駅の立地
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.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 1880年の廣島市の地図。 1930年頃(昭和初頭)の廣島市の地図。 1945年アメリカ軍作成の広島市地図。 1988年の広島駅南周辺。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。 広島駅は南区松原町にある。新幹線口(北口)側は隣接する二葉通りを境に東区になる。 駅北側には二葉山緑地をはじめとする丘陵地が広がり、駅南側には猿猴川(太田川水系)が流れ、比較的駅周辺の平地部分が長細い形になっている。また、開業時点では駅北側の牛田村・矢賀村などが独立した村であり、広島駅の位置が広島市のほぼ北端であった。開業当時の地図を参照すると、山陽本線は府中村(現在の府中町)を通過後は、その当時の広島市街地であった中区中島町や紙屋町・八丁堀、さらには当時の広島城の外堀(現在の城北通りあたり)などを北方に避け、中区白島地区を通るルートを取っている。駅は太田川水系で形成されるデルタ地帯の外側に位置し、開業当時広島市の中心だった場所から離れた位置にある。市中心部とのアクセスは、1912年(大正元年)に広島電気軌道(現在の広島電鉄)駅前と御幸橋間の路線が出来たことで結ばれた。また、2015年(平成27年)3月14日に新白島駅が開業するまで、中区には山陽鉄道・国鉄時代を含めJRの駅が存在しなかった。 江戸時代は西国街道(山陽道)が近くを通り、街道沿いの愛宕(現在の「東区愛宕町」)には宿場町があり、他の国の人は広島城下に宿泊することが出来なかったので、宿泊することが出来る一番近い宿場町だった。現在でも地名として残り、愛宕踏切で街道と山陽線が交差している。駅の北側には、1890年(明治23年)に開設された東練兵場が広がり第二次世界大戦終戦まで存在した。東練兵場が出来る前までは田畑が広がっていた。 また、江戸時代からある猿猴橋から広島東照宮まで、桜並木(現在の松原町あたりは松並木で途中から桜並木に変わる)があり天明年間(1795年頃)の地図にも記載があり、第二次世界大戦終戦まで存在していた。 その他、現在も残る広島城主と縁のある広島東照宮・尾長天満宮・國前寺などが近くにある。 駅の開業は1894年(明治27年)6月で、開業時点では山陽鉄道の終点だった。その当時の地図では広島駅通過後、京橋川の近くまで線路が延びていた。翌月には日清戦争が開戦し、国家的な要望で開業が急がれた。前記したとおり、市の中心部から離れた位置にあり、その理由について街道沿いの住民が鉄道を敬遠したのか、用地の買収が困難だったかどうかは不明である。ただ、軍部の意向によりルート変更してはいけないとする強い意向があったのは事実である。同様の理由で山陽鉄道では例外的な急勾配区間瀬野八も誕生している。開業時には、前年に宇品港(現在の広島港)が開業し、兵隊が集合することが出来る広い土地(練兵場)が近くにあった事より、兵士出兵の最前線として重要な駅だった。さらに広島駅と宇品港を結ぶ宇品線が同年8月に開業している(詳細は該当記事参照)。 広島駅の南口側は、第二次世界大戦後には闇市が広がっていた。その闇市は、愛友市場(荒神市場)や、現在はエールエールA館がある地にあった1952年(昭和27年)に開業した「廣島百貨店」などに吸収された。またスーパーマーケットのイズミや、ヨンドシーホールディングス(アスティ・フジ・リテイリング)も、その闇市での屋台をルーツに持っている。1969年(昭和44年)には、これまで貨物駅を兼ねていた広島駅を分離する形で、東広島駅(現在の広島貨物ターミナル駅)が開業した。山陽新幹線開業直前には「ホテルニューヒロデン」が開業した。「廣島百貨店」は1990年代まで営業していたが、広島商圏での市場占有率は低下。エールエールA館の建設で消滅したが、現在も引き続き営業している店舗も存在する。1999年 (平成11年) には、エールエールA館に福屋広島駅前店が開業。広島駅の民衆駅化で設置された広島ステーションホテルが1999年に閉鎖されたが、2004年(平成16年)にJR系のホテルHOTELヴィアイン広島が開業した。2013年(平成25年)からはB・Cブロックの再開発も着手され、愛友市場もその歴史に幕を下ろした。その後2016年 (平成28年) 8月にBブロックにシティタワー広島・BIG FRONTひろしまが完成し、同年12月にCブロックにグランクロスタワー広島・EKICITY HIROSHIMAが完成した。 「広島駅南口再開発計画」も参照 2009年(平成21年)には、東広島駅(現在の広島貨物ターミナル駅)貨物ヤード跡地にMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島が建設され、その周辺に複数の商業施設等が建設されている。 現在の新幹線口側は、開業当初は駅舎はなかった。代わりに東練兵場の正面に凱旋門が存在していた。第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)に初めての駅舎が作られた。当時の駅舎は、木造平屋の小規模な物で北口と呼ばれた。1975年(昭和50年)の山陽新幹線開業で現在の駅舎に建て替えられ、北口または新幹線口と呼ばれる様になった。
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駅の立地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 13:00 UTC 版)
可部中心部の「可部地区」からみて、西に隣接した「亀山地区」内に駅があった。周辺は民家が密集しており、当駅は路地裏のような場所にあった。 旧可部町一帯は、広島市内から約20 km程度で、自動車で30分以内に移動できる立地から、1955年(昭和30年)に亀山地区にも270戸の県営住宅が建設された。その翌年の1956年(昭和31年)11月に、1936年(昭和11年)に既に開通していた可部線の仮乗降場として開駅、翌月に正式な駅に格上げされた。昭和40年代(1965年 - 1975年)には、住宅団地が多く建てられた。1969年(昭和44年)10月1日時点の亀山地区は、可部町の総人口24,840人のうち、可部地区の12,750人(51.3 %)に次ぐ6,898人(27.8 %)、総世帯数7,399世帯のうち、可部地区の4,077世帯(55.1 %)に次ぐ1,885世帯(25.5 %)が暮らしていた。 当駅跡地付近には、寺院、幼稚園、スーパーマーケット、簡易郵便局などがある。また、入口には中華料理店があったが、部分廃線後に閉店している。 当駅付近から三段峡方の線路は、南側を東西に流れる太田川と広島県道267号宇津可部線に並行していた。同県道は、可部駅方面から当駅前までは片側一車線で、そこから三段峡方面は幅員が狭くなるとともに、蛇行する太田川に寄り沿う形となって線形が悪化するため、現在でも悪天候時には通行止めになることがある。線路と県道のさらに北側には国道191号が並行しており、そちらの方が交通量および商店なども多い。 三段峡方の線路は当駅を出ると可部の市街地を抜け、以後は太田川に沿って、山中に分け入っていた。 当駅と可部駅の間には、可部方に国道54号、中間地点には可部バイパスのオーバーパスがあり、可部線を跨ぐ部分に関しては2003年(平成15年)に完成している。同バイパス沿いを中心に、安佐北区役所、可部区検察庁、可部簡易裁判所、安佐北警察署、広島北税務署、広島市立亀山南小学校、広島市立亀山中学校などの公共機関や、スーパーマーケット、ドラッグストア、ホームセンターなどの商業施設がある。 三段峡方には住宅団地が多くあり、友鉄工業(ともてつ-)と関連会社の友鉄ランドもある。 廃駅後は、広島交通の「河戸バス停」に可部駅 - 広島交通安佐営業所(旧安芸飯室駅北側)を結ぶ可部線代替バスが発着し、一部区間復活後も変わらずに運行されている。
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