ハノーファー 文化と見どころ

ハノーファー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 02:16 UTC 版)

文化と見どころ

建築

1913年に開館した折衷主義様式の新市庁舎は、旧市街とマッシュパルクとの間にある。ドームの展望台へはユニークなアーチ型のドームリフトで行くことができる[59]。この市庁舎のエントランスホールには、それぞれ1689年、1939年、1945年、現在の内市街をかたどった4つの都市模型が設置されている。新市庁舎は現在、ハノーファーの象徴的建造物となっている[60]。内市街の見どころ36箇所が、ローター・ファーデンと呼ばれるルートで結ばれている。全長 4.2 km の舗道に描かれたこの赤い線は、エルンスト=アウグスト広場のツーリスト=インフォメーションを起点に内市街を一周している[61]

マルクト教会

旧市街と北ドイツ・レンガ・ゴシック建築

現在のハノーファー旧市街は、第二次世界大戦前の元々の旧市街とは大きく様変わりしている。旧市街を含むハノーファー内市街は 90 % が破壊された。これを承けてマルクト教会ドイツ語版英語版周辺に伝統的な一画が形成された。ここでは、マルクト教会などの大きな象徴的建造物が再建され、木組み建築やその他の建物が他所から移築され、戦後復興の過程で古い旧市街の景観と調和するよう再構築がなされた。旧市街に通じる現在の門は、ルイ・レミー・ド・ラ・フォッセドイツ語版英語版によるマルシュタル門である。この門は、ホーフマルシュテレ・アム・ホーエン・ウーファー(宮廷厩舎)の乗馬場の現存する中央入口であった。旧市街の中心には既述の通り14世紀に建設されたマルクト教会とマルクト広場があり、すぐ近くにマルクトブルネン(直訳: 市場の泉)がある。この教会は、旧市庁舎ドイツ語版英語版とともに北ドイツ・レンガ・ゴシックの作例である。マルクト教会の隣にはブロイハンハウス、ハンス=リリー=ハウス、ゲオルク=フォン=ケルン=ハウスがある。クロイツキルヒェン街の十字架教会は、ルーカス・クラーナハ(父)の価値の高い祭壇画を有している。その向かい側にはレストラン「クロイツクラッペ」がある。ブルク通り12番地には、1564/1566年建造のハノーファーで最も古い木組み建築が現存している。1649年から1664年までの間に建設されたバルホーフ(直訳: 舞踏会場)は、長らくこの街最大のイベントホールであり、現在はニーダーザクセン州立劇団の公演会場となっている。オスカー=ヴィンター=ブルネンがあるホルツマルクトに面して、1900年直前に建てられたノルテ=ハウスの隣に、1983年に戦争で破壊されたライプニッツハウスのルネサンス様式ファサードを復元した建物がある(元々は1499年からシュミーデ通りに建っていた)。中世の都市防衛の塔では、歴史博物館沿いのベギネン塔だけが完全な形で遺っている。旧市街は、ライネ城や、2018年に造られたカフェやレストランが並ぶプロムナードがあるライネ川の堤防に接している。

ハノーファー警察本部

カレンベルガー・ノイシュタット

旧市街からマルティン=ノイファー橋を通ってカレンベルガー・ノイシュタットに至る。ここも第二次世界大戦で大きく破壊された。しかしここには数多くの立派な砂岩建築や教会が存在している。ライプニッツの墓があるバロック様式のノイシュテッター教会は、プロテスタントの空間設計モデルに基づくザールキルヒェドイツ語版英語版のニーダーザクセンで最も古い作例である。主オルガンの他に、パトリック・コロンが製作した「スペイン・オルガン」がある。この教会はハノーファー教区の教区監督官の説教教会である。聖クレメンス・バシリカドイツ語版英語版宗教改革後最初に新築されたカトリック教会で、北ドイツでは唯一の純粋なイタリア風の教会である。福音主義=改革派教会の鐘は、イギリスのヴィクトリア女王から寄進されたものである。1938年に破壊された新シナゴーグがあった場所は現在、悔恨の場となっている。宗教建築の宗派が様々であることから、カレンベルガー・ノイシュタットは「自由の島」と呼ばれる。ここでは昔からあらゆる信仰や宗教が許されていた。カレンベルガー・ノイシュタットにはこの他に、ニーダーザクセン州の州立中央文書館、環境省があり、その前のライプニッツ堤防の中央分離帯にはデューヴの泉がある。その他の見応えある建物には、たとえば、1903年建造のハノーファー警察本部、1860年建造のヴィラ・ジーモン、ブラント・ヴェスターマンの旧居、旧教会役員事務所、かつての官庁庁舎や上級税関などがある。1800年のダッヘンハウゼンパレスはフリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ダッヘンハウゼンの旧居である。ケーニヒスヴォルター橋は、カール・ドプマイヤーによる4つの豪華な燭台を持つ、ハノーファーで最も美しい橋の1つである。

ラーフェスの古典主義建築

ハノーファー・オペラハウス

内市街の全域、およびいくつかの市区で、建築マイスターのゲオルク・ルートヴィヒ・フリードリヒ・ラーフェスドイツ語版英語版の作品を見ることができる。19世紀初めに彼は、現在のミッテ都市管区の一部にあたるエルンスト=アウグスト=シュタットの設計と建設に着手した。ハノーファーに存在する彼の大規模な作品には、1852年に開館したオペラハウスドイツ語版、展望台を持つ高さ 46.31 m のワーテルロー柱、1832年のヴァンゲンハイムパレス、新市庁舎の向かいに建つ1824年のラーフェスハウスがある。彼は、旧市街の端に建つライネ城ドイツ語版英語版(現在はニーダーザクセン州議会議事堂)を改築し、ライン通り側にポルチコを設けて増築した。ラーフェスの他の作品としては、ベッケドルフ女官のガーデンハウスやヴィラ・ローザがある。ラーフェスは1817年から1818年にフュルステンホーフ(またはオスナブリュッカー・ホーフ)を改築した。ラーフェスはヘレンハウゼン王宮庭園にも多くの建物を建設した。ベルクガルテンのビブリオテークスパビリオン(図書館)やヴェルフ家廟、グローサー・ガルテンのヘレンハウゼン城、ゲオルゲンガルテンの騎士の館/門衛などである。ゲオルゲン宮殿前の車寄せと燭台もゲオルク・ルートヴィヒ・フリードリヒ・ラーフェスによって造られた。ラーフェスが造った4本の橋もヘレンハウゼン王宮庭園に遺されている。1839年のフリードリーケン橋、1844年のラーフェス橋、1840年のアウグステン橋、1837年の鉄製のファール橋である。グローサー・ガルテンのオランジュリーの現在の古典主義様式のファサードは、約100年前にラーフェスによって建設された。歴史的な市壁の現存する断片の1つがゲオルクス広場近くの歩行者専用道沿いにある。この壁跡は、かつてゲオルク・ルートヴィヒ・フリードリヒ・ラーフェスによって建てられたロックマー・ホーフに利用されていた。ラーフェスはエギディエン教会を改築したが、第二次世界大戦で酷く損傷し、現在は悔恨の記念建造物となっている。

旧市庁舎のカルマーシュ通りに面した翼棟

ハノーファー建築派

19世紀の半ばから終わりにかけて、建築家コンラート・ヴィルヘルム・ハーゼドイツ語版英語版が、ネオゴシック様式と円形アーチ様式のクリンカーレンガ建築ドイツ語版英語版を特徴とするハノーファー建築派を創始した。ハノーファーにはハーゼ自身が建設した建物が5件遺されている。1856年のハノーファー・キュンストラーハウス(芸術家の家)、1864年のクリストゥス教会、1884年の使徒教会、1880年のシオン教会/救世主教会である。旧市庁舎は、1877年から1882年にハーゼによって修復され、1890年から1891年に翼棟がカルマーシュ通り方向に拡張された。この他に多くのハノーファー建築派の作成が都市景観に影響を与えている。たとえば、旧リンデン町役場や現在はニーダーザクセン州立劇団の公演会場となっているクンバーラントシェ・ギャラリーなどである。また、様々な市区の住宅(たとえば、ダート・グレーネ・フス)、オフィス、病院、学校、体育館、牧師館がハノーファー建築派の様式で建てられている。たとえばハウス・モールマンやカリン通りの邸宅群が有名である。三位一体教会は、1880年から1883年にクリストフ・ヘールによって建設された。ヴェルフェン城とそれに隣接する旧厩舎は、クリストフ・ハインリヒ・トラムの特徴である円形アーチ様式で建てられている。両者はともに現在はゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ大学ハノーファーが所有している。実用建築においても、現在のギルデ・ブルワリーの最初期の部分や、旧チョコレート工場B.シュプレンゲルの拡張部分は、ハノーファー建築派に位置づけられる。この建築様式はハノーファーを飛び出し、主に北ドイツ地域に広がっている。

アンツァイガー=ホーホハウス

レンガ表現主義

1920年代から1930年代のハノーファーのレンガ表現主義は、シュタイントーアのフリッツ・ヘーガードイツ語版英語版作のアンツァイガー=ホーホハウスで代表される。このビルディングは1927-28年にハノーフェルシャー・アンツァイガーの出版社の社屋として建設された、ドイツ国で最初期の高層ビルの1つである。この建物は高さ 51 m で、10階建てである。特徴的なドーム内にはかつてプラネタリウムがあったが、1945年3月の第二次世界大戦最末期の空襲によって焼失した。現在ここには映画館「ホーホハウス=リヒトシュピーレ」が入居している。報道雑誌「デア・シュピーゲル」(1947年)や週刊誌「シュテルン」(1948年)がアンツァイガー=ホーホハウスで創刊された。レンガ表現主義で建設された有名な建物としてはこの他に、ヒルデスハイマー通りのハノーファー市立図書館やリンデンのシュヴァルツァー・ベーレンに建つカピトール=ホーホハウスがある。市立図書館は、開館当時ヨーロッパ初の高層ビルの図書館であった。この様式で多くの家屋も建てられており、ジュートシュタット、リスト、クレーフェルト、デーレン、ファーレンヴァルト、ハインホルツ、ヴィンホルスト、ノルトシュタット、リンデン、リックリンゲンで見ることができる。ジュートシュタットのホーホハウス・グリュックアウフやホーホハウス・ギュンター、デ・ハーン広場の住宅やイム・クロイツカンペ住宅地(ともに、リスト市区)が有名である。同じくジュートシュタットには聖ハインリヒ教会がある。クレーフェルト市区のガルテンシュタット・クレーフェルトは、1927/28年の冬から、かつてのクレーフェルト騎士館の敷地に建設された。

ユーゲントシュティール

ハノーファーの多くの建物や街区がユーゲントシュティールで形成されている。特にリヒテンベルク広場があるリンデン市区やハノーファーの目抜き通りとされるベーデッカー通りがあるオストシュタット市区が顕著である。この他にユーゲントシュティール建築の多くある市区としては、デーレン、リスト、クレーフェルト、ノルトシュタット、ジュートシュタットが挙げられる[62]。ユーゲントシュティール建築やその様式の特別な作例が、ポドビールスキ通り、コレンロート通り、モルトケ広場、フェルディナント=ヴァルブレヒト通り、ファーレンヴァルダー通り、カント広場に特に集中している。1905年に建設されたゴーゼリーデバートの建物内には現在、ケストナー協会とラジオ ffn の本社が入居している。第二次世界大戦で破壊されたミッテルトラクト(中間部分)は、新しい建物に建て替えられた。

ハノーファー証券取引所

その他の歴史的建造物

オペラハウスの近くに、ハノーファー証券取引所チューダー様式の建築)、グローテ宮殿、ハンザ=ハウス、ゲオルクス広場のドイツ銀行ドイツ連邦銀行、ニーダーザクセン州財務省、その他多くの大規模で印象的な砂岩建築が立ち並ぶ金融街がある。この金融街の近くには、ハイマートシュッツ様式ドイツ語版英語版で建てられたエルンスト=グローテ=ハウスがある。

ルイ・レミー・ド・ラ・フォッセドイツ語版英語版はハノーファーで、グローサー・ガルテン近くのパーゲンハウスや、グローサー・ガルテン内の園亭を建設した。フュルステンハウスは、ヴェルフ家当主の長男エルンスト・アウグスト侯子の主たる居館である。ハルデンベルクシェス・ハウスは、国際的にも著名な人物が住んだ邸宅である。ヘレンホイザー・キルヒヴェークの城址は19世紀末に造られた。エーデルホーフ・リックリンゲンは、ハノーファーで唯一ほぼ完全な形で保存されている貴族の屋敷である。建築管理局のヴァッペンポータル(直訳: 紋章のある玄関)は、元々1738年に建設され、第二次世界大戦で破壊された Garde du Corps の兵舎にあったものである。リンデナー・ベルクには1740年代に建てられたキューヘンガルテン=パビリオンとノイエス・ハウスのアーケードの遺構がある。ノイエス・ハウスは音楽・演劇・メディア大学の前に位置している。

クッペルザール(ドーム状のホール)を持つ新古典主義様式の市立ホールは1914年に開館した。ゴーゼリーデには、古い建築を再生した例であるティートホーフがある。

ハノーファーには歴史的な風車が3基ある。ヘルマン=レンス公園に1701年製のボック風車ドイツ語版英語版がある。残りの2基は19世紀に建設されたオランダ式風車ドイツ語版英語版で、1868年建造のブーフホルツァー風車と1854年建造のアンデルター風車である。

マリエンヴェーダー修道院教会

宗教建築

旧市街およびカレンベルガー・ノイシュタットの教会以外にも市内には数多くの新旧の教会がある。ハノーファーに現存する最も古い教会はマリエンヴェルダー修道院の教会で、1200年頃にロマネスク様式三廊式の教会として建設された。ネオゴシック様式の教会には、マリエン通りの聖マリエン庭園教会、ノルトシュタットのルーテル教会、リンデン=ジュートの救世主教会がある、クリストゥス教会はゲオルク5世の宮廷教会として建設された。ツォー地区の聖エリザベート教会は特に豪華な内装を有している。エギディエン教会とニコライ礼拝堂は第二次世界大戦後破壊された姿で遺されており、悔恨の場として用いられている。ヘッケル通りのシナゴーグは第二次世界大戦後にハノーファーで新築された最初のシナゴーグであった。ヨーロッパ最大のパゴダが、メッセ会場の近くにあるパゴダ Viên Giác である。Sri Muthumariamman寺院は、北ドイツ最大級のヒンズー教寺院の1つである。Kirche der Verbrennung der Reliquien des Hl. Sava(直訳: 聖サワの聖遺物の火葬教会)はセルビア正教の教会である。Hl. drei Hierarchen 教会はギリシア正教の教会である。

ムスリム系住民の増加に伴い、ハノーファーにはいくつかの異なる宗派のモスク組織が創設された。彼らは様々なモスクを拠点としており、例えばその1つが Ahmadiyya Muslim Jamaat の Sami-モスクである。

デーレナー塔

ハノーファーには多彩な塔が存在する。数多くの教会塔の他に、デーレナー塔、プフェルデ塔、リンデナー・ベルクの塔などハノーファーの領邦防衛のための塔がいくつか存在する。かつての市壁の最後に遺された防衛塔が旧市街のベギネン塔である。新市庁舎の向かいにあるボルゲントリック塔は基礎部分だけが遺されている。19世紀なかばに取り壊されたリスター塔は、1895年にロマン化された後継建築に建て替えられた。アーレマー塔の中には現在仏教寺院が入居している。

1911年に完成した高さ 62 m の水道塔(ブリンク港の水道塔)は、当時ヨーロッパ最大の水道塔であった。ミスブルクの水道塔は1959年に現在の形に完成した。

ハノーファー=リンマーのコンチネンタルの工場跡には、数棟の工場とコンチ塔だけが遺されている。ハノーファー=リンデン分岐運河とライネ接続運河とにはさまれた半島状のその敷地には現在住宅地「ヴァッサーシュタット・リンマー」が建設されており、その中心に塔が建っている。

ヘルメス塔は1958年にメッセ会場にオープンした。この塔は高さ 88.8 m で、65 m の位置に展望台が設けられている。この塔は大きなメッセの期間中だけオープンしている。

1992年にオープンした、グロース=ブーフルツの高さ 282 m のテレマックスは、ニーダーザクセンで最も高い、ドイツ全土でも5番目に高い電波塔である。中央駅前の、テレモリッツと呼ばれる高さ 141 m の旧テレビ塔は、現在 VW-タワーとして広告塔の役割を果たしている。2012年に建設されたハノーファー=マリエンヴェルダー風力発電施設は、木造の塔に設けられた最初の近代的な風力発電施設である[63]

Nord/LB運営棟

近代建築

ディーター・エースターレンドイツ語版英語版は、歴史博物館やマッシュ湖畔のNDR放送ハウスといった建築によって、都市建設責任者ルドルフ・ヒレブレヒトによって構想された戦後建築に大きな影響を与えた。エースターレンは、塔だけが第二次世界大戦による破壊を免れたリンデン=ミッテの聖マルティン教会の新建築を設計した。

1970年代には、クレプケ=センター(その後完全に改築された)、ブレデロ高層ビルやイーメ=ツェントルムといった建築でブルータリズムがこの街に刻み込まれた。

シュターディオンバートは、ハノーファー市およびハノーファー広域連合で群を抜いて最大の屋内プールであり、1972年にドイツで最も近代的な水泳プールの1つとして建設された。この建物は上から見ると貝殻に似ている。現代建築の作例としては、高さ 83.52 m でガラスを多用したエギディエン広場の Nord/LB運営棟、ハノーファー=ベーメローデの貯蓄銀行フィナンツ-ITの建物、ガラス張りのトーアハウス・アム・エーギ、フランク・ゲーリーによる脱構築主義建築ゲーリー・タワードイツ語版英語版アレッサンドロ・メンディーニドイツ語版英語版によるメンディーニ・ハウスなどがある。クロンスベルクの街外れにエクスポ・パルク・ハノーファー産業地区がある。ここには Expo 2000 の展示パビリオンが何棟か遺されている。たとえば、デンマークの Expo-パビリオン、Expowal(Expo 2000の公式な象徴建造物)、ドイツ・パビリオンやプラネット MID(旧プラネット M)がある広いエクスポ=プラザなどである。2000年の開通当時ヨーロッパ最大の歩行者専用橋であったエクスポナーレ歩行者橋は、エクスポ=プラザとメッセ会場とを結んでいる。メッセ会場にも特別な建物がある。たとえば、エクスポ=ダッハ(世界最大の1本立ちした木製屋根)やコンベンション=センターである。1999年建造のインターナショナル・ニューロサイエンス・インスティテュート(INI、国際神経科学研究所)は、の形に造られている。

ライネウーファーにあるニキ=ド=サンファルの作品「ナナ」
エギディエン教会

記念碑、悔恨碑、路上芸術

ゲオルゲンガルテンのライプニッツテンペルは、1787年から1790年までハノーファーで活動した大学教師ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツの栄誉を讃えて建立された(元はワーテルロー広場にあった)。これは、貴族でない人物のために建立された記念碑としてドイツで最初のものであった。

同じく古典主義様式のワーテルロー柱は、カレンベルガー・ノイシュタット市区のワーテルロー広場に建つ高さ 46.31 m の戦勝記念碑である。この記念碑は1825年から1832年にゲオルク・ルートヴィヒ・ラーフェスドイツ語版英語版の設計に基づいて建立された。

1925年にマルタ・ペルツィヒとハンス・ペルツィヒが制作したマヨリカ焼きの像があるレーゼ=ブルネンは、アイレンリーデの外れ、音楽・演劇・メディア大学に近いフリッツ=ベーレンス=アレーにある。この泉は、珍しいアール・デコ様式の作例である。ハンス・ペルツィヒのもう1つの泉は、ドレスデンのグローサー・ガルテンにある。

1970年代にこの街は、当時の上級市長マルティ・ノイファーの主導下で、「公共空間の芸術」としてハノーファーの路上芸術に対する意欲的なプログラムを開始した。その最も有名で、当時論争を呼んだ作品が、1974年にニキ・ド・サンファルが創作したライプニッツウーファーの「ナナ」であった。やがて、ライネウーファーとケニーニヒスヴォルター広場との間に7点の作品が設置された、長さ 1.2 km の彫刻の径が形成された。現在ハノーファーでは、都市空間に200点以上の彫刻、塑像、インスタレーションが設置されており、ドイツトップと評価されている[64]

1990年代には、国際的なデザイナーが設計した9箇所のバス停やシュタットバーンの停留所からなるプロジェクト BUSSTOPS が実現した。その作品は、例えば、シュタイントーア(デザイナー: アレッサンドロ・メンディーニ)、ケーニヒスヴォルター・プラッツ(エットレ・ソットサス)、マッシュゼー/シュプレンゲル=ムゼウム(ハイケ・ミュールハウス)、ブラウンシュヴァイガー・プラッツ(フランク・ゲーリー)などで見られる。

ニーダーザクセン州議会議事堂の近くに、1837年8月1日のハノーファー王エルンスト・アウグスト1世によるハノーファー憲法廃止に抵抗したゲッティンゲン大学の7人の教授を讃える「ゲッティンゲンの7人」の群像がある。この群像は1988年に制作された。中央駅前にあるエルンスト・アウグスト記念碑は1861年に設けられた。市の中心にあるクレプケ時計は人気の待ち合わせ場所である。

カレンベルガー・ノイシュタットのユダヤ悔恨碑は、1941/42年にリガやテレージエンブルクに移送された350人のユダヤ人を記念したものである。赤い線の中に水晶の夜に破壊されたシナゴーグを記念する追悼の場が設けられている。

オペルンプラッツの「ハノーファーの殺害されたユダヤ人追悼碑」には、名前がわかっているホロコースト犠牲者約2000人の名前が記されている[65]

この街最大の悔恨の場がエギディエン教会の遺構である。ここは、戦争と暴力の犠牲者に対する追悼の場となっている。その内部には、姉妹都市である広島市から1985年に寄贈された日本の平和の鐘が設置されており[66]鐘楼にはグロッケンシュピールがある。

緑地とレジャー地

ハノーファー動物園のボート遊覧

動物園

エルレプニス=ツォー・ハノーファードイツ語版英語版(直訳: ハノーファー冒険動物園)は、1865年に「ツォー・ハノーファー」(ハノーファー動物園)として開演した、ドイツで五指に入る古い動物園である。冒険動物園への発展は1990年代半ばに始まった。現在は、「ザンベジ」(ボート遊覧とふれあい牧草地)、「ジャングルパラスト」、「アフィ・マウンテン」(ジャングルハウスと鳥小屋)、「メイヤース・ホーフ」、「オウトバック」、「ユーコン・ベイ」(水中世界)、「ツォーロジクム」(両生類の館)といった景観を模したテーマエリアが造られている。それらは、可能な限り実際に近い、種に適した環境下での動物に見物客を近づけることを目的としている。ブローデルブルク冒険遊技場があり、ショー・アリーナやユーコン=スタジアムでは毎日約20種類の動物の給餌や解説付きの動物ショーが行われている。この動物園では2018年から2020年までヤーデガー・アジジドイツ語版パノラマ画「アマゾニア」が展示されていた。約22 haに182種1729頭の動物が飼育されており、毎年100万人以上が訪れる。この冒険動物園は、ドイツ最高の動物園として「パークスカウト観客賞」ベスト動物園部門を7回受賞している(最後は2017年)[67]

かつて侯爵の猟場であったキルヒローデ市区の動物園は1799年に一般に開放され、112 ha に150から200頭の土着の動物と数多くの植物が生息している。鳥のケージ、アカシカムフロンの大きな囲い、イノシシの囲い、鳥類の保護エリアがある。ダマジカは園内全体を自由に移動できる。入り口には遊技場と1000年オークの木がある。

150種2,500頭の動物がいるベルクガルテンのシー・ライフ・センターは2007年にオープンした。ここには、深海水槽を通る長さ約 8 m のガラストンネルや典型的な熱帯雨林のレプリカがある。

ニーダーザクセン州立博物館の常設展示「ネイチャーワールド」には、200種以上の水生動物がいる「ウォーターワールド」や、爬虫類両生類がいる「ランドワールド」がある。「ネイチャーワールド」全体では3,350匹の動物がいる。

グローサー・ガルテン
ヘレンホイザー・アレー

ヘレンハウゼン王宮庭園

ハノーファーの最も知られた見どころの1つがヘレンハウゼン王宮庭園(ヘレンホイザー・ゲルテン)である。ヘレンホイザー・ゲルテン(訳注: 複数形である)はグローサー・ガルテン、ベルクガルテン、ゲオルゲンガルテン、ヴェルフェンガルテンからなる庭園群の総称である。グローサー・ガルテンは、ヨーロッパの最も重要なバロック庭園の1つである。数多くの特別な場所の他に、大花壇、オレンジ花壇、迷路、ヌーヴォー・ジャルダン(直訳: 新庭園)がグローサー・ガルテンの最も有名な部分である。この庭園の大噴水は最大 71.51 m に達し、ヨーロッパで最も高くまで噴き上げる庭園噴水である[68]。グローサー・ガルテンにはさらに、ニキ・ド・サンファルが内部をデザインしたグロッテ、ルイ・レミー・ド・ラ・フォッセが建設した2つの園亭、歴史的なガーデンシアター、黄金の門を持つギャラリー、オランジェリー、アルネ=ヤコプセン=ホワイエがある。第二次世界大戦で破壊されたヘレンハウゼン城は2011年から再建され、2013年1月18日に再オープンした。グローサー・ガルテンの近くにフュルステンハウス(侯爵の館)とハルデンベルクシェス・ハウスがある。ベルクガルテンは、12000種の植物を有するドイツで最も古い植物園の1つである。熱帯展示館、サボテン展示館、ヨーロッパ最大級のランのコレクションを有するラン展示館、カナリア諸島館がある。数多くのテーマ庭園の他に、ドイツで最も古いプレーリー庭園、シュムックホーフ(直訳: 宝飾の庭)、シュタウデングルント(この種のものとしてはヨーロッパで最も古いものの1つ)、さらに2007年からシー・ライフ・センターもある。ベルクガルテンにはさらにヴェルフ家廟所や図書館がある。ゲオルゲンガルテンは、イギリス式景観庭園の技法で造られている。ここには長さ約 2 km のヘレンホイザー・アレー(並木道)、ライプニッツテンペル、ゲオルゲン宮殿がある。ヴェルフェンガルテンには、ヴェルフェン城(現在は大学本部)、その前にニーダーザクセンの紋章動物であるニーダーザクセンの馬の像がある。ヘレンハウゼン王宮庭園は、2015年にドイツの庭園としては初めて、ヨーロッパ庭園遺産ネットワークからベスト・パーク・ヨーロッパとして表彰された[69]。2018年、ヘレンハウゼン王宮庭園には約100カ国からおよそ61万5千人が訪れた[70]。この庭園群は2019年にドイツの庭園としては初めてヨーロッパ歴史庭園ネットワークに加盟し、2020年から欧州評議会の文化ルート「ヨーロッパ歴史庭園ルート」[71]に参加している。

アイレンリーデ
フォン=アルテン=ガルテン

市有林と市立公園

ハノーファーは内市街に緑地が多くあるため、ドイツで最も緑豊かな大都市の1つとされており、「緑のメトロポリス」を自称している[72]。Meinedtadt.de の2011年のランキングではドイツで1位となったが[73]、他のランキングではそうではなかった。これは他の都市に面積比でより多くの緑地があったとしても、公共の緑地だけをカウントしているわけではないランキングがあるからである。しかし、ハノーファーはその都市開発について、特に持続可能であるとされている[74][75][76]

広さ 650 ha の市有林アイレンリーデは、この街の「緑の」と呼ばれている。この森の中には展望塔を持つ環境教育施設「森のステーション・アイレンリーデ」、2つのアスレチックコース、樹木の学習路、8つの日光浴場、14のモニュメント、10箇所の遊戯広場、ホーホザイルガルテン(高所に張り巡らされたロープを利用するアスレチック施設)を持つ遊技場「WAKITU」がある。アイレンリーデのレジャールートは約 80 km の遊歩道、38 km の自転車道、11 km の乗馬道で構成されている。

この他の市有林としては、アイレンリーデの南に位置するゼールホルスト、ボートフェルトシックのグローセ・ハイデ、ミスブルクの森、ヴュルフェローデのガイムとボックマーホルツ、ヴェットベルガー・ホルツ、バーデンシュテットのボルヌマー・ホルツ、マリエンヴェルダーのクロスターフォルスト、ノルトハーフェン市区のメクレンハイデ、シュテッケンのゲマインデホルツ、レーデブルクのシュパンリーデがある。

市立ホールの近くにある市立公園は、1913年に造成された。1951年にここで開催された戦後初の連邦園芸博覧会に伴い、現在の姿となった。この公園には、140種が育成されているバラ園、噴水庭園、水の庭園、茶室を持つ広さ 400 m2 の日本庭園などがある。この他の歴史的な市立公園としては、クレーフェルトのヘルマン=レンス公園、新市庁舎前のマッシュパルク、マリエンヴェーダー修道院近くのヒンユーベルシャー・ガルテンがある。市区部にはアルテ=ブルトのヒロシマ=ハイン、かつての王立乗馬ホールの敷地に1986年に設けられたファーレンヴァルダー公園、ブルク市区の植物学習庭園、1945年に破壊されたアルテン家の城館の遺構(楼門、ガーデンテラス)を持つリンデン=ミッテのフォン=アルテン=ガルテンがある。

新しい庭園には、アーレムのヴィリー=シュパーン=パルクや、Expo-2000に合わせて造られたエクスポ公園がある。エクスポ公園には、景観建築家カメル・ルアフィが設計したヴァンデルの庭園、エクスポ南公園、アグリコーレ公園が含まれる。これらの庭園は、Expo-2000のために新たに造成されたクロンスベルク地区の風致地区につながっている。カメル・ルアフィは2008年から2010年にオペルン広場の一部の改築を行った。

この他の市街地に近いレジャー地としては、ライネ川イーメ川ドイツ語版英語版およびミッテルラント運河沿いの堤防のプロムナードや緑地がある。ベノ=オーネゾルク橋の新設や、イーメ川沿いの洪水対策によりカレンベルガー・ノイシュタットのイーメ川の堤防が新たに建設された。

湖と水泳プール

室内プール「シュターディオンバート」

人工的に造られた広さ 78 ha のマッシュ湖ドイツ語版英語版は、新市庁舎を望む市街中心部の南に位置している。2年間の工期を経て1936年5月に開放されたこの湖は、市内最大の水域である。流入・流出する自然河川はなく、水は近くに位置するリックリンガー・キースタイヘンからポンプを介して供給されている。2つのヨット教室や多くのクラブにより、この湖でボートやヨットを楽しむことができる。夏季にはユストラ・ハノーファー交通会社ドイツ語版英語版 (Üstra) が4隻の船で循環ルートの観光船ツアーを運行している。南岸の水浴場で水浴もできる。旅行ポータルサイト holidu の2020年のランキングによると、マッシュ湖はドイツで人気の湖の1つ(第9位、3,070票)である。この他の水浴可能な湖には、ミスブルクのアルトヴァルムビュヘナー湖やゾネン湖、リックリンガー・キースタイヘがある。

市内には5つの屋内プールがある。シュターディオンバート、ヴァーレンヴァルダー・バート、ノルト=オスト=バート、シュテッケナー・バート、アンデルター・バートである。また、リンマーのフェッセバートとミスブルガー・バートは屋内・屋外プールである。

5月から9月までは6つの屋外プールが開かれている。リスター・バート、ハインヘルツァー・バート、リックリンガー・バート、RSV-バート・ラインハウゼン、フォルクスバート・リンマー、ヘルマン=レンス公園のクレーフェルダー・バート(アナバート)である。

シラー・シベリカが咲いたリンデナー・ベルク墓地

墓地

ハノーファーの大規模な墓地としては、多くの廟堂や塑像の記念碑が建つ古い墓地の市営エンゲソーデ墓地、市営リックリンゲン墓地、市営ゼールホルスト墓地(広さ 63 ha)、市営シュテッケン墓地、1968年に造成された最も新しい市営ラーエ墓地がある。ガルテン墓地、聖ニコライ墓地(市内で最も古い建物の1つであるニコライ礼拝堂の遺構が存在する)、ノイシュテッター墓地、オーバー通りの旧ユダヤ人墓地、シュトラングリーデのユダヤ人墓地は埋葬が停止され、公園として利用されている。春に明るい青色のシラー・シベリカドイツ語版の花が一面に咲き、「リンデンの青い驚き」として名所となっているリンデナー・ベルク墓地も同様である。

グリューナー・リング

1995年から建設された環状遊歩道兼自転車道の「グリューナー・リング」(直訳: 緑の輪)でハノーファー市の市境沿いに一周することができる。グリューナー・リングは、長さ 80 km の基本リングと3本の周辺ループおよび2本の内側ループで構成されている。基本リングは、郊外の市区だけでなく近隣の市町村を通ってもいる。

博物館とギャラリー

ニーダーザクセン州立博物館
シュプレンゲル美術館
ハノーファー・キュンストラーハウス

ハノーファーには約40館の博物館・美術館およびギャラリーが存在する。このうち8館が大規模な市立博物館・美術館である。

  • ニーダーザクセン州立博物館ハノーファードイツ語版英語版は3つの部門からなる。「芸術世界」は、ドイツとフランスの印象派コレクションを含む11世紀から20世紀のヨーロッパ芸術を収蔵している州立ギャラリーと旧ブリテン王国およびハノーファー選帝侯のコイン室とで構成されている。「自然世界」は、動物学植物学地質学の展示を行い、ヴィヴァリウムで3,350点の魚類昆虫両生類クモトカゲなどの生体展示を行っている。「人間世界」はニーダーザクセン原始古代史や、日本の茶室を含む世界中の文化を紹介している。この博物館の起源は1856年にまで遡るが、現在の博物館は1902年に建造された[77]
  • 歴史博物館は、中世の集落 honovere から宮廷都市を経て現在のメッセ所在地に至るハノーファーの歴史を紹介している。重点の1つが1714年から1837年のハノーファー選帝侯領がブリテン王国との同君連合として統治されていた時代である。隣接するベギネン塔は博物館とつながっており、行き来が可能である。この博物館は1903年に「祖国博物館」として別の場所に開館し、1966年に現在の建物に移転した[78]
  • ヘレンハウゼン城館博物館は2013年に開館し、歴史博物館に所属している。この博物館はヴェルフ家や庭園造営に関わった人物を紹介し、バロックの社会的・精神的前提条件とヘレンハウゼンの庭園造営との関係に光を当てている。博物館の第3の部分では啓蒙時代から現代までのヘレンハウゼン王宮庭園の発展について展示を行っている[79]
  • 1889年に開館したアウグスト・ケストナー博物館ドイツ語版英語版は、古代文化、エジプト文化、約1000点を所蔵する北ドイツ最大の貨幣コレクション、工芸品の4つの展示部門に分けて6000年にわたる美術工芸品を展示している[80]
  • シュプレンゲル美術館ドイツ語版英語版は1979年に開館し、20世紀美術を展示している。中心となっているのはクルト・シュヴィッタースのコレクション、ドイツ表現主義およびフランスのキュビズム作品で、抽象絵画室、グラフィックス室、および写真とメディアのクラシックモダン作品がある。また、この美術館はニキ・ド・サンファルから寄贈された抽象作品、コンセプチュアル・アートミニマル・アートアンフォルメル・アート、ヌーヴォー・レアリスムの作品も特別に展示されている[81]。この博物館は、国際美術評論家協会ドイツ語版英語版 (AICA) のドイツ部門の批評家によって2017年のミュージアム・オブ・ザ・イヤーに選ばれた[82]
  • ヴィルヘルム=ブッシュ美術館ドイツ語版英語版は、ヘレンハウゼンにあるドイツのカリカチュア線描のための美術館で、ヴィルヘルム・ブッシュによるカリカチュアと風刺画のコレクションを展示している。さらに国内外の現代美術家の作品(カートゥーンコミック、カリカチュア)を定期的に入れ替え展示している。この美術館の設立は1937年にまで遡る[83]
  • ケストナー協会ドイツ語版英語版は1916年に設立され、クラシック・モダン作品および現代芸術作品を展示している。重点は、映画、ビデオ、現代音楽、建築である。さらに空間を活用したインスタレーションや、現代絵画、彫刻、ビデオアート作品の包括的な紹介を行っている[84]
  • 1832年にドイツ初の芸術協会として創設されたハノーファー芸術協会は、キュンストラーハウス・ハノーファー(ハノーファー芸術家の家)に本部を構えている。毎年6-8件の国際的なモノグラフ展やテーマ展を開催している。

その他の主に民営の博物館の中には、1927年に設立されたハノーファー演劇博物館があり、17世紀から現在までのハノーファーの演劇史を展示している。訪問者は劇場の工房の仕事やオペラ、演劇、バレエ、コンサートについて概略を知ることができる。2002年に開館したエクスポゼーウムは、万国博覧会 Expo 2000の博物館である。1995年に開館したハノーファー盲人博物館は、ベルリンにある同様の博物館とともにドイツではユニークな存在である。設立が1980年にまで遡るハノーファー消防博物館は、ハノーファーの消防と防火に関する歴史を紹介している。1973年に設立された獣医学史博物館はハノーファ獣医科大学内にある。テキスタイル美術館では、2007年から世界中のテキスタイルを見ることができる。書籍印刷博物館は、リンデンのヒンターホーフ印刷所と同じく1950年代に設けられ、2001年に開館したアーレム郷土博物館はこの市区の歴史に関する博物館である。ヴァルター・ラインハルト美術館(ヴィラ・ポッツラハ)は、2017年からヴァルター・ラインハルトの作品を展示しており、ペリカン=ティンテントゥルム(直訳: ペリカン・インク塔)は、ペリカンの社史に関する入れ替え展示やその他の芸術作品展示を行っている。ブリ・クラシーク・ツアーでは 1500 m2 の敷地で100台以上のVW-バスを見ることができる。かつてのイスラエル造園学校にあるアーラム悔恨の場は、1987年から主にハノーファーおよび旧ハノーファー郡のユダヤ人の歴史を紹介している。この他に、2014年に開館したツィノーバー子ども博物館、2012年に開館したシュタインホフ=デザイン美術館、ハンマー博物館、ハノーファー墓地博物館(2006年から)、2010年開館のキッチン博物館(キッチンの世界)といった博物館/美術館がある。

ギャラリーでは、ブルーノ・ブルーニの常設展示があるハノーファー・ギャラリー、ファウスト芸術ホール、ハノーファー広域連合役場の地域の芸術展示広場、アイスファブリークのフォロ・アルティスティコなどがある。市立ギャラリー KUBUS は1965年から現代芸術のフォーラムとなっている。ここでは主にハノーファーの芸術家の個展やグループ展が開催されている。

天文愛好家には、リンデナー・ベルクに1968年に開館したハノーファー市民天文台[85]や、1963年にマッシュ湖近くのビスマルクシューレにオープンしたプラネタリウムがある[86]

1999年から毎年6月に「博物館の長い夜ドイツ語版英語版」が、1998年から9月に「ツィノーバー=クンストフォルクスラウフ」(直訳: ツィノーバー芸術市民レース)が開催されている。

かつて存在した博物館

ゼクストロ通りにはかつて、自動車博物館歴史的車両コレクションがあった。コレクターのマイヤー=シュペルブリンクとボルクマンが、遅くとも1980年3月から少なくとも1982年まで、ここにオールドタイマー約30台を展示していた。給油ポンプや何千台ものモデルカーもあった[87][88]。2000年から2011年までハノーファーにニーダーザクセン警察史コレクションがあった。この博物館は2011年にニーンブルク/ヴェーザーに移転した。この他のかつて存在していた博物館としては、ヘレンハウゼン博物館(フュルステンハウス内にあった)、ゲオルク通りのオリエント絨毯博物館、グルーペン通りの "M(a)useum"(ユーリ=シュタイン博物館)があった。エネルギー史博物館は1979年から2021年まで、電化の変遷300年史を紹介していた。

シャウシュピールハウス・ハノーファー
クンバーラント・ギャラリー

演劇、オペラ、舞踏

ハノーファーには30を超える劇団と、公演会場を持たない自由演劇グループが数多く存在する。

ニーダーザクセン州立劇場(1852年に王立宮廷劇場として設立された)は、多ジャンルの劇場である。「演劇」部門(シャウシュピール・ハノーファーと呼ばれる)はシャウシュピールハウス・ハノーファーで、「オペラ」部門(ハノーファー州立歌劇場と呼ばれる)はオペラハウスドイツ語版で公演を行っている。ハノーファー州立歌劇場は2020年に国際的な "Oper!" -「オペラハウス・オブ・ザ・イヤー」賞を獲得した[89]。「ユーゲント・シャウシュピール」および「ユーゲント・オーパー」はバルホーフ・アインスおよびバルホーフ・ツヴァイで公演を行い、「クンバーラント」は小規模なプロダクションや朗読会に利用される。マッシュパルクでのクラシック・オープン・エア(2019年までは NDR クラシック・オープン・エア)は、2014年から開催され、2019年まではNDR、2021年からはアルテおよび3satドイツ語版英語版によりテレビ中継もされる野外オペラである[90]。ハノーファーの舞台でデビューした有名な俳優としては、テオ・リンゲンヴォルフガング・フェルツドイツ語版英語版が挙げられる。1688年にアゴスティーノ・ステッファーニが歌劇場楽団長となった。彼のオペラ「エンリコ・レオーネ」は1689年にハノーファーで初演された。1831年からハインリヒ・アウグスト・マルシュナーがライネ城の宮廷楽団長となり、彼のオペラのうち2作はハノーファーで初演された。

グローサー・ガルテンのガルテンテアター(野外の生け垣に囲まれた劇場)は様々な演劇プロダクションに利用されている。

オペラハウスの向かいにあるノイエ・テアター(直訳: 新劇場)はハノーファーのブルーバードシアタードイツ語版英語版である。テアター・アム・エギは独自の劇団アンサンブルを持っておらず、客演アーティストやアンサンブルの公演会場となっている。

古典的な劇場の他に多彩で自由な演劇シーンが存在する。「ハノーファー自由劇団」のラベルの下、以下の劇団が共同で活動を行っている: アイスファブリークの「コメディア・フトゥーラ」と「ランデラー & カンパニー」、アルテ・タンクシュテレ(直訳: 旧給油所)の「テアター・フェンスター・ツーア・シュタット」、テアトリオ人形劇場の「マルメロック人形劇団」と「ノイモント人形劇団」、こども劇場の「クレックス=テアター」、パヴィロンの「テアター・アム・グロックゼー」、「クヴァルティーア・テアター」、「テアター・イン・デア・リスト」、「テアターヴェルクシュタット」および決まった公演会場を持たないいくつかのアンサンブル。

この他の自由劇団には、ジュートシュタットのヒンタービューネ、ライプニッツ劇団、音楽大学のシュトゥーディオテアター(直訳: 学習劇団)、ビュルガーシューレ(市民学校)のノルトシュタット劇団、アルター・マガツィーンのハノーファー室内劇団、ファウスト=ゲレンデのヴァーレンアンナーメ(直訳: 貨物受け入れ所)、リンデナー・ベルクのミットヴォーヘテアター(水曜劇場)がある。

「ランゲ・ナハト・デア・テアター」(直訳: 劇場の長い夜)と「フェスティバル・テアターフォルメン」(ブラウンシュヴァイクと交互に開催)が、多くの劇場や劇団が共同で行う2大イベントである。

舞踊・バレエ公演は、ニーダーザクセン州立劇場のバレエ部門(ハノーファー州立バレエ団と呼ばれる)によりオペラハウスで行われる。フリーダンス部門ではアールベルクフィールテルのカンパニー・フレーデヴェースがある。オスター=タンツ=ターゲンと国際コレオグラフ・コンクールというダンス部門の2つの国際イベントが毎年開催されている。国際的なダンスフェスティバルであるタンツテアター・インターナショナルが1985年から2022年まで開催されていた。

GOP ヴァリエテ・テアター

演芸とキャバレー

演芸は、特に1920年代半ばから(中断をはさみながら)GOP ヴァリエテ・テアターで上演されている。この劇場は、1920年代から50年代の元の場所で存続しているドイツ唯一のバラエティ劇場であるというだけでなく、ドイツ連邦全土で運営されている GOP エンターテイメントグループの旗艦劇場でもある[91]。ハノーファーは "GOP" の拠点というだけでなく演芸界の牙城でもある。クラインクンストビューネ・ハノーファー(直訳: ハノーファー演芸場)、マルレーン、カナペー、ウーウ=劇場といった数多くのステージが演芸に特化している。オランジェリー・ヘレンハウゼンでは毎年GOP主催の「ヴィンター・ヴァリエテ」(直訳: 冬のヴァラエティー・ショー)が開催され、青年の家の裏に設けられたサーカス・テントで「ランペンリヒト・ヴァリエテ」(直訳: フットライト・ヴァラエティー・ショー)が上演される。リンデンのアポロキーノのデジモス・スペシャル・クラブは、2002年からコメディアンにステージを提供している。ハノーファーの演芸シーンのハイライトは1980年代半ばに興ったグローサー・ガルテンでの演芸祭である。これは、約30箇所のステージで100組以上の芸人が参加して行われる国際演芸フェスティバルで、毎年7月に開催される[92]

政治風刺キャバレーは、1987年からテアター・アム・キューヘンガルテン (TAK) のハノーファー・カバレットビューネで行われている。それ以前の1975年から1987年には、すでに現存しないテアター・アン・デア・ブルト (TAB) で上演されていた。

ミュージカル

ゾーファ・ロフトの「ミュージカル・ファクトリー・ハノーファー」は2017年に開館したハノーファーで最初の純粋なミュージカル劇場である[93]。この小さな劇場はオフ・ブロードウェイ作品に注力しており、最初の2シーズンにはミュージカル「Non(n)sens」(2017年)と「ブルース・ブラザース」(2018年)が上演された。様々なアンサンブルによるミュージカル客演はテアター・アム・エギやクッペルザールで定期的に開催されるが、ZAG-アレーナやスイス・ライフ・ハレでも時々公演が行われる。2012年から毎年10月から1月に GOP ヴァリエテ・テアター・ハノーファーで子供向けのクリスマスミュージカルが上演される。これまでに上演された作品は、たとえば「Scrooge」、「Der Prinz und das wilde Mädchen」、「ジャングル・ブック」などである。過去にはハインツ・ルドルフ・クンツェドイツ語版英語版とハイナー・リューリヒによるシェイクスピア=サマー=ミュージカルが有名であった。「夏の夜の夢」(2003年-2006年、2010年-2014年)、「十二夜」(2007年-2008年)、「テンペスト」(2011年)が上演された。クンツェとリューリヒのデュオは2018年にシェイクスピア=サマー=ミュージカルの第4段として「お気に召すまま」を上演した。ペーター・ヴェックドイツ語版英語版は2011年にミュージカル「キャッツ」をハノーファーに持ち込んだ。この公演はワーテルロー広場の特別テントで上演された。ミュージカル「Stadtrevue」(2004年から)も地域を超えて有名であった。

キーノ・アム・ラッシュプラッツ

映画

ハノーファーで最初の映画館は1896年8月18日に開館した。これ以後ハノーファーの映画状況は年ごとに大きく変化した。第二次世界大戦勃発前にはハノーファーには32館の映画館があったが、戦後に残ったのは9館だけであった。本当の最盛期は1948年から始まった。多くの映画館が開館し、ハノーファーは1950年代にはドイツの先進的な映画初演都市となっていた。1990年代から映画館の閉館が始まった。2023年現在ハノーファーには9館の映画館があり、このうち2件はそれぞれ10スクリーンのシネマコンプレックスである。2000年からラッシュ広場にある「Cinemaxx」と、2014年開館のプレミアム映画館「アスター・グランド・シネマ」である。後者は、1991年にハンス=ヨアヒム・フレッベが開館し、2013年に閉館したドイツで最初の Cinemaxx-シネマコンプレックの建物にある。2020年に刊行された消費者ポータルサイト testberichte.de のランキングによれば、アスター・グランド・シネマは7位にランキングされており、ドイツで人気の映画館トップ10入りを果たした[94]。ホーホハウス=リヒトシュピーレは、プログラム映画館ドイツ語版で、アンツァイガー=ホーホハウスの10階にある。道路からの高さは 33.88 m で、ドイツで最も高所にある映画館である。1978年にオープンしたキーノ・アム・ラッシュプラッツは4スクリーンで2018年にドイツのベスト・プログラム映画館に選ばれた[95]。その他のプログラム映画館としては、1908年に開館したリンデンのアポロ=キーノや2013年に長い休業の末に再開したヴァルトハイムの PuKi-プッシェンキーノがある。1974年に開館したキュンストラーハウスの市営映画館と1992年にオープンしたシュプレンゲルの映画館は、非営利目的の映画館である。ウニキーノ・ハノーファーは何年も前からライプニッツ大学の学生によって運営されている。

1991年から国際的な若手映画フェスティバル「アップ=アンド=カミング」がハノーファーで開催されており、2005年から2年毎に「ドイツ若手映画賞」が授与されている。ハノーファーのこの他の映画祭には国際子供映画フェスティバル「ゼープフェルトヒェン」(2000年から)と同性愛者の映画祭「ペルレン」(1997年から)がある。夏にはパルクビューネ・ハノーファーでの「ゼー=フェスト」で、野外映画も上映される。

休暇の家

市は多くの市区に「フライツァイトハイム」(直訳: 休暇の家)を有している。クラブやその他のグループがイベントのためにこれを利用することができる。デーレン、リックリンゲン、シュテッケン、ファーレンヴァルト、リスター・トゥルム、リンデン=リンマーにある。リンデンの休暇の家はドイツで最初の休暇の家である。この他に1951年に設立されたジュートシュタットの「ハウス・デア・ユーゲント」(直訳: 若者の家)がある。

音楽

UNESCOは、2014年にハノーファーに「UNESCO 音楽の街」のタイトルを授与した。その理由は、ポップロックからジャズ古楽クラシック、現代音楽まであらゆるジャンルの音楽に触れる多彩な機会があり、音楽業界の職場が数多くあることであった。

ヨーゼフ・ヨアヒム

クラシック音楽

1636年に宮廷楽団として創設されたニーダーザクセン州立歌劇場のニーダーザクセン州立ハノーファー管弦楽団は、オペラハウスドイツ語版で演奏を行っている。1950年に設立された北ドイツ放送のオーケストラは、ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団としてクラシック音楽を、NDRポップス・オーケストラとしてモダン・アレンジの作品を、NDRの放送局大ホールで演奏している。クラシック音楽の演奏団体としてはこの他に、ハノーファー・ユース・シンフォニーオーケストラ、ハノーフェルシェ・ホーフカペレ、室内管弦楽団ムジカ・アルタ・リパ、バロックオーケストラのラ・フェスタ・ムジカーレがある。ハノーファーには多彩な合唱団がある。特に、国際的に評価の高い合唱団としては、ハノーファー児童合唱団ドイツ語版英語版、ハノーファー少女合唱団、ハノーファー・バッハ合唱団、北ドイツ・フィギュラルコールがある。ハノーファー・コングレス・センター (HCC) のクッペルザールは、約3,600席のドイツ最大級のクラシック・コンサートホールの1つである。客演オーケストラには HCC のライプニッツザールやヘレンハウゼン王宮庭園のギャラリー棟の2つのコンサートホールも使われる。ヨーゼフ・ヨアヒム国際ヴァイオリン・コンクールは1991年から開催されている。この他に、「クラシック・イン・デア・アルトシュタット」(直訳: 旧市街のクラシック)が2001年から、約50組が参加する「コールターゲ・ハノーファー」(直訳: ハノーファー合唱の日)が2009年から、音楽・演劇・メディア大学の「カンマームジークフェスト」(直訳: 室内楽祭)、「オーペルンバル・ハノーファー」(直訳: ハノーファー・オペラハウス舞踏会)が1980年代末から開催されている。ショパン協会は1991年から毎年ゲオルゲンガルテンで「クラシック・オープン・エア」を、2年毎に国際ピアノコンクールを開催している。北ドイツ放送は2年毎に市内各所のステージで「NDRムジークターク」を、毎年クッペルザールで「ハノーファー・プロムス」を組織している。2019年から2年毎にヨーロッパ最大の合唱音楽の祭典 chor.com が、2022年から毎年音楽メッセ「クラシカル: ネクスト」がハノーファーで開催される。これはクラシック音楽の重要な国際的な業界イベントである。

1710年から1712年までゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒの宮廷楽長を務めた。この頃にヘンデルは一連の二重唱歌曲集を作曲し、ライネ城で宮殿コンサートを指揮した。1852年から1866年までヨーゼフ・ヨアヒムがハノーファー王の楽団のコンサートマスターを務めた。この頃しばしばハノーファーを訪れていたヨハネス・ブラームスはヨアヒムの協力を得てピアノ協奏曲第1番オーケストレーションを進め、1859年にハノーファーで初演を行った。この他に、ヴィルヘルム・ズトール(1818年 - 1828年)、ハインリヒ・アロイス・プレーガー(1828年 - 1831年)、ハンス・フォン・ビューロー(1877年 - 1879年)がハノーファーの宮廷楽長を務めた。ハノーファーはクララ・シューマンが最も愛した演奏場所の1つであり、ロベルト・シューマンの最後の旅もハノーファーへのものであった[96]

ジャズクラブ・ハノーファー

ジャズ

1942年にドイツ・スウィング=クラブが設立され、1946年からドイツ・ホット・クラブ・ハノファーとなった。このクラブが1950年代末にプログラムを終了すると、1957年に新しいジャズクラブが創設され、1966年にこのクラブから現在のジャズ・クラブ・ハノーファーがリンデナー・ベルクに設立された。長年会長を務めたミヒャエル・ゲールケの尽力によりハノーファーはドイツのジャズの牙城の1つとなった。このジャズクラブとミヒャエル・ゲールケは1978年にニューオーリンズ名誉市民となった。トラム広場でのジャズフェスティバル「エナーシティー・スウィンギング・ハノーファー」は毎年約4万人の観客が訪れる北ドイツ最大のジャズフェスティバルであるとされており、1967年から毎年キリストの昇天の日に開催されている[97]。その前夜には HCC のクッペルザールで「ジャズ・ナイト」が開催される。この他のジャズイベントとしては、たとえば様々なクラブでの「ハノーファー・ジャズ週間」(1992年から)、「ジャズクラブ・ハノーファーのサマーフェスト」、国際的な「ザイトヴェルツ・アバンギャルド・ジャズ・フェスティバル」(2015年から)などがある。旧市街では「ジャズ・アム・バルホーフ」(直訳: 舞踏会場のジャズ)という年に5回のコンサートを行うイベントシリーズが有名である。定期的なジャズコンサートやジャズセッションは、「トーンハレ・ハノーファー」、「ランペ」、「マルレーン」でも行われている。音楽・演劇・メディア大学は1985年にジャズを学習課程に含めた最初の大学の1つである。この大学では1971年にすでにジャズセミナーが開講されていた。「ハノーファー・ジャズの日」は、1967年からほぼ30年間にわたってハノーファーのジャズシーンの確固たる構成要素であった。90年代半ばに「ジャズの日」は「ホット・アドヴェント」に縮小され、2007年に完全に終了した。

1987年にローター・クリストをリーダーに結成された「ハノーファー・ビッグ・バンド」やクヌート・リヒターによる様々な音楽ユニットは、ハノーファーを本拠地としていた。バンド「アフター・アワーズ」はロジャー・チチェロドイツ語版英語版との共演(2004年から)で知られている。ブルボン・スキッフル・カンパニーやアクセル・プラズーンはハノーファーの音楽シーンから生まれた。本来はハンブルクを拠点としてる NDR ビッグバンドは2018年からハノーファーでコンサートシリーズを開催している(NDRの放送小ホール)。1924年4月にアレックス・ハイドドイツ語版英語版が、アメリカ人ジャズミュージシャンとしてはドイツで初めて、ケニーヒ通り近くのチボリ劇場で演奏を行った[98]。後に多くのジャズミュージシャンがハノーファーのドイツ・グラモフォンでレコーディングを行った。1955年のドイツ人とアメリカ人が初めて共演したレコードもその1つである。1948年には戦後の北ドイツで最初の公開ジャムセッションがハノーファーで行われた。数多くのジャズミュージシャンがハノーファーで暮らし、活動した。たとえば、トランペッターのヨーヘン・ローゼ(1960年から)とビリー・モー(1970年代から)、サクソフォン奏者のジョー・ヴィエラドイツ語版英語版(1971年 - 1997年)、ピアニストチャンピオン・ジャック・デュプリードイツ語版英語版(1975年から)、ブルースミュージシャンのルイジアナ・レッドドイツ語版英語版(1981年)などである。ヴィブラフォン奏者のライネル・ハンプトンは1974年にハノーファーで「アイスバイン=ブギ」を作曲し、その一節はハノーファー市のゴールデンブックに不朽の記録として遺された[99]ベーシストジミー・ウッドもハノーファーで活動し、2005年にサクソフォン奏者のシュテファン・アーベルと共演した CD を発表した。チェット・ベイカーは、1988年にアムステルダムで悲劇的な死を遂げる前に、NDR-ハノーファー放送局で彼の最後の2回のコンサートを行った。何人かのジャズミュージシャンはハノーファーに作品を捧げている。たとえば、トレヴァー・リチャードの「ハノーファー・ブギ」、フェルディナント・ハフリークドイツ語版英語版の「スウィンギング・ハノーファー」、ジョー・ヴィエラの「ハノーファー・スクエア」、リー・コニッツドイツ語版英語版の「ハノーファー・プレイス」などである。フリッツ・ラウはハノーファーを「ジャズの秘密の首都」と呼んだ。

スコーピオンズ

ロック、ポップなど

1965年に結成されたハードロック/ヘビーメタルバンドのスコーピオンズは、ハノーファーを自らの故郷と呼び、後に「ウィンド・オブ・チェンジ」などの楽曲で世界的知名度を獲得した。1970年代のハノーファーはハードロックやプログレッシブ・ロックのバンドによって特徴づけられる。たとえば、ジェーンドイツ語版英語版エロイ、ラムセス、あるいは元々はドルトムントで結成されたエピタフなどである。1980年代にこの音楽シーンは発展し、フューリー・イン・ザ・スローターハウスドイツ語版英語版やテリー・ホークスといった国際的に有名なグループや、コンボ・コロッサーレ、ハンス=ア=プラスト、シュタインヴォルケといったノイエ・ドイチェ・ヴェレのバンド、ハインツ・ルドルフ・クンツェドイツ語版英語版などのソロミュージシャンを輩出した。1980年代に結成されたバンドのサンダーヘッドやサージャント・フューリーが示すように、ハードロックやヘビーメタルも常に話題となっていた。1990年代半ばにテクノバンドスクータードイツ語版英語版が結成された。歌手のウィン・フープドイツ語版英語版ユーロビジョン・ソング・コンテスト1960にドイツ代表として出場し、4位になった。歌手レナ・マイヤー=ラントルートユーロビジョン・ソング・コンテスト2010ユーロビジョン・ソング・コンテスト2011にドイツ代表で出場し、2010年は246ポイントで優勝し、2011年は10位になった。2001年、2013年、2015年にはユーロビジョン・ソング・コンテストのドイツ予選が、2008年にはブンデスビジョン・ソング・コンテストがハノーファーで開催された。

Mousse T.ドイツ語版英語版ハウスミュージックシーンで、ディスクジョッキーとして名を馳せている。ラウンジ・ミュージックの分野では Mo’ Horizons がこの街に「Bosshannover」(訳注: ボサ・ノヴァとの洒落になっている)という名をつけて敬意を払っている。この他の音楽グループには、Abstürzende Brieftauben、スパイス、ザ・ジンクス、マルケスドイツ語版英語版がいる、あるいは、いた。カントリーミュージシャングンター・ガブリエルドイツ語版英語版は、ハノーファーで学び、働いていた。その間に彼は最初のヒット曲を書き上げた。ア・カペラ・グループの Maybebop は1992年にハノーファーで結成された。ハノーファーで活動している、あるいは活動したその他のミュージシャンには、マーク・テレンジドイツ語版英語版ザ・ケリー・ファミリードイツ語版英語版ジョン・ケイドイツ語版英語版、シュパックスがいる。

ハノーファーで最大のポップ=フェスティバルが「N-ジョイ・スターショー」と共同で開催される「NDR 2 プラッツァフェスティバル」である。「フェールマンフェスト」は1983年から毎年8月の初めにリンデンで約20組のバンドが参加して開催される野外フェスティバルである。2008年からはハノーファーでも「フェテ・デ・ラ・ムジークドイツ語版英語版」が開催されており、約800人のミュージシャンが30以上のステージで演奏する、この種のものとしては最大のイベントとなった。「ムジーク 21 フェスティバル」は2年ごとにハノーファーで開催される。

ファウスト文化センター入り口

熱烈なインディーズシーンは文化センター「ファウスト」、グロッケンゼー、Béi Chéz Heinz、UJZ コルンシュトラーセ、ミュージックセンター、ノルトシュタットのシュトルムグロッケで観られる。

2001年からハノーファーで様々なスタイルのグループが参加する国際ア・カペラ週間が開催される。

コンサートはハノーファーの大小様々なステージで行われている。ギルド・パルクビューネ・ハノーファー、スイス・ライフ・ハレ、カピトール、パヴィロン、ファウスト、Béi Chéz Heinz、ルックス、シュトラングリーデ・ステージ、ハノーファー音楽センターなどである。ZAG-アレーナハインツ=フォン=ハイデン=アレーナは大規模なコンサートに利用される。

多くの音楽家がハノーファーでミュージック・ビデオを録画している。たとえばフューリー・イン・ザ・スローターハウス (Radio Orchid と When I'm Dead and Gone)、ザ・ケリー・ファミリー (I Can't help Myself)、メラニー・チズム (First Day of My Life)、コールドプレイ (Everglow)、You Silence I Bird (Last Night) 、Mark'Oh (Many & Randy)、クール・サヴァーシュドイツ語版英語版 (Krone)、ブルーノ・ブライトクロップス (Ich fahre Mofa, quer durch Hannover)、アヴァンタシアドイツ語版英語版 (Dying for an Angel) などである[100]

1995年から2022年までハノーファーとその周辺では毎年1回2週間にわたる Masala Weltbeat Festival が開催されていた。これは毎年1万人以上の観客を集めるヨーロッパ最大級のワールドミュージック・フェスティバルの1つであった。2008年から2012年まで開催されていた BootBooHook-Festival は50組近いバンドが参加する最大級のインディー・ポップソングライターパンクスカのフェスであった。

民俗音楽と行進曲

民俗音楽の分野では、「Die Lustigen Hannoveraner」、「In Hannover an der Leine」、「Wir sind noch echte Niedersachsen」といった民謡や、「Hannoversche Gardejäger」、「Hannover-Messe」、「Im Leinetal」、「Hannoversche Königsgruß」といった器楽曲が挙げられる。ハノーファーに関連する行進曲には、「ニーダーザクセン行進曲」、「ハノーファー・ケンブリッジ竜騎兵連隊行進曲」、「ハノーファー・ガルデ・ドゥ・コルプス行進曲」がある。ハノーファーには、たとえばハノーファー陸軍音楽隊がある。この楽隊は、国際的なマーチングフェスティバル「Musikparade der Nationen」に34年間参加した。この Musikparade は、独立したイベントとしては2009年を最後に開催されていない。

エミール・ベルリナーが設立したハノーファーのドイツ・グラモフォンの工場

音楽業界

ハノーファーのエミール・ベルリナーは1870年にアメリカ合衆国に移住して、1887年に音盤蓄音機を発明した。彼は1898年に兄弟とともにハノーファーでレコード制作会社ドイツ・グラモフォンを設立した。この会社は1972年にポリグラムとなり、1998年にユニバーサル・ミュージック・グループ傘下に組み込まれた。デューゼンバーグ・ギターの歴史は1986年にハノーファーで始まった。現在までこの街でエレキベースエレキギターが製造されている。著名な使用者にボン・ジョヴィロッド・スチュワートが挙げられる。ハノーファー・コンサーツやプロ・ムジカは、地域を超えて有名なコンサートエージェントである。SPVやペパーミント・ジャムは、国際的に有名なレコード・レーベルである。

言語と文学

メッセ「ブーフルスト」

ハノーファーとその周辺の話し言葉は、特に標準的な書き言葉のドイツ語に近いことから「最良の高地ドイツ語」という評判が広まっている。言語学者のヘルベルト・ブルーメは、ニーダーザクセン語の発音が、近世ザクセンの官僚言葉から発展した高地ドイツ語の書法に適していたためだと考察している。そして、このため18世紀の終わり頃から標準ドイツ語が、都市部のエリートの口語として通用するようになっていったとしている。これに対してドイツ学者のクリスティン・コプフは、書き言葉と本来のハノーファーの話し言葉との間には大きな違いがあったため、慣れない書法で書かれたものを慣れた書法流に精確に発音して、南部ではまだ残っている書き言葉と話し言葉との距離を解消していったという説を唱えている[101][102]。1800年頃に北ドイツの宮廷都市で話されていた言葉が一般的な高地ドイツ語の話し言葉のモデルになったと、ドイツ学者のクラウス・アールツヴァイクが主張している。ハノーファーは19世紀半ばの最も権威ある都市としてその模範となった。ミヒャエル・エルメンターラーとディーター・シュテルマッハーはハノーファーの日常語は他の北ドイツの都市と比べて「ピュア」ではないと述べている。1792年にカール・フィリップ・モーリッツが初めて言及したハノーファーの特殊性は「言語神話」である[103][104]。低地ドイツの言語状況は、ハノーファーやブラウンシュヴァイクといった大都市の上流階級が書き言葉を話し言葉に発展させ、ニーダーザクセン語を放棄したことで大きく変貌した。文法はオストファーレン語ドイツ語版英語版の影響を受ける一方で、発音はDTV-ドイツ語アトラスによればオーバーザクセン語ドイツ語版英語版とこの地域のオストファーレン語が混在している。低地ドイツ語方言はハノーファーではほとんど話されていないが、そのバリエーションがこの街や周辺地域の方言を形成している[105]

方言の性格を帯びたハノーファーの日常語は「ハネーフェールシュ」と呼ばれる、方言、社会的役割語、標準ドイツ語が混ざり合っている。郷土研究家のゲオルク・ルーデヴィヒによれば、これは形式的には高地ドイツ語、語彙の上では低地ドイツ語(カレンベルガー方言のローカルなバリエーション)で、そこにフランス語を始めとする外来語が採用されているリングア・フランカであると唱える[106]。ドイツ学者ディーター・シュテルマッハーは18世紀から19世紀に形成されたこの言語を「高地ドイツ語化された方言」とよび、第一次世界大戦までハノーファーで使われていた。テオドール・レッシングは1919年に「Theodore le Singe」というペンネームで「Jäö oder wie ein Franzose auszog, um in Hannover das „raanste“ Deutsch zu lernen」(直訳: Jäö あるいは、フランス人がハノーファーやその周辺で raanst なドイツ語を学ぶ方法)を著し、その中でハネーフェールシュ言葉に記念碑を打ち立てた。これ以後その使用は減少していったが、エレメンターラーによれば1961年の音声サンプルにもその要素ははっきりと聞き取れるという。シュテルマッハーによれば2012年には機能的なコミュニケーション手段としてこの言語は絶滅していたのだが、ラジオ・コメディー・デュオのジッギとラーナーによるパロディーの中には断片的に痕跡が残っている[107][108][109]

ハノーファーの作家を記念して市は1879年から2005年までゲリット=エンゲルケ賞を、2008年からはヘルティー賞を授与している。キュンストラーハウスでは毎年、ニーダーザクセンのインディーズの出版社や各地の客演者によるメッセ「ブーフルスト」が開催されている。

ハノーファーとその周辺には数多くのメルヘンが遺されており、特に19世紀にカールとテオドールのコルスホルン兄弟によって収集され、後に出版された[110]

芸術家で詩人のクルト・シュヴィッタースは「メルツドイツ語版英語版」をキーワードにしてダダイズム的な「Gesamtweltbild」を展開した。彼の遺産の大部分とメルツバウの復元模型がシュプレンゲル博物館ドイツ語版英語版にあり、彼の墓はエンゲゾーデ市営墓地にある。ハンナ・アーレントの栄誉を讃えて、ハノーファー市立図書館には彼女の生涯と作品に関する紹介表や数多くの写真が展示されているハンナ=アーレント室がある。さらに毎年ハンナ=アーレントの日が催されている。街の中心にあり、ニーダーザクセン州議会が入居しているライネ城がある広場は彼女にちなんでハンナ=アーレント広場と名付けられている。ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテの「若きウェルテルの悩み」に登場するロッテのモデルとなったシャルロッテ・ブッフは1773年にアウグスト・ケストナーと結婚するためにハノーファーに移り住んだ。彼女の墓はガルテン墓地にある。ヴィルヘルム・ブッシュは1847年から1851年までハノーファーで学び[111]アドルフ・クニッゲは1788年に「智恵袋」を刊行し、ヨアヒム・リンゲルナッツは1913年に司書を務め、エルンスト・ユンガーの小説「Die Zwille」はハノーファーを舞台にしている。ヘルマン・レンスドイツ語版英語版は、1982年から休暇はハノーファーで過ごした[112]エーリヒ・マリア・レマルクは1922年からコンチネンタル AG に勤務し、広告のテキストやコミックを描いた。ハインリヒ・クリスティアン・ボイエドイツ語版英語版は国務官僚としてハノーファーで働き、ルートヴィヒ・ヘルティードイツ語版英語版はその晩年をハノーファーで過ごした。カール・ヤーコプ・ヒルシュは1931年にその小説「Kaiserwetter」で帝国時代後期のハノーファー社会の活き活きとした肖像を描き出した。ヴィッキイ・バウムは1917年から1923年までハノーファーに住み、最初の小説「Frühe Schatten」を執筆した。ヨハン・ペーター・エッカーマンは1814年から数年間ハノーファーに住んだ。ルドルフ・エーリヒ・ラスペはハノーファーで図書館書記官、後に同秘書官として勤務した。ゲリット・エンゲルケの遺産はハノーファー市立図書館のエンゲルケ=アーカイブに収蔵されている。フランク・ヴェーデキントは幼少期の1歳の頃にハノーファーに住んだ。アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルフリードリヒ・シュレーゲルの兄弟はドイツ・ロマン派の創始者の1人とされている。カール・フィリップ・モーリッツの小説「アントン・ライザー」はハノーファーを舞台にしている。

名物料理・食材

リュッチェ・ラーゲ

ハノーファーにはビール醸造の長い歴史がある。1526年にコルト・ブロイハンが、上面発酵ヘレスを製造し、この街の輸出品目となった。彼は1546年にビール醸造家ギルドを結成し、これがビール醸造業者「ギルド・ブラウエライ」へ発展していった。この他に1868年に「ヘレンホイザー・ブラウエライ」が設立された。この会社は倒産手続き後にヴィッテンゲンの民間醸造業者に売却された。「カイザー=ブラウエライ」、「リンデナー・アクティエン=ブラウエライ」、あるいは「ヴュルフェラー・ブラウエライ」といった伝統的な企業は閉鎖されたが、2つのガストハウス=ブラウエライ(レストランを併設したブルワリー、旧市街の「ブラウハウス・エルンスト・アウグスト」とエギディエントーアプラッツの「マイアース・レーベンスルスト」)およびジュートシュタットの「マッシュゼー=ブラウエライ」、ブルワリー組合「ノルトシュタット・ブラウト!」は存続している[113]。2つのグラスからビールと穀物酒を同時に飲むリュッチェ・ラーゲという飲み方は、ブロイハン=ビールを蒸留酒と一緒に飲む習慣から生まれた[114]。この他にハノーファーでは様々な製造業者が生産する数多くの蒸留酒が名物になっている。

「テー=ゼーガー」は1743年に創設された、ドイツで最も古いの販売業者である。マハヴィッツ・コーヒーは1919年からグダニスクに支店を有している。1950年からマールシュタルの本店にコーヒー焙煎機を有している。1956年にエルハルト・ウルブリヒによって民営焙煎業者が設立され、2012年にハノーフェルシェ・コーヒー=マヌファクトゥーアとなった。

ハノーファーの地元料理としては、カレンベルガー・プファネンシュラーク(ソーセージの一種)、ハネーフェルシェ・エルプゼンズッペ(グリーンピースのスープ)、ハノフェルシェ・ツンゲンラグー(牛タンの煮込み料理)などが代表的なものである。ケールはハノーファーではブレーゲンヴルストドイツ語版英語版とともに食される。カンバーランドソースドイツ語版英語版は、風味豊かなテーブルソースである。かつてはソーセージ製造業者フリッツ・アールベルクが独占的に製造していたBouillonwurstは、現在では様々な食肉業者が製造している。ハノーフェルシェ・ヴァイスゲコホテは、ハノーファーの肉料理プレートの中の1品である(ソーセージの一種)。ハノーファー選出のゲアハルト・シュレーダーカリーヴルストフライドポテトを好んだことから、この料理はハノーファーの多くのレストランで(後には全国で)「カンツラープラッテ」(直訳: 首相のプレート)と呼ばれるようになった。魚ではマッシュ湖のコイ料理が名物とされている。ハノーファーの名物パンはゲルスターブロート(ライ麦パン)である。

スイーツでは、ヒッチェプッペン[115]、ヴェルフェンシュパイゼ(ヴェルフのプディング)[116]、トリュッフェル・ギューゼ(1921年から)のトリュフチョコレート[117]、およびバールゼンドイツ語版英語版の焼き菓子、特に1891年から作られているライプニッツ=ケークスが知られている。バールゼンは1920年代に菓子カルターフントドイツ語版英語版を創作した[118]

ハノーファーには800店を超える飲食店があり、中にはミシュランガイドで星を獲得したレストランが3店ある(2023年現在)。2015年に開店したマリエン通りの「Jante」と「Votum」が2つ星、「Handwerk」が1つ星である[119]

ハノーファー中央駅前のクリスマスマーケット
ハノーファー射撃祭
ハノーファー国際花火コンテスト

年中行事

ハノーファーでは年間を通して数え切れないほどの大きなイベントが開催されている。特に大規模な5つのイベントについて以下に概略を示す。

マッシュ湖畔で1986年から夏にマッシュゼーフェスト(直訳: マッシュ湖祭り)が開催されている。この祭りはドイツ最大の湖祭りとされており、4つのステージでの90以上のライブ・コンサート、約50組の演芸やウォークパフォーマー、約20人のDJ、ファン・ボート・レース、ラバーダックレース、トーチライト・スイミングが行われ、50店以上のレストラン、バー、屋台が出店する。これは毎年200万人以上の見物客が訪れるハノーファー最大の祭りである[120]

クリスマス前の期間中、3つの大きなクリスマスマーケットが継続的に開催されている。旧市街に200店以上の屋台が立つハノーファーのクリスマスマーケット(1813年に最初の記録が遺る)は、4つの部分からなる。マルクト教会周辺の伝統的なクリスマスマーケット、バルホーフ広場のフィンランドのクリスマス村(1999年から)、歴史博物館周辺の歴史村とホルツマルクトでのヴンシュブルネンヴァルトである[121]。クリスマスマーケットは毎年180万人が訪れる、ハノーファーで2番めに大きなイベントである。2018年に公開された消費者ポータル testberichte.de のランキングでは、ハノーファーのクリスマスマーケットは、ドイツで人気のクリスマスマーケットのトップ5に入っている[122]。この他に中央駅前エルンスト=アウグスト広場(2000年から、屋台40軒)とリスター・マイレ(1989年から、屋台70軒)のクリスマスマーケットが行われる。クレプケには、高さ 18 m の、世界最大の歩いて登ることのできるクリスマスピラミッドがある。

7月のハノーファー射撃祭は約100万人の観客が訪れる、この街の3番目に大きなイベントである。この祭りは、内市街の南端に位置する広さ 10 ha の射撃場で開催される。この祭りでは約200のアトラクション(約40の乗り物やイベント小屋、7つの大テントとイベントエリア)と大規模な支援プログラムがある世界最大の射撃祭である。その起源は1529年にまで遡る。大規模なハノーファーの射撃隊パレードは 10 km という長さと1万人以上の参加者(射撃隊員、約100組の国内外の音楽隊、40台以上の車両、屋台を含む)で世界最大の射撃隊パレードであり、天候にもよるが約15万人から30万人の観客が沿道に並ぶ。

射撃場では、1954年からハノーファー春祭(4月)やハノーファー・オクトーバーフェスト(9月/10月)も開催される。春祭は140のアトラクション(25以上の乗り物やイベント小屋、1つの大テント)があり、約70万人の見物客が訪れるニーダーザクセン州最大の春祭りである。オクトーバーフェストは約100のアトラクション(30以上の乗り物やイベント小屋、2つの大テント)があり、約60万人が訪れる北ドイツ最大のオクトーバーフェストである。2017年から10月にギルド・パークビューネの祝祭テントで開催されている「ハノーファー・ヴィーズン」を、オクトーバーフェストと混同しないように注意が必要である。

1992年からバラの月曜日ドイツ語版英語版前の土曜日にカーニバルのパレードが内市街を練り歩く。このパレードには約1,500人が車両や音楽隊として参加し、8万人から10万人の観客が沿道に訪れる。このパレードは、ハノーファーのカーニバルのハイライトである。カーニバルのプログラムとしては、ラートハウスシュテュルムング(ドイツ語: Rathausstürmung、直訳: 市庁舎襲撃。愚者に扮した者たちが市庁舎を占拠するイベント)や様々な集会の他に、ハノーファー=トーナメント(カーニバル・ダンス競技の連邦予選とニーダーザクセン・チャンピオン大会)やニーダーザクセン・トリテーテンサミット(カーニバルの王子、王女の集会)がある。

3つのステージで約100件のショーや展覧会が行われる「リスター=メレ=フェスト」(1974年から)には、毎年30万人が訪れる。この他の重要なイベントとしては、「文化の祭典」、1991年からグローサー・ガルテンで開催される国際花火コンテスト(ドイツで最も古い花火コンテストである)、2009年から多くの音楽家や芸術家を集めるヘレンハウゼン芸術演劇祭がある。クロンスベルクは1999年からカイトフェスティバル「ハノーファー・ヘプト・アプ」の会場となっている。2016年から毎年射撃場でクリスマス・サーカスが開催される[123]。メッセパルクプレッツェン・ヴェストでは1983年から毎年5月1日に「マイ=ケーファー=トレッフェン」が開催される。これは、ヨーロッパ最大のフォルクスワーゲン=ビートルの集会で、約3000台の VW-ビートルやその他のVWが集まる。2018年からアドヴェントの時期に開催されている「トゥインクル・ライト・クルーズ」では、100台以上の電飾を施したバン、ビートル、スクーター、その他の車両が内市街をパレードする。「クリストファー・ストリート・デイドイツ語版英語版・ハノーファー」(CSDハノーファー)には毎年約25,000人の客が訪れる[124]

ライネ川河畔のホーアー・ウーファーでの旧市街の蚤の市はその起源を1967年にまでさかのぼる、ドイツで最も古い蚤の市である。1996年から開催されている「芸術・工芸マーケット」も地域を超えて有名である。

夜遊び

ハノーファーには多彩な夜の愉しみがある。たとえばシュタイントーア街などいくつかの歓楽街が形成されている[125]。この地区には5つの通りに約70軒の飲食店、ディスコナイトクラブ、レストラン、さらには売春宿やポルノ映画館もある。もう一つの中心地がラッシュ広場である。この広場やその周辺には様々なディスコ、映画館、レストラン、シュピールバンク・ハノーファー(カジノ)などがある[126]。ラッシュ広場のクラブ「パロ・パロ」では、音楽プロデューサーMousse T.ドイツ語版英語版DJを務めている[127]。バー、居酒屋、パブは、旧市街(主にクラマー通りやクノッヘンハウアー通り)、リンデンやノルトシュタットの学生街や繁華街にもある[128]。クラブ「ヴァイデンダム」は、2018年にドイツの電子音楽のベスト・クラブ第2位に選ばれた[129]。1959年に開店したが、現在はもう存在しないハノーファーの「モカンボ・クラブ」はドイツで最初のディスコであった[130]

スポーツ

カレンベルガー・ノイシュタット市区に、ハノーファーはドイツの大都市で最も集中したスポーツエリア「シュポルトパルク・ハノーファー」を有している。その広さ約 45 ha の地域には、エリカ・フィッシュ=シュターディオン、スポーツ指導センター、シュターディオンバート、パルクビューネがある。ハノーファーは、多彩なスポーツ種目が高いレベルで提供されていることから、長年にわたってスポーツ都市として認識されていた[131]。1950年にハノーファーでドイツスポーツ連盟が結成された。

ハインツ=フォン=ハイデン=アレーナ

スポーツクラブ

最も成功したサッカー=クラブが、2023年現在ブンデスリーガ2部でプレイしているハノーフェルシェ・シュポルトフェライン・フォン 1896 e.V.、略して「ハノーファー96」または「ディー・ローテン」で、ハインツ=フォン=ハイデン=アレーナをホームグラウンドとしている。レギオナルリーガ・ノルトに参加するアマチュアの下部チームはアイレンリーデシュターディオンをホームとしている。この他には、かつてブンデスリーガ2部に属していたSVアルミニア・ハノーファードイツ語版英語版OSVハノーファードイツ語版英語版がある。「ディー・ブラウエン」と呼ばれるクラブ SVアルミニア・ハノーファーはランデスリーガ・ニーダーザクセン(ドイツの女子サッカーリーグで2番めのカテゴリ)でプレイしており、ルドルフ=カルヴァイト=シュターディオンドイツ語版英語版を本拠としている。TSVフォルトゥナ・ザクセンロス・ハノーファーは、1990年から1997年まで女子サッカー・ブンデスリーガに参加していた。

ZAG-アレーナ

ハノーファー・スコーピオンズドイツ語版英語版は、1996年から2013年までドイツ・アイスホッケーリーガ (DEL) に参加していた。このクラブは2013年にDEL-ライセンスをシュヴェニンガーワイルド・ウィングスドイツ語版英語版に売却した[132]。スコーピオンズの試合会場は2001年から ZAG-アレーナ(旧TUIアレーナ)であった。スコーピオンズは2013年からオーバーリーガ・ノルトドイツ語版英語版でプレイしており、これ以後アイスハレ・ランゲンハーゲンでホームゲームを行っていたが、2017年からはメレンドルフのフス・デ・グロート・アイスアレーナ(ヴィーデマルク)を本拠としている。同じくオーバーリーガで活動しているのがハノーファー・インディアンスドイツ語版英語版で、クレーフェルトのアイスシュターディオン・アム・プフェルデトゥルムを本拠地としている。

ハノーファー78のグラウンドとクラブハウス

ドイチェ・シュポルトフェライン・ハノーファー1878、略して「ハノーファー78」は1878年にドイツ初のラーゼンシュポルト(芝で行うスポーツ)クラブとして設立された。ラグビーが創設時の種目であった。2022-2023年シーズン現在、ハノーファー78、TSVヴィクトリア・リンデン、SCゲルマニア・リストがラグビー=ブンデスリーガドイツ語版英語版に参加している[133]。レギオナルリーガ・ノルトにハノーファー78 II、VfR 06 デーレン、SCゲルマニア・リスト II、SV オーディン・ハノーファーが所属している[134]。ドイツで最も成功したラグビー・クラブはTSVヴィクトリア・リンデンで、ドイツ・チャンピオンのタイトルを20回獲得している。1909年以来98回開催されたドイツ・チャンピオンシップ大会のうち、61回でハノーファーのクラブが優勝している(2022年まで)。1909年から2005年まで、1913年を除いて毎回決勝戦にハノーファーのクラブが出場していた。

ハンドボールでは、TSVハノーファー=アンデルテンは2007年から2010年までハンドボール・ブンデスリーガ2部ドイツ語版英語版に属していたが、2011年からはハンドボール・ブンデスリーガ3部ノルトに属している。2009年からTSVハノーファー=ブルクドルフ(ゲームネームは「レッケン」)がハンドボール=ブンデスリーガでプレイしている。女子はHSGハノーファー=バーデンシュテットがハンドボール・ブンデスリーガ2部に参加している。この他のかつてブンデスリーガに参加していたクラブとしては、男子ではHSGハノーファーとポリツァイ=シュポルトフェライン・ハノーファーが、女子ではSCゲルマニア・リストとSGミスブルクがある。

ハノーファー78は室内ホッケー=ブンデスリーガ(男子)とフィールドホッケー=ブンデスリーガ2部(男子)に属している。DHCハノーファーも同じく室内ホッケー=ブンデスリーガ(男子)とフィールドホッケー=ブンデスリーガ2部(女子)でプレイしている。

現存するドイツで最も古いフェンシングクラブは、1862年1月25日にハノーファーで創設された。このフェヒトクラブ・ハノーファー・フォン1862の他に3つのクラブがフェンシング競技を行っている。

ヴァスポ98ハノーファーは1983年からドイツ水球リーガに参加しており、2012/2013年シーズンには、ハノーファーのクラブとしては初めてチャンピオンズ・リーグ競技大会のグループリーグ進出を果たした。このクラブは2019年と2021年にLENチャンピオンズ・リーグドイツ語版英語版のファイナル・シックス開催者となった。

ライネ川沿いに1.ヴァッサースキー=クラブ・ハノーファー(水上スキー・クラブ)がある。この他のウォータースポーツクラブとしてはデーレンのパデル=クラブ・ハノーファー(ボート競技)、マッシュゼーのハノーフェルシェ・カヌー=クラブ・フォン1921、カヌー=スポーツ=クラブ・ハノーファー、パデルクラブ・シュテッケン、パデルクラブ・ニーダーザクセンがある。

トゥルンクルブ・ハノーファー体育館

トゥルン=クルプ・ツー・ハノーファーは、多くの種目で代表となっている。そのファウストボール・チームはブンデスリーガ1部でプレイしている。フェンシング部門はいくつかの国内・国際タイトルを獲得した。このクラブは、体操競技で3回ドイツ・チャンピオンになっている。女子卓球チームは1960年にドイツ・チャンピオンとなり、1961年にドイツ杯を獲得した。

UBCタイガースは、解散する2014年までバスケットボールの2番めのリーグであるProAドイツ語版英語版で活動した。TK ハノーファー・ルクゼはハノーファーの女子バスケットボールチームで、ドイツの女子バスケットボールの最上位クラスである女子バスケットボール・ブンデスリーガ1部でプレイしている。

ハノーファー・グリズリーズは、アメリカン・フットボールを行っており、男子チームは2018年シーズンからオーバーリーガ・ノルトで、女子チームは女子ブンデスリーガ2部でプレイしている。

1947年に発足した卓球クラブTTCヘルガ・ハノーファーは、4回リーグ準優勝した後、1991/92年シーズンにブンデスリーガ1部に昇格し、その後3年間1部に留まり、1997/98年に再度1部リーガでプレイした。2008年にハノーファー96の女子卓球部門はブンデスリーガ1部に昇格した。

DHCハノーファーのラクロス男子チームおよび女子チームは、ブンデスリーガ・ノルトに参加している。女子は2008年に初めてドイツ・ラクロス・チャンピオンシップ大会に参加し、3位となった。

フェライン・フュア・ライベスユーブンゲン・フォン1848 e.V. (VfL) ハノーファーは、ハノーファーで最も古いスポーツクラブで、車椅子ダンスドイツ語版英語版部門があり、そのダンスペアは、国内外の大会で成功を収めている。

チェスでは、ハノーファーの2つのクラブがオーバーリーガ・ノルト・シュタッフェル・ヴェストに属している: シャッハフロインデ・ハノファーとHSKリスター・トゥルムである。

オール・スポーツ・チーム・ハノーファーはドラゴンボート競技のトップチームで、2000年の創設以降、国内外の大会で100人以上のメダリストを輩出しており、2012年だけでも10人のドイツ・チャンピオンが誕生した。このクラブはニーダーザクセンの「チーム・オブ・ザ・イヤー 2013」に選出された。

1.DSCハノーファーは、1985年に創設されたドイツで最初のスヌーカー・クラブである。このクラブは2014年から2019年までブンデスリーガ1部で活動し、2015年にドイツ・チャンピオンになった。2019年以降はスヌーカー・ブンデスリーガ2部ノルトでプレイしている。ハノーファー96とPBVアンデルテンの両クラブのビリヤード部門はともに、プールビリヤード=ブンデスリーガ1部に属している。

ドイツ・アルペン・クラブドイツ語版英語版のハノーファーの2つのセクションが1885年に創設された。クラブ所有の小屋を3つ持つゼクティオン・ハノーファーと、1997年に設立されて小屋を所有せずボルダリングクライミングに特化したアルペンクラブ・ハノーファーである。

スポーツイベント

ハノーファー=マラソンは、定期的に様々なクラスに15,000人以上が参加するドイツ最大級のロードレースドイツ語版英語版大会の1つである。この他の大規模なイベントとしては、たとえばトライアスロン・ハノーファー、エリカ=フィッシュ=シュターディオンでのハノーフェルシェ・シュタットシュタッフェル、ナイトレース、伝統的なジルベスター・ベルゼンラウフなどがある。

マッシュ湖でのドラゴンボート・フェスティバル

マッシュ湖では毎年、ハノーファー国際ドラゴンボートフェスティバルをはじめ、多くのスポーツ大会が開催される。1952年から1989年までこの湖ではモーターボートレースが開催され、世界チャンピオン大会やヨーロッパ・チャンピオン大会も開催された。

この他のスポーツイベントとしては、シュタイントーア広場でのビーチバレーボール・カップや様々なレスリング=フェスティバルが挙げられる。障害者スポーツ選手・オブ・ザ・イヤーの選考会が毎年2月にGOPヴァリエテ=テアターで開催される。

ナハト・フォン・ハノーファー2019

自転車競技では、1975年から2011年まで旧市街で「ナハト・フォン・ハノーファー」(ハノーファーの夜)が開催されていた。2016年以降は、「ディー・ノイエ・ナハト・フォン・ハノーファー」(新ハノーファーの夜)という名称で自転車レースの新版が開始された。このレースは2017年からは ProAm ハノーファーと呼ばれ、有名選手が参加する夜のプロレースと、誰でも参加できる昼のレースの2つがある。

ハノーファーには乗馬競技の長い伝統があり、ハノーファー馬ドイツ語版英語版は有名である。よく知られているイベントとしては、ライターシュターディオンでの「トラケーナー=ブンデストゥルニアー」や、メッセ会場での「ナイト・デア・プフェルデ」(「馬と狩猟」メッセの一環)が挙げられる。

「フォイアーヴェルク・デア・トゥルンクンスト」はヨーロッパで最も成功した体操ショーとみなされており、1989年から体操・スポーツ振興協会 mbH(ニーダーザクセン体操連盟の下部組織)が組織している。この体操ショーはドイツの様々な都市で客演し、ハノーファーでは伝統的に大晦日と1月第1週に上演される[135]

ハノーファーは、1974年サッカー・ワールドカップ2006年サッカー・ワールドカップ1988年サッカー・ヨーロッパ選手権2005年FIFAコンフェデレーション=カップ、2001年アイスホッケー世界選手権の開催地の1つであった。2000年から2007年までこの街では国際的なアイスホッケー・トーナメントのドイチュラント・カップドイツ語版英語版が開催されていた。テニスにおいては、ハノーファーはATPファイナルズ(1996年 - 1999年)やWTAハノーファー(1997年 - 2000年)の開催地であった。自転車競技では、ハノーファー=ヴュルフェル自転車競技場でグランプリ・フォン・ハノーファーが開催される。2010年にハノーファーは、150組が参加する第7回車いすダンス世界チャンピオン大会の開催地となった。2016年にはこの街でスペシャルオリンピックスの国内大会が行われた。

宗教と世界観

宗教統計

2011年の国勢調査によれば、住民の 34.7 % が福音主義、13.7 % がローマ=カトリック、51.6 % が無宗教か、その他の宗教を信仰している、あるいは無回答であった[136]。移民を背景に持つ人口に関するZensusの報告によれば、2011年にハノーファーのムスリム比率は 8.8 %(約44,400人)であった[137]。2018年末では、ハノーファーの住民の 29.5 % が福音主義、13.0 % がカトリックであった。57.5 % という過半数がこの2大キリスト教会のいずれにも属していなかった[138]。2021年末の時点では、ハノーファーの人口の 26.4 % が福音主義、11.5 % がカトリックであった。62.1 % という過半数がこの2大キリスト教会のいずれにも属していなかった[139]。2021年には6,401人(全人口の約 1 %)が教会から離脱した。このうち4,366人が福音主義教会から、2,034人がカトリック教会からの離脱であった。2020年の教会からの離脱者は5,271人(全人口の約 1 %)であった[140]

宗教史

ハノーファー市はキリスト教化後ミンデン司教区のパッテンゼン首席助祭区に属した。

ハノーファーの旧市街では1533年/1534年に、新市街(ノイシュタット)では1544年に、ルター派の教義への宗教改革がなされた。ハノーファーはその後何世紀にもわたって主にルター派の都市であった。カトリック信者や改革派教会の信者は、1800年までは旧市街の市民権を得られなかった。そのため彼らは新市街に教会を建設した。

ミューレンベルク市区にはエキュメニカル教会センターが有り、福音主義ルター派の市区組織とローマ=カトリックの市区組織を1つ屋根の下に統合している。

市の教会は、教会コンサートや朗読会が行われる「ナハト・デア・キルヒェン」(直訳: 教会の夜)を定期的に行っている。

福音主義=ルター派の聖ヨハニス教会

福音主義=ルター派教会

ハノーファーの福音主義ルター派住民はハノーファー福音ルター派州教会に属している。この教会組織はその名の通りハノーファーに本部がある。第二次世界大戦後ハノーファーはドイツ福音主義教会 (EKD) およびドイツ合同福音ルター派教会 (VELKD) 教会管区の本部所在地である。ハノーファーには、ハノーファー州教会や EKD の数多くの組織の本部がある。ハノーファー市内にあるすべての福音主義の教会はいずれも福音ルター派州教会ハノーファー管区のハノーファー都市教会連合に属している。1949年、1967年、1983年、2005年にハノーファーで福音主義教会会議が行われた。

マリエンヴェルダー市区にはマリエンヴェルダー修道院がある。

福音主義改革派教会

1697年にフランス改革派教会が、1702年にドイツ改革派教会が発足し、両者は1819年に統合された。この教会は、福音主義改革派教会 - バイエルンおよび北西ドイツ福音主義改革派教会教会会議に属している。改革派連合は、改革派の教会、コミュニティ、共同体、個人の連合体である。この組織は、ドイツ連邦共和国の約200万人の改革派教会信者の統括組織であり、ハノーファーに本部を置いている。2014年1月1日以降、世界改革派教会共同体 (WGRK) はその本部をハノーファーに置いている[141]

カトリックの聖クレメンス・バシリカ

ローマ=カトリック教会

1665年に成立したローマ=カトリック教会組織は、当初、ノルデン使徒座代理区に属したが、1824年からヒルデスハイム司教区ドイツ語版英語版に属し、1995年からは新設されたハンブルク教会管区に属している。

人口増加、工業化、難民流入の波などにより、ハノーファー地域全体を包括していた元の教会から、新たな教会組織が分離した。結局この地域には43のカトリック教会区が存在している。近い将来合併によってこの数は半分以下に減るとされている。

教会組織上ハノーファー地域は、2007年5月1日からハノーファー地域首席司祭区に包含されている。これは、行政組織上のハノーファー広域連合に相当する地域をおおむねカバーしており、約157,000人のカトリック信者がこれに属している。ハノーファーのカトリックの主教会および地域首席司祭座教会は聖クレメンス・バシリカである。

その他の教会とキリスト教組織

独立福音ルター派教会ドイツ語版英語版は、ハノーファーに司教座と教会指導部を置いており、ジュートシュタットには2つの教会区がある。この他の自由教会には、Apostolische Gemeinschaft、Koinonia Calvary Chapel Hannover、Christliche Zentrum Hannover、Evangelisch-Freikirchliche Gemeinden(バプテストプリマス・ブレザレン)、Freie evangelische Gemeinde、合同メソジスト教会、セブンスデー・アドベンチスト教会末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)、メノナイト(再洗礼派)、新使徒教会ドイツ語版英語版キリスト者共同体エホバの証人クリスチャン・サイエンスが活動している。

2011年9月に復古カトリック教会の聖マリア・アンゲリカ教会がキルヒローデに完成した。ロシア正教会セルビア正教会の他にギリシア正教会組織がある。

ハノーファー市の市区別宗教施設。地色はその市区の多数が所属する宗教施設、丸で表示されているのが多数ではないが、その市区に存在する宗教施設である。

その他の宗教

ハノーファーで暮らすムスリムのために多くのモスクや礼拝施設がある。シュテッケン市営墓地にはムスリムのための埋葬地がある。2008年にハノーファーで最初のモスクとして、シュテッケン市区のシュヴァルツェ・ハイデにAhmadiyya Muslim JamaatのSami-モスクが設けられた。

第二次世界大戦とホロコーストの後、新たなユダヤ人が徐々にこの街に移り住んできた。現在4つのユダヤ教組織に約6,000人の信者がおり、3つのユダヤ人墓地がある。1963年に新しいシナゴーグがヘッケル通りに建設された。Liberale Jüdische Gemeindeは、2009年からラインハウゼンの旧グスタフ=アドルフ教会にシナゴーグを有している。2011年にはヴェットベルゲンの通りがユダヤ人ジャーナリストのケーテ・フォルトトリーデにちなんで命名された。彼女が死後知られるようになったのは、第三帝国に関する同時代のレポートによってであった。

ドイツに住むベトナム仏教徒は1993年にミッテルフェルトのカールスルーアー通りにパゴダ Viên Giác を建設した。これはこの種の建物としてはヨーロッパ最大のものである。タイ人コミュニティは、アーレマー・トゥルムに仏教寺院 Wat Dhammavihara ハノーファーを設けた[142]。この他にチベット仏教上座部仏教のセンターがある。ヒンズー教徒は2009年にバーデンシュテット市区の商工業地区に寺院を設けた。信者は主にスリランカタミル人である。

宗教間の交流を促進するために、イベントや集会の会場となる「ハウス・デア・レリジオーネン」(直訳: 宗教の家)がある。

人文主義

人文主義者たちは、イデオロギー共同体であり、公法上の法人であるニーダーザクセン人文主義連合によって結びついている。ハノーファーの人文主義センターはこの州連合の本部となっている。この連合は、たとえばハノーファーの3つの幼稚園の運営母体である。人文主義者はこの他に、青年グループを組織して、青年たちの旅行や文化・教育行事を開催し、命名式、青年祝典、世俗の結婚式や葬儀のサービスを提供している[143]。この州連合は、ドイツ人文主義連合の一員である。


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