白岡家の人々とは? わかりやすく解説

白岡家の人々

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 08:50 UTC 版)

あさが来た」の記事における「白岡家の人々」の解説

白岡新次郎(しろおか しんじろう) 演 - 玉木宏少年時代南出凌嘉) あさの許婚、のちに夫。大阪有数両替屋加野屋の次男あさより11歳年上商いより三味線の手習いを好む道楽者高齢になってからは亀助曰く、「三味線お茶も謡も名人の域」。洋装があまり好きではなく和服好き。 雨男で、嬉しい事が起こると必ず雨が降るかねてよりあさの人柄気に入り婚約打診快く応じる。また、はつの夫になる惣兵衛とは旧知の仲である。 少年時代に、幼馴染み松造家業失敗から不幸に追いやられ、行方不明になってから自身家業ひいてはお金を扱うことを嫌うようになるその後松造再会してから、若干心境の変化生じる。加野銀行設立の際にはあさや五代打診で、社長就任することでついに商売関わる。 弟の榮三郎が驚くほどの交流網を持っており、三味線お茶・酒の席などで事業の事を聞き出したり、逆に新しいことを広めたりと、陰ながらあさや五代協力している。五代は「大阪商工会議所」の設立時活躍を「陰の立役者」と述べている。 長兄正太郎死去したため、幼少三男・榮三郎加野屋の後継者になる際に、その後人となる1879年明治12年)、亀助とふゆの祝言で、初の仲人となる。 1881年明治14年)、五代から大阪での紡績についての情報聞くその五代と次第親交深め、「新ちゃん」「友ちゃん」と呼び合う仲になる。 加野銀行設立準備の際に会った渋沢栄一信用教育が大事と説いた話に、「お金商い初め人間味のあるものと思えた」と感銘を受ける加野屋から銀行事業除いた商事部門加野商店社長になり、その後尼崎阪神紡績初代社長務め次第に「大阪財界の顔」と呼ばれるうになる1894年明治27年)、自身が居ずとも業務成り立つことや、自身の道ではないと判断したことを理由に、阪神紡績社長職を辞任して相談役退き、あさに「以後家業加野銀行相談役)に専念する」と告げた淀川生命の、榮三郎に次ぐ2番目の大株主になる。 しばらくしてから病を患い、あさに看取られ息を引き取る広岡浅子の夫・広岡信五郎モデル白岡正吉(しろおか しょうきち) 演 - 近藤正臣 新次郎の父。「商売信用第一」が信条加野屋の七代目当主七代目 加野屋久左衛門」。 あさの商才いち早く見抜き、「金の卵」と呼ぶ。 1868年五代の話に乗り、「カンパニー」をつくることを目指す炭坑経営を望むあさに当初反対していたが、彼女の強い決意知り加野屋の米蔵炭坑買収資金当てるなど、協力する松造警察出頭したことを新次郎から聞いた後、よのの腕の中で彼女と伊勢参りに行くことを夢見ながら静かに息を引き取る白岡よの(しろおか よの) 演 - 風ジュン 新次郎の母。趣味折鶴張り子。 あさに女将としての心得などを指導しており、しっかり者のつもりだが、女中経歴間違えたまま覚えているなど抜けている所がある。 次第商売のめり込んでいくあさや、子宝恵まれない息子夫婦には心中では不満を持っており、新次郎に妾を取らせよう思案する。 孫・千代誕生後は、仕事育児との両立に悩むあさを理解し進んで千代世話引き受けている。 1880年明治13年)、さちの嫁入り機に大奥様」と呼ばれることになる。 榮三郎近く新居建てた時には同居誘われるが、あさと千代の関係が気掛かりで断る。 千代啓介への恋心見透かし二人見合いさせようとあさと新次郎に相談する啓介から縁談辞退連絡が来た時は、失恋涙する千代心を痛めて体調崩し謝罪に来た啓介考え直すよう訴える。 千代啓介縁談成就見届けた後、家族加野屋の人々見守られながら静かに息を引き取る白岡正太郎(しろおか しょうたろう) 演 - 木内義一 新次郎の兄。 加野屋の長男加野屋の後継者として周囲から期待寄せられていたが、あさと新次郎の祝言目前労咳結核)で他界する白岡三郎(しろおか えいざぶろう) 演 - 桐山照史ジャニーズWEST)(幼少期吉田八起、少年時代河崎脩吾) 新次郎の弟。加野屋の三男自身幼少時長兄正太郎死去し次兄新次郎は既に分家出ていたため、幼少期から加野屋の後継者として育つ。 正吉引退により、18歳で「八代目 加野屋久左衛門」を襲名する。 雁助を頼りにしている。また、兄・新次郎の道楽ぶりに呆れながらも、同業者においての顔の広さ一目置いている。あさとは炭坑経営銀行開業をめぐり時に対立したり、経営手腕ぶりに嫉妬抱きつつも、協力し合って家業支えていく。頭取就任してからは厳格かつ冷静沈着決断力のある人物といった描写目立ち上客工藤右衛門女子大設立の話を持ちかけたあさを激しく叱り飛ばした1888年明治21年)、加野銀行初代頭取就任する1896年明治29年)、予てより救済求められていた名古屋生命保険会社買収して加野屋の第3事業とすることを決める。 淀川生命初代社長就任する広岡正秋9代目 広岡久右衛門)がモデル白岡千代(しろおか ちよ) 演 - 小芝風花乳児期寅之介、幼少期東出奈々6歳中川江奈少女時代鈴木梨央) あさ、新次夫妻長女これから先、千年もずっと栄え続けますように、と正吉名付けた10歳時には幼少時のあさと瓜二つだが、屋内遊び華やかな様相を好む繊細な少女成長する仕事忙しく正反対性質のあさに反抗心を持つようになる一方、優しい伯母・はつに好感持ち、彼女の様な女性なりたい思うようになる。 高等小学校時は国語そろばん成績優秀だ勉学への関心薄く卒業後の進路花嫁修業を望む。しかし、進路選択の幅広げさせたいあさと、視野広げさせたい新次郎の勧めで、京都白川高等女学校進学し寄宿舎花霞寮での生活始める。卒業後は、自宅花嫁修業開始したその頃から反抗していたあさと打ち解けるようになり、相談相手にもなっている。女学生時代出逢って以来思いを寄せる東柳啓介と、紆余曲折経て結婚する長女多津子誕生し、さらに新次郎が他界してから6年後には芦屋暮らしている。3人の娘を連れて白岡家へ里帰りし、留学していた宜と再会した際には4人目授かっている。 広岡浅子長女広岡亀子モデル東柳啓介(ひがしやなぎ けいすけ) → 白岡啓介(しろおか けいすけ) 演 - 工藤阿須加 明治維新まで王子1万石の藩主である父の次男で、子爵家柄である。帝国大学法科学生東京から恩師見舞いに、あさが入院する病院訪れて千代出会うその後、兄と旅行途中加野銀行看板見かけ千代訪ねて再会する白岡側から大隈綾子通して千代との縁談話が舞い込み、父の意向当初承諾するが、内務省への就職志望しているために断る。しかし、よのの必死な懇願と、新次郎とあさから、政府官僚辞めて商業で国を変えた五代の話を聞いて心が動き千代との縁談受け入れて白岡家の婿養子となる。 1903年明治36年長女多津子授かる大同生命第2代社長広岡恵三モデル白岡多津子(しろおか たつこ) 演 - 夏香 千代啓介夫妻長女多く恵みの雨降りますように、と新次郎が名付けた白岡恵津子(しろおか えつこ) 演 - 長田莉乃千代啓介夫妻次女白岡佐津子(しろおか さつこ) 演 - 黒田茉白 千代啓介夫妻三女白岡さち(しろおか さち) 演 - 柳生みゆ三郎の妻。 仕事忙しいあさに代わり、よのと共に幼い千代面倒を見る白岡さえ(しろおか さえ) 演 - 大野風花幼少期:岡陽毬、近藤玲音) 榮三郎、さち夫妻長女白岡正(しろおか まさ) 演 - 松下りおん(幼少期竹田理世) 榮三郎、さち夫妻次女

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