バイエルン大公
(バイエルン公 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/09 04:41 UTC 版)
バイエルン大公(バイエルンたいこう)は、中世ドイツの部族大公。ドイツ南東部からオーストリアにかけてのバイエルン公国を支配した。
「大公」とはドイツ語Herzogの訳語であるが、ドイツ史においては中世の研究では「大公」、初期近代以降の研究では「公」という訳語が用いられるのが通常である。特にはっきりした境界があるわけではないが、以下では便宜上ヴィッテルスバッハ家がバイエルン公位を独占するようになる1180年以降に限ってバイエルン公という用語を使うことにする。また、1623年以降バイエルン公は選帝権を保持したためバイエルン選帝侯と呼ばれる。
歴史
ヴィッテルスバッハ以前
バイエルン大公は907年頃、バイエルンの在地貴族ルイトポルト家のアルヌルフがバイエルン地域を統合し、東フランク王(ドイツ王)コンラート1世からその支配権を承認されて成立した。947年、ザクセンのリウドルフィング家出身である東フランク王オットー1世はルイトポルト家の大公ベルトルトの死に乗じ、アルヌルフの婿でもある自身の弟ハインリヒ1世をバイエルン大公位につけ、以降からバイエルン公はリウドルフィング家のものとなった。
ハインリヒ1世の子ハインリヒ2世(喧嘩公)はハンガリー国王のイシュトヴァーン1世に娘ギーゼラを嫁がせて、姻戚関係となり勢力を拡大した。976年、従兄の神聖ローマ皇帝オットー2世に対して反乱を起こした。ハインリヒ2世は廃位され、バイエルン大公領から東部がオーストリア辺境伯領として分離させられた。但し、ハインリヒ2世は後に復位している。
その後は、バイエルンがイタリアに進出する上での要衝であったこともあって、1096年まで大公位が1つの家に長く保持されることはなかった。
しかし1070年以降は、2度の中断があったもののヴェルフ家が5代110年にわたってバイエルン大公位を保持した。ハインリヒ12世(獅子公)は後にザクセン大公位をも獲得し、ドイツ国内の反ホーエンシュタウフェン朝勢力の領袖へと成長した。1198年には子のオットーはローマ王位(ドイツ王位)をも獲得する。しかしバイエルン大公位は1180年にヴィッテルスバッハ家に与えられ、以降同家が世襲することとなった。
ヴィッテルスバッハ家のバイエルン公
1180年にヴィッテルスバッハ家のオットー1世がバイエルン公になって以来、1918年にバイエルン王国が共和制に移行するまで、常にヴィッテルスバッハ家がバイエルンの君主であった。1214年にはルートヴィヒ1世がプファルツ選帝侯位も獲得、1328年にはルートヴィヒ4世が皇帝になったが、分裂と統合を重ね、一家内での内紛が絶えなかった。このためバイエルンは部族大公の伝統を引く有力諸侯でありながら選帝侯になれなかった。バイエルンが統合されるのは1504年になってからのことである。
16世紀に入ってドイツが宗教改革により新旧両派に分裂すると、プファルツのヴィッテルスバッハ家はプロテスタントの、バイエルンのヴィッテルスバッハ家はカトリックの盟主として激しく対立した。三十年戦争でプファルツ選帝侯フリードリヒ5世が皇帝フェルディナント2世とバイエルン公マクシミリアン1世の軍に敗れて国外に亡命すると、フェルディナント2世はマクシミリアン1世にプファルツを与え、選帝侯の地位につけた。この行為は金印勅書という帝国法に反するものであったから、諸侯の憤激を買った(三十年戦争長期化の一因とも言われている)。結局バイエルンは1648年、ヴェストファーレン条約でプファルツに代わって選帝侯の地位を獲得した(同時にフリードリヒ5世の子カール1世ルートヴィヒは新設のプファルツ選帝侯として認められた)。
ヴィッテルスバッハ家のバイエルン選帝侯
選帝侯となって以降は、バイエルンは南ドイツの有力諸侯として活躍し、スペイン継承戦争でマクシミリアン2世エマヌエルはフランスの後ろ盾で勢力を伸ばし、息子のカール・アルブレヒトは1740年にハプスブルク家の断絶もあってフランス軍の加勢で皇帝にもなった(カール7世)。しかしいずれもハプスブルク家の反撃で没落、1代限りの栄光に終わった。
1777年、カール7世の息子マクシミリアン3世ヨーゼフの死によりバイエルンのヴィッテルスバッハ家は断絶し、バイエルン選帝侯位はプファルツのヴィッテルスバッハ家出身のカール4世フィリップ・テオドールに受け継がれた。ヴェストファーレン条約でバイエルンとプファルツのヴィッテルスバッハ家が統合した場合、プファルツはバイエルンに合併されその選帝権も失われることになっていたため、この時点を持ってプファルツ選帝侯は消滅した。
1806年、バイエルン選帝侯マクシミリアン4世はナポレオンによりバイエルン王とされた。以降のバイエルンについてはバイエルン王国を参照。
歴代領主一覧
ヴィッテルスバッハ家以前
- ザクセン家(リウドルフィング=オットーネン家)
- ルイトポルト家
- ザクセン家(リウドルフィング=オットーネン家)
- モーゼル家(ルクセンブルク=アルデンヌ家、リュッツェルベルク家)
- ザクセン家(リウドルフィング=オットーネン家)
- モーゼル家(ルクセンブルク=アルデンヌ家、リュッツェルベルク家)
- モーゼル家(ルクセンブルク=アルデンヌ家、リュッツェルベルク家)
- ザーリアー家
- ズトフェン家(エッツォ家)
- ザーリアー家
- ハインリヒ8世(在位:1053年 - 1054年) - ローマ皇帝ハインリヒ4世
- コンラート2世(在位:1054年 - 1055年) - ローマ皇帝ハインリヒ3世次男
- アグネス・フォン・ポワトゥー(在位:1055年 - 1061年) - ローマ皇帝ハインリヒ3世妃
- ノルトハイム家
- ザーリアー家
- ヴェルフ家
- ヴェルフ1世(在位:1096年 - 1101年) - 復位
- ヴェルフ2世(肥満公、在位:1101年 - 1120年)
- ハインリヒ9世(黒公、在位:1120年 - 1126年)
- ハインリヒ10世(傲岸公、在位:1126年 - 1138年)
- バーベンベルク家
- ヴェルフ家
ヴィッテルスバッハ家
バイエルン公(1180年 - 1253年)
下バイエルン公(1253年 - 1340年)
- ハインリヒ13世(在位:1253年 - 1290年)
- ルートヴィヒ3世(在位:1290年 - 1296年)
- シュテファン1世(在位:1290年 - 1309年)
- オットー3世(在位:1290年 - 1312年)
- ハインリヒ14世(在位:1309年 - 1339年)
- オットー4世(在位:1309年 - 1334年)
- ハインリヒ15世(在位:1312年 - 1333年)
- ヨハン1世(在位:1339年 - 1340年)
上バイエルン公(1253年 - 1317年)
バイエルン公(1294年 - 1347年)
下バイエルン=シュトラウビング公(1347年 - 1425年)
- ヴィルヘルム1世(在位:1347年 - 1375年)
- アルブレヒト1世(在位:1347年 - 1404年)
- アルブレヒト2世(在位:1387年 - 1397年)
- ヴィルヘルム2世(在位:1404年 - 1417年)
- ヨハン3世(在位:1417年 - 1425年)
下バイエルン=ランツフート公(1347年 - 1503年)
- シュテファン2世(在位:1347年 - 1375年)
- フリードリヒ(在位:1375年 - 1393年)
- ハインリヒ16世(在位:1393年 - 1450年)
- ルートヴィヒ9世(在位:1450年 - 1479年)
- ゲオルク(在位:1479年 - 1503年)
上バイエルン公(1347年 - 1375年)
上バイエルン=インゴルシュタット公(1375年 - 1503年)
- シュテファン3世(在位:1375年 - 1413年)
- ルートヴィヒ7世(在位:1413年 - 1443年)
- ルートヴィヒ8世(在位:1443年 - 1445年)
- ハインリヒ16世(在位:1447年 - 1450年)
- ルートヴィヒ9世(在位:1450年 - 1479年)
- ゲオルク(在位:1479年 - 1503年)
上バイエルン=ミュンヘン公(1375年 - 1467年)
- ヨハン2世(在位:1375年 - 1397年)
- ヴィルヘルム3世(在位:1397年 - 1435年)
- エルンスト(在位:1397年 - 1438年)
- アルブレヒト3世(在位:1438年 - 1460年)
- ヨハン4世(在位:1460年 - 1463年)
- ジギスムント(在位:1460年 - 1467年)
バイエルン公(1467年 - )
- アルブレヒト4世(狡猾公、在位:1463年 - 1508年)
- ヴィルヘルム4世(在位:1508年 - 1550年)
- ルートヴィヒ10世(在位:1516年 - 1545年)
- アルブレヒト5世(在位:1550年 - 1579年)
- ヴィルヘルム5世(在位:1579年 - 1597年)
- マクシミリアン1世(在位:1597年 - )
バイエルン選帝侯(1623年 - 1806年)
- マクシミリアン1世(在位:1623年 - 1651年)
- フェルディナント・マリア(在位:1651年 - 1679年)
- マクシミリアン2世エマヌエル(在位:1679年 - 1726年)
- カール1世アルブレヒト(在位:1726年 - 1745年)
- マクシミリアン3世ヨーゼフ(在位:1745年 - 1777年)
- カール2世テオドール(在位:1777年 - 1799年)
- マクシミリアン4世ヨーゼフ(在位:1799年 - 1806年)後のバイエルン国王
以降のバイエルンの君主については、バイエルン国王を参照。
Herzog in Bayern
1799年に創設されたHerzog in Bayernの称号も、日本語ではバイエルン公と訳される。これは同年に、ヴィッテルスバッハ家プファルツ系傍系(プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト家)のツヴァイブリュッケン公マクシミリアン・ヨーゼフ(のちのバイエルン王マクシミリアン1世)がバイエルン選帝侯位を継承した際に尽力した功により、近縁の同族プファルツ=ゲルンハウゼン公ヴィルヘルムに授けたものである。ちなみにオーストリア皇后エリーザベトはこの家系の出身である。
バイエルン系ヴィッテルスバッハ家系図
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オットー1世 バイエルン公 |
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ルートヴィヒ1世 バイエルン公 兼ライン宮中伯 |
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オットー2世 バイエルン公 兼ライン宮中伯 |
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ベーラ4世 ハンガリー王 |
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ルートヴィヒ2世 上バイエルン公 兼ライン宮中伯 |
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ハインリヒ13世 下バイエルン公 |
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エリーザベト |
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ルドルフ1世 上バイエルン公 兼ライン宮中伯 |
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ベアトリクス・フォン・シュヴァイトニツ |
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ルートヴィヒ4世 バイエルン公 兼ローマ皇帝・ライン宮中伯 ブランデンブルク辺境伯・ ホラント伯・ エノー伯 |
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マルガレーテ・フォン・ホラント ホラント女伯・ エノー女伯 |
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オットー3世 下バイエルン公 兼ハンガリー王 |
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ルートヴィヒ3世 下バイエルン公 |
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シュテファン1世 下バイエルン公 |
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(プファルツ系ヴィッテルスバッハ家) |
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ハインリヒ15世 下バイエルン公 |
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ハインリヒ14世 下バイエルン公 |
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オットー4世 下バイエルン公 |
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ルートヴィヒ5世 上バイエルン公 兼ブランデンブルク辺境伯・ チロル伯 |
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シュテファン2世 下バイエルン=ランツフート公 上バイエルン公 |
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ルートヴィヒ6世 上バイエルン公 ブランデンブルク選帝侯 |
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ヴィルヘルム1世 下バイエルン=シュトラウビング公 兼ホラント伯・ エノー伯 |
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アルブレヒト1世 下バイエルン=シュトラウビング公 兼ホラント伯・ エノー伯 |
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オットー5世 上バイエルン公 ブランデンブルク選帝侯 |
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アンナ |
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ヨハン1世 下バイエルン公 |
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マインハルト 上バイエルン公 兼チロル伯 |
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シュテファン3世 上バイエルン=インゴルシュタット公 |
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フリードリヒ 下バイエルン=ランツフート公 |
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ヨハン2世 上バイエルン=ミュンヘン公 |
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ヴィルヘルム2世 下バイエルン=シュトラウビング公 兼ホラント伯・ エノー伯 |
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アルブレヒト2世 下バイエルン=シュトラウビング公 |
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ヨハン3世 下バイエルン=シュトラウビング公 |
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ヨハンナ =ローマ王ヴェンツェル |
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マルガレーテ =ブルゴーニュ公ジャン無畏公 |
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ルートヴィヒ7世 上バイエルン=インゴルシュタット公 |
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ハインリヒ16世 下バイエルン=ランツフート公 上バイエルン=インゴルシュタット公 |
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エルンスト 上バイエルン=ミュンヘン公 |
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ヴィルヘルム3世 上バイエルン=ミュンヘン公 |
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ジャクリーヌ・ド・エノー ホラント女伯・ エノー女伯 |
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フィリップ3世 ブルゴーニュ公 ホラント伯・ エノー伯 |
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(プファルツ系ヴィッテルスバッハ家) |
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ルートヴィヒ8世 上バイエルン=インゴルシュタット公 |
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ルートヴィヒ9世 下バイエルン=ランツフート公 上バイエルン=インゴルシュタット公 |
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アルブレヒト3世 上バイエルン=ミュンヘン公 |
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フィリップ プファルツ選帝侯 |
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マルガレーテ |
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ゲオルク 下バイエルン=ランツフート公 上バイエルン=インゴルシュタット公 |
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ヨハン4世 上バイエルン=ミュンヘン公 |
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ジギスムント 上バイエルン=ミュンヘン公 |
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アルブレヒト4世 上バイエルン=ミュンヘン公 バイエルン公 |
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ループレヒト |
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エリーザベト |
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ヴィルヘルム4世 バイエルン公 |
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ルートヴィヒ10世 バイエルン公 |
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オットー・ハインリヒ プファルツ選帝侯 プファルツ=ノイブルク公 |
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ズザンナ |
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アルブレヒト5世 バイエルン公 |
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(プファルツ系ヴィッテルスバッハ家) |
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ヴィルヘルム5世 バイエルン公 |
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マクシミリアン1世 バイエルン公 バイエルン選帝侯 |
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マグダレーネ |
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ヴォルフガング・ヴィルヘルム プファルツ=ノイブルク公 |
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アウグスト プファルツ=ズルツバッハ公 |
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レオポルト1世 ローマ皇帝 |
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マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ |
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フェルディナント・マリア バイエルン選帝侯 |
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フィリップ・ヴィルヘルム プファルツ選帝侯 プファルツ=ノイブルク公 |
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マリア・アントニア・フォン・エスターライヒ |
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マクシミリアン2世エマヌエル バイエルン選帝侯 |
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テレサ・クネグンダ・ソビエスカ |
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ヨーゼフ・クレメンス ケルン大司教 |
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カール3世フィリップ プファルツ選帝侯 プファルツ=ノイブルク公 |
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ヨーゼフ・フェルディナント アストゥリアス公 |
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カール・アルブレヒト バイエルン選帝侯(1世) 兼ローマ皇帝(7世)・ボヘミア王 |
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フェルディナント |
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クレメンス・アウグスト ケルン大司教 |
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エリーザベト・アウグステ |
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ヨーゼフ・カール |
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ヨハン・クリスティアン プファルツ=ズルツバッハ公 |
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マクシミリアン3世ヨーゼフ バイエルン選帝侯 |
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クレメンス・フランツ |
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マリア・アンナ |
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エリーザベト・アウグステ |
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カール・テオドール プファルツ選帝侯 バイエルン選帝侯 |
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マリア・フランツィスカ |
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フリードリヒ・ミヒャエル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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マクシミリアン4世/1世 バイエルン選帝侯 バイエルン王 |
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バイエルン王家 |
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関連項目
バイエルン公
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/08 16:09 UTC 版)
「バイエルンの君主一覧」の記事における「バイエルン公」の解説
名前肖像画称号統治開始統治終了家系区域備考ガリヴァルド1世 バイエルン公 555年頃 591年 アギロルフィング家 幾つかの資料では〝バイエルン国王〟と記している。 タッシロ1世 バイエルン公 591年頃 610年 アギロルフィング家 即位後の称号はrex(王)。 ガリヴァルド2世 バイエルン公 610年頃 630年 アギロルフィング家 テオド バイエルン公 680年 716年? アギロルフィング家 テオドロが死んだ716年もしくは717年にはバイエルン公国はフランク王国から完全に独立していた。テオドの息子間で公国は分割されたが、719年までにはグリモアルドの許で公国は統一された。 テオドベルト 公 702年頃 719年 アギロルフィング家 ザルツブルク テオドの息子。 テオドバルト 公 711年頃 719年 アギロルフィング家 バイエルンの一部 テオドの息子。 タッシロ2世 公 716年頃 719年 アギロルフィング家 パッサウ テオドの息子。 グリモアルド 公 716年頃 725年 アギロルフィング家 フライジング テオドの息子、後に全バイエルンを統治。 フグベルト 公 725年 737年 アギロルフィング家 テウドベルトの息子。フグベルトの統治中の725年頃にフランク王国の事実上の支配者であったカール・マルテルがバイエルンに対する主権を再び主張して、グリモアルドを打ち負かして殺し、バイエルンの一部を吸収した。 オディロ 737年 748年 アギロルフィング家 ゴットフリートの息子。テオドの外孫。 グリフォ 748年 748年 カロリング家(アギロルフィング家) カール・マルテルの息子、簒奪者 タッシロ3世 バイエルン公 748年 788年 アギロルフィング家 757年にタッシロ3世はフランク国王ピピン3世の主権を認め、781年と787年にカール大帝に忠誠を誓った(その間に独立を主張していた)。788年にカール大帝はタッシロ3世に対して反逆罪の罪で死刑を宣告した。タッシロ3世は修道院に入る事と、フランクフルト=アム=マインを放棄する事で794年に許しを得た。 カール大帝 皇帝 788年 814年 カロリング家 ゲロルド・フォン・ヴィンズゴウヴ バイエルン知事 794年 799年 ウダルチング家 カール大帝によってバイエルン知事に任じられるも、799年に戦死した。 ルートヴィヒ1世 皇帝 814年 817年 カロリング家 817年にルートヴィヒ1世は息子のルートヴィヒ2世に委ねた。 ルートヴィヒ2世 バイエルン国王 817年 865年 カロリング家 父ルートヴィヒ1世が死ぬ840年まで、ルートヴィヒ2世は、その従属下でのバイエルン国王の地位にあった。843年以降はバイエルンはルートヴィヒ2世が王位を兼ねる東フランク王国に吸収された。864年にルートヴィヒ2世は息子のカールマンにバイエルンの統治を委ねて自身は873年に死んだ。ルートヴィヒ2世には他にルートヴィヒ3世とカール3世(後者は一時的にフランク王国を再統一する)がおり、カールマンの死後にバイエルンを相続した。 カールマン バイエルン国王 864年 880年 カロリング家 ルートヴィヒ2世の長男。 ルートヴィヒ3世 バイエルン国王 880年 882年 カロリング家 ルートヴィヒ2世の息子。 カール3世 バイエルン国王 882年 887年 カロリング家 ルートヴィヒ2世の末子。カールマンの庶子であるアルヌルフはカール3世に反旗を翻し、カール3世が死ぬと東フランク王国を掌握した。 アルヌルフ バイエルン国王 887年 899年 カロリング家 カールマンの息子。 ルートヴィヒ4世 バイエルン国王 899年 911年 カロリング家 アルヌルフの息子。 エンゲルデロ バイエルン辺境伯 890年 895年 バイエルン辺境伯の称号はルイトポルトに取って代わられた。 ルイトポルト バイエルン辺境伯 895年 907年 ルイトポルト家 アルヌルフ バイエルン大公 907年 937年 ルイトポルト家 ルイトポルトの息子。911年にアルヌルフは最高位にあたる大公の地位を請求し、東フランク王ハインリヒ1世によって920年に認められた。 エーバーハルト バイエルン大公 937年 938年 ルイトポルト家 アルヌルフの息子。 ベルトルト バイエルン大公 938年 947年 ルイトポルト家 ルイトポルトの末子。皇帝オットー1世は中央集権化を再び掲げてアルヌルフの息子のエーバーハルトを追放して、ルイトポルトの末子であるベルトルトに大公の地位を授けた。 ハインリヒ1世 バイエルン大公 947年 955年 ザクセン家 東フランク王ハインリヒ1世の息子。ベルトルドが死ぬと皇帝オットー1世は唯一の弟で、アルヌルフの義理の息子であるハインリヒ1世に大公の地位を授けた。 ハインリヒ2世 バイエルン大公 955年 976年 ザクセン家 ハインリヒ2世は従兄のローマ皇帝オットー2世と争い、公国を召し上げられた。その公国は同じく従兄弟であるシュヴァーベン大公オットー1世が976年に貰い受けた(オットー1世は2つの公国を統治する事になったわけである)。 オットー1世 バイエルン大公 976年 982年 ザクセン家 ハインリヒ3世 バイエルン大公 983年 985年 ルイトポルト家 バイエルンはベルトルトの息子であるハインリヒ3世が奪還した事で、短期間ルイトポルト朝が復活した。ハインリヒ2世がバイエルンに返り咲く見返りとしてケルンテンを受け取った。 ハインリヒ2世 バイエルン大公 985年 995年 ザクセン家 復位 ハインリヒ4世 バイエルン大公 995年 1004年 ザクセン家 ハインリヒ2世の息子。1004年にハインリヒ4世が神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世として選出されると、義理の兄弟であるルクセンブルク伯ハインリヒ5世にバイエルンを授けた。 ハインリヒ5世 バイエルン大公 1004年 1009年 ルクセンブルク家 ルクセンブルク伯ジークフリートの息子。 ハインリヒ4世 バイエルン大公 1009年 1017年 ザクセン家 ハインリヒ4世が直接統治を行う。 ハインリヒ5世 バイエルン大公 1017年 1026年 ルクセンブルク家 ルクセンブルク伯ジークフリートの息子。1026年にハインリヒ6世が死ぬとローマ皇帝コンラート2世は息子のハインリヒ6世にバイエルンを授けた。 ハインリヒ6世 バイエルン大公 1026年 1042年 ザーリアー家 ローマ皇帝コンラート2世の息子。後にハインリヒ6世は1039年にローマ皇帝となる。 ハインリヒ7世 バイエルン大公 1042年 1047年 ルクセンブルク家 下ロレーヌ公フリードリヒの息子。1042年にローマ皇帝ハインリヒ3世はルクセンブルク伯ハインリヒ5世の甥であるハインリヒ7世に公国を授けた。 コンラート1世 (クノ) バイエルン大公 1049年 1053年 ズトフェン家 ロレーヌ公リウドルフの息子。ハインリヒ7世没後の半年間は公位は空位のままであった。1049年にローマ皇帝ハインリヒ3世は公国をズトフェン伯クノに授けた。クノは1053年に廃位された。 ハインリヒ8世 バイエルン大公 1053年 1054年 ザーリアー家 ローマ皇帝ハインリヒ3世の息子。ハインリヒ8世(1050年誕生)は未成年の時にバイエルンを統治した。1056年にローマ王に、1084年にローマ皇帝ハインリヒ4世となった。 コンラート2世 バイエルン大公 1054年 1055年 ザーリアー家 (未成年期, 1052年誕生, 1055年死去)ローマ皇帝ハインリヒ4世の息子。 ハインリヒ8世 バイエルン大公 1055年 1061年 ザーリアー家 (未成年期、1050年誕生)ローマ皇帝ハインリヒ3世の息子。ハインリヒ8世は1056年にローマ王に、1084年にローマ皇帝ハインリヒ4世となった。 オットー2世 バイエルン大公 1061年 1070年 ノルトハイム 1061年に当時は未だ11歳であったローマ王ハインリヒ4世の母親で摂政であった皇后アニェスはオットー2世を公に任じた。 ヴェルフ1世 バイエルン大公 1070年 1077年 古ヴェルフ家 ヴェルフ1世はしばしばローマ皇帝ハインリヒ4世と争い、結果、19年の間公国を召し上げられ、ローマ王の直接支配となった。 ハインリヒ8世 バイエルン大公 1077年 1096年 ザーリアー家 (未成年期、1050年誕生)ローマ皇帝ハインリヒ3世の息子。ハインリヒ8世は1056年にローマ王に、1084年にローマ皇帝ハインリヒ4世となった。 ヴェルフ1世 バイエルン大公 1096年 1101年 古ヴェルフ家 1096年にヴェルフ1世は公国を回復した。 ヴェルフ2世 バイエルン大公 1101年 1120年 古ヴェルフ家 ヴェルフ1世の長男。 ハインリヒ9世 バイエルン大公 1120年 1126年 古ヴェルフ家 ヴェルフ1世の次男。退位。 ハインリヒ10世 バイエルン大公 1126年 1139年 古ヴェルフ家 ハインリヒ9世の息子。ローマ王コンラート3世との争いで公国を失い、コンラート3世はそれを自分の家臣であるオーストリア辺境伯レオポルトに下賜した。 レオポルト バイエルン大公 1139年 1141年 バーベンベルク家 レオポルトが死ぬとローマ王コンラート3世はレオポルトの兄弟であるハインリヒ11世に公国を授けた。 ハインリヒ11世 バイエルン大公 1143年 1156年 バーベンベルク家 レオポルトの兄弟。 ハインリヒ12世 バイエルン大公 1156年 1180年 ヴェルフ・ エステ家 フリードリヒ1世(赤髭王)がローマ王に即位した翌1156年、ハインリヒ10世の息子でザクセン公であったハインリヒ12世がバイエルンをヴェルフ家に取り戻した。 オットー1世 バイエルン公 1180年 1183年 ヴィッテルスバッハ家 1180年にローマ皇帝フリードリヒ1世(赤髭王)はヴィッテルスバッハ家のオットー1世にバイエルンを下賜した。〝オットー〟という名はバイエルン大公としては3人目であるが、新たな家系の祖である為オットー1世と呼ばれる。 ルートヴィヒ1世 バイエルン公 1183年 1231年 ヴィッテルスバッハ家 オットー1世の息子。1214年にルートヴィヒ1世はライン宮中伯位を獲得した。それ故にルートヴィヒ1世は同時にライン宮中伯でもある。1231年に暗殺された。 オットー2世 バイエルン公 1231年 1253年 ヴィッテルスバッハ家 ルートヴィヒ1世の息子。オットー2世も父と同時にライン宮中伯となった。オットー2世の死によりバイエルンは2人の息子間で分割された。ハインリヒ13世は下バイエルン公となり、ルートヴィヒ2世は上バイエルン公となった。この状態は16世紀初頭まで続き、領地は兄弟間で更に分割されていった。 ハインリヒ13世 バイエルン公 1253年 1290年 ヴィッテルスバッハ家 下バイエルン オットー2世の次男(共同統治)。 ルートヴィヒ2世 バイエルン公 1253年 1294年 ヴィッテルスバッハ家 上バイエルン オットー2世の長男(共同統治)。 ルートヴィヒ3世 バイエルン公 1290年 1296年 ヴィッテルスバッハ家 下バイエルン ハインリヒ13世の次男(共同統治)。 シュテファン1世 バイエルン公 1290年 1309年 ヴィッテルスバッハ家 下バイエルン ハインリヒ13世の3男(共同統治)。 オットー3世 バイエルン公 1290年 1312年 ヴィッテルスバッハ家 下バイエルン ハインリヒ13世の長男(共同統治)。ハンガリー国王(1305年 - 1307年) ルドルフ1世 バイエルン公 1294年 1317年 ヴィッテルスバッハ家 上バイエルン ルートヴィヒ2世の長男(共同統治)。 ルートヴィヒ4世 バイエルン公 1294年 1347年 ヴィッテルスバッハ家 上バイエルンバイエルン(1340年 – 1347年) ルートヴィヒ2世の次男。1317年までは兄のルドルフ1世と共同統治で、それ以降は単独統治。1314年にローマ王に選出。パヴィア条約でバイエルン・オーバープファルツを含むライン宮中伯領をルドルフ1世の息子達に譲渡した。1340年にヨハン1世が死ぬとバイエルンを統一した。 オットー4世 バイエルン公 1309年 1334年 ヴィッテルスバッハ家 下バイエルン シュテファン1世の次男(共同統治)。 ハインリヒ14世 バイエルン公 1309年 1339年 ヴィッテルスバッハ家 下バイエルン シュテファン1世の長男(共同統治)。 ハインリヒ15世 バイエルン公 1312年 1333年 ヴィッテルスバッハ家 下バイエルン オットー3世の息子(共同統治)。 ヨハン1世 バイエルン公 1339年 1340年 ヴィッテルスバッハ家 下バイエルン ハインリヒ14世の息子(共同統治)。1340年にヨハン1世が死ぬとルートヴィヒ4世はバイエルン公国を再統一した(1340年 - 1349年)。 ルートヴィヒ5世 バイエルン公 1347年 1361年 ヴィッテルスバッハ家 第二次バイエルン分割 ルートヴィヒ4世の長男。統一バイエルン(1340年 - 1349年):シュテファン2世, ルートヴィヒ6世, ヴィルヘルム1世, アルブレヒト1世, オットー5世の共同統治。 上バイエルン(1349年 - 1361年):ルートヴィヒ6世とオットー5世の共同統治。 シュテファン2世 バイエルン公 1347年 1375年 ヴィッテルスバッハ家 第二次バイエルン分割 ルートヴィヒ4世の次男。統一バイエルン(1340年 - 1349年):ルートヴィヒ5世, ルートヴィヒ6世, ヴィルヘルム1世, アルブレヒト1世, オットー5世との共同統治。 下バイエルン(1349年 - 1353年):アルブレヒト1世とヴィルヘルム1世の共同統治。 バイエルン=ランツフート(1353年 - 1375年) ルートヴィヒ6世 バイエルン公 1347年 1351年 ヴィッテルスバッハ家 第二次バイエルン分割 ルートヴィヒ4世の3男。統一バイエルン(1340年 - 1349年):ルートヴィヒ5世, シュテファン2世, ヴィルヘルム1世, アルブレヒト1世, オットー5世との共同統治。 上バイエルン(1349年 - 1351年):ルートヴィヒ5世とオットー5世の共同統治。 ヴィルヘルム1世 バイエルン公 1347年 1388年 ヴィッテルスバッハ家 第二次バイエルン分割 ルートヴィヒ4世の4男。統一バイエルン(1340年 - 1349年):ルートヴィヒ5世, シュテファン2世, ルートヴィヒ6世, アルブレヒト1世, オットー5世との共同統治。 下バイエルン(1349年 - 1353年):アルブレヒト1世とシュテファン2世の共同統治。 バイエルン=シュトラウビング(1353年 - 1388年):アルブレヒト1世とアルブレヒト2世の共同統治。 アルブレヒト1世 バイエルン公 1347年 1404年 ヴィッテルスバッハ家 第二次バイエルン分割 ルートヴィヒ4世の5男。統一バイエルン(1340年 - 1349年):ルートヴィヒ5世, シュテファン2世, ルートヴィヒ6世, ヴィルヘルム1世, オットー5世との共同統治。 下バイエルン(1349年 - 1353年):シュテファン2世とヴィルヘルム1世の共同統治。 バイエルン=シュトラウビング(1353年 - 1404年):ヴィルヘルム1世とアルブレヒト2世の共同統治(1397年以降は単独統治)。 オットー5世 バイエルン公 1347年 1351年 ヴィッテルスバッハ家 第二次バイエルン分割 ルートヴィヒ4世の6男。統一バイエルン(1340年 - 1349年):ルートヴィヒ5世, シュテファン2世, ルートヴィヒ6世, ヴィルヘルム1世, アルブレヒト1世との共同統治。 上バイエルン(1349年 - 1351年):ルートヴィヒ5世とルートヴィヒ6世との共同統治。 バイエルン=ランツフート(1375年 - 1379年):ヨハン2世, フリードリヒ, シュテファン3世との共同統治。 マインハルト 1361年 1363年 ヴィッテルスバッハ家 上バイエルン ルートヴィヒ5世の息子。チロル伯。1363年に死ぬと上バイエルンはバイエルン=ランツフート間で分割された。 ヨハン2世 バイエルン公 1375年 1397年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=ランツフートバイエルン=ミュンヘン シュテファン2世の3男。バイエルン=ランツフート(1375年 - 1392年):オットー5世, フリードリヒ, シュテファン3世との共同統治。 バイエルン=ミュンヘン(1392年 - 1397年) フリードリヒ バイエルン=ランツフート公 1375年 1393年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=ランツフート シュテファン2世の次男。バイエルン=ランツフート(1375年 - 1392年):オットー5世, ヨハン2世, シュテファン3世との共同統治。 (1392年 - 1393年):単独統治 シュテファン3世 1375年 1413年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=ランツフートバイエルン=インゴルシュタット シュテファン2世の長男。バイエルン=ランツフート(1375年 - 1392年):オットー5世, ヨハン2世, フリードリヒとの共同統治。 バイエルン=インゴルシュタット(1392年 - 1413年) アルブレヒト2世 バイエルン=シュトラウビング公 1389年 1397年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=シュトラウビング アルブレヒト1世の次男。アルブレヒト1世と共同統治。 ハインリヒ16世 バイエルン=ランツフート公 1392年 1450年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=ランツフート フリードリヒの息子。1447年にバイエルン=インゴルシュタットを吸収。 ヴィルヘルム3世 バイエルン=ミュンヘン公 1397年 1435年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=ミュンヘン ヨハン2世の次男。エルンストと共同統治。 エルンスト バイエルン=ミュンヘン公 1397年 1438年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=ミュンヘン ヨハン2世の長男。ヴィルヘルム3世と共同統治(1435年以降は単独統治)。 ヴィルヘルム2世 バイエルン=シュトラウビング公 1404年 1417年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=シュトラウビング アルブレヒト1世の長男。 ルートヴィヒ7世 バイエルン=インゴルシュタット公 1413年 1443年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=インゴルシュタット シュテファン3世の息子。 ジャクリーヌ バイエルン=シュトラウビング公女 1417年 1432年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=シュトラウビング ヴィルヘルム2世の娘。1425年までにヨハン3世と争った。1429年にバイエルン=シュトラウビングは他のバイエルン諸侯に吸収された。 ヨハン3世 バイエルン=シュトラウビング公 1418年 1425年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=シュトラウビング アルブレヒト1世の3男。1425年までジャクリーヌと争う。 アルブレヒト3世 バイエルン=ミュンヘン公 1438年 1460年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=ミュンヘン エルンストの息子。 ルートヴィヒ8世 バイエルン=インゴルシュタット公 1443年 1445年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=インゴルシュタット ルートヴィヒ7世の息子。1447年にバイエルン=インゴルシュタットはバイエルン=ランツフートに吸収された。 ルートヴィヒ9世 バイエルン=ランツフート公 1450年 1479年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=ランツフート ハインリヒ16世の息子。 ヨハン4世 バイエルン公 1460年 1463年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=ミュンヘン アルブレヒト3世の長男。ジギスムントとアルブレヒト4世の共同統治。 ジギスムント 1460年 1501年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=ミュンヘンバイエルン=ダッハウ アルブレヒト3世の次男。バイエルン=ミュンヘン(1460年 - 1467年):ヨハン4世とアルブレヒト4世の共同統治。 バイエルン=ダッハウ(1467年 - 1501年) 1501年にバイエルン=ダッハウとバイエルン=ミュンヘンは統合した。 ゲオルク バイエルン=ランツフート公 1479年 1503年 ヴィッテルスバッハ家 バイエルン=ランツフート ルートヴィヒ9世の息子。バイエルン=ランツフートはバイエルン=ミュンヘンに吸収された。
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