2003年 - 2005年
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「中邑真輔」の記事における「2003年 - 2005年」の解説
2003年5月2日、新日本「ULTIMATE CRUSH」大会でヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキアと総合格闘技ルールで対戦し勝利。8月にはデビュー1年にも満たないキャリアでG1 CLIMAXへ初出場。安田、柴田勝頼から勝利を収める。 12月9日、天山広吉の所持するIWGPヘビー級王座に初挑戦。逆十字固めで天山からタップを奪いデビュー最速、最年少での同王座戴冠を果たす。 12月31日、K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!でキックボクサーのアレクセイ・イグナショフと対戦。3Rでイグナショフの膝蹴りを受けダウンし、すぐに立ち上がるもレフェリーの平直行が即座にTKOを宣告し敗北を喫するも、中邑側からの抗議によりジャッジを見直されて無効試合となった。 2004年1月4日、自身の持つIWGPヘビー級王座とNWFヘビー級王座の統一戦と銘打たれた試合で高山善廣と対戦。チキンウィングアームロックで高山からギブアップを奪い、IWGP王座を防衛、並びにNWFヘビー級王座に戴冠し二冠王となるも、後日NWFを封印。その後、精密検査の為欠場しIWGP王座も返上。 5月22日、K-1 ROMANEXでイグナショフと再戦し、2R1分51秒前腕チョーク(K-1の公式記録はギロチンチョーク)で勝利。以降、総合格闘技のリングには上がらずプロレス業に専念する。 11月、大阪ドーム大会で突然のカード変更により、中西学と組んで藤田和之、ケンドー・カシン組と対戦したがピンフォール負け。試合後にカード変更を打診したアントニオ猪木から鉄拳制裁を受けた。 12月、棚橋弘至と組み、IWGPタッグ王者決定戦にて佐々木健介、鈴木みのる組と対戦。棚橋が鈴木からドラゴン・スープレックス・ホールドでピンフォール勝ちを収め、第47代IWGPタッグ王座に就く。翌年10月に陥落するまでに4度の防衛を果たした。 2005年1月4日、棚橋を破ってIWGP U-30無差別級王座を奪取し、ベルト封印を宣言した(返上扱い)。 3月12日に全日本プロレスに流出したIWGPヘビー級王座を奪還する為全日本のリングに単身乗り込み小島聡に対戦を直訴。26日に新日本両国国技館大会でタイトルマッチが組まれるも60分時間切れ引き分けで王座奪還は失敗に終わる。
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2003年 - 2005年
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「アドマイヤマックス」の記事における「2003年 - 2005年」の解説
故障が癒え、2003年は休み明けの安田記念が初戦となり、6番人気ながら好位追走、直線は叩き合いを制していったん抜け出したもののアグネスデジタルに差されクビ差の2着に惜敗。関屋記念、セントウルステークスでの善戦を経てスプリンターズステークスではデュランダルの3着。暮れにはローエングリン、テレグノシスとともに香港マイルへ出走し、4着に踏ん張る。 翌2004年は春シーズンを全休し、休み明け2戦目の富士ステークスで約3年ぶりの勝利を挙げる。続くマイルチャンピオンシップとCBC賞は6着、5着と振るわず、2005年は年明け初戦として初のダート戦となる根岸ステークスに出走するも後方の位置取りのまま見せ場なくメイショウボーラーの14着と大敗。芝に戻って阪急杯でキーンランドスワンの4着と持ち直した後、高松宮記念を迎える。 5度目となった武豊の手綱により4番人気で臨んだ高松宮記念では、カルストンライトオの逃げを他馬がマークする展開となり、メイショウボーラーらが後退する中で馬群から伸びてきた1番人気プレシャスカフェを直線半ばで捕まえ、さらに外から追い込んできたキーンランドスワンの追撃を2馬身2分の1差押さえて、ついに念願のGI初勝利を挙げた。しかし、その後のレースでは京王杯スプリングカップでは4着に踏みとどまったものの、安田記念は武豊も首をかしげる12着大敗に終わり、秋競馬を迎えてスプリンターズステークスではサイレントウィットネスの3着。マイルチャンピオンシップ6着を経てラストランとなった香港スプリントでは、2番人気に推され中団追走からレースを進めたが直線伸びず香港馬ナチュラルブリッツの11着と大敗を喫し、これを最後に引退した。 翌年の1月16日には、ノーザンホースパークで同じく2005年で引退したアドマイヤドン、アドマイヤグルーヴとの合同引退式が行われた。
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2003年 - 2005年
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「平原綾香のコンサート一覧」の記事における「2003年 - 2005年」の解説
2003年 早稲田祭2003 早稲田祭に「うるとらカフェ」でデビュー前の初ライブ。 公演数開催日会場0111月3日 早稲田大学・グラウンド坂 平原綾香 フリーライブ 公演数開催日会場0112月11日 早稲田大学・西早稲田キャンパス 15号館02教室 2004年 N506i×平原綾香 プレミアムライブ 初の単独ライブに抽選で506名を招待。 公演数開催日会場セットリスト 019月3日 Zepp Tokyo 1.overture2.Jupiter(acoustic version)3.empty space4.Precious Time5.Any more6.Skool for AH7.mama8.If we hold on together9.明日10.君といる時間の中で11.虹の予感(Encore)12.Jupiter 2005年 ファーストコンサートツアー The Voice 公演数開催日会場013月15日 所沢市民文化センター・マーキーホール 023月16日 彩の国さいたま芸術劇場 033月19日 パストラルかぞ 043月21日 野洲文化ホール 053月23日 神奈川県立音楽堂 063月25日 札幌市教育文化会館 073月26日 中札内文化創造センター・ハーモニーホール 083月29日 七尾サンライフプラザ 093月30日 金沢市文化ホール 104月9日 那須野が原ハーモニーホール 114月10日 品川プリンスホテル・ステラボール 124月15日 やまと郡山城ホール 134月16日 やしろ国際学習塾 145月13日 佐倉市民音楽ホール 155月14日 多気町民文化会館 165月15日 長泉町文化センター 175月20日 須賀川市文化センター 185月21日 松井田町文化会館 195月27日 余目町文化創造館 205月28日 花巻市文化会館 215月29日 仙台電力ホール 226月3日 諫早文化会館 追加公演 236月4日 ももちパレス 246月5日 霧島国際音楽ホール 256月10日 ハーモニーホール座間 追加公演 266月11日 小出郷文化会館 276月12日 東御市文化会館 286月18日 岩舟町文化会館 296月19日 棚倉町文化センター 306月24日 神戸文化ホール・中ホール 316月25日 NHK大阪ホール 326月26日 京都府立府民ホール 337月8日 広島アステールプラザ 347月9日 名古屋市芸術創造センター 357月10日 367月16日 恵比寿ガーデンホール 377月17日 平原綾香プレミアムライブ2005 伊藤園が「お~いお茶」の販促活動の一環として、同年6月13日から8月15日まで「平原綾香プレミアムライブ2005 チケットプレゼントキャンペーン」を実施していた。キャンペーンシールを集めて応募し、応募総数42万7000件の中から抽選で2500組5000人をペアで招待。 公演数開催日会場019月2日 NHK大阪ホール 029月3日 Zepp Tokyo 039月10日 Zepp Sapporo 049月11日 059月16日 Zepp Fukuoka 069月18日 愛知勤労会館 079月23日 品川プリンスホテル・ステラボール
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2003年-2005年
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藤沢翔陵高等学校を卒業後の2003年4月にプロ入りしミキプルーンに所属。2004年は11月に第7シードで出場した全日本テニス選手権シングルスで寺地貴弘との準決勝まで進出。一方、岩見亮と組んで第4シードで出場したダブルスでは準優勝の成績を収めた。12月からのテニス日本リーグでは出場全試合で勝利し大会MVPを受賞。2005年からはサーキット大会でも結果を残すようになり、フューチャーズ4大会で2優勝2準優勝の記録を残すと、7月にはデビスカップアジア/オセアニアゾーン・グループ Iプレーオフ2回戦対タイ代表戦でデビスカップ日本代表に初選出。消化試合となった第5試合のシングルスで起用されソンチャット・ラティワタナと対戦。これを6-3, 6-3のストレートで下し代表デビュー戦を勝利で飾った。9月には予選を勝ち上がって出場したベトナム・オープン男子シングルスでツアー本戦初出場。1回戦で当時世界ランク10位、大会第1シードのマリアノ・プエルタと対戦。自身初のトップ10選手との対戦でフルセットに持ち込む健闘を見せるも4-6, 7-6(5), 4-6のスコアで惜敗した。第2シードで出場した11月の全日本テニス選手権シングルスでは自身初の決勝進出を果たす。決勝では岩渕聡と対戦し2-6, 6-1, 6-7(6)のフルセットで惜敗。一方岩見と組んで第3シードで出場したダブルスでも決勝に進出したが、決勝戦では岩渕聡/松井俊英組に4-6, 6-3, 3-6のフルセットで敗れ単複準優勝となった。これらの活躍によりシングルスランクも年初の500位から年末には302位まで上昇し、全日本年間ランキングでも前年の9位から2位に上昇した。
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2003年~2005年
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「アメア・ディリック」の記事における「2003年~2005年」の解説
2003年にプロ転向。8月の全米オープンではNCAAシングルス王者として主催者推薦で出場。1回戦で当時世界ランク52位のサルギス・サルグシアン相手に6-4, 3-6, 7-6(3),2-6, 5-7のフルセットで惜敗した。この年は7月のインディアナポリス・テニス選手権シングルスにも主催者推薦で出場、2回戦のパラドーン・スリチャパン戦まで進出した。 2005年はジェフ・モリソンとペアを組み、主催者推薦で出場した全米オープン男子ダブルス1回戦で、第5シードのリーンダー・パエス/ネナド・ジモニッチ組を7-6(6), 7-6(2)のストレートで下す活躍で、第11シードのジョナサン・エルリック/アンディ・ラム組との3回戦まで進出した。
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2003年~2005年
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「一青窈の公演」の記事における「2003年~2005年」の解説
2003年 ええいああ 一青窈 Live Tour 公演数開催日会場012月15日 宮城・CLUB JUNK BOX 022月17日 福岡・イムズホール 032月19日 愛知・Electric Lady Land 042月22日 北海道・PENNY LANE 24 052月24日 大阪・BIG CAT 062月26日 東京・SHIBUYA-AX 一青 窈 in 本門寺 「月天心〜しゅるり〜」 公演数開催日会場014月20日 東京・池上本門寺 さらさらいや 正式名称は「「金魚すくい」発売記念限定ライブ 「さらさらいや」」。 公演数開催日会場017月23日 東京・東京キネマ倶楽部 2004年 一青 窈 LIVE TOUR 2004 〜てとしゃん〜 公演数開催日会場011月24日 千葉・市川市文化会館 021月27日 栃木・栃木県総合文化センター 031月28日 宮城・イズミティ21 041月30日 岩手・盛岡市民文化ホール 051月31日 青森・青森市文化会館 062月16日 北海道・北海道厚生年金会館 072月20日 神奈川・神奈川県民ホール 082月22日 新潟・新潟県民会館 092月24日 長野・長野県県民文化会館 102月26日 富山・オーバード・ホール 112月27日 石川・金沢市観光会館 123月2日 岡山・倉敷市民会館 133月3日 広島・広島郵便貯金ホール 143月5日 香川・香川県県民ホール 153月6日 東京・府中の森芸術劇場 163月11日 山梨・山梨県立県民文化ホール 173月13日 埼玉・大宮ソニックシティ 183月16日 福岡・福岡サンパレス 193月18日 大分・iichiko グランシアタ 203月19日 宮崎・宮崎市民文化ホール 213月22日 熊本・熊本市民会館 223月23日 鹿児島・鹿児島市民文化ホール 233月28日 大阪・大阪厚生年金会館 244月7日 愛知・名古屋市民会館 254月11日 東京・NHKホール 一青窈 in 熊野 花逢娘(かほうにゃん) 紀伊山地の霊場と参詣道の世界遺産登録が決定したことを記念して、熊野本宮大社で行われた400組800名の無料招待ライブ。 公演数開催日会場0110月20日 和歌山・熊野本宮大社・旧社地大斎原特設野外ステージ 2005年 一青窈☆夢街バンスキング〜はいらんせ〜 正式名称は「COOL BEAT presents「一青窈☆夢街バンスキング〜はいらんせ〜」」。一青窈が企画・演出の全てをプロデュースし、「赤い糸伝説」をテーマに一夜限りで行なったコンサート。 公演数開催日会場018月16日 京都・祇園甲部歌舞練場 FCイベント「夏だ! 祭りだ! 堂ダ!」 ファンクラブ会員限定ライブ 公演数開催日会場018月20日 東京・恵比寿ガーデンプレイス X'mas Fantastic Night 正式名称は「一青窈 NTT Communication EXPO Power on Stage 「X'mas Fantastic Night」」。同年12月20日〜12月22日の期間に東京国際フォーラムで開催していた次世代ブロードバンド技術の展示会「NTTグループコミュニケーションEXPO」のなかのイベントのひとつとしてスペシャルネットワークライブ。ライブの模様が展示会場内の別会場に設置されたネットワークステージへ生中継され、本会場と別会場のどちらのファンも見えた。 公演数開催日会場0112月20日 東京・東京国際フォーラム・ホールB5
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