武蔵野線用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 00:42 UTC 版)
205系電車 (全体の出典…) 「豊田車両センター#過去の配置車両」も参照 当センターの武蔵野線用205系の配置は、豊田電車区(現・豊田車両センター)に1991年9月27日〜10月30日までに投入された京葉前面車8両編成×5本と、2002年3月 - 2004年2月にかけて武蔵野線用103系の置き換えのために5000番台に改造した原型前面車8両編成×8本、計13本104両が、2004年3月13日のダイヤ改正に伴い、同電車区から後述の103系と共に転入した転入車から始まった。転入後はE231系500番台投入により捻出された山手線用205系0番台を、武蔵野線用に8両編成化と5000番台化の転用改造を施工して、2005年まで投入された。なお、編成は、0番台のみで構成されていた6M2T編成と、制御車のクハ2両と付随車のサハ2両は0番台であるが、電動車のモハ4両は5000番台で構成されていた4M4T編成の2種類の構成であった。よって、0番台のみの編成は0番台に、5000番台を含む編成は5000番台に区分して記述する。なお、JR東日本より武蔵野線用205系336両を、2018年3月から2020年にかけてインドネシアの鉄道会社「PT Kereta Commuter Indonesia」へ譲渡することが発表され、2020年10月21日までに全車廃車扱いとなったが、車両自体はインドネシアで存在している。 0番台 前述のダイヤ改正伴い、豊田電車区から後述の5000番台とともに転入(後述の103系も含む)した8両編成×5本(M61 - M65編成 40両)と、2007年3月18日のダイヤ改正に伴う列車増発分として、京葉線用10両編成(原型前面車、110km/h非対応)1本のサハを保留車として編成から外し、残りの8両(6M2T)を武蔵野線用に転用した8両編成×1本(M66編成 8両)及び2015年3月14日のダイヤ改正に伴う武蔵野線増発及び南武線へE233系8000番台投入に伴い、同年2月2日と3月5日に中原電車区から205系6両編成3本を組成変更して転入した8両編成×2本(M51・M52編成 16両)計8本64両が配置されていた。 M61 - M65編成は、京葉線用と同じく前面デザイン変更車(京葉タイプ前面車)であるが、FRP部分は銀色に塗られている。M51・M52・M66編成の先頭車の前面は、原型前面車である。 M61編成は5000番台への改造種車が不足したため、編成を5000番台化、1ユニット(モハ205・204-393)はM32編成へ組込み、残りの6両は東京総合車両センターからサハを組込み、編成を6M2T→4M4Tに組成して、2008年12月17日にM35編成と改番した(詳細は下記)。 M66編成は2009年3月18日のダイヤ改正に伴い、横浜線増発用として保留車のサハと中間のモハ1ユニットを差し替えて2009年4月30日に鎌倉車両センターへ転出した。また、M51・M52編成は、ナハ5・6・9編成を組合わせた組成変更車で、ナハ5編成4両+ナハ6編成4両での組成分がM51編成、ナハ6編成2両+ナハ9編成全車での組成分が、M52編成であった。 0番台のPT Kereta Commuter Indonesiaへ譲渡に伴う廃車は、2019年6月29日のM51編成から始まり、その後はM64(同年7月13日)→M62(同年8月10日)→M63(同年8月24日)→M65(同年10月5日)の順で廃車、同年10月26日のM52編成の廃車をもって、205系0番台は武蔵野線での運用が終了した。 5000番台 主回路改造車両5000番台(MM'車のみ。Tc・T車は0番台)8両編成×36本(M1 - M36編成 258両)が配置されていた。 5000番台の先頭車は、M35編成を除き原型前面車で、編成のうち、M1 - M8編成は豊田電車区から、M9 - M14・M16 - M31・M33・M34編成は山手電車区から、M15編成は中原電車区からの転入である。なお、一部の編成のサハ2両は、川越電車区(現・川越車両センター)からの転入である。M32編成の6両とM35編成サハ2両は山手電車区からの転入であるが、M32編成のモハ205・204-5064の2両とM35編成の6両は、豊田電車区から転入の京葉タイプ前面車元M61編成である(詳細は下記)。M36編成は、2002年3月16日に三鷹電車区から転入した、京葉線用205系10両編成の内の8両である(詳細は前述)。一部のモハ204-5000は、種車に補助電源装置のMG(電動発電機)が撤去された車両からの改造の為、SIV(静止型インバータ)を搭載している。 計画では、武蔵野線用5000番台は34編成で終了の予定であったが、山手線用205系0番台の八高・川越線への転用計画の変更などから同線からの転用が中止になり、5000番台への改造種車が不足する事態となった。それに伴い、南武線に先頭車改造編成を集中配置するために、2005年6月30日に中原電車区の205系0番台を5000番台化した6両と、川越車両センターのサハ2両を転入させた。不足分は、京葉タイプ前面車M61編成の改造で賄い、編成を5000番台化、1ユニット(モハ205・204-393)はM32編成へ組込み、残りの6両は東京総合車両センターからサハを組込み、編成を6M2T→4M4Tに組成して、M35編成と改番した。その際、モハ204-393を種車として改造予定のモハ204-5064に搭載するMGが改造完了まで間に合わないため、種車をモハ204-392に振り替え、ユニットを分解された。そのため、M32編成のモハ205・204-5064の種車はモハ205-393+モハ204-392、M35編成のモハ205・204-5069の種車はモハ205-392+モハ204-393となった。2005年4月6日に、M5・M10・M17編成の相互間で、また、同年10月頃にM23・M26編成とでMM'車の差替えが実施された。 2009年3月18日のダイヤ改正に伴い、横浜線増発用にM66編成を捻出、その補充分として2008年12月5日と17日に京葉線用10両編成の内8両(詳細は前述)を5000番台化して、M36編成として運用を開始した。2012年度に、M28 - M36編成の行先表示器を幕式からLED表示器に換装した。 5000番台のPT Kereta Commuter Indonesiaへ譲渡に伴う廃車は、2018年3月3日のM24編成から始まり、2018年が10編成、2019年が11編成(前述の0番台を含めると18編成)、2020年は14編成が廃車された。最後に残ったM20編成が2020年10月19日に武蔵野線での運用を終了し、同年10月21日付で廃車。当センターの205系の配置が消滅した。 103系電車(朱色1号)(全体の出典…) 1988年12月1日の京葉線新木場・蘇我延伸開業に伴い、京葉線に乗り入れるため運用車両の全先頭車にはATS-P形が取付けられることになり、先頭のクモハは京葉線用と同様の措置がとられた。乗り入れ開始当時は6両編成であったが、1991年12月1日のダイヤ改正から一部が8両編成となり、1996年12月1日のダイヤ改正で、全編成の8両編成化が完了した。 2004年3月13日ダイヤ改正に合わせて豊田電車区から武蔵野線運用車両103系8両編成×27本216両が転入、同年度にE20・22編成の内TcMM'Tc×2本とE21・27編成の内McM'TTc×2本の計16両がインドネシアの鉄道会社のPT Kereta Api(現.PT Kereta Commuter Indonesia)に譲渡された。2005年4月25日のJR福知山線脱線事故に伴い、2005年7月28日にE38編成がJR西日本に急遽譲渡とされることになった。JR西日本譲渡車のうち先頭車2両は広島運転所(現・下関総合車両所広島支所)に配置され、高運転台に広島色という初の組み合わせとなった。中間車は宮原総合運転所(現・網干総合車両所宮原支所)から日根野電車区(現・吹田総合車両所日根野支所)へと、森ノ宮電車区(現・吹田総合車両所森ノ宮支所)に分散配置された。 その後、東京総合車両センターなどから転入した205系5000番台により置き換えられ、2005年12月8日に最後まで残ったE15編成をもって武蔵野線での運用が終了し当センターの103系の運用が終了した。 過去に京葉車両センターに配置されていた車両(武蔵野線用) 205系0・5000番台(新製・京葉タイプ前面車)5000番台はM35編成のみ 205系0・5000番台(転入・原型前面車) 103系(朱色1号)写真の車両はJR西日本に譲渡されたが、既に廃車となっている。
※この「武蔵野線用」の解説は、「京葉車両センター」の解説の一部です。
「武蔵野線用」を含む「京葉車両センター」の記事については、「京葉車両センター」の概要を参照ください。
- 武蔵野線用のページへのリンク