マリアノ・プエルタとは? わかりやすく解説

マリアノ・プエルタ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/02 08:32 UTC 版)

マリアノ・プエルタ
マリアノ・プエルタ
基本情報
ラテン文字名 Mariano Puerta
愛称 マリアン (Marian)
国籍 アルゼンチン
出身地 同・ブエノスアイレス
生年月日 (1978-09-19) 1978年9月19日(38歳)
身長 180cm
体重 78kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1997年
引退年 2009年
ツアー通算 6勝
シングルス 3勝
ダブルス 3勝
生涯通算成績 170勝172敗
シングルス 128勝118敗
ダブルス 42勝54敗
生涯獲得賞金 $1,781,372
4大大会最高成績・シングルス
全豪 2回戦(1999)
全仏 準優勝(2005)
全英 1回戦(1998・2001・03・05)
全米 2回戦(1999・2005)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(1999・2000・03)
全仏 2回戦(1999)
全英 1回戦(2005)
全米 1回戦(1998・2003・05)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 9位(2005年8月15日)
ダブルス 68位(1999年8月2日)

マリアノ・ルベン・プエルタMariano Rubén Puerta, 1978年9月19日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の男子プロテニス選手。2005年全仏オープン男子シングルス準優勝者。身長180cm、体重78kg。男子テニスツアーでシングルス3勝、ダブルス3勝を挙げた。

選手経歴

5歳からテニスを始め、1998年にプロ入り。それから7年間は4大大会では3度の2回戦進出が自己最高成績だった。2005年全仏オープン男子シングルスではノーシードから決勝に勝ち上がった。決勝で当時19歳になったばかりのラファエル・ナダルと対戦(ちなみに左利き対決である)。プエルタはナダルから第1セットを奪ったが、続く3セットを落として、7-6, 3-6, 1-6, 5-7で敗れて準優勝に終わった。

ところが、全仏決勝後の検査で、彼が禁止薬物である興奮剤の「エチレフリン」に陽性反応を示したことが明るみに出てしまう。プエルタは2003年にも、ドーピング違反で9ヶ月の出場停止処分を受けたことがあった。12月21日国際テニス連盟(ITF)はプエルタに対して「出場資格停止8年」の処分を発表した。この処分は決勝戦のあった6月5日にさかのぼって有効となり、全仏オープン準優勝で獲得したポイントと賞金を含め、それ以後のランキング・ポイントと獲得賞金がすべて没収されることになった。

1年後の2006年スポーツ仲裁裁判所がプエルタの出場停止処分を当初の「8年」から「2年」に軽減することを決定した。処分が明けた2007年6月から現役復帰を果たし、チャレンジャー大会を中心に転戦していたが、2009年11月のペルーの大会を最後に試合から遠ざかっている。

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 10回 (3勝7敗)

大会グレード
グランドスラム (0-1)
テニス・マスターズ・カップ (0-0)
ATPマスターズシリーズ (0-0)
ATPインターナショナルシリーズ・ゴールド (0-1)
ATPインターナショナルシリーズ (3–5)
サーフェス別タイトル
ハード (0–0)
クレー (3-7)
芝 (0-0)
カーペット (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1998年8月10日 サンマリノ クレー ドミニク・フルバティ 2–6, 5–7
優勝 1. 1998年10月1日 パレルモ クレー フランコ・スキリャーリ 6–3, 6–2
準優勝 2. 2000年2月21日 メキシコシティ クレー フアン・イグナシオ・チェラ 4–6, 6–7(4)
準優勝 3. 2000年2月28日 サンティアゴ クレー グスタボ・クエルテン 6-7(3), 3-6
優勝 2. 2000年3月6日 ボゴタ クレー ユーネス・エル・アイナウイ 6–4, 7–6
準優勝 4. 2000年7月17日 グシュタード クレー アレックス・コレチャ 1-6, 3-6
準優勝 5. 2000年7月17日 ウマグ クレー マルセロ・リオス 6-7, 6-4, 3-6
準優勝 6. 2005年2月7日 ブエノスアイレス クレー ガストン・ガウディオ 4–6, 4–6
優勝 3. 2005年4月4日 カサブランカ クレー フアン・モナコ 6–4, 6–1
準優勝 7. 2005年6月5日 全仏オープン クレー ラファエル・ナダル 7–6(6), 3–6, 1–6, 5–7

ダブルス: 3回 (3勝0敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 1998年11月2日 ボゴタ クレー ディエゴ・デル・リオ エリック・タイノ
ガーボル・ケヴェシュ
6-7, 6-3, 6-2
優勝 2. 1999年4月26日 ミュンヘン クレー ダニエル・オルサニッチ マッシモ・ベルトリーニ
クリスティアン・ブランディ
7-6, 3-6, 7-6
優勝 3. 1999年7月26日 ウマグ クレー ハビエル・サンチェス マッシモ・ベルトリーニ
クリスティアン・ブランディ
3-6, 6-2, 6-3

4大大会シングルス成績

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 通算成績
全豪オープン A 2R 1R A A 1R A A 1–3
全仏オープン LQ 2R 3R 2R 2R 2R A F 12–6
ウィンブルドン 1R A A 1R A 1R A 1R 0–4
全米オープン 1R 2R 1R A A 1R A 2R 2–5

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