本(7074編成)が、2009年1月23日10非分編成×1本(71編成)が廃車された。2009年2月6日に、K1+51編成中間先頭車クハ201-37・200-36)以外の8両と72編成中間先頭車クハ201-103・200-104)が廃車、K1+51編成残った中間先頭車72編成組み込み、新K1+51編成改編した。 E233系5000番台投入に伴い2011年6月20日K4+54編成にて、定期営業運行終了した900番台 上記転入編成の中で900番台は、2001年6月8日転入72編成に4両、9月27日転入73編成に6両が組み込まれ900番台先頭車は、転入前から中間先頭車として組み込まれていたため、転入後も同番台先頭車として運用されることはなく、モハ201-902〜904のパンタグラフは、新製時両端に1個ずつ配置していたが、量産化改造時に片側モハ200-900寄り)を撤去した為、パンタ取付台跡があった。 2005年9月から11月まで置き換え用に東京総合車両センターから205系10両編成計4本40両が転入したことに伴い201系900番台は各編成から抜かれ2回に分けて大宮総合車両センター回送され、2005年11月2日廃車された。置き換え後は900番台以外の10両が72編成となり、73編成欠番となった103系電車青22号)(全体出典…) 1986年3月3日前身津田沼電車区新習志野派出発足時に、分割・併合可能にした103系10(4+6)両編成10両分編成)×7本70両を所属所を津田沼電車区として配置6両編成基本編成4両編成付属編成とした。配置当初編成は、(蘇我方)TcMM'Tc+McM'TMM'Tc西船橋方)の4+6両で、編成番号両者とも400台が付けられ付属編成には「附」をつけて区別した。なお、西船橋方が基本編成蘇我方が付属編成組成されていた。車両運用は、朝夕通勤帰宅時間帯10両編成で、それが終わると新習志野駅付属編成分割し日中深夜基本編成6両編成運転した同年9月1日日中利用率芳しくない為、基本編成4両、付属編成6両と変更して日中深夜運用4両編成とし、編成を(蘇我方)McM'TMM'Tc+TcMM'Tc西船橋方)とした。また、所属区所は習志野電車区改称した1988年12月1日新木場南船橋間・市川塩浜西船橋開業千葉港蘇我旅客営業開始に、浦和電車区から103系10両分編成×330両が転入配置10両分編成×10100両に増強された。同開業に伴い運用車両全先頭車にはATS-P形取付けられたが、先頭クモハ受信機取付に伴い前面運行番号表示機窓埋め表示機は前面窓移設した。また、編成の組替を行い基本編成6両、付属編成4両とし、編成は(蘇我方)McM'TTc+TcMM'MM'Tc西船橋方)となり、日中深夜運用6両編成での運転となった。同開業に伴うATS-P形取付工事による、車両不足の時や、開業後の予備兼用として、所属区所の中央・総武緩行線103系10貫通編成2本を充当した1990年3月1日京葉電車区発足時に、習志野電車区から京葉線運用車両103系10両分編成×10100両及び、浦和電車区から103系10両分編成×330両が転入した浦和電車区からの転入車は、(蘇我方)TcMM'Tc+TcMM'MM'Tc西船橋方)で、付属編成従来McM'TTc(以下:クモハ付属編成)と転入車TcMM'Tc(以下:クハ付属編成)の2種類になったまた、編成番号基本編成100台、付属編成200台となり、同年4月1日までに、豊田・川電車区からの転入車受けて基本編成×13本(101113編成)、クモハ付属編成×10本(201213編成)、クハ付属編成×5本(211215編成)の体制となった1993年12月1日から各駅停車終日10両化に伴い新習志野駅での分割・併合終了1994年4月1日時点では、基本編成×13本(101113編成)、クモハ付属編成×9本(201203205210編成)、クハ付属編成×4本(204211213編成)の体制となった上記に伴い同年から、分割・併合をしない固定編成10非分編成)へ変える動き始まり、まず101編成中間に、浦和電車区から4両を借り入れて中間先頭車の無い10両編成組成した。109編成中間に、209編成をTc-McM'Tに組替て組成した、10(4+6)両編成誕生、この編成分割・併合をしない非分編成となった。なお、これらの編成編成番号300台が付けられた。 1996年1月26日2月9日に5両ずつ、浦和電車区より103系転入同年3月30日10貫通編成組成して、輸送力増強当てた浦和川越豊田中原習志野松戸各区からの車両転入転出盛んになり、習志野電車区から1次改良形クハ103-188の転入があり、また、編成の組替により、同年10月1日時点で、10両分編成×7本、10貫通非分編成×6本となったその後も、浦和電車区からの転入老朽廃車続き2000年4月1日時点では、10両分編成×7本(基本編成×7本、クモハ付属編成×6本、クハ付属編成×1本)、10貫通編成×5本、10非分編成×2となった2000年8月11月と、2001年6月9月かけて、三鷹電車区から201系転入し2001年10月1日時点では、10両分編成×2本(基本編成×2本、クモハ付属編成×1本、クハ付属編成×1本)、10貫通編成×4本、10非分編成×1本まで減少した2002年3月三鷹電車区から205系転入10両分編成クモハ付属編成204編成)+基本編成104編成)×1本の運用が、7月8月山手電車区から205系転入10両分編成クハ付属編成202編成)+基本編成102編成)×1本の運用終了した2002年6月26日に、大宮工場モハ103-502にDDM駆動改造施工し304編成サハ103-182と差し替え試運転の後、定期運用にて試験走行をした。同車は、2003年12月10日唯一残った10非分編成304編成と共に廃車された。これにより同編成運用終了した。この時点では、10貫通編成×4本が残っていたが、2004年4月1日京葉車両センター改称時点では、1本減の10貫通編成×3となった2005年9月11月にかけて、東京総合車両センターから205系転入最後302編成11月18日をもって運用終了し19年にわたる同線の青22号103系活躍ピリオド打たれた。302編成クハ103-713の車体一部鉄道博物館展示され同車2017年4月17日以降に、館内リニューアルに伴い車体塗装青22号から、車体白色で、JR東日本見られ車体色水玉模様散りばめたデザイン塗り替わっている。 過去京葉車両センター配置されていた車両(京葉線用) E331系 205系0番台京葉前面車) 205系0番台原型前面車) 201系 103系青22号

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