メルツバウ【(ドイツ)Merzbau】
メルツバウ
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メルツバウ(Merzbau)とはドイツ人美術家クルト・シュヴィッタース(Kurt Schwitters, 1887-1948)によって起こされた、ダダに付随する芸術運動。1920年代にドイツのハノーファーより発生した。彼が手がけた立体建築的な作品は日本語では「メルツ建築」とも言う。
第一次大戦以後、ダダイスムの影響は世界的に伝播し、発祥地のニューヨークとチューリッヒから、ヨーロッパ全土へと広がっていった。ドイツにおける主要な人物がクルト・シュビッタースであり、彼は自らの芸術作品を「メルツ(Merz)」という意味のない言葉で呼んだ。メルツの語源は「コメルツバンク」(Kommerzbank)という銀行の名から。
1920年代を通じ、彼は造形した建築的に規模の大きな構成作品を「メルツバウ」(Merzbau)と名付けた。ナチス・ドイツにより破壊を受け、作品は現存しないが、残された写真では巨大な立体構成が見える。一部の作品は1980年代に再現されたが大聖堂を思わせる列柱は空間からキュビズム的にせり出し、根本的に新しい空間を示している。
クルト・シュビッタースはナチスの圧力から逃れ、ノルウェーに移り次のメルツバウを制作したが、程なくドイツ軍がノルウェーへ侵攻し、その構成作品をやむなく放棄せねばならなくなった。メルツバウ作品を制作し続ける為、彼は更にイギリスへ渡るが、最後の大作は未完に終わる。
関連項目
外部リンク
- メルツバウ:現代美術用語辞典 - artscape
メルツバウ
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「クルト・シュヴィッタース」の記事における「メルツバウ」の解説
コラージュと並行し、シュヴィッタースは建物の内装を劇的に変える作品制作も生涯を通じて行った。ハノーファーのヴァルドハウゼン通り5番地の6部屋以上あった自宅を改造した「メルツバウ」は特に有名である。1923年頃に始まったメルツバウ制作は非常にゆっくりと行われた。最初の部屋が1933年に完成し、1937年初頭にノルウェーへ亡命するまでの間に他の部屋にも拡張された。家のほとんどは人に賃貸していたため、最後のほうの拡張は一般に信じられているよりも小規模な可能性がある。シュヴィッタース自身の言によれば、1937年までにメルツバウは1階の両親の部屋2つ、バルコニー、バルコニーの下の空間、屋根裏の1部屋か2部屋、おそらく地下室の一部にまで広がった。 メルツバウの最初の頃の写真には、洞窟のような表面と様々な柱や彫刻の姿が写っている。これはダダイストの同様の作品、例えば1920年にベルリンの第1回国際ダダ・メッセで披露されたヨハネス・バーダーの『Das grosse Plasto-Dio-Dada-Drama 』を参照した可能性もある。ハンナ・ヘッヒ、ラウル・ハウスマン、ゾフィー・タウバーらの彫刻作品もインスタレーションの一部として取り込まれている。1933年にはこの部屋は彫刻空間へと変貌し、この年以後に撮られた3枚の写真では主に白色に塗られた傾斜のついた壁や柱の表面が部屋内部に向かって突出し、その表面には一連のタブロー(絵画)が広がっているのが分かる。「メルツ」21号の『Ich und meine Ziele』と題されたエッセイでは、シュヴィッタースは部屋の中に作られた一本目の柱を「エロティックな悲惨さの大聖堂」と述べていたが、1930年以後にはこの表現は使われていない。「メルツバウ」(メルツ建築)という呼び名は1933年に初出している。 メルツバウを撮った写真は、パリに本拠を置く芸術家グループの会報「abstraction-création」の1933年-1934年号に掲載され、さらに1936年にはニューヨーク近代美術館でも展示された。メルツバウは1943年の連合軍によるハノーファー空襲で消滅したが、ハノーファーのシュプレンゲル美術館ではメルツバウの最初の部屋を再現展示している。 後にシュヴィッタースは、オスロ近郊バールム市のリュサケール(Lysaker)地区にある自宅の庭に同様の環境アート『Haus am Bakken』(ハウス・アム・バッケン、傾斜の上の家)を作った。これは1940年にシュヴィッタースがノルウェーからイギリスへ亡命するまでにはほぼ完成していた。第二のメルツバウであるこの作品は戦後の1951年に焼失し写真は残っていない。最後のメルツバウはイングランド北部湖水地方のエルターウォーター(Elterwater)に作られたが、シュヴィッタースの1948年1月の死で完成しないまま残された。生活空間として使われているシュヴィッタースの環境アートはもう一つ、ノルウェー西北部のモルデ近郊にあるHjertoya島にある。これは時に「第四のメルツバウ」とも称されるが、シュヴィッタース自身がメルツバウとして言及しているのは上記の3つのみである。
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