連載の経緯
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「ガラスの仮面」は隔週誌『花とゆめ』(白泉社)に1975年発売の1976年1号から40年以上連載されている。長期連載となった本作だが、美内すずえは2巻程度で終わらせる構想であった。 1982年頃(劇中劇「ふたりの王女」の前後)より、雑誌版から単行本にする際に大幅な改稿を行なうようになった。単行本の巻末にも雑誌掲載原稿を改稿した旨記載されているが、特に単行本38巻以降は、雑誌版原稿を使用せず、全面改稿されている。実際に、1989年以降『花とゆめ』誌に掲載されたストーリーの大部分が単行本に収録されず(いわゆる未刊行部分)、単行本版・『花とゆめ』連載版・短期集中連載及びプラチナ増刊版という、3種類のストーリーが展開されるようになった。例えば、第13章の題名は『花とゆめ』連載版では「命」であったが、単行本版では「ふたりの阿古夜」となっている。 1995年から翌年まで二年の長期休載を経て、1997年の1997年20号、連載351回をもって『花とゆめ』における連載は事実上終了した。1998年に1989年11号までの内容で構成された41巻が、2004年12月16日に完全書き下ろしで42巻が発売された。 そして、2008年7月26日発売の月刊誌『別冊花とゆめ』9月号より、コミックス42巻の続きから連載が再開された。1970年代に始まった作品であるためいわゆる「黒電話」しか描かれることがなかったが、時代背景の変化により42巻で初めて携帯電話が登場した。普遍的な作品となることを目指しモチーフなどに同時代性を持たせないようにしていた美内には葛藤があったという。また、『別冊花とゆめ』再連載以降には、『花とゆめ』連載版の未刊行部分の内容が再構成されて登場している。 2018年5月26日発売の7月号をもって掲載誌『別冊花とゆめ』が休刊。連載作品や常連作家などの今後の掲載予定のリストの中に本作の名がなかったため危惧の声が上がり、美内が公式ツイッターで「必ず最終巻まで描き続けます。」とコメントしている。
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連載の経緯
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「ひぐらしのなく頃に 宵越し編」の記事における「連載の経緯」の解説
Gファンタジーではで2005年6月号より2006年6月号までゲーム本編の漫画化作品である「祟殺し編」(作画・鈴木次郎)が連載されていたが、出題編「祟殺し編」に対応する解答編である「皆殺し編」へそのまま連載を移行した場合、姉妹誌『月刊ガンガンWING』及び『ガンガンパワード』で連載されている解答編「目明し編」(作画・方條ゆとり)及び「罪滅し編」(作画・鈴羅木かりん)のネタバレを多分に含む内容であるため不都合が生じる懸念が発生した。そのため、原作者・竜騎士07とスクウェア・エニックス側の協議により新エピソードの外伝である本作が連載されることになった。「皆殺し編」は本作の連載終了後、2008年7月号から桃山ひなせの作画で連載されている。
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連載の経緯
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『天才バカボン』をヒットさせた『週刊少年マガジン』に対抗するため、『週刊少年サンデー』編集部は人気トップで連載中の『おそ松くん』を終了させ、新連載を起こすように赤塚に打診。赤塚は、『おそ松くん』を通常13ページを32ページに増ページして月に1回の連載を続けることを条件に了承した。映画『天国への階段』をヒントに息子と父親の幽霊、下町人情物の漫画を構想。連載前から東映動画からアニメ化の申し入れがあった。しかし、連載がスタートしても読者アンケートでは3位より上がらず、月1連載の『おそ松』がトップだった。人気テコ入れのために×五郎を予定より早く死なせ、デコッ八、ブタ松の登場で人情路線、ココロのボスでナンセンス度を増し、さらにどんなにいじめられてもめげないニャロメが読者の心を掴み、人気トップになった。
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連載の経緯
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Boo名義で発行していた髙木の同人誌を高く評価していた脚本家の黒田洋介が、髙木が会社を退職して漫画家を目指して修業をすると本人から聞き、「実力があるのに今から漫画家修業をするのでは遅すぎる」として、知り合いである『月刊コミック電撃大王』の編集長に髙木の売り込みを行った。編集長もBooの絵柄は評価しており、すぐに連載に前向きな返事が得られた。このとき黒田はシナリオを書くことを指示され、これを引き受けたことで連載が具体化した。黒田によれば、髙木から退職の報告を受けてから連載が決まったことを髙木に連絡するまで1時間半の出来事であったと言う。こうした経緯から、黒田が原作・アニメを通じてこの作品の脚本を担当することとなった。
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連載の経緯
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角川春樹の助言を受けて書き始められた。『野性時代』1981年9月号・10月号に連載され、同年11月にカドカワノベルズ(角川書店)より刊行された第1巻を皮切りとして順調に巻数を重ね、1991年6月刊行の第20巻をもって完結した。前半11巻が第一部「魔界誕生編」、後半9巻が第二部「地球聖戦編」とされる。また、外伝として『白銀の神話』全4巻が刊行されている。これらはのちに角川文庫からも刊行された。正伝はハルキ文庫からも刊行されている。 1995年3月からは、「銀河聖戦編」として続編『新・魔界水滸伝』の刊行が始まり、4巻まで角川文庫から刊行されたが、栗本の逝去により未完となっている。 発表形態としては、『野性時代』に連載もしくは一挙掲載されたのちに、カドカワノベルズから刊行されていた。ただし、外伝『白銀の神話』最終巻のみは、カドカワノベルズから書下ろしとして刊行された。カドカワノベルズ版および角川文庫版の表紙、口絵、挿絵は 永井豪、ハルキ文庫版の挿画はもりおかしんいちが手がけている。
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連載の経緯
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藤子Fの元アシスタントであるえびはら武司の証言によると、1973年に『ドラえもん』の1回目のアニメ化が半年の打ち切りで終わったため、小学館側からは学習雑誌における『ドラえもん』の連載を終わらせて新キャラクターに切り替えようという話が出ていたという。本作はそれに応える形で始まった新連載であるが、藤子Fの意向により『ドラえもん』の連載と2本立てで並行して継続することになった。しかし、1974年に刊行が始まった『ドラえもん』の単行本が1年で100万部売れるなど大ヒットをしたため、新キャラクターである本作の必要性が無くなったのが短期打ち切りの理由のようである。
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連載の経緯
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月刊ヤングマガジンでの『今日の5の2』終了後、単行本の好評を受け週刊ヤングマガジンで『みなみけ』連載に至った経緯、連載初期の反応などについては『みなみけ+今日の5の2 キャラファンBOOK』の初代担当のインタビューに詳しい。 この新連載について作者からは三姉妹が主人公の話が提案され、それについて担当編集者側から出した要望は、姉妹を高校・中学・小学生の3姉妹にすることと、漢字で『南家』だったタイトル案を平仮名に変更することぐらいという。当初は描きだめしており、1話目は地味なものを選んだとのことである。5話まで毎週掲載したのち、6話より隔週連載となっている。 2007年10月より第1期のテレビアニメが放送されてから、これまでに第4期まで放送された(詳しくはアニメーションの項を参照)。
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連載の経緯
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連載の経緯に関してはMFコミックス版の第1巻と第2巻に記載されている。 それによると、『スケバン刑事』第1部が完結する際に編集者から「次にどんなのがやりたいですか」と聞かれた和田が、「少年を主人公にしたファンタジーものがやりたい」と発言したのがきっかけ。当時少年を主人公にした作品は少なく、またファンタジーというジャンルもあまり認知されておらず、少年が主人公のファンタジー物で新境地を開きたかったらしいが、当時の編集部が難色を示したため「もし失敗したら『スケバン刑事』第2部を執筆する」ことを条件に連載にこぎつけた。しかし、結果は1年を待たずに打ち切りになる(第1部)。 そのため、約束通りに『スケバン刑事』第2部の執筆に取りかかったが、同作品連載終了の1981年末に「昔と状況は変わっているので『ピグマリオ』を再開しませんか」との編集部の言葉に奮起し第2部以降を描くことになる。第1部執筆当時から構想が大きく広がり、約8年連載、コミックス27巻という長編になった。
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