高津川
亜細亜の清流 高津川
(注:この情報は2008年2月現在のものです)
高津川は、その源を山口、島根県境に連なる中国山地に位置する島根県鹿足郡六日市町田野原に発し、北に流下しながら六日市町、柿木村、日原町を経て、益田市横田において本水系最大の支川匹見川を合わせ益田市を貫流し日本海に注いでいます。流域面積は1,090km2、幹川流路延長81kmで、その形状は南北44km東西40kmの羽状をなし、高津川流域面積は島根県全面積の約16%を占めています。 高津川は、一級河川としては全国で唯一ダムのない河川であり、さらに源流を特定できる数少ない河川として知られています。 |
高津川河口付近 |
河川概要 |
| ○拡大図 |
1.高津川の歴史 |
"河口を隣の益田川と共有していましたが、藩の政策により川を付け替えました。その後、氾濫を繰り返して現在の形状となりました。河川争奪により、宇佐川・深谷川が錦川に奪われて、切頭川となりました。 近年では、河川環境を考慮して、聖牛等の伝統工法を導入しています。" |
高津川の歴史、先人の知恵の活用 |
一級河川高津川は現在、この水源から流域面積1,090km2、延長81kmも河川となって日本海に流れています。太古には、山口県境を越え宇佐川、県境にある深谷川も高津川でしたが、河川争奪によって錦川に奪われて切頭川となったものです。河川争奪(争奪の肱)は、宇佐川では柳ヶ瀬付近、深谷川では初見、新田、向峠付近で100m以上の渓谷となっています。初見、新田、向峠地区の農地の下には旧河床と思われる石礫が残っています。 下流の日野原地区の「八町八反八畝八歩の一枚田」も、高津川の曲流蛇行地で淵であったものが、切頭されて流水の減少により泥田化したものです。河川争奪により、流水が減少したため、樋口~九郎原間約2.5kmは、現在は水無川となっています。 ○ 近年では、河川が本来持っている快適性や親水性を考慮して、「聖牛(ひじりうし)」等の伝統工法を導入しています。伝統工法は我が国に古来より伝わる治水工法で、自然環境を保ちつつ、河川と人間及び生態系の調和のとれた潤いある河川環境を保持することを目的としています。 |
2.地域の中の高津川 |
"流域住民と連携した川づくり等を行うアドプト・リバー・プログラムが中国地方で初めてスタートしました。 河口付近で毎年6月末に開催される水源祭のメイン行事として、雨乞い神事が行われています。 また、市街地を洪水被害から守るため、防災ステーション等の水防施設を整備しています。" |
3.高津川の自然環境 |
" 水質が良好で、清流に生息する生物が数多く棲息しています。また、イシドンコ、オオムラサキ、ミクリ等の貴重種も数多く見つかっています。" |
○ 水を生み出す森(ブナなどの広葉樹林)に囲まれた六日市町に源を発した高津川は、大蛇のように流れ続け、やがて益田市で日本海にたどり着きます。高津川の流域には、匹見峡や柿木村の棚田など、都会の喧騒を忘れさせるのどかな癒しの空間が広がっています。こんな自然豊かな高津川が自信を持っていることは、「水の清らかさ」です。 平成14年のBOD値は、中国地方では1位、全国でも7位となっています。 ○ 高津川の流域では、様々な生き物が確認されており、アユは高津川を代表する魚で昨年の秋に海まで流された仔アユが稚アユにまで成長し、4月になると川に遡上します。また、貴重種も数々確認されており、魚介類ではアユカケ・イシドンコ・イシドジョウ、小動物ではカジカガエル・アナグマ・ニホンイノシシ、鳥類ではカワセミ、 底生動物ではゲンジボタル・オナガサナエ、陸上昆虫類ではオオムラサキ・、植物ではタコノハシ、ミクリ等が生息しています。 ○ 一級河川で水源地が特定できるのは珍しく、水源地である大蛇ヶ池は「島根県の名水百選」に、池の辺にある勇壮な一本杉樹齢約1,000年と言われ「島根県名樹百選」に選定されています。 |
4.高津川の主な災害 |
○昭和47年災害 昭和47年7月の梅雨前線は、中国地方の大部分に集中豪雨をもたらし、殆どの地域で日雨量・総雨量が既往最大の異常気象でした。この時の気圧配置は中国地方に停滞する梅雨前線上を次々に小さな低気圧が通って石見地方に雷雨性の豪雨をもたらし、7月9日~13日の間、前線の位置は山陰沖から瀬戸内ぐらいまでの間を移動したに 過ぎず、天気図はほとんど変わりませんでした。この豪雨で山地や丘陵地では土壌が飽和に達して斜面崩壊の被害が相次ぎました。島根県全体の被害は、死者26名、負傷者79名、行方不明者2名、流失家屋95戸、全壊家屋559戸、床上浸水11,845戸、床下浸水26,449戸、被害総額は840億6,432万円に及びました。 ○昭和58年災害 昭和58年7月22日夜から23日朝にかけて島根県西部を中心とした記録的集中豪雨は、典型的な梅雨末期の集中豪雨で、山陰沖から南下した梅雨前線に南からの湿った空気が流れ込み、激しい上昇気流が厚い積乱雲を発達させたことによりもたらされました。昭和47年の時と比べると、総雨量500mm以上の地域が北部に集中した局地的な豪雨で、総雨量は益田市で633mm、三隅町で742mm、浜田市で516mmの記録的な豪雨となりました。高津川よりも益田川・三隅川流域での被害が大きく、益田市・三隅町では土石流・山崩れによる犠牲者を出しました。島根県下の被害は、死者・行方不明者107名、負傷者159名、全壊家屋1,372戸、流失家屋308戸、床上浸水7,741戸、床下浸水10,475戸、被害総額は3,600億円余にも上りました。 主な災害
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(注:この情報は2008年2月現在のものです)
固有名詞の分類
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