創価学会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 02:47 UTC 版)
沿革
前史
1930年代
- 1930年(昭和5年)
- 11月18日 - 牧口の『創価教育学体系』第1巻が発行される。戸田は「戸田城外」を名乗る。創価学会ではこの日を創立記念日としている。また、「創価教育学支援会」も結成された[104]。
- 1937年(昭和12年)
- 1939年(昭和14年)
- 12月 - 「創価教育学会」第1回総会。
1940年代
- 1940年(昭和15年)
- 1941年(昭和16年)
- 7月 - 機関紙「価値創造」創刊
- 11月 - 創価教育学会第3回総会。
- 1942年(昭和17年)
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)
- 11月18日 - 牧口が東京拘置所内で死去。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年)
- 7月 - 機関誌『大白蓮華』創刊。
1950年代
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)
- 3月 - 参謀室設置
- 10月 - 大石寺に青年部1万人が登山し、出陣式[6]。
- 11月 - 文化部設置
- 12月 - 渉外部設置。部長には池田が任命。
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)
- 1月 - 戸田が宗門64世法主水谷日昇の隠退表明を拝して「先代牧口先生当時から学会は猊座の事には一切関知せぬ大精神で通して来たし、今後もこの精神で一貫する。これを破る者はたとえ大幹部といえども即座に除名する」との談話を発表[SG 32]。同日の寸鉄では「(創価学会は日蓮正宗の)法主を宗祖大聖人としておつかえ申上げる、どなたが法主様でも一貫不変、これ信者の大精神。」と評した[SG 33]。「日昇#略歴」も参照
- 7月 - 第4回参議院議員通常選挙に6名の候補者を擁立。大阪支部長の白木義一郎ら3名が当選。
- 12月 - 法務省刑事局は「その信条に基づく行動に暴力的な動向が顕著」「多数の青年行動隊を軍隊の組織区分に準じて編成し、この折伏の実践に当たらせている」として創価学会を新興右翼団体と認定した[110](後に認定解除)
- 1月 - 戸田が宗門64世法主水谷日昇の隠退表明を拝して「先代牧口先生当時から学会は猊座の事には一切関知せぬ大精神で通して来たし、今後もこの精神で一貫する。これを破る者はたとえ大幹部といえども即座に除名する」との談話を発表[SG 32]。同日の寸鉄では「(創価学会は日蓮正宗の)法主を宗祖大聖人としておつかえ申上げる、どなたが法主様でも一貫不変、これ信者の大精神。」と評した[SG 33]。
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)
- 3月 - 日蓮正宗の総本山大石寺の大講堂が完成。学会では「大講堂落慶記念総登山」と呼んだ。延べ20万人余の会員が参加。詳細は「戸田城聖#大講堂竣工と突然の死」を参照
- 3月16日 - 「広宣流布の模擬試験」が大石寺大講堂で行われ、青年部員6,000人が参加、戸田が広宣流布の一切の後事を青年部全体に託した[SG 35]。「大講堂 (大石寺)#概要」も参照
- 4月 - 1日に戸田が体調を崩し駿河台日本大学病院に緊急入院[SG 36]。2日に死去[SG 37]。
- 5月 - 戸田の四十九日法要を機に開かれた臨時幹部会において戸田の七回忌まで後継者となる新会長を立てないことを決定、戸田幾、細井日達立会いの下、池田、石田、和泉、柏原らが誓約書に署名[SG 38]。
- 6月30日 – 本部幹部会で「総務」ポストの新設が発表され、池田が就任。
- 3月 - 日蓮正宗の総本山大石寺の大講堂が完成。学会では「大講堂落慶記念総登山」と呼んだ。延べ20万人余の会員が参加。
- 1959年(昭和34年)
- 6月 - 池田が青年部参謀室長を辞任し、総務職に専念。
1960年代
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 10月 - 「民主音楽協会」を設立。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)
- 7月 - 『聖教新聞』が日刊化。
- 10月9日〜12日 - 正本堂建立のため4日間の供養が行われ355億円が集まる。詳細は「正本堂 (大石寺)#概要」を参照
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)
- 12月2日 - 言論出版妨害事件が表面化。
1970年代
- 1970年(昭和45年)
- 1月 - 総務会の決定で副会長職を設置。秋谷栄之助、北条浩、森田一哉の3人が就任[116]。同時に公明党中央執行委員長、書記長が学会職務を離れることも決定。
- 5月3日 - 池田が「言論出版妨害事件」について公式に謝罪。創価学会と公明党を組織的に分離することなど組織改革を表明し、即日実行。詳細は「言論出版妨害事件#池田の公式謝罪」および「公明党#創価学会との関係、政教分離問題」を参照
- 1971年(昭和46年)
- 4月2日 - 「創価大学」開学(学部・学科の沿革は創価大学を参照)。
- 1972年(昭和47年)
- 5月5日 - 池田、アーノルド・J・トインビーと最初の対談を行う[117]。
- 10月 - 正本堂完成。
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)
- 10月 - 妙信講(現在の冨士大石寺顕正会)男子部約70名が創価学会本部(創価文化会館)を襲撃し、創価学会の会館警備をしていた牙城会メンバーと乱闘騒ぎを起こす。詳細は「和泉覚#創価学会本部襲撃事件」を参照
- 12月5日 - 中国訪問中の池田が中国国務院総理の周恩来と会見。詳細は「周恩来と池田大作の会見」を参照
- 12月 - 日本共産党との間で、向こう10年間の「相互不干渉」、「共存」をうたった「創共協定」を締結[118]。詳細は「日本共産党と創価学会との合意についての協定」を参照
- 10月 - 妙信講(現在の冨士大石寺顕正会)男子部約70名が創価学会本部(創価文化会館)を襲撃し、創価学会の会館警備をしていた牙城会メンバーと乱闘騒ぎを起こす。
- 1975年(昭和50年)
- 1月 - グアム島において、創価学会の海外組織である「創価学会インタナショナル」(SGI)が設立される。池田が会長に就任。
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)
- 1979年(昭和54年)
- 4月24日 - 池田が会長職を辞任し、名誉会長に就任。理事長だった北条が第4代会長に就任。理事長には森田が就いた。創価学会会則の制定により会長の任期を終身から5年に変更。「#名誉会長と歴代会長」も参照
- 4月26日 - 池田が法華講総講頭を辞任。他の法華講と同様に日蓮正宗の監督を受けることを約束する。日達は池田を法華講名誉総講頭に任ずる。
- 5月3日 - 日達が創価学会第40回本部総会において問題の収束を宣言。ここに第一次宗創問題が終結する。
- 7月22日 - 日達が遷化(死去)(77歳没)。
- 8月6日 - 阿部日顕が宗門第67世法主に登座し、御座替りの儀式、および御盃の儀を行う[SG 42]。
- 4月24日 - 池田が会長職を辞任し、名誉会長に就任。理事長だった北条が第4代会長に就任。理事長には森田が就いた。創価学会会則の制定により会長の任期を終身から5年に変更。
1980年代
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)
- 7月18日 - 北条が死去。副会長だった秋谷が第5代会長に就任。以後、2006年(平成18年)に辞任するまで秋谷は6選を果たす。
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)
- 1月 - 池田が「法華講総講頭」に再任[120]。
- 1985年(昭和60年)
- 1989年(昭和64年/平成元年)
- 7月16日 - 横浜市旭区の産業廃棄物処分場に現金約1億7000万円の入った金庫が捨てられていたが、これが創価学会幹部によるものと判明。批判を受ける[121]。
1990年代
- 1990年(平成2年)
- 7月16日 - 日顕ら日蓮正宗上層部が創価学会破門に向けた「C作戦(創価学会分離作戦)」を計画[注 7]
- 11月16日 - 本部幹部会で池田が日蓮正宗宗門並びに日顕を批判する発言を行う[120]。学会側は「名誉会長(池田)は(後述の)「お尋ね」文書にあるような発言を全くしていない」として反論[注 8]。
- 12月16日 - 日蓮正宗宗門が前月の池田の発言内容について「第三五回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね」とする文書で質問[120]。「お尋ね」文書の内容は、池田が僧侶を批判した、四箇格言を否定し、親鸞を好意的に評価した、外道(仏教以外)の歌である『歓喜の歌』を評価した、などとして批判する内容。学会側は反論[122][SG 46]。
- 12月27日 - C作戦発動。日蓮正宗宗門は法華講総講頭に任期制を導入、これにより1990年(平成2年)末の任期終了と共に池田は法華講総講頭の資格を自動的に失い、第二次宗門問題が勃発する。
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)
- 8月6日 - 池田、『新・人間革命』執筆に着手[128]。
- 9月7日 - 栃木県小山市・淨圓寺所蔵の享保5年(1720年)の日寛書写の曼荼羅御本尊を御形木御本尊として、日本全国および世界の会員に授与することを総務会・参議会・教学部最高会議・県長会議および責任役員会の決議で決定し、同日開催の第70回本部幹部会で「御本尊授与に関する制定」を発表[SG 47]。
- 10月12日 - 日寛書写の曼荼羅御本尊の授与を開始[SG 6]。
- 10月 - 東京都八王子市に東京牧口記念会館が開館。
- 11月 - 第一次池田大作サリン襲撃未遂事件。オウム真理教がサリンによる池田の暗殺を計画。東京都八王子市の東京牧口記念会館周辺でサリンを噴霧。
- 12月18日 - 第二次池田大作サリン襲撃未遂事件。オウム真理教が東京都八王子市の東京牧口記念会館周辺でサリンを噴霧し、牙城会員数人が被害を受け、実行犯の新実智光が自らが撒いたサリンにより重体。この後、信濃町の本部、全国各地の会館、創価大学、創価学園など学会関連施設での警備が厳重になる。
- 1995年(平成7年)
- 9月 - 東京都・東村山市議会議員朝木明代の死に関連して市議が自殺前に創価学会を批判していたことから、創価学会が謀殺したとのデマが広まる。詳細は「朝木明代市議転落死事件」を参照
- 9月 - 東京都・東村山市議会議員朝木明代の死に関連して市議が自殺前に創価学会を批判していたことから、創価学会が謀殺したとのデマが広まる。
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)
2000年代
- 2004年(平成16年)
- 9月10日- 勤行様式を改定。
- 2006年(平成18年)
- 11月9日 - 秋谷が会長を辞任し、最高指導会議議長に就任。新会長には副理事長の原田稔が就任。同月、原田の会長就任披露を兼ねた、新時代第1回本部幹部会開催。本部幹部会の回数がリセットされ「学会新時代」の開始が宣言される。
- 2007年(平成19年)
- 9月22日 - 「広布第二幕」第1回青年部幹部会。以後、各部幹部会会合の回数がすべてリセットされる。
- 2008年(平成20年)
2010年代
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 11月4日 - 会長選出委員会が開催され、任期満了となった原田会長が再任された(2期目)[SG 51]。
- 2012年(平成24年)
- 12月19日 - 南元平和会館(旧ソニー・ミュージック信濃町スタジオ)跡地に建設された創価文化センター開館[SG 52]。
- 2013年(平成25年)
- 11月5日 - 創価学会総本部会館(仮称)の大礼拝室で名誉会長の池田を導師として落慶入仏式が執り行われた。8日に行われた落成記念勤行会の席上、総本部会館は広宣流布の大願を誓う殿堂であるとして「広宣流布大誓堂(こうせんるふだいせいどう)」と命名すると発表、信濃町に所在する学会関連施設全体の呼称が「創価学会総本部(そうかがっかいそうほんぶ)」となる[SG 53]。
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)
- 11月4日 - オンライン動画共有サイト「YouTube」で「SOKAnetチャンネル 創価学会公式」を開設し、動画掲載を開始。
- 11月7日 - 創価学会会則の一部改正を決議。第2代会長・戸田城聖の指導を引用し、前文に「創価学会仏」の文言を追加。「三代会長」の条文(会則第3条)に、「『三代会長』の敬称は、『先生』とする。」という文言を追加[SG 58]。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)
- 2019年(平成31年/令和元年)
2020年代
- 2020年(令和2年)
- 1月11日 - 世界広布新時代第45回本部幹部会で御書全集の新版を2021年(令和3年)11月18日に発刊する計画を発表[SG 65]。
- 4月3日 - 総本部構成施設として建設された「創価宝光会館」の竣工引き渡し式を実施[SG 66]。
- 8月26日 - 世界広布新時代第46回本部幹部会を広宣流布大誓堂で開催[SG 67]。
- 9月15日 - 総本部構成施設として建設された「創価宝光会館」がオープン[SG 22][SG 68][SG 69]。
- 9月27日 - 同年10月2日に「世界平和の日」から60周年を迎えることを記念した「世界青年部総会」が総本部の創価文化センターを主会場にオンライン形式で開催され[SG 70]、名誉会長・SGI会長である池田大作からのメッセージを発表した(長男の池田博正主任副会長が代読する形式)[SG 71][SG 72][SG 73]。
- 11月1日 - 世界広布新時代第47回本部幹部会を広宣流布大誓堂で開催[SG 74]、2021年の年間テーマを「希望・勝利の年」に設定した旨を発表した。
- 2021年(令和3年)
- 1月7日 - 本部幹部会の回数をリセットした第1回本部幹部会を広宣流布大誓堂で開催[SG 75]。
- 1月31日 - 回数をリセットした第1回青年部幹部会を東京戸田記念講堂(東京都豊島区巣鴨)を主会場にオンライン形式・無観客で開催され[SG 76]、名誉会長・SGI会長である池田大作からのメッセージを発表した(長男の池田博正主任副会長が代読する形式)[SG 77]。
- 3月22日 - 藤田観光から2月に売却された太閤園の所有権移転が完了[130][131]。
- 4月18日 - 第3回本部幹部会を東京戸田記念講堂(東京・巣鴨)で開催し、婦人部・女子部を統合した「女性部」発足[注 1][注 9]の発表、新版御書全集の概要説明[SG 81][SG 82]、学会創立100周年記念事業である「関西池田記念大講堂」の建設計画を発表した[SG 15]。
- 4月21日 - 聖教新聞紙上で「関西池田記念大講堂」の建設計画を公表[SG 83]。
- 5月3日 - 婦人部の名称を「女性部」に変更する改正会則を施行[SG 84][SG 85][注 1]。
- 11月17日 - 第80回総務会で女子部を女性部に統合する会則改正と「創価学会社会憲章」制定[注 10]を承認[SG 86][SG 87]。
- 11月18日 - 改正会則と「創価学会社会憲章」を施行。『日蓮大聖人御書全集 新版』を発刊[SG 88]。
- 2022年(令和4年)
- 1月27日 - 中央社会協議会で第26回参議院議員通常選挙比例区で公明党を支持することを決定。同時に1994年に決定した各種選挙における支援の基本原則について「人物本位」であることを再確認した[SG 89][132]。
- 2023年(令和5年)
- 2月1日 - 年次活動報告書にあたるアニュアルレポートを刊行。公式サイト「Sokanet」での掲載を開始[SG 90]。
- 7月4日 - コロナ禍によって2020年2月から中断していた広宣流布大誓堂での「広宣流布誓願勤行会」を再開[133][134]。
- 10月26日 - 会長選出委員会が開催され、任期満了となった原田会長が再任された(5期目)[SG 91]、任期満了は2027年11月17日の予定。
- 11月15日 - 名誉会長・SGI会長である池田大作が老衰のため、95歳で死去[135][136][注 11]。
- 11月18日 - 創価学会広報室がSNSの「X(旧Twitter)」で「創価学会広報室」を開設。創価学会の宗教的独自性についてまとめた「創価学会教学要綱」を発刊。同日午後2時過ぎに読売新聞が池田の死去を速報[135]。午後3時過ぎに学会公式YouTube及び聖教新聞社公式YouTubeで池田の死去を伝える談話を収録した動画が公開された(現在は非公開)[137]。
- 11月19日 - 岸田文雄首相が自民党総裁の資格で創価学会本部別館を訪問し、弔意を学会の原田稔会長並びに池田の遺族代表の池田博正主任副会長に伝達。
- 11月23日 - 東京戸田記念講堂にて池田の「創価学会葬」を執行。
- 2024年(令和6年)
- 1月7日 – 本部幹部会の回数が再びリセットされ、東京戸田記念講堂で開催された。
- 1月30日 – ホテルニューオータニ(東京・千代田区)で池田の「お別れの会」を開催。
固有名詞の分類
- 創価学会のページへのリンク