シュテファン3世 (バイエルン公)とは? わかりやすく解説

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シュテファン3世 (バイエルン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/02 07:50 UTC 版)

シュテファン3世
Stephen III.
下バイエルン=ランツフート公
上バイエルン=インゴルシュタット公
在位 下バイエルン=ランツフート公1375年 - 1392年
上バイエルン=インゴルシュタット公:1392年 - 1413年

出生 1337年
死去 1413年9月26日
神聖ローマ帝国ニーダーシェーネンフェルト修道院
埋葬 神聖ローマ帝国ニーダーシェーネンフェルト修道院 → インゴルシュタット
配偶者 タデア・ヴィスコンティ
  エリーザベト・フォン・クレーフェ
子女 ルートヴィヒ7世
イザベラ
家名 ヴィッテルスバッハ家
父親 下バイエルン=ランツフート公シュテファン2世
母親 イザベッラ・ディ・シチリア
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シュテファン3世(Stephen III., 1337年 - 1413年9月26日)は、14世紀下バイエルン=ランツフート上バイエルン=インゴルシュタットシュテファン2世シチリア王フェデリーコ2世の娘イザベッラの長男。神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の孫、フリードリヒヨハン2世の兄、フランス王妃イザボー・ド・バヴィエールの父である。

生涯

1375年、父の死に伴い領土を弟のフリードリヒ、ヨハン2世と共に相続した。1392年には領土を3分割し、シュテファン3世はインゴルシュタットを、フリードリヒはランツフートを、ヨハン2世はミュンヘンを治めることになった。1395年にヨハン2世と争うが、1397年にヨハンが死去したため、その領土を併合しようとしてヨハンの2人の遺児エルンストヴィルヘルム3世とも対立、1398年プファルツ選帝侯ループレヒト3世の仲裁で一旦和睦、1402年に最終的に相続を放棄した。1410年に父が逃したチロルに攻め込んだが、こちらも失敗した。

1413年に死去し、ルートヴィヒ7世が後を継いだ。

家族

1364年10月13日ミラノ僭主ベルナボ・ヴィスコンティの娘タデアと結婚した[1]

  1. ルートヴィヒ7世(1365年 - 1447年)[1] - バイエルン公
  2. イザベラ(1370年頃 - 1435年)[1] - 1385年フランス王シャルル6世と結婚[2]

1401年1月16日にクレーフェ伯・マルク伯アドルフ3世の娘エリーザベトと再婚した。子供はいない。

脚注

  1. ^ a b c Adams 2010, p. 2.
  2. ^ Pitti 2015, p. 287.

参考文献

  • Adams, Tracy (2010). The Life and Afterlife of Isabeau of Bavaria. The Johns Hopkins University Press 
  • Pitti, Bonaccorso (2015). “Memoirs”. In Branca, Vittore. Merchant Writers: Florentine Memoirs from the Middle Ages and Renaissance. University of Toronto Press. pp. 254-343 
先代
シュテファン2世
下バイエルン=ランツフート
1375年 - 1392年
フリードリヒヨハン2世と共同統治
次代
インゴルシュタット、ランツフート、ミュンヘン系に3分割
先代
下バイエルンから分割
上バイエルン=インゴルシュタット
1392年 - 1413年
次代
ルートヴィヒ7世



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