フアン・イグナシオ・チェラとは? わかりやすく解説

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フアン・イグナシオ・チェラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 18:22 UTC 版)

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フアン・イグナシオ・チェラ
Juan Ignacio Chela
フアン・イグナシオ・チェラ
基本情報
国籍 アルゼンチン
出身地 ブエノスアイレス特別区
生年月日 (1979-08-30) 1979年8月30日(41歳)
身長 190cm
体重 75kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1998年
引退年 2012年
ツアー通算 9勝
シングルス 6勝
ダブルス 3勝
生涯通算成績 431勝401敗
シングルス 322勝277敗
ダブルス 109勝124敗
生涯獲得賞金 $6,572,494
4大大会最高成績・シングルス
全豪 4回戦(2006)
全仏 ベスト8(2004・11)
全英 2回戦 (2003・04・07)
全米 ベスト8(2007)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(2004)
全仏 3回戦(2004・08)
全英 ベスト4(2010)
全米 3回戦(2009)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 15位(2004年8月9日)
ダブルス 32位(2011年6月6日)

フアン・イグナシオ・チェラJuan Ignacio Chela, 1979年8月30日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の男子プロテニス選手。自己最高位はシングルス15位、ダブルス32位。ATPツアーでシングルス6勝、ダブルス3勝を挙げた。身長190cm、体重75kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

来歴

6歳からテニスを始めたチェラは1998年にプロ入り。転向後は順調にランクを上げていき、2000年メキシコ・オープンでツアー初優勝を挙げる。ところが同年、全米オープンの前哨戦のシンシナティ・マスターズ出場時に受けた検査により翌2001年にドーピング違反が発覚。ATPにより8000ドルの罰金とシンシナティ以降3か月分のポイント全てを剥奪され、(獲得賞金は没収されなかった)当時48位まで登りつめたランクが一気に826位まで下がってしまう。この為一時はツアー下部のチャレンジャー大会への転戦を余儀なくされるものの、この年に出場した12のチャレンジャー大会の内、半数の6大会で優勝を遂げ、半年でランキングをトップ100へ戻すことに成功する。2002年以降はトップ50に定着し、2004年全仏オープン2007年全米オープン2011年全仏オープンでキャリア最高のシングルスベスト8に進出するなど、アルゼンチンテニス界のベテランとして安定した成績を残した。

ダブルスでは2010年ウィンブルドン選手権エドゥアルド・シュワンクと組みベスト4に進出している。

チェラは2012年ウィンブルドン選手権が最後の大会出場になり、2012年12月に現役引退を発表した[1]

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 12回 (6勝6敗)

大会グレード
グランドスラム (0-0)
ATPワールドツアー・ファイナル (0-0)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (0-0)
ATPワールドツアー・500シリーズ (2-2)
ATPワールドツアー・250シリーズ (4–4)
サーフェス別タイトル
ハード (0–2)
クレー (6-4)
芝 (0-0)
カーペット (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2000年2月21日 メキシコシティ クレー マリアノ・プエルタ 6–4, 7–6(4)
準優勝 1. 2001年1月28日 ボゴタ クレー フェルナンド・ビセンテ 4–6, 6–7(6)
準優勝 2. 2002年1月13日 シドニー ハード ロジャー・フェデラー 3–6, 3–6
優勝 2. 2002年7月15日 アメルスフォールト クレー アルベルト・コスタ 6–1, 7–6(4)
準優勝 3. 2002年8月25日 ロングアイランド ハード パラドーン・スリチャパン 7–5, 2–6, 2–6
優勝 3. 2004年4月12日 エストリル クレー マラト・サフィン 6–7(2), 6–3, 6–3
準優勝 4. 2006年3月5日 アカプルコ クレー ルイス・オルナ 6–7, 4–6
準優勝 5. 2006年7月24日 キッツビュール クレー アグスティン・カレリ 6–7(9), 2–6, 3–6
優勝 4. 2007年2月26日 アカプルコ クレー カルロス・モヤ 6–3, 7–6(2)
優勝 5. 2010年4月11日 ヒューストン クレー サム・クエリー 5–7, 6–4, 6–3
優勝 6. 2010年9月26日 ブカレスト クレー パブロ・アンドゥハル 7–5, 6–1
準優勝 6. 2011年2月20日 ブエノスアイレス クレー ニコラス・アルマグロ 3–6, 6–3, 4–6

ダブルス: 6回 (3勝3敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2004年2月15日 ビニャ・デル・マール クレー ガストン・ガウディオ ニコラス・ラペンティ
マルティン・ロドリゲス
7–6(2), 7–6(3)
準優勝 1. 2004年3月7日 アカプルコ クレー ニコラス・マスー ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン
2–6, 3–6
優勝 2. 2004年4月18日 エストリル クレー ガストン・ガウディオ フランティシェク・チェルマク
レオシュ・フリードル
6–2, 6–1
準優勝 2. 2005年5月1日 エストリル クレー トミー・ロブレド フランティシェク・チェルマク
レオシュ・フリードル
3–6, 4–6
優勝 3. 2010年9月25日 ブカレスト クレー ルカシュ・クボット マルセル・グラノリェルス
サンティアゴ・ベントゥーラ
6–2, 5–7, [13–11]
準優勝 3. 2011年4月17日 モンテカルロ クレー ブルーノ・ソアレス ボブ・ブライアン
マイク・ブライアン
3–6, 2–6

4大大会シングルス成績

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A P WG Z# PO G S SF-B NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, P=開催延期
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, SF-B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 通算成績
全豪オープン LQ A 3R 2R 2R 2R 3R 4R 3R 1R A 1R 1R 3R 14–11
全仏オープン LQ 2R A 1R 3R QF 2R 1R 2R 2R 1R 2R QF 1R 15–12
ウィンブルドン A 1R A 1R 2R 2R A 1R 2R A A 1R 2R 1R 4–9
全米オープン LQ 1R A 4R 3R 1R 1R 1R QF A 2R 2R 3R A 13–10

脚注

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