シュテファン2世 (バイエルン公)とは? わかりやすく解説

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シュテファン2世 (バイエルン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/02 07:55 UTC 版)

シュテファン2世
Stephan II.
バイエルン公
下バイエルン公
下バイエルン=ランツフート公
上バイエルン公
シュテファン2世のシール
在位 バイエルン公1347年 - 1349年
下バイエルン公:1349年 - 1353年
下バイエルン=ランツフート公:1353年 - 1375年
上バイエルン公1363年 - 1375年

出生 1319年
死去 1375年5月13日
埋葬 神聖ローマ帝国
バイエルン公領ミュンヘン、フラウエン教会
配偶者 イザベッラ・ディ・シチリア
  マルガレーテ・フォン・ニュルンベルク
子女 シュテファン3世
アグネス
フリードリヒ
ヨハン2世
家名 ヴィッテルスバッハ家
父親 神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世
母親 ベアトリチェ・シフィドニツカ
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シュテファン2世(Stephan II., 1319年 - 1375年5月13日)は、14世紀下バイエルン公(後に下バイエルン=ランツフート公)。後に上バイエルン公も兼ねた。神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世とヤヴォル公ボルコ1世の娘ベアトリチェの次男。ルートヴィヒ5世は同母兄、ルートヴィヒ6世ヴィルヘルム1世アルブレヒト1世オットー5世は異母弟である。フランス王シャルル6世の王妃イザボー・ド・バヴィエールは孫の1人である。

生涯

父の存命時にはアルザスシュヴァーベンの代官を務めていた。1347年に父が没し、1349年に遺領が分割された時、シュテファン2世は下バイエルンを2人の弟ヴィルヘルム1世、アルブレヒト1世と共に相続した(上バイエルンは兄のルートヴィヒ5世、弟のルートヴィヒ6世、オットー5世が相続)。その後、1353年に下バイエルンは更に分けられ、シュテファン2世はランツフートを、ヴィルヘルム1世とアルブレヒト1世はシュトラウビングを相続した。

1361年、兄の上バイエルン公ルートヴィヒ5世が没し、甥マインハルトに遺領が相続されたが、マインハルトも1363年に夭折すると、オーストリア公ルドルフ4世と遺領を巡って対立、ルドルフ4世の死後も戦いを続け、1369年に和睦、チロルハプスブルク家が領有、シュテファン2世は巨額の賠償金と上バイエルンを獲得した。

1375年、56歳で死去。遺領は3人の息子に相続されたが、後に分割された。

家族

1328年シチリア王フェデリーコ2世エレオノーラ・ダンジョの娘イザベッラ(1310年 - 1349年)と結婚した。

  1. シュテファン3世(1337年 - 1413年) - 下バイエルン=ランツフート公、後に上バイエルン=インゴルシュタット公。イザボー・ド・バヴィエールの父。
  2. アグネス(1338年 - ?) - 1356年キプロス王ジャック1世と結婚。
  3. フリードリヒ(1339年 - 1393年) - 下バイエルン=ランツフート公
  4. ヨハン2世(1341年 - 1397年) - 下バイエルン=ランツフート公、後に上バイエルン=ミュンヘン公。

1359年ニュルンベルク城伯ヨハン2世の娘マルガレーテ(? - 1377年)と再婚。子供はいない。

参考文献

先代
ルートヴィヒ4世
バイエルン公
1347年 - 1349年
ルートヴィヒ5世ルートヴィヒ6世ヴィルヘルム1世アルブレヒト1世オットー5世と共同統治
次代
上バイエルンと下バイエルンに分割
先代
バイエルンから分割
下バイエルン公
1349年 - 1353年
ヴィルヘルム1世アルブレヒト1世と共同統治(1353年まで)
次代
ランツフート、シュトラウビング系に分裂
先代
下バイエルンから分割
下バイエルン=ランツフート公
1353年 - 1375年
次代
シュテファン3世フリードリヒ
ヨハン2世
先代
マインハルト
上バイエルン公
1363年 - 1375年
次代
下バイエルンと統合



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