京都・大阪連続強盗殺人事件 犯行の準備

京都・大阪連続強盗殺人事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 17:14 UTC 版)

犯行の準備

加古川刑務所を出所した廣田は、家族とともに滋賀県大津市内のホテルで一泊し、翌日(8月31日)に日本国有鉄道(国鉄)の京都駅で、妻から仮出獄前に用意させていた現金20万円を受け取り、実母とともに新幹線東京に向かった[22]。同日午後、千葉保護観察所に出頭した廣田は、担当の保護観察官と面接したが、仮釈放中の注意事項を話された際には素直に聞いており[120]、今後の生活方針については「就職先が決まるまで、しばらく母親の農業を手伝いたい」[116]「実家[注 5]で農業の手伝いをしながら仕事を見つけ、京都市に住む妻子を呼びたい」などと話していた[120]。同日16時ごろ、廣田は帰住先である実母宅[22](成東町)に赴いた[121]。同日夜、成東町の保護司が廣田の実家を訪れた際、廣田は久しぶりに再会した母親と歓談していた[120]

同年9月2日夜、廣田は母に対し、「明日東京へ仕事を探しに行く」と言い、3日4時40分過ぎごろに家を出て、5時18分発の成東駅(総武本線)の始発電車に乗って千葉駅へ向かった[22]。しかし本当の行き先は東京ではなく京都で、東京駅から新幹線に乗り、10時前後に京都駅に到着した[22]。当時、廣田は強盗でまとまった金を得ようと考えていたため、そのための凶器として、京都市上京区千本通沿いで買い物をした[22]。10時30分ごろ、廣田は(後に京都事件で凶器として用いた)ステンレス製の包丁[注 2]1本を千本通沿いの金物店で、ボウガン(全長約79 cm)1丁[注 18]とその矢(長さ約36 cm)6本・射撃用革手袋一双・サングラス1個を、それぞれ金物店近くの銃砲火薬店で購入し、観光者用の手提げ袋に入れている[22]。代金は合計8万円で[123]、うちボウガンと矢6本が5万5,000円だった[122]。この銃砲火薬店の店員によれば、この時に廣田が所持していた手提げ袋は、「旅行者が持つようなベージュっぽい色の編み込んだようなビニールでできた袋」(縦約70 cm×横約50 - 60 cm)で、金閣寺銀閣寺のような寺と五重塔のような図柄が黒で描かれ、ローマ字で「KYOTO」と書かれていた[124]。その後、ボウガンが長くて目立つため、銃床部分と先台部分を切り離そうと考え、前述の金物店で折りたたみ式のこぎり1本を追加で購入したほか、11時30分過ぎごろには銃砲火薬店でボウガンの撃ち方などの説明を受けた後、偽名を用いてボウガンなどの入った手提げ袋を預け、18時ごろ以降に受け取りに戻った[22]。その後、ボウガン本体をのこぎりで銃床部分と先台部分とに切り離したが、結局は凶器として使うことは断念し[注 19]、それぞれ別々の場所に捨てた[22]

その後、廣田は拳銃を奪うため、以下のように「放置バイクがある」と虚偽の申告をして警察官をおびき出そうとしたが、いずれも失敗に終わった[22]

  1. 亀山公園(京都市右京区)付近に行き、18時50分ごろ、近くの公衆電話から太秦警察署(現:右京警察署)へ電話をかけ、嵐山派出所へつないでもらうと、応対した派出所の警察官に「亀山公園に放置バイクがある。昨日から言っているのに何で見に来んのや。中央広場の看板がある所や。俺が見てたるさかい来いよ」などと言った[22]。そして、同公園南側入口付近で警察官を待ち伏せたが、出会うことはできず[注 20]、19時50分ごろ、公園東方の渡月橋北詰からタクシーに乗車し、千本北大路交差点付近(京都市北区座標)で下車した[22]
  2. 20時30分ごろ、千本北大路交差点付近にある北区衣笠北荒見町15番地の紙屋児童公園(座標)付近にあった公衆電話から、西陣署に電話して十二坊派出所につないでもらい、応対した警察官に対し「児童公園の前の大槻だが、公園の前に長い間バイクが放置してある。前から言ってある。早く来てほしい」などと言い、公園で警察官を待ち伏せた[126]。しかし、21時ごろに警察官が公園に赴く前に廣田はその場を離れてしまった[1]

このため、いったんは警察官をおびき出すことを諦めたが、下殿田派出所に勤務していた1967年(昭和42年) - 1968年(昭和43年)ごろ、職務上何度も出入りしていた南区内の質屋の経営者が老夫婦だったことを知っていたことから、その夫婦を包丁で脅すなどして金品を奪おうと決意し、警察官を装って同店に電話を掛けた[1]。そして、22時 - 22時20分ごろにかけ、「職務質問を受けている男が持っている腕時計などをそちらの店で買ったと言っているので、確認のために派出所まで来てほしい」などと嘘を言い、夫婦を店外に出てこさせようとしたが、相手が容易に応じようとしなかったため、失敗した[1]。廣田は23時30分ごろ、京都駅八条口近くのラーメン店でラーメンを食べ、翌4日1時40分[127]、京都駅八条口からタクシーに乗車したが、この時には先端30 - 40 cmを新聞紙で覆った細長い棒状のもの(長さ約1.4 m×直径約2.5 cm)を持っていた[128]。廣田は1時50分[127]、「京都スポーツサウナ」(東山区三条大橋東方)[1]に入店し[127]、同店で宿泊した[1]。滞在中、廣田はロッカールームで服を着替えたり、店内でラーメンを食べたりしてから仮眠室に入ったが、従業員によれば寝入ることはなく、じっと考え込んでいる様子だった[128]。廣田は7時40分にサウナを退店したが、その際には下着としてランニングシャツを着用し[129]、先述の棒状のものを持っており、タクシーに乗車して現場に向かっている[127]。その後、廣田は京都事件の約3時間前(10時ごろ)に今出川通千本東入ルの「ジャスコ」に立ち寄り、衣類やバッグなどを品定めしたが、この時点では先述の棒は持っていなかった[130]


注釈

  1. ^ a b c d 西陣警察署十二坊警察官派出所は、2022年時点では北警察署十二坊交番(所在地:京都市北区紫野十二坊町33-4)となっている[4]
  2. ^ a b c d 廣田が京都事件で凶器として用いた包丁(刃体の長さ約16.9 cm)は[1]、細身で堅刃の柳刃包丁[5]
  3. ^ a b c d e 澤地和夫は1980年1月、21年あまり勤務した警視庁を退職し、新宿に大衆割烹店を開店したが、経営が悪化し、1983年8月には1億5,000万円の負債を抱えて閉店に追い込まれ、一攫千金を狙って強盗殺人を計画した[45]。1984年10月11日、澤地は自分と同じく借金に苦しんでいた仲間の男2人(猪熊武夫・Pの両名。それぞれ死刑と無期懲役が確定)と共謀し、東京都北区の宝石商男性(当時36歳)を山梨県南都留郡山中湖村の別荘に誘い出して絞殺、現金や指輪など6,000万円相当を奪い、死体を床下に埋めた[45]。次いで同月25日、猪熊と共謀して埼玉県上尾市の女性金融業者(当時61歳)を土地をめぐる融資話で誘い出し、浦和市(現:さいたま市浦和区)内を走行中の車内で絞殺、現金2,000万円や指輪、預金通帳などを奪い、死体を別荘床下に埋めた[45]。1987年10月30日、東京地裁刑事第2部(中山善房裁判長)は澤地・猪熊を死刑、Pを無期懲役とする判決を言い渡し[45]東京高裁第9刑事部(内藤丈夫裁判長)も1989年3月31日に3被告人の控訴をいずれも棄却する判決を言い渡した[46]。その後澤地・猪熊の両被告人は最高裁に上告していたが、1993年3月に死刑執行が3年4か月ぶりに再開されると、澤地はそれに対する抗議の意図で[47]、最高裁第二小法廷(大西勝也裁判長)に対し上告取下書を提出[48]。同年7月7日付で上告取下書が送付・受理され、死刑が確定した[49]。しかし死刑は執行されず、再審請求中の2008年12月16日に東京拘置所で病死している(69歳没)[50]。なお、共犯の猪熊は1995年(平成7年)7月3日に最高裁第二小法廷(大西勝也裁判長)で上告棄却の判決を受け[51]、判決訂正申立も同月24日付の決定で棄却されたため[52]、同月25日付で死刑が確定している[53][54]。Pも7月3日付で第二小法廷から上告棄却の決定を受け[55]、同決定に対する異議申立も同月12日付の決定で棄却されたため[56]、無期懲役が確定している[57]
  4. ^ 雅晴の父親は1968年に死去している[30]
  5. ^ a b c d 本事件当時、成東町の実家には雅晴の母親と、弟夫婦が住んでいた[71]
  6. ^ 5人兄弟姉妹のうち、高校まで進学したのは雅晴だけだった[72]
  7. ^ 当時はオリンピック景気で警察官の希望者が少なく、京都府警は同郷の知人へのはがき作戦など、優秀な人材の確保に躍起になっていた[70]
  8. ^ 廣田の子供3人はいずれも男の子(1978年の事件時点でそれぞれ11歳、7歳、4歳)[74]。1984年12月時点では長男が17歳、次男が14歳、三男が11歳だった[75]
  9. ^ 西陣署では通常、派出所勤務の警官が当直明けや非番の日には、いったん拳銃を本署に預けて帰宅する規定になっているが、拳銃は幹部立ち会いのもとに保管庫に入れ、幹部がさらに確認することになっていた[84]
  10. ^ 廣田に拳銃を盗まれた巡査は、廣田とは別の金閣寺派出所に勤務していたが、16日夕方に拳銃を本署に預けて帰宅し、拳銃を盗まれた17日は非番、18日は公休で、19日の点検の際に初めて自分の拳銃がなくなっていることに気づいた[84]
  11. ^ 近畿相互銀行は、後の近畿大阪銀行(現:関西みらい銀行)。
  12. ^ 現場となった札ノ辻郵便局(南区東九条石田町)は当時、竹田街道の十条上ル約150 mに位置していた[90]
  13. ^ 拳銃が発見された場所は、六孫王神社の手水舎で、昼は近所の子供たちや散歩の人たちで賑わう場所だった[92]
  14. ^ 廣田の説明は、まず21日18時ごろ、自宅に男の声で「東寺で会って返す」という電話がかかり、次いで22日14時40分ごろになって「六孫王神社に隠しておく」という電話がかかってきたというもので、前者の「電話」を受けた際には署長に連絡していたが、結局「男」は姿を見せなかった。しかし、2度目の電話は拳銃の置き場所を変更する重要な電話にも拘らず、それを署長に連絡しないまま1人で現場に行ったことや、拳銃に素手で触れたり、実弾を抜き取るなど、「警察官としての初歩的な常識に欠ける行動」を取っていたため、廣田はそれらの不審点を追及された[93]
  15. ^ 廣田は「自宅に『犯人』から電話がかかってきた」として東寺境内に行き、「犯人」との接触が不成功に終わったにも拘らず、西陣署の幹部に対し「今日は犯人が現れなかったが、そのうち見つかりますよ」などと電話していたり、盗まれた拳銃を所持していた同僚の巡査に対し「君はこの事件のことで退職を考える必要はない」と話したりなど、拳銃発見の目処が立たない時期に不審な言動を取っていた[94]
  16. ^ 1978年に懲戒処分を受けた警察官の人数は272人(うち、免職者数は26人)で、どちらの人数も1979年(昭和54年) - 1983年(昭和58年)の人数を大きく上回っていた[100]
  17. ^ 京都地裁 (1980) は、拳銃窃盗が廣田の思惑とは異なり、警察の内部処理では済まず、予想外の社会的大騒ぎになったことや、郵便局強盗事件では被害者に騒がれ、簡単に諦めるなどした点から「衝動的な犯行」と認定した[83]
  18. ^ 廣田が購入したボウガン(ボウガン・モデル1300)は、最大有効射程距離25 mで、近距離なら瞬発力が強く、フライパンを貫通する威力があった[122]
  19. ^ 冒頭陳述で、検察官は廣田がボウガンを凶器として用いることを断念した理由について「試射がうまく行かなかったため」と述べている[75]
  20. ^ 廣田からの電話に応対した巡査部長は、同僚の巡査と2人で亀山公園まで出向いたが、バイクを見つけることは出来ず、派出所へ戻った[125]
  21. ^ 西陣署では、通常の派出所勤務では正午から13時まで休憩時間となっており、この時間帯にパトロールに出掛けることはほとんどなかった[131]。通常の巡回連絡の場合は、連絡簿などの書類を携帯して出掛けることが普通だったが、Aは事件当時、それらの書類を派出所に残していた[6]
  22. ^ 廣田と思しき男を目撃したタクシー運転手2人はいずれも、無線基地からの指示に基づいて目撃後、直ちに基地に通報した上、警察署に出頭している[141]
  23. ^ 「あんどれー」の従業員である女性は、廣田が来店した時間について「15時10分ごろ以降」と証言している[146]
  24. ^ 同店は、大阪事件現場の「永井ビル」から約56 mほどしか離れていなかった[146]。主に若い女性向けの店で、廣田のような中年男性が来客することはほとんどなかった[147]
  25. ^ この男は借金を申し出たが、身分証明書の提示を求められ、立ち去った[6]
  26. ^ 捜査段階では最終列車1本前の「ひかり530号」(京都駅20時37分発、東京駅23時42分着)に乗車したと見られていたが[160]、検察官の冒頭陳述によれば、乗車した列車は20時29分発である[161]
  27. ^ 警視庁は5日2時、警備中の各方面本部長に「廣田警戒」を連絡している[29]
  28. ^ また、大阪府内ではこの2件とは別に、9月6日 - 14日にかけて相次いで3件の殺人事件が発生・発覚していたため、府警はそれらの事件の捜査にも追われていた[167]
  29. ^ 消印は同月23日[169]
  30. ^ 『読売新聞』 (1984) では「7時25分ごろ」となっている[139]
  31. ^ 現:千葉市中央区都町。
  32. ^ 4人とも、当時は作業服を着用していた[180]
  33. ^ 当時の東京駅発東海道新幹線の最終列車。
  34. ^ ヘタを売る」とは、京都の極道筋の間で「面子を潰す」という意味合いで使われる言葉である[119]
  35. ^ 準抗告を行った理由は、「廣田は犯行を全面否認しており、犯行立証のために目撃者らに顔を確認してもらう必要があるが、拘置所にはその設備がない」「拘置所では時間の制約(起床時間が7時20分、就寝時間が21時)があり、十分な取り調べができない」「弁護人以外の接見を認めると、証拠隠滅などを図る虞がある」などだが、京都地裁は「被害者は現職警官であり、廣田は犯行を否認し、警察に強い反感を持っていることを考慮すれば、京都拘置所を拘置場所に指定した原判断は正当で、拘置所での面通しや実況見分が不可能とは認め難い。共犯者や組織を背景にした犯行とも認めがたく、廣田と共謀・同調して証拠隠滅を図る者がいるとも想定しにくい」との理由から、準抗告を棄却した[187]。目撃者たちに対する面通しは、京都地検で行われている[163]
  36. ^ バッグは発見時点でチャックが全開になっており、中には何も入っていなかった[156]
  37. ^ 廣田が「一緒に船岡山に行った」と自供した刑務所仲間3人のうち、1人は既に死亡しており、もう1人は服役中だったほか、残る1人もアリバイがあった[189]
  38. ^ この供述を受け、警視庁や京都府警などは、廣田のカバンが発見された地点から約6 km上流の江戸川に架かる市川橋国道14号)や総武線・京成本線の両鉄橋などの付近を捜索した[198]
  39. ^ 被告人質問が開始されるより前[40]
  40. ^ a b 京都府警では国家公安委員会規則に基づき、各警察官に貸与される拳銃については試射を行った上で、試射弾丸と試射薬莢を銃番号によって登録・保管する扱いになっている[229](参照[230])。
  41. ^ 「12時50分ごろ、以前のノミ行為の客に対する未回収金を取り立てるため、Xと2人で金閣寺小学校近辺にいた」[1]「13時ごろ、映画館に行った」と主張した[212]
  42. ^ 検察官は、死刑を選択する量刑事情を「強盗殺人の被害者が2人の事例を原則とする」と明言した[219]
  43. ^ この3人の目撃証言は、いずれも大阪事件直後(同日夜)から翌5日午前にかけて都島署で得られたが、3人ともまだ廣田に関する新聞報道やテレビニュースが出る前に証言を行っており、また互いに別々の部屋で聴取を受けていたため、3人で男の特徴などについて口裏合わせを行う機会はなかった[151]
  44. ^ 京都・千葉間の新幹線など利用料金(1往復半)で約3万5,000円、ボウガンの購入で約8万円を、また特殊浴場で2万円、ピンクサロンで10万円、着替え用衣服などで5万円を遣ったほか、宿泊代・食事代・タクシー代などで相当額を費消した[156]
  45. ^ 1999年(平成11年)11月25日、最高裁第二小法廷が再審請求事件についてした即時抗告棄却決定に対する特別抗告を棄却する決定[事件番号:平成11年(し)第182号]を出した[268]。2000年(平成12年)12月5日にも、第二小法廷が特別抗告棄却の決定[平成12年(し)第267号]を出している[269]
  46. ^ 福島は国政調査権を使い[270]、2008年7月に死刑確定者たちへアンケート用紙を郵送し(最終締切は同年8月末)[271]、郵送相手105人のうち78人から回答を得ている[270]
  47. ^ 2011年12月時点で新たな死刑確定者にも同様のアンケートを送付している[274]
  48. ^ a b 久間は冤罪を主張していたが[277]森英介法務大臣が発した死刑執行命令により、2008年(平成20年)10月28日に収監先の福岡拘置所で死刑を執行されている[278]
  49. ^ 大阪拘置所や大阪法務局が廣田の原稿の写しを作成したのは、2013年の訴訟における控訴理由書を作成するためだった[291]
  50. ^ 小林から取材を受けた警視庁OBは、1961年(昭和36年)から1962年(昭和37年)ごろは60年安保の後遺症から、若者の間で警察が不人気だった頃に高度経済成長も重なり、高卒者の求人が殺到していたことや、70年安保に向けて警察官の増員が求められていたことから、採用に当たっては質より人数が優先されたという可能性を指摘している[301]
  51. ^ 中国管区警察局長の鈴木達也は、大都市圏(首都圏や関西圏など)は警察官の需要の高さに反してなり手が少なく、地方出身者を多数採用する傾向にある一方、警察官の間では都会志向はあまり強くないため、優秀な地方出身者の多くは地元に残り、それより劣る者が大都市圏で警察官として就職し、「田舎者」としてのコンプレックス由来のストレスを抱えたり、周囲に知人がいないことで誘惑に弱くなったりすることで不祥事を起こす、という旨を指摘し、「地方出身者の指導は特に配慮が必要」と指摘している[302]
  52. ^ 刑事に不祥事を起こした者が少ない理由について、元近畿管区警察学校講師の板谷多一は「刑事は世間の裏表を知り尽くしており、上からの締め付けも厳しいため、人間的にできていないと務まらない。また、自分が逮捕して刑務所に送った者の家族がどれほどつらい目に遭っているかも知っているからだ」という旨を指摘している[303]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 判例時報 1989, p. 57.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 読売新聞』1984年9月5日東京朝刊第14版一面1頁「【京都、大阪】大阪 強奪短銃で店員射殺 有力容疑者に元警官 サラ金襲い逃走 警官殺害の3時間後」「【京都】ジュース缶に指紋」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号165頁。
  3. ^ a b c d e f g 京都新聞』1984年9月6日朝刊第17版一面1頁「短銃強奪射殺事件 広田 千葉で逮捕 実家前 29時間ぶり 犯行は全面否認 京へ護送 短銃の行方も不明」警察庁 “第3の事件”を厳戒 短銃早期発見を指示」「広田 警察に深い恨み 服役中から挑戦状」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号165頁。
  4. ^ 十二坊(じゅうにぼう)交番”. 北警察署(きたけいさつしょ). 京都府警察. 2022年5月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月7日閲覧。
  5. ^ a b 『京都新聞』1984年10月15日朝刊第17版第一社会面23頁「連続強殺 広田 現場近くで包丁購入 巡査殺害の凶器に」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)10月号505頁。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『京都新聞』1984年9月5日朝刊第17版一面1頁「警官を殺害、短銃強奪 直後、大阪で店員(サラ金)射殺 元警官に有力容疑 船岡山 背中に1発 止どめ」「大阪のサラ金強盗 京の事件と同一犯 第3の犯行厳戒」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号131頁。
  7. ^ a b c d e f 『京都新聞』1984年10月20日朝刊第17版一面1頁「連続強盗殺人 広田を一括起訴 物証えられぬまま 広田自供 検察側は自信 公判で波乱必至 広田、犯行否認の恐れ 弁護側の出方、焦点」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号653頁。
  8. ^ a b c 『京都新聞』1997年12月20日朝刊第17版一面1頁「府警元巡査部長の連続強盗殺人 広田被告の死刑確定へ 最高裁が上告棄却」(京都新聞社)
  9. ^ a b c d e 『京都新聞』1984年9月28日朝刊第17版一面1頁「広田、追及へ再逮捕 大阪府警 京都事件は処分保留」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号897頁。
  10. ^ 京都新聞社 1989, p. 50.
  11. ^ 朝日新聞』1984年10月20日東京朝刊第一総合面1頁「大阪地検、京都・大阪連続強盗殺人事件の広田を一括起訴 凶器など未発見で」(朝日新聞東京本社
  12. ^ 『朝日新聞』1984年12月24日東京夕刊第一社会面13頁「自供変転の果て 初公判の広田、真っ向から否認 連続強殺事件」(朝日新聞東京本社)
  13. ^ 『京都新聞』1990年10月23日朝刊第17版第一社会面23頁「連続強殺の広田被告 控訴審初公判 来年1月に」(京都新聞社)
  14. ^ 日本経済新聞』1993年4月30日大阪夕刊一面1頁「京都・大阪連続強盗殺人事件、広田被告、二審も死刑。」(日本経済新聞大阪本社
  15. ^ 毎日新聞』2014年5月23日大阪朝刊第二社会面26頁「京都・大阪連続強盗殺人:死刑囚の投稿、不許可取り消し--大阪地裁」(毎日新聞大阪本社 記者:堀江拓哉)
  16. ^ 『毎日新聞』2014年11月15日大阪朝刊第一社会面29頁「京都・大阪連続強盗殺人:出版社への送稿不許可訴訟 死刑囚が逆転敗訴--大阪高裁」(毎日新聞大阪本社 記者:堀江拓哉)
  17. ^ 『日本経済新聞』2014年5月23日大阪朝刊社会面16頁「死刑囚の原稿送らせず、大阪拘置所の処分を取り消し、地裁「表現の自由」。」(日本経済新聞大阪本社)
  18. ^ 神宮死刑囚の原稿発信認める 「表現の自由」と大阪地裁」『千葉日報』千葉日報社、2014年5月22日。2022年5月4日閲覧。オリジナルの2022年5月4日時点におけるアーカイブ。
  19. ^ a b 京都・大阪連続強盗殺人事件の死刑囚 原稿送付不許可で敗訴確定」『産経WEST産経デジタル、2016年6月2日、1面。オリジナルの2016年6月3日時点におけるアーカイブ。
  20. ^ a b 佐木隆三1 1988, p. 78.
  21. ^ a b c d e f g h 京都新聞』1988年10月25日夕刊第7版一面1頁「元警官広田に死刑 大阪地裁 連続強盗殺人で判決 自白、目撃証言信用できる 「残虐かつ冷酷」と断罪」(京都新聞社)
  22. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 判例時報 1989, p. 56.
  23. ^ a b c d 『京都新聞』1984年9月5日夕刊第7版一面1頁「短銃強奪射殺事件 広田元巡査部長の犯行、ほぼ断定 府警、きょう中に逮捕状 西陣署へ本人電話 6年前、郵便局強盗 広域事件に指定 警察庁」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号151頁。
  24. ^ a b c d e 集刑287号 2005, p. 576.
  25. ^ a b c d e f g h 大阪地裁 2014, 第2 事案の概要 > 2 前提事実 > (1)原告の収容経緯.
  26. ^ a b c d e 稲葉実香 2015, p. 19.
  27. ^ a b 『京都新聞』1984年9月6日夕刊第7版一面1頁「短銃強奪射殺 広田、依然犯行を否認 本格取り調べ 短銃の行方など追及」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号189頁。
  28. ^ a b 『京都新聞』1984年9月7日朝刊第17版第一社会面27頁「広田 一人勤務確かめ凶行 直前に派出所下見」「「何もいわぬ」調べに黙秘」「“でっち上げ”弁護士に主張」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号189頁。
  29. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『朝日新聞』1984年9月6日東京朝刊第二社会面22頁「ドキュメント 「京都・大阪短銃連続強盗殺人」」(朝日新聞東京本社)
  30. ^ a b c d e 判例時報 1989, p. 55.
  31. ^ 判例時報 1994, p. 151.
  32. ^ 「捜査活動に対する国民の理解と協力の確保(警察庁)」『広報資料(5月分)』内閣総理大臣官房広報室、1985年2月20日、18頁。国立国会図書館書誌ID:000000025271全国書誌番号:00025463。"内容的にも、警察庁指定第114号事件( いわゆるグリコ・森永事件 )及び同115号事件( いわゆる広田事件 )等、広域にわたり、かつ社会的反響の極めて大きい重要凶悪事件が発生したほか、身の代金目的誘拐事件、保険金目的殺人・放火事件、金融機関対象強盗事件、けん銃使用強盗事件等の凶悪事件が多発し、殺人、強盗殺人等で設置した捜査本部の数も152と最近10年間の最高となっています。"。 
  33. ^ 内閣府(編)「霞が関だより 警察の捜査活動にご協力を(警察庁)」『時の動き』第29巻第8号、大蔵省印刷局、1985年4月15日、65頁、doi:10.11501/2783355NDLJP:2783355/33“警察庁指定第百十四号事件(いわゆるグリコ・森永事件)及び同百十五号事件(いわゆる広田事件)等”  - 通巻:第723号(昭和60年4月15日号)
  34. ^ 「どんな犯罪が増えているか――犯罪の特徴的傾向」『警察のあゆみ 昭和60年版』警察庁、1985年7月、7頁。国立国会図書館書誌ID:000001748755全国書誌番号:85052903。"昭和59年中の犯罪の特徴をみますと、社会経済情勢の変化を反映して、次のような悪質で巧妙な事件が多く発生しています。①警察庁指定第114号事件(いわゆるグリコ・森永事件)、同115号事件(いわゆる広田事件)などの広域重要事件"。 
  35. ^ 第2章 犯罪情勢と捜査活動”. 警察庁 (1985年8月). 2021年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月13日閲覧。
  36. ^ 『読売新聞』1984年9月30日東京朝刊第14版第一社会面23頁「【宇都宮】サラ金苦男、駐在所襲う 坊や人質、短銃要求 広田事件にヒント」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号1239頁。
  37. ^ a b c d e f 『京都新聞』1988年7月13日朝刊国際面4頁「京都・大阪での連続強殺 広田事件論告要旨」(京都新聞社)
  38. ^ a b 『毎日新聞』1998年12月8日大阪朝刊社会面27頁「[攻防]毒物カレー事件/1 決め手は消去法 「真須美容疑者しかいない」◆広田事件と共通の手法」(毎日新聞大阪本社) - 和歌山毒物カレー事件の関連記事。
  39. ^ 『読売新聞』2004年9月4日大阪朝刊京都市内版31頁「「広田事件」きょう20年 殉職警部補に西陣署長ら献花=京都」(読売新聞大阪本社・京都総局)
  40. ^ a b c d 夕刊フジ 元事件担当T「【関西事件史】広田事件 3年後の秋~大阪拘置所で(3/3ページ)」『MSN産経west』産経デジタル、2011年10月10日、3面。オリジナルの2011年10月11日時点におけるアーカイブ。
  41. ^ 朝日新聞社 編「情報犯罪 グリコ・森永事件」『朝日キーワード 1986』(第1刷発行)朝日新聞社出版局、1985年9月20日、197頁。ISBN 978-4022275868NCID BN00737358国立国会図書館書誌ID:000001767173全国書誌番号:86006000。"84年9月の「警察官殺害けん銃強奪、けん銃使用強盗殺人事件(広田雅晴事件, 115号)」"。 
  42. ^ 株式会社毎日放送40年史編纂室 編「年表 昭和59 1984」『毎日放送の40年 [資料編]』毎日放送、1991年9月1日、340頁。 NCID BN06977977国立国会図書館書誌ID:000002157746全国書誌番号:92020531。"9. 4 京都で警官殺害・短銃強盗事件発生(広田雅晴事件)"。 
  43. ^ a b 週刊現代 1984, p. 35.
  44. ^ a b 夕刊フジ 元事件担当T「【関西事件史】広田事件 3年後の秋~大阪拘置所で(1/3ページ)」『MSN産経west産経デジタル、2011年10月10日。オリジナルの2011年10月11日時点におけるアーカイブ。
  45. ^ a b c d 『読売新聞』1987年10月31日東京朝刊第一社会面27頁「元警部「沢地」ら2人に死刑 宝石商ら2人殺害 共犯も無期懲役/東京地裁判決」(読売新聞東京本社)
  46. ^ 『読売新聞』1989年3月31日東京夕刊第二社会面18頁「連続強盗殺人の元警視庁警部・沢地和夫被告 東京高裁が一審の死刑支持」(読売新聞東京本社)
  47. ^ 『読売新聞』1993年5月24日東京夕刊一面1頁「強盗殺人の沢地被告 死刑確定求め上告取り下げへ 法相への抗議の理由」(読売新聞東京本社)
  48. ^ 『読売新聞』1993年7月8日東京朝刊第二社会面30頁「元警察官沢地被告の死刑判決確定 上告取り下げ/東京高裁」(読売新聞東京本社)
  49. ^ 『朝日新聞』1993年7月8日東京朝刊第一社会面31頁「元警察官警部、沢地和夫被告の死刑確定 強盗殺人事件の上告取り下げ」(朝日新聞東京本社)
  50. ^ 年報・死刑廃止 2021, p. 213.
  51. ^ 『読売新聞』1995年7月4日東京朝刊第二社会面26頁「元警察官らと共謀の猪熊被告、強盗殺人で死刑確定へ/最高裁」(読売新聞東京本社)
  52. ^ 「刑事雑(全) > 判決訂正申立 > 事件番号:平成7年(み)第3号、第4号 事件名:強盗殺人、死体遺棄 申立人又は被告人氏名:猪熊武夫 裁判月日:(平成7年)7月24日 法廷:第二小法廷 結果:棄却 謄本綴丁数:173」『最高裁判所刑事裁判書総目次 平成7年7月分』、最高裁判所事務総局、1995年7月、15頁。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第266号(平成7年7 - 12月分)の巻末付録。
  53. ^ 集刑287号 2005, p. 577.
  54. ^ 山中湖連続殺人事件の死刑囚・猪熊武夫による国家賠償請求訴訟の判決文 - 東京地方裁判所民事第51部判決 2017年(平成29年)10月24日 『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例ID:29038063、平成26年(行ウ)第426号、『国家賠償等請求事件』。
    • 主文
      1. 被告は、原告に対し、1万円及びこれに対する平成26年9月25日から支払い済まで年5分の割合による金員を支払え。
      2. 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
      3. 訴訟費用は、これを300分し、その299を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
    • 裁判官:清水知恵子(裁判長)・進藤壮一郎・池田美樹子
    • 訴訟代理人弁護士:大野鉄平・赤羽悠一・若林亮
    • 被告:国(代表者:法務大臣)
  55. ^ 「刑事決定(1) > 事件番号:平成元年(あ)第654号 事件名:強盗殺人、死体遺棄 被告人氏名:P 裁判月日:(平成7年)7月3日 法廷:第二小法廷 結果:棄却 原審:東京高裁 謄本綴丁数:1」『最高裁判所刑事裁判書総目次 平成7年7月分』、最高裁判所事務総局、1995年7月、3頁。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第266号(平成7年7 - 12月分)の巻末付録。
  56. ^ 「刑事雑(全) > 決定に対する異議申立 > 事件番号:平成7年(す)第117号 事件名:強盗殺人、死体遺棄 申立人又は被告人氏名:P 裁判月日:(平成7年)7月12日 法廷:第二小法廷 結果:棄却 謄本綴丁数:224」『最高裁判所刑事裁判書総目次 平成7年7月分』、最高裁判所事務総局、1995年7月、18頁。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)第266号(平成7年7 - 12月分)の巻末付録。
  57. ^ 『毎日新聞』1995年7月5日東京朝刊第一社会面23頁「共犯の無期懲役が確定--山梨・宝石商強盗殺人」(毎日新聞東京本社)
  58. ^ 小林道雄 2000, pp. 12–13.
  59. ^ 宍倉正弘 1990, p. 13.
  60. ^ 宍倉正弘(著)、自由民主党(編)「ずいひつ――罪と罰」『月刊自由民主』第415号、自由民主党・千代田永田書房、1987年9月1日、153-154頁、doi:10.11501/2826534NDLJP:2826534/76 
  61. ^ a b c 『京都新聞』1993年4月30日夕刊第7版一面1頁「連続強盗殺人事件 広田被告 2審も死刑 大阪高裁 控訴棄却 犯行は冷酷、残虐」(京都新聞社)
  62. ^ 『読売新聞』1984年12月25日東京朝刊第12版12頁「読者が選んだ10大ニュース」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)12月号986頁。
  63. ^ 平凡パンチ 1984, p. 50.
  64. ^ a b c d 『毎日新聞』1997年12月20日東京朝刊第14版第一社会面31頁「警官ら連続殺害 元巡査部長の死刑確定 最高裁が上告棄却」(毎日新聞東京本社) - 『毎日新聞』縮刷版 1997年(平成9年)12月号793頁。
  65. ^ a b c 集刑272号 1998, p. 613.
  66. ^ a b c d 年報・死刑廃止 2021, p. 215.
  67. ^ a b c サンデー毎日 1984, p. 18.
  68. ^ a b 年報・死刑廃止 2021, p. 235.
  69. ^ 判例時報 1989, pp. 55–56.
  70. ^ a b c d e 『京都新聞』1984年9月11日夕刊第7版第一社会面9頁「追跡 連続強盗殺人事件 落差 実直さ見込まれ警官に」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号373頁。
  71. ^ a b 『京都新聞』1984年9月6日朝刊第17版第一社会面23頁「護送車中の広田 大胆不敵…にらみつけ怒鳴る 「府警にヘタ売らす」 格闘の傷跡生々しく」「千葉・実家前 「オレは広田だ」 ぶ然と捜査員に一言」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号187頁。
  72. ^ a b 週刊現代 1984, p. 34.
  73. ^ 週刊文春 1984, p. 160.
  74. ^ 週刊サンケイ 1978, p. 19.
  75. ^ a b c 『京都新聞』1984年12月24日夕刊第7版一面1頁「廣田、罪状を全面否認 連続強盗殺人で初公判 大阪地裁 検察と真っ向対立」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)12月号825頁。
  76. ^ a b c d 『京都新聞』1984年9月13日夕刊第7版第一社会面13頁「追跡 連続強盗殺人事件 輝いた時 数多くの褒賞受賞も…」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号441頁。
  77. ^ 『京都新聞』1984年9月12日夕刊第7版第一社会面9頁「追跡 連続強盗殺人事件 孤独な青春 休日は一人で競輪へ」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号403頁。
  78. ^ a b c d 『京都新聞』1984年9月14日夕刊第7版第一社会面13頁「追跡 連続強盗殺人事件 転落への道 派出所配転で不満倍加」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号485頁。
  79. ^ 穴吹史士 1984, p. 23.
  80. ^ 『京都新聞』1984年9月17日夕刊第7版第一社会面9頁「追跡 連続強盗殺人事件 誤解 配転、本人の希望だった」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号567頁。
  81. ^ サンデー毎日 1984, p. 19.
  82. ^ 朝倉喬司 1984, p. 171.
  83. ^ a b c d e f g h 『京都新聞』1980年6月10日夕刊第6版一面1頁「短銃強盗警官 広田に懲役5年 京地裁判決 “信頼”裏切り悪質」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1980年(昭和55年)6月号309頁。
  84. ^ a b 『京都新聞』1978年7月20日夕刊第6版一面1頁「西陣署でけん銃盗難 派出所巡査 保管庫から? 実弾5個入り」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号649頁。
  85. ^ a b c d e 『京都新聞』1978年8月1日夕刊第6版一面1頁「けん銃盗難 郵便局強盗 広田 犯行認める “上司の悪口”恨み 一発、枳殻邸近くで」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)8月号25頁。
  86. ^ 『読売新聞』1978年7月24日東京朝刊第14版第一社会面23頁「【京都】“拾った”警官逮捕 西陣署の短銃蒸発」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号843頁。
  87. ^ a b 『京都新聞』1978年7月22日朝刊第16版第一社会面23頁「上鴨署へ不審な電話 西陣署けん銃盗難事件 検察に恨み…と2度 “田中”名乗り「弾は山で撃った」 内部精通 ねらわれた2時間20分」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号725頁。
  88. ^ a b 『京都新聞』1978年8月2日朝刊第16版一面1頁「広田、銀行員もそ撃? 首筋かすめ、風防(バイク)貫通 府警「殺人未遂」適用も」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)8月号39頁。
  89. ^ 『読売新聞』1978年8月1日東京夕刊第4版第一社会面9頁「【京都】警官「広田」は三重犯行 窃盗、強盗に殺人未遂 集金行員をそ撃失敗 その直後、郵便局を襲う 借金、上司に注意されカッと」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)8月号33頁。
  90. ^ 『京都新聞』1978年7月21日夕刊第6版第一社会面15頁「東九条 郵便局にけん銃?強盗 女子事務員殴り逃走」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号701頁。
  91. ^ 『読売新聞』1978年7月26日東京夕刊第4版第一社会面11頁「【京都】「広田」が郵便局強盗 盗んだ短銃?で殴る 逮捕状を請求」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号925頁。
  92. ^ 『京都新聞』1978年7月23日朝刊第16版第一社会面19頁「西陣署のけん銃盗難事件 “身内”調べ 苦悩の府警 力なく「目下捜査中」 幹部会見 深々とおわび」「六孫王神社 けん銃「あれば、わかるはず」 昼は子の遊び場」(京都新聞社) - 『読売新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号759頁。
  93. ^ a b c 『読売新聞』1978年7月23日東京朝刊第14版第一社会面23頁「【京都】巡査部長が短銃“拾う” 西陣署盗難、事情に不審」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号811頁。
  94. ^ a b 『京都新聞』1978年7月24日夕刊第16版一面1頁「広田巡査部長を逮捕 西陣署けん銃盗難事件 潔白、証明できず 核心黙秘 犯行は否認 異動で不満、報復?」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号761頁。
  95. ^ 『京都新聞』1978年7月25日朝刊第16版第一社会面19頁「西陣署けん銃盗難事件 広田、否認のまま送検 府警 懲戒免職処分に」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号811頁。
  96. ^ 『京都新聞』1978年7月27日朝刊第16版一面1頁「郵便局強盗 広田を逮捕 拘置を10日間延長 京地裁 準抗告を認める」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号857頁。
  97. ^ a b c d e 『京都新聞』1978年8月17日夕刊第6版一面1頁「ピストル窃盗 郵便局強盗 広田元巡査部長を起訴 発砲事件も追送検 「金を奪うつもり」 広田自供」「佃本部長が辞任 後任に相川氏 竹林刑務部長を戒告 国家公安委」「西陣署長ら減給処分」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)8月号509頁。
  98. ^ a b 『京都新聞』1978年7月28日朝刊第16版第一社会面23頁「広田 動機など自供 けん銃窃盗郵便局強盗 西陣署幹部にうらみ 勤務休んで競艇通い 小豆相場でも穴 サラ金地獄にあせり」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号917頁。
  99. ^ a b 『京都新聞』1978年7月21日朝刊第16版第一社会面23頁「西陣署 けん銃盗難事件 ズサンだった管理 「取り扱い規定」は無視同然 カギの保管も無防備 「まさか…」の油断がアダ」「一刻も早く探せ 悲痛な府警幹部」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号685頁。
  100. ^ 山中幸一郎 1985, p. 31.
  101. ^ a b 『京都新聞』1980年6月11日朝刊7頁「社説 府警の信頼回復 実で示せ」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1980年(昭和55年)6月号327頁。
  102. ^ 野平健一(編集人・発行人)(編)「新聞閲覧室 元警官の獄中からの投稿」『週刊新潮』第23巻第47号、新潮社、1978年11月23日、doi:10.11501/3378048NDLJP:3378048/64  - 通巻:第1178号(1978年11月23日号)。
  103. ^ 『京都新聞』1978年7月25日朝刊5頁「社説 けん銃盗難事件の根を洗え」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)7月号797頁。
  104. ^ 『京都新聞』1978年10月16日夕刊第6版一面1頁「西陣署のけん銃事件 広田元巡査部長、初公判で公訴事実を全面否認 京都地裁 「真犯人、別にいる」」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1978年(昭和53年)10月号497頁。
  105. ^ a b 『京都新聞』1980年3月4日朝刊第16版第一社会面23頁「西陣署のけん銃盗難事件 広田に8年求刑」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1980年(昭和55年)3月号127頁。
  106. ^ 人民新聞』1978年11月5日付4頁「公安の実態を暴く これが警察の内状だ 京拘 広田雅晴」(株式会社人民新聞)
  107. ^ a b 週刊アサヒ芸能 1984, p. 25.
  108. ^ 『京都新聞』1980年3月25日朝刊第16版第二社会面18頁「5月27日広田に判決 西陣署けん銃盗」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1980年(昭和55年)3月号812頁。
  109. ^ a b 朝日新聞大阪社会部 1994, p. 182.
  110. ^ 『京都新聞』1980年6月22日朝刊第16版第二社会面22頁「強盗の広田を「控訴」手続き 京都地検「量刑不当」と」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1980年(昭和55年)6月号730頁。
  111. ^ 週刊読売 1984, p. 23.
  112. ^ a b c 『京都新聞』1984年9月5日夕刊第7版第一社会面13頁「短銃強奪射殺事件 凶行、また広田 服役中仕返し宣言 6年前事件逆恨み」「また揺らぐ信頼感 大阪府警も深刻」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号163頁。
  113. ^ a b 『朝日新聞』1981年2月20日大阪朝刊第13版第二社会面22頁「京都の強盗元警官 「一審軽すぎた」 懲役七年判決」(朝日新聞大阪本社
  114. ^ a b 『京都新聞』1981年2月20日朝刊第16版第一社会面23頁「元警官の広田に懲役7年 大阪高裁判決 「一審の刑軽すぎる」 短銃強盗、重大かつ悪質」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1981年(昭和56年)2月号625頁。
  115. ^ 事件 『府警憎し』で連続殺人 ―“京都のワル警官”六年目の復讐―」『週刊新潮』第29巻第38号、新潮社、1984年9月20日、26頁、doi:10.11501/3378346NDLJP:3378346/14  - 通巻:第1476号(1984年9月20日号)。
  116. ^ a b 『朝日新聞』1984年9月5日東京夕刊第一総合面1頁「連続短銃殺人は元警官、飲料缶の指紋一致 6年前にも短銃強盗」(朝日新聞東京本社)
  117. ^ a b c 『読売新聞』1984年9月6日東京朝刊第14版第二社会面22頁「仮釈放、5日後の犯行 服役良好の“仮面” 更生誓ったばかり 調査に不備 法務省衝撃」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号234頁。
  118. ^ 『京都新聞』1984年9月7日夕刊第7版第一社会面11頁「追跡 連続強盗殺人事件 仮釈放への無念 「出所後きっと何か…」」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号241頁。
  119. ^ a b 穴吹史士 1984, p. 22.
  120. ^ a b c d e 『千葉日報』1984年9月6日朝刊第二社会面12頁「出頭勧めた保護司 広田「オレは犯人じゃない」」(千葉日報社)
  121. ^ a b 『読売新聞』1984年9月6日東京朝刊第14版朝刊一面1頁「連続殺人「広田」を逮捕 28時間ぶり 成東(千葉)の実家前 短銃は所持せず 犯行否認のまま護送」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号213頁。
  122. ^ a b c 『京都新聞』1984年10月13日朝刊第17版一面1頁「広田 洋弓でA巡査撃つ? 「近くで前日購入」供述 2日後の検索 船岡山山中で回収」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)10月号415頁。
  123. ^ 判例時報 1989, p. 74.
  124. ^ a b 判例時報 1989, p. 70.
  125. ^ 『京都新聞』1984年9月10日朝刊第17版第一社会面23頁「前日も派出所狙う 広田 嵐山で同一手口 偽電話で誘い出し 2人パトで断念」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号329頁。
  126. ^ 判例時報 1989, pp. 56–57.
  127. ^ a b c d e 『京都新聞』1984年9月11日夕刊第7版第一社会面9頁「「連続強盗殺人」から1週間 証拠の短銃どこにある 広田、固く口つぐむ 懸命の捜査陣 発見へ足取り追う」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号373頁。
  128. ^ a b 『京都新聞』1984年9月11日朝刊第17版第一社会面19頁「サウナ宿泊の広田 持っていた棒は凶器? 殺傷状況に一致 眠らず犯行計画練る」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月363頁。
  129. ^ a b c d 判例時報 1989, p. 66.
  130. ^ a b 『京都新聞』1984年9月16日朝刊第17版第一社会面23頁「江戸川で発見のバッグ 広田のものと断定 カバン店員ら証言」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号537頁。
  131. ^ 『朝日新聞』1984年9月5日東京朝刊第一総合面1頁「強奪短銃で連続殺人 サラ金店員射殺、73万円奪う 京都の警官も死亡」(朝日新聞東京本社)
  132. ^ a b c d 判例時報 1989, p. 58.
  133. ^ 『京都新聞』1984年9月8日朝刊第17版第一社会面23頁「連続強盗殺人事件 犯行前日、京都へ 広田、周到な準備 タクシー「乗せた」 宿泊先など足取り追う」「検事事情聴取にも完全黙秘」「犯行後の広田 次々着替え逃走 その夜、新幹線で上京か」「涙ながら逮捕を報告 山形 A巡査の告別式」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号265頁。
  134. ^ 官報』昭和59年10月5日 第17300号 叙位・叙勲「(京都府警部補)○○○○〔Aの実名〕 勲七等に叙し青色桐葉章を授ける(9月4日)」
  135. ^ a b c d 『京都新聞』1988年10月24日朝刊第17版第二社会面24頁「連続強盗殺人<下> 「広田裁判」25日判決へ 謎 乏しい物証、動機は?」(京都新聞社)
  136. ^ 判例時報 1989, p. 76.
  137. ^ a b 判例時報 1989, pp. 76–77.
  138. ^ a b c 判例時報 1989, p. 63.
  139. ^ a b c d e 『読売新聞』1984年9月5日東京夕刊第4版一面1頁「【京都、大阪】短銃強奪殺人 元警官・広田、都内潜伏か 実家(千葉)に電話、逆探 全大統領来日控え 過激派と関連も」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号197頁。
  140. ^ a b 判例時報 1989, pp. 63–64.
  141. ^ a b c d e f g 判例時報 1989, p. 64.
  142. ^ 『読売新聞』1984年9月5日東京朝刊第14版第一社会面23頁「ドキュメント カキ氷食べて下見」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号87頁。
  143. ^ a b c 判例時報 1989, p. 65.
  144. ^ 判例時報 1989, pp. 64–65.
  145. ^ a b 『京都新聞』1984年9月10日朝刊第17版第二社会面22頁「広田 犯行後 新京極に 喫茶店に立ち寄る」「前夜、南区で目撃」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1988年(昭和63年)9月号328頁。
  146. ^ a b c d 判例タイムズ 1994, p. 253.
  147. ^ a b c 判例時報 1989, p. 68.
  148. ^ a b 判例時報 1989, p. 79.
  149. ^ a b c d 判例時報 1989, p. 59.
  150. ^ a b c 判例時報 1989, p. 77.
  151. ^ a b c d e 判例時報 1989, p. 69.
  152. ^ a b 判例時報 1989, p. 71.
  153. ^ a b c d 『京都新聞』1988年7月11日朝刊第17版第一社会面23頁「連続強盗殺人あす求刑 広田被告 否認のまま 決めて欠く物証・自白「線条痕は一致」」(京都新聞社 社会部:直野信之記者)
  154. ^ 判例時報 1989, p. 80.
  155. ^ 『読売新聞』1984年9月5日東京朝刊第14版第一社会面23頁「【大阪、京都】冷血、白昼の連続殺人 衝撃!!元警官犯人説 メッタ刺し、とどめ一発 「冗談でしょう」で発射 大阪のサラ金」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号187頁。
  156. ^ a b c d e f 判例時報 1989, p. 72.
  157. ^ a b c d e f 判例タイムズ 1994, p. 254.
  158. ^ a b c 『京都新聞』1984年9月15日朝刊第17版一面1頁「京都・大阪連続強盗殺人 広田のバッグ?を発見 東京・江戸川べりで 短銃の行方に全力」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号487頁。
  159. ^ 週刊文春 1984, p. 161.
  160. ^ a b 『京都新聞』1984年9月12日夕刊第7版第一社会面9頁「犯行後の廣田 20時37分(新幹線)に乗車 東京への足取り」「タクシー運転日報から判明」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号403頁。
  161. ^ a b c d 『京都新聞』1984年12月24日夕刊第7版二面2頁「連続射殺 冒頭陳述」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号827頁。
  162. ^ a b 『京都新聞』1984年9月15日朝刊第17版第一社会面27頁「広田バッグ発見 短銃探し、はずみ 捜査陣 さらに厳しく追及」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号513頁。
  163. ^ a b c 『京都新聞』1984年9月14日朝刊第17版第一社会面27頁「江戸川捜索 短銃見つからず 広田の持ち物も」「広田の目撃者60人が面通し」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号469頁。
  164. ^ a b c d e 『京都新聞』1984年9月6日朝刊第17版第二社会面22頁「ドキュメント」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号186頁。
  165. ^ 朝日新聞大阪社会部 1994, p. 160.
  166. ^ a b c d e f g 千葉日報』1984年9月6日朝刊一面1頁「短銃連続殺人、広田を逮捕 29時間ぶりに 成東の実家に張り込み 凶器不明、犯行は否認 飲料缶の指紋決めて 第三の凶行阻止 身柄移送本格追及」「広域配備に問題残す “厳戒”の網抜け逃走」(千葉日報社)
  167. ^ 朝日新聞大阪社会部 1994, pp. 160–161.
  168. ^ 朝日新聞大阪社会部 1994, p. 161.
  169. ^ a b 朝日新聞大阪社会部 1994, p. 171.
  170. ^ 朝日新聞大阪社会部 1994, pp. 172–173.
  171. ^ 朝倉喬司 & 山崎哲 1985, p. 166.
  172. ^ 朝日新聞大阪社会部 1994, p. 172.
  173. ^ NHKスペシャル 2012, p. 224.
  174. ^ NHKスペシャル 2012, pp. 225–230.
  175. ^ 『朝日新聞』1984年9月6日東京朝刊第一総合面1頁「短銃強奪連続殺人、元警官・広田を千葉で逮捕 短銃持たず、犯行否認」(朝日新聞東京本社)
  176. ^ 『京都新聞』1985年2月5日夕刊第7版第一社会面9頁「「広田事件」第2回公判 検察、41人の証拠申請 提出の証拠、説明」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1985年(昭和60年)2月号159頁。
  177. ^ a b c 『朝日新聞』1984年9月6日東京朝刊第一社会面23頁「「まさか犯人とは…」 連続殺人の広田乗せた○○運転手」(朝日新聞東京本社)
  178. ^ a b 『千葉日報』1984年9月6日朝刊第一社会面13頁「あとになってゾッ 個人タクシー運転手」(千葉日報社)
  179. ^ a b c d e 『朝日新聞』1984年9月6日東京朝刊第一社会面23頁「連続殺人の広田、「オレはやってない」と平然、短銃の行方は沈黙」(朝日新聞東京本社)
  180. ^ a b c d e f 『千葉日報』1984年9月7日朝刊第一社会面13頁「“広田確保”銃撃戦も想定 お手柄四警察官に本部長賞詞」(千葉日報社)
  181. ^ サンデー毎日 1984, p. 17.
  182. ^ a b 『京都新聞』1984年9月7日夕刊第7版第一社会面11頁「広田、いぜん黙秘 府警 千葉へ捜査員派遣」「広田を送検」「実家近く バッグ発見」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号241頁。
  183. ^ 『読売新聞』1984年9月6日東京朝刊第14版第一社会面23頁「「広田」不敵な立ち回り 「府警にヘタうらす」――失敗させてやる―― 護送の新幹線、暴れ放題」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号235頁。
  184. ^ 廣田雅晴 1992, pp. 94–96.
  185. ^ 廣田雅晴 1992, pp. 96–97.
  186. ^ 『京都新聞』1984年9月8日夕刊第7版第一社会面11頁「連続強盗殺人 広田 京都駅から東京へ 大阪の犯行後戻る」「広田の拘置場所を限定」「全国から見舞金続々 殉職のA巡査に49万円」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号277頁。
  187. ^ a b 『京都新聞』1984年9月9日朝刊第17版第一社会面27頁「連続強盗殺人 広田、パチンコ店で血洗う? 犯行現場から直行 トイレドアに血痕」「犯行前 東寺付近に出没」「京地裁が準抗告棄却 捜査陣 “広田調べ”に制約」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号305頁。
  188. ^ 『京都新聞』1984年9月17日夕刊第7版第一社会面9頁「広田の拘置を延長」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号567頁。
  189. ^ a b c d 『京都新聞』1984年10月17日朝刊第17版第一社会面19頁「京・大阪両地検 広田を一括起訴か 短銃・刃物なしでも 「状況証拠固まる」 立件可能と判断」「広田 京都府警の取り調べで犯行認めていた」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)10月号565頁。
  190. ^ a b c d e 判例時報 1989, p. 60.
  191. ^ 『京都新聞』1984年9月26日朝刊第17版第一社会面23頁「広田、あす拘置期限切れ 起訴か再逮捕か」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号839頁。
  192. ^ 『京都新聞』1984年9月28日朝刊第17版第一社会面23頁「広田の処分保留 口重い捜査幹部 ノーコメント繰り返す「自供なくても敗北せず」」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号919頁。
  193. ^ 『京都新聞』1984年9月29日夕刊第7版第一社会面13頁「サラ金強殺広田を送検 大阪府警否認のまま」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)9月号979頁。
  194. ^ 『京都新聞』1984年10月1日朝刊第17版第一社会面27頁「広田の拘置認められる 大阪拘置所へ移す」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)10月号27頁。
  195. ^ a b 『京都新聞』1984年9月29日朝刊第17版第一社会面23頁「広田、サラ金強殺は否認 「大阪へは仕事で来た」」(京都新聞社)
  196. ^ a b 『京都新聞』1984年10月11日朝刊第17版第二社会面20頁「連続強盗殺人 広田に軟化の兆し 着衣など隠し場所供述」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)10月号360頁。
  197. ^ a b c 判例タイムズ 1994, p. 251.
  198. ^ a b 『京都新聞』1984年10月11日夕刊第7版一面1頁「広田、核心を自供 「短銃、江戸川右岸に」 警視庁、府警が大捜索」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)10月号363頁。
  199. ^ a b 『京都新聞』1984年10月18日朝刊第17版一面1頁「広田、地図書き自供 短銃など隠し場所 江戸川の競艇場近く」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)10月号577頁。
  200. ^ 『京都新聞』1984年10月18日夕刊第7版一面1頁「連続強盗殺人 短銃発見へ大捜索 広田拘置 あす期限切れ」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)10月号601頁。
  201. ^ 『京都新聞』1984年10月15日夕刊第7版一面1頁「広田 連続射殺を自供 「短銃、都内に隠した」」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)10月号507頁。
  202. ^ 『京都新聞』1984年10月16日朝刊第17版第一社会面19頁「警官傷口と一致 広田購入の包丁が凶器 京都府警断定」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)10月号535頁。
  203. ^ 『読売新聞』1984年10月20日東京朝刊第14版一面1頁「【大阪】大阪地検 「広田」連続殺人で起訴 短銃、着衣発見できず」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)10月号807頁。
  204. ^ 『京都新聞』1984年12月23日朝刊第17版第二社会面18頁「連続強盗射殺事件 広田、あす初公判 罪状認否で対決か」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)12月号806頁。
  205. ^ 『京都新聞』1984年12月24日夕刊第7版第二社会面8頁「京都府警 どこへ消えた凶器の短銃 決め手求め捜査続行」(京都新聞社) - 『京都新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)12月号832頁。
  206. ^ 判例時報 1989, p. 81.
  207. ^ サンデー毎日 1984, pp. 16–17.
  208. ^ INSIDE すっかり読書人になった広田雅晴の「獄中書簡」公開」『週刊サンケイ』第35巻第69号、扶桑社、1986年11月13日、25頁、doi:10.11501/1811420NDLJP:1811420/13  - 通巻:第2003号(1986年11月13日号)。
  209. ^ a b 夕刊フジ 元事件担当T「【関西事件史】広田事件 3年後の秋~大阪拘置所で(2/3ページ)」『MSN産経west』産経デジタル、2011年10月10日、2面。オリジナルの2011年10月13日時点におけるアーカイブ。
  210. ^ 『読売新聞』1984年12月24日東京夕刊第4版第一社会面11頁「【大阪】広田被告、初公判で全面否認 「警察へ恨み」検察冒陳 「生活資金も目当て」証拠676点を申請」(読売新聞東京本社) - 『読売新聞』縮刷版 1984年(昭和59年)12月号973頁。
  211. ^ 『読売新聞』1985年2月6日東京朝刊第13版京葉版(京葉讀賣)地方面18頁「【大阪】広田の母、悲痛な叫び 「私の生きているうち死刑に」 公判に調書」(読売新聞東京本社・千葉支局)
  212. ^ a b 『京都新聞』1988年10月22日朝刊第17版第二社会面28頁「連続強盗殺人<上> 「広田裁判」25日判決へ 目撃 「点から線」掘り起こし」(京都新聞社)
  213. ^ 判例時報 1989, pp. 57–58.
  214. ^ 判例時報 1989, pp. 60–61.
  215. ^ 『京都新聞』1988年10月23日朝刊第17版第二社会面24頁「連続強盗殺人<中> 「広田裁判」25日判決へ 自白 暴行の有無、どう判断」(京都新聞社)
  216. ^ 判例時報 1989, pp. 61–62.
  217. ^ a b 判例時報 1989, p. 62.
  218. ^ a b c d e 『京都新聞』1988年7月13日朝刊第17版一面1頁「連続強盗殺人事件 広田被告に死刑求刑 大阪地裁論告公判 「犯行立証は十分 極悪、改善余地ない」」(京都新聞社)
  219. ^ 『京都新聞』1988年7月13日朝刊第17版第一社会面19頁「目には目をでよいか 佐木隆三さん(作家)の話」(京都新聞社)
  220. ^ 『京都新聞』1988年7月13日朝刊第17版第一社会面19頁「広田被告求刑 [死刑」の一瞬にも平然 論告中も無表情 公判記録読み返す 大阪地裁」(京都新聞社)
  221. ^ 『京都新聞』1988年9月9日朝刊第17版第一社会面31頁「連続強盗殺人最終弁論 広田被告の無罪主張 弁護側「自白に信用性ない」 包丁、短銃が未発見」(京都新聞社)
  222. ^ 判例時報 1989, pp. 80–81.
  223. ^ 判例時報 1989, pp. 65–66.
  224. ^ 判例時報 1989, pp. 66–68.
  225. ^ 判例時報 1989, pp. 69–70.
  226. ^ 判例時報 1989, pp. 70–71.
  227. ^ 判例時報 1989, pp. 71–72.
  228. ^ a b 判例時報 1989, pp. 72–73.
  229. ^ a b c 判例時報 1989, p. 73.
  230. ^ (試射弾丸及び試射薬きようの登録)第二十四条”. E-Gov法令検索. 警察官等拳銃使用及び取扱い規範(昭和三十七年国家公安委員会規則第七号). デジタル庁 (1962年5月10日). 2022年5月17日閲覧。 “管理責任者は、その管理する拳銃については、試射を行つた上、試射弾丸及び試射薬きように別記様式第一号による登録票を付けてその所轄庁の科学捜査研究所(科学捜査についての研究に関する事務を所掌する所属をいう。以下同じ。)に送付し、登録しなければならない。拳銃の銃身等を取り替えたときも、また同様とする。”
  231. ^ 判例時報 1989, pp. 73–76.
  232. ^ SPA! 1988, p. 27.
  233. ^ News Compo 死刑判決の瞬間「薄笑い」を浮かべた連続強盗殺人・広田の精一杯の虚勢」『週刊読売』第47巻第49号、読売新聞社、1988年11月13日、34頁、doi:10.11501/1815206NDLJP:1815206/18  - 通巻:第2091号(1988年11月13日号)。
  234. ^ 『京都新聞』1988年10月26日朝刊第17版第一社会面23頁「広田が控訴」(京都新聞社)
  235. ^ 判例タイムズ 1994, p. 249.
  236. ^ 『朝日新聞』1991年1月25日東京夕刊第一社会面23頁「死刑判決の広田雅晴被告、再び無罪主張 京都・連続強殺の控訴審」(朝日新聞東京本社)
  237. ^ 『読売新聞』1991年1月25日東京夕刊第二社会面14頁「警察官ら殺害の広田被告の控訴審初公判 無罪を主張/大阪高裁」(読売新聞東京本社)
  238. ^ 『京都新聞』1993年2月11日朝刊第17版第二社会面30頁「広田被告の控訴審結審 4月30日に判決」(京都新聞社)
  239. ^ 『読売新聞』1993年2月11日大阪朝刊第二社会面30頁「115号事件(連続強盗殺人・広田雅晴被告)の2審結審/大阪高裁」(読売新聞大阪本社)
  240. ^ 判例時報 1994, p. 152.
  241. ^ 判例時報 1994, p. 153.
  242. ^ 判例時報 1994, p. 160.
  243. ^ 判例タイムズ 1994, pp. 250–251.
  244. ^ a b 判例タイムズ 1994, p. 252.
  245. ^ 判例タイムズ 1994, p. 258.
  246. ^ a b c 判例タイムズ 1994, p. 259.
  247. ^ 『朝日新聞』1993年2月11日大阪朝刊第一社会面27頁「大阪高裁で広田被告側、無罪主張し結審 連続強盗殺人事件【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  248. ^ 廣田雅晴「入会にあたってのあいさつ」『ユニテ通信 希望』第5号、ユニテ=死刑囚の会、1991年12月25日。  - 編集担当:名拘 竹内敏彦大拘 山野静二郎(議長)連絡先 東京都葛飾区小菅1-35-1 事務局 猪熊武夫。大宅壮一文庫(東京本館)に所蔵。
  249. ^ 山之内幸夫 2002, p. 105.
  250. ^ 産経新聞』1993年4月30日大阪夕刊総合一面「短銃強奪連続殺人 広田被告2審も死刑」(産経新聞大阪本社
  251. ^ 『京都新聞』1993年4月30日夕刊第7版第一社会面11頁「2審も死刑 広田被告 「聞きたくない」2分で退廷 横向き無表情のまま」(京都新聞社)
  252. ^ 判例タイムズ 1994, pp. 253–256.
  253. ^ 判例タイムズ 1994, pp. 256–258.
  254. ^ 判例タイムズ 1994, pp. 258–259.
  255. ^ 判例タイムズ 1994, pp. 259–260.
  256. ^ 判例タイムズ 1994, p. 260.
  257. ^ 『京都新聞』1993年5月11日朝刊第17版第一社会面23頁「連続強盗殺人事件 広田被告が上告」(京都新聞社)
  258. ^ 集刑272号 1997, p. 615.
  259. ^ 集刑272号 1997, pp. 619–620.
  260. ^ 集刑272号 1997, p. 625.
  261. ^ 集刑272号 1997, p. 770.
  262. ^ 集刑272号 1997, pp. 785–787.
  263. ^ a b c d 『京都新聞』1997年11月15日朝刊第17版第一社会面31頁「連続殺人の広田被告 上告審で口頭弁論 「銃弾鑑定に矛盾」 無罪を主張」(京都新聞社)
  264. ^ 『産経新聞』1997年11月15日東京朝刊第二社会面「京都の連続強盗殺人 一、二審で死刑判決 元警官の上告審結審」(産経新聞東京本社
  265. ^ a b 『産経新聞』1997年12月20日東京朝刊第三社会面「京都・大阪の連続強盗殺人 元巡査部長死刑確定へ 上告棄却「犯行は冷酷、残虐」」(産経新聞大阪本社)
  266. ^ 『朝日新聞』1997年11月15日大阪朝刊第二社会面30頁「京都・連続強殺被告の元警官、上告審も無罪主張 【大阪】」(朝日新聞大阪本社)
  267. ^ 「刑事雑(全) > 判決訂正申立 > 事件番号:九(み)五、一〇(み)一 事件名:強盗殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反 申立人又は被告人氏名:旧姓廣田 神宮雅晴 裁判月日:平成一〇年一・一三 法廷:三 結果:棄却 謄本綴丁数:一」『最高裁判所刑事裁判書総目次 平成10年1月分』、最高裁判所事務総局、1998年1月1日、11頁。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』第273号(平成10年1月 - 9月分)の巻末付録。
  268. ^ 「刑事雑(全) > 判決訂正申立 > 事件番号:11(し)182 事件名:再審請求事件についてした即時抗告棄却決定に対する特別抗告 申立人又は被告人氏名:神宮雅晴 裁判月日:〔平成11年〕11・25 法廷:二 結果:棄却 原審:大阪高 謄本綴丁数:150」『最高裁判所刑事裁判書総目次 平成11年11月分』、最高裁判所事務総局、1999年11月1日、20頁。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』第277号(平成11年7月 - 11月分)の巻末付録。
  269. ^ 「刑事雑(全) > 判決訂正申立 > 事件番号:12(し)267 事件名:再審請求事件についてした即時抗告棄却決定に対する特別抗告 申立人又は被告人氏名:神宮雅晴 裁判月日:〔平成12年〕12・5 法廷:二 結果:棄却 原審:大阪高 謄本綴丁数:377」『最高裁判所刑事裁判書総目次 平成12年12月分』、最高裁判所事務総局、2000年12月1日、15頁。  - 『最高裁判所裁判集 刑事』第279号(平成12年7月 - 12月分)の巻末付録。
  270. ^ a b フォーラム90 2009, p. 6.
  271. ^ フォーラム90 2009, p. 13.
  272. ^ フォーラム90 2009, pp. 30–31.
  273. ^ a b c 大阪地裁 2014, 第3 争点に対する判断 > 1 認定事実.
  274. ^ フォーラム90 2012, p. 10.
  275. ^ フォーラム90 2012, pp. 10–12.
  276. ^ フォーラム90 2012, pp. 47–48.
  277. ^ a b フォーラム90 2012, p. 48.
  278. ^ 石川淳一「死刑執行:2死刑囚に刑執行 森法相下で初--福岡と福島の殺人」『毎日新聞』毎日新聞東京本社、2008年10月28日、東京夕刊。オリジナルの2008年10月31日時点におけるアーカイブ。
  279. ^ 大阪地裁 2014, 3 争点 > (原告の主張).
  280. ^ 大阪高裁 2014, 第2 事案の概要 > 4 争点及び争点についての当事者の主張 (2)当審における補充主張.
  281. ^ a b 京都新聞』2014年5月23日朝刊27頁「84年京都・大阪連続強盗殺人 死刑囚の原稿発信認める 大阪地裁「表現の自由」」(京都新聞社)
  282. ^ 大阪地裁 2015, pp. 3–4.
  283. ^ 大阪地裁 2014.
  284. ^ 読売新聞』2014年5月23日大阪朝刊第三社会面27頁「死刑囚の原稿発信認める 大阪地裁判決 拘置所の不許可「違法」」(読売新聞大阪本社)
  285. ^ 大阪地裁 2015, p. 4.
  286. ^ a b 大阪高裁 2014.
  287. ^ 『読売新聞』2014年11月15日大阪朝刊第三社会面37頁「死刑囚の原稿発送不許可 拘置所の裁量 逸脱なし 大阪高裁」(読売新聞大阪本社)
  288. ^ 堀江拓哉「死刑囚の信書:出版社への原稿送付で「拘置所に裁量権」◇死刑囚が逆転敗訴、大阪高裁」『毎日新聞毎日新聞社、2014年11月15日。オリジナルの2014年11月17日時点におけるアーカイブ。
  289. ^ 麻生多聞(鳴門教育大学准教授)「最新判例演習室――憲法 刑事収容施設法下における死刑確定者の外部交通権[大阪高裁平成26.11.14判決]」『法学セミナー』第60巻第3号、日本評論社、2015年3月1日、122頁、国立国会図書館書誌ID:026087769  - 通巻:第722号(2015年3月号)。
  290. ^ 死刑囚の原稿発送不許可、判決確定」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2016年6月3日。2021年5月28日閲覧。オリジナルの2021年5月28日時点におけるアーカイブ。
  291. ^ 大阪地裁 2015, p. 11.
  292. ^ 大阪地裁 2015, pp. 2–3.
  293. ^ 大阪地裁 2015, p. 18.
  294. ^ 大阪地裁 2015, p. 1.
  295. ^ 大阪地裁 2015, p. 13.
  296. ^ 大阪地裁 2015, p. 15.
  297. ^ 大阪地裁 2015, p. 2.
  298. ^ 『京都新聞』1997年12月20日朝刊第17版第二社会面24頁「佐木隆三さんに聞く えん罪主張 共鳴出来ず 「真摯な姿勢がない」」(京都新聞社)
  299. ^ 福島章 1987, p. 43.
  300. ^ 山中幸一郎 1985, p. 35.
  301. ^ 小林道雄 2000, p. 14.
  302. ^ 小林道雄 2000, pp. 15–16.
  303. ^ 小林道雄 2000, p. 17.
  304. ^ 小林道雄 2000, pp. 13–17.
  305. ^ 小林道雄 2000, p. 18.
  306. ^ 紳士と淑女」『諸君!』第16巻第11号、文藝春秋、1984年11月1日、21頁、doi:10.11501/3368599NDLJP:3368599/12 
  307. ^ 山崎正弘 1984, pp. 23–24.
  308. ^ サンデー毎日 1984, p. 20.





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  京都・大阪連続強盗殺人事件のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「京都・大阪連続強盗殺人事件」の関連用語

京都・大阪連続強盗殺人事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



京都・大阪連続強盗殺人事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの京都・大阪連続強盗殺人事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS