白岡家の人々
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白岡新次郎(しろおか しんじろう) 演 - 玉木宏(少年時代:南出凌嘉) あさの許婚、のちに夫。大阪有数の両替屋・加野屋の次男。あさより11歳年上。 商いより三味線の手習いを好む道楽者。高齢になってからは亀助曰く、「三味線もお茶も謡も名人の域」。洋装があまり好きではなく、和服好き。 雨男で、嬉しい事が起こると必ず雨が降る。 かねてよりあさの人柄を気に入り、婚約の打診も快く応じる。また、はつの夫になる惣兵衛とは旧知の仲である。 少年時代に、幼馴染み・松造が家業の失敗から不幸に追いやられ、行方不明になってから自身の家業ひいてはお金を扱うことを嫌うようになる。その後、松造と再会してから、若干心境の変化が生じる。加野銀行設立の際にはあさや五代の打診で、社長就任することでついに商売に関わる。 弟の榮三郎が驚くほどの交流網を持っており、三味線やお茶・酒の席などで事業の事を聞き出したり、逆に新しいことを広めたりと、陰ながらあさや五代に協力している。五代は「大阪商工会議所」の設立時の活躍を「陰の立役者」と述べている。 長兄・正太郎が死去したため、幼少の三男・榮三郎が加野屋の後継者になる際に、その後見人となる。 1879年(明治12年)、亀助とふゆの祝言で、初の仲人となる。 1881年(明治14年)、五代から大阪での紡績についての情報を聞く。その五代と次第に親交を深め、「新ちゃん」「友ちゃん」と呼び合う仲になる。 加野銀行設立準備の際に会った渋沢栄一の信用と教育が大事と説いた話に、「お金や商いが初めて人間味のあるものと思えた」と感銘を受ける。 加野屋から銀行事業を除いた商事部門の加野商店の社長になり、その後尼崎の阪神紡績の初代社長も務め、次第に「大阪財界の顔」と呼ばれるようになる。 1894年(明治27年)、自身が居ずとも業務が成り立つことや、自身の道ではないと判断したことを理由に、阪神紡績の社長職を辞任して相談役に退き、あさに「以後は家業(加野銀行相談役)に専念する」と告げた。 淀川生命の、榮三郎に次ぐ2番目の大株主になる。 しばらくしてから病を患い、あさに看取られ息を引き取る。 広岡浅子の夫・広岡信五郎がモデル。 白岡正吉(しろおか しょうきち) 演 - 近藤正臣 新次郎の父。「商売は信用第一」が信条。加野屋の七代目当主「七代目 加野屋久左衛門」。 あさの商才をいち早く見抜き、「金の卵」と呼ぶ。 1868年、五代の話に乗り、「カンパニー」をつくることを目指す。 炭坑経営を望むあさに当初は反対していたが、彼女の強い決意を知り、加野屋の米蔵を炭坑買収資金に当てるなど、協力する。 松造が警察に出頭したことを新次郎から聞いた後、よのの腕の中で彼女と伊勢参りに行くことを夢見ながら静かに息を引き取る。 白岡よの(しろおか よの) 演 - 風吹ジュン 新次郎の母。趣味は折鶴や張り子。 あさに女将としての心得などを指導しており、しっかり者のつもりだが、女中の経歴を間違えたまま覚えているなど抜けている所がある。 次第に商売にのめり込んでいくあさや、子宝に恵まれない息子夫婦には心中では不満を持っており、新次郎に妾を取らせようと思案する。 孫・千代の誕生後は、仕事と育児との両立に悩むあさを理解し、進んで千代の世話を引き受けている。 1880年(明治13年)、さちの嫁入りを機に「大奥様」と呼ばれることになる。 榮三郎が近くに新居を建てた時には同居を誘われるが、あさと千代の関係が気掛かりで断る。 千代の啓介への恋心を見透かし、二人を見合いさせようとあさと新次郎に相談する。啓介から縁談辞退の連絡が来た時は、失恋に涙する千代に心を痛めて体調を崩し、謝罪に来た啓介に考え直すよう訴える。 千代と啓介の縁談成就を見届けた後、家族や加野屋の人々に見守られながら静かに息を引き取る。 白岡正太郎(しろおか しょうたろう) 演 - 木内義一 新次郎の兄。 加野屋の長男で加野屋の後継者として周囲から期待を寄せられていたが、あさと新次郎の祝言目前に労咳(結核)で他界する。 白岡榮三郎(しろおか えいざぶろう) 演 - 桐山照史(ジャニーズWEST)(幼少期:吉田八起、少年時代:河崎脩吾) 新次郎の弟。加野屋の三男。自身の幼少時に長兄・正太郎が死去し、次兄・新次郎は既に分家に出ていたため、幼少期から加野屋の後継者として育つ。 正吉の引退により、18歳で「八代目 加野屋久左衛門」を襲名する。 雁助を頼りにしている。また、兄・新次郎の道楽ぶりに呆れながらも、同業者においての顔の広さに一目置いている。あさとは炭坑経営や銀行開業をめぐり時に対立したり、経営手腕ぶりに嫉妬を抱きつつも、協力し合って家業を支えていく。頭取に就任してからは厳格かつ冷静沈着で決断力のある人物といった描写が目立ち、上客の工藤徳右衛門に女子大設立の話を持ちかけたあさを激しく叱り飛ばした。 1888年(明治21年)、加野銀行の初代頭取に就任する。 1896年(明治29年)、予てより救済を求められていた名古屋の生命保険会社を買収して、加野屋の第3の事業とすることを決める。 淀川生命の初代社長に就任する。 広岡正秋(9代目 広岡久右衛門)がモデル。 白岡千代(しろおか ちよ) 演 - 小芝風花(乳児期:林寅之介、幼少期:東出奈々、6歳:中川江奈、少女時代:鈴木梨央) あさ、新次郎夫妻の長女。これから先、千年もずっと栄え続けますように、と正吉が名付けた。 10歳時には幼少時のあさと瓜二つだが、屋内遊びや華やかな様相を好む繊細な少女に成長する。仕事に忙しく正反対な性質のあさに反抗心を持つようになる。一方、優しい伯母・はつに好感を持ち、彼女の様な女性になりたいと思うようになる。 高等小学校時は国語とそろばんの成績は優秀だが勉学への関心が薄く、卒業後の進路は花嫁修業を望む。しかし、進路選択の幅を広げさせたいあさと、視野を広げさせたい新次郎の勧めで、京都白川高等女学校へ進学し、寄宿舎・花霞寮での生活を始める。卒業後は、自宅で花嫁修業を開始した。その頃から反抗していたあさと打ち解けるようになり、相談相手にもなっている。女学生時代に出逢って以来思いを寄せる東柳啓介と、紆余曲折を経て結婚する。 長女・多津子が誕生し、さらに新次郎が他界してから6年後には芦屋で暮らしている。3人の娘を連れて白岡家へ里帰りし、留学していた宜と再会した際には4人目を授かっている。 広岡浅子の長女・広岡亀子がモデル。 東柳啓介(ひがしやなぎ けいすけ) → 白岡啓介(しろおか けいすけ) 演 - 工藤阿須加 明治維新まで、王子藩1万石の藩主である父の次男で、子爵の家柄である。帝国大学法科の学生。 東京から恩師の見舞いに、あさが入院する病院を訪れて、千代と出会う。その後、兄と旅行途中に加野銀行の看板を見かけ、千代を訪ねて再会する。 白岡家側から大隈綾子を通して千代との縁談話が舞い込み、父の意向で当初は承諾するが、内務省への就職を志望しているために断る。しかし、よのの必死な懇願と、新次郎とあさから、政府官僚を辞めて商業で国を変えた五代の話を聞いて心が動き、千代との縁談を受け入れて白岡家の婿養子となる。 1903年(明治36年)長女・多津子を授かる。 大同生命第2代社長・広岡恵三がモデル。 白岡多津子(しろおか たつこ) 演 - 林夏香 千代、啓介夫妻の長女。多くの恵みの雨が降りますように、と新次郎が名付けた。 白岡恵津子(しろおか えつこ) 演 - 長田莉乃亜 千代、啓介夫妻の次女。 白岡佐津子(しろおか さつこ) 演 - 黒田茉白 千代、啓介夫妻の三女。 白岡さち(しろおか さち) 演 - 柳生みゆ 榮三郎の妻。 仕事に忙しいあさに代わり、よのと共に幼い千代の面倒を見る。 白岡さえ(しろおか さえ) 演 - 大野風花(幼少期:岡陽毬、近藤玲音) 榮三郎、さち夫妻の長女。 白岡正(しろおか まさ) 演 - 松下りおん(幼少期:竹田理世) 榮三郎、さち夫妻の次女。
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