メルツ広場(Märzfeld)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 16:30 UTC 版)
「ナチ党党大会会場」の記事における「メルツ広場(Märzfeld)」の解説
メルツ広場(Märzfeld)の名称はローマ神話における戦の神マールス(Mars)に由来するとともに、ドイツで徴兵制が復活した1935年の3月(März)を連想させるもので、ドイツ国防軍のパレード会場となっていた。 場所は「大通り」(Große Straße)の南端で、広さは955メートル×610メートル(1,044ヤード×667ヤード) あり、サッカーフィールド80面分以上あった。この巨大な配備区域の名称は、1935年3月のドイツ国の軍事主権の回復を想起させるものだった。 ローマ神話における戦の神、マールスに由来するMärzfeldという広場は、ローマにも存在しており(カンプス・マルティウス)、パリのシャン・ド・マルス公園は、このカンプス・マルティウスに由来している。 建設が完了することはなかったが、1938年にそれぞれ高さ約40メートル(130フィート)の花崗岩の塔を24基建設する計画で開始された。完成したのは内11基で、1966年に取り壊された。広場の周囲には160,000人を収容する観覧席が、その中央には勝利と戦士を司る女神たちの、巨大な群像が計画されていた。 現在ではこの場所は住宅地となっており、党大会期間中に仮設宿泊施設の場所として使用されていたその南部の地区にまで繫がっている。
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