発表作品に係わるエピソード
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「須藤絢乃」の記事における「発表作品に係わるエピソード」の解説
須藤は、性別、世代、人種など社会に生まれたあらゆる境界に揺らぐ存在や、時には生死も曖昧な危うい存在に美しさを見出し、須藤は一連の作品をこの世に存在しないものを撮影しており、現実に感じる違和感を「不気味の谷」として、それを越えたいというような願望が込められていると語る。 須藤の特徴的な作品としてセルフ・ポートレイトの手法を用いた作品がある。幼い頃、「自分は少年だ」と強く信じていた須藤は、当時少年のような格好をしていた。しかしながら、中学生になると、憧れの先輩である男性に好かれようと当時流行りのロリータ・ファッションに身を包むようになったという。この幼い頃からのジェンダーに対する違和感によって、須藤の変身願望は芽生え、扮装によるセルフ・ポートレイトを撮影し作品化している。初期作品〈THE IDEAL LOVERS〉(2011年、2013年、2018年)のシリーズを、自身のセクシュアル・アイデンティティを探し求めていく行為であったと須藤は語る。その後制作された〈幻影〉(2013-2014年)や〈MY POSTMORTEM〉(2018年)において、須藤は自身の身体とアイデンティティの関係性について追求している。 『幻影 -Gespenster-』『幻影』(2013-2014年)は、須藤が20代の頃に、駅の壁に貼られていた約20年前に行方不明になった女の子の貼り紙を目にしたことをきっかけに制作された、須藤がその張り紙に掲載された少女たちに扮して撮影したセルフ・ポートレイトである。21点のセルフ・ポートレイトと数点のスナップショットで構成されている。須藤自身の当時の心情と少女たちの心情を重ね合わせることによって始まったこのシリーズについて須藤は、セルフ・ポートレイト以外は考えられなかったと語る。制作のプロセスとしては、まず行方不明者のリストを作成し、彼女たちについて調査をする。そして失踪した当時の服装と似たような服を古着屋で探し、その服を着て須藤の家の近くで撮影を行う。プリントができあがったところに、印画紙上にラメなどきらきらと輝くものを散りばめる。得体の知れない世界に行ってしまった少女達に、えも言われぬ恐怖感を感じるとともに、あるもうひとつの思案が浮かぶ。彼女達は、今では知らない土地で生活しているかもしれない、またどこか知らない場所で屍と化しているかもしれない。しかし、リストの中の少女達は、失踪したその時からこの世の時間軸から離脱し、老いる事も無く、永遠に少女のままの存在となる。須藤は、刻々と少女から離れて行く自身の肉体と精神は「少女である事」に対する憧れと強い意識をもち、そんな彼女達にある種独特の「神聖さ」を感じ、もう一度彼女たちの存在を一人ひとり確認し、人々の眼前に提示することを試みている。 須藤はNew York Timesのインタビューにおいて、ドイツ語で幽霊を意味する彼女の写真集のタイトルを、小説「細雪」から着想を得たと発言している。 『てりはのいばら』 同作品シリーズは、谷崎潤一郎の代表作である「細雪」に登場する蒔岡姉妹をモチーフにした新作セルフポートレート。作品中には、かつて谷崎が実際に住んでいた芦屋の家(富田砕花旧居)や、愛用の家具たちが登場する。また、衣装では、船場をルーツに持つ須藤の祖母が大切にしてきた着物や小物を用いている。須藤の祖母は、明治43年に創業したお茶屋(呼揚、貸座敷業)小川家(おがわや)の生まれで昭和20年空襲で焼けた小川家を戦後母親と共に復興、二代目を次ぐ。昭和42年、小川席名で検番を開業、新町に小川家再開、50年代には、桂米朝、桂子米朝、大村昆、夢路いとしこいし、中村雁治郎、坂田藤十郎等々上方芸人が通い詰めた。大阪・船場新地の最後の検番とされる。大阪・阪神間で育った須藤が「細雪」を通して見た阪神間モダニズム、そして近代の女性像を自らが被写体になり、体現してゆく作品となっている。
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発表作品に係わるエピソード
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「村上隆」の記事における「発表作品に係わるエピソード」の解説
デビュー作にて、タミヤ社長の弟にタミヤマークを使用した作品制作の許可は得ていたが、「TAMIYA」の表記を無断で「TAKASHI」に変更し、注意を受けている。 1993年(平成5年)以前の活動としては『加瀬大周宇Zプロジェクト』では芸能界の騒動に乗じた悪乗りとの不評を買い、当時進行していた複数の展覧会の企画が流れてしまった。古賀学のフリーペーパー『ペッパー・ショップ(Pepper Shop)』で『マンガ道場』を連載。白人の『ダッコちゃん』でタカラより非難される[要出典]。 1994年(平成6年)、大学院卒業後の作品である『HIROPON』の評価を岡田斗司夫に尋ねると「発想が古臭い、とにかく顔がブサイクすぎる」と酷評される[要出典]。その後、ニューヨークにロックフェラー財団の奨学金で留学。制作活動に専念。ニューヨークで現地フリーペーパーの表紙で作品を次々と発表。 2003年(平成15年)2月25日、村上がルイ・ヴィトンの依頼でデザインした鞄が3月1日に発売されるのに合わせて東映アニメーションが制作したアニメ『SUPERFLAT MONOGRAM』が公開される。同年12月8日、海洋堂とのコラボレーションにより、自らのフィギュア作品をわずか350円の小さなフィギュアにしてナンバリングされた証明書を添付したアート食玩『村上隆のSUPER FLAT MUSEUM~コンビニ エディション~』を発売したことで話題を呼ぶ。食玩は本来菓子が商品でありフィギュアは「おまけ」であることから、村上は「5,800万円の作品が無料で大量に複製生産されることの面白さ」がこの商品の意義であると述べている[要出典]。 『My Lonesome CowBoy』を製作した理由は、『HIROPON』が女性だったので、次は男性を作ろうと思っただけだと話す。男女を作ることで、フェミニズム的な違反を避ける意図もある。男性の射精をモチーフにすることには関心が持てないので、逆に一度はやってみたかったとも語る。 2003年(平成15年)春、ロンドンのオークション会社・クリスティーズにて等身大フィギュア『Miss Ko2』が50万ドル(約5,800万円)で落札、話題となった。これは当時の日本現代美術作品の最高額である。本人は自らの作品がこのような高額で買い取られた理由について「女性の美意識に革命をもたらしたからだ」と分析する一方、「単に金持ちが作品の性的な要素に惹かれて落札しただけなのでは」と話している。落札したのは、会社を売って隠居したアメリカの80歳近い老夫婦である。 2004年(平成16年)7月、ナルミヤ・インターナショナルによるキャラクター、『マウスくん』が、村上のキャラクター、『DOB君』に酷似しているとして、同社を著作権侵害で提訴。2006年(平成18年)4月に和解が成立し、4,000万円の和解金を受け取る(これについてはそもそもDOB君がミッキーマウスをモチーフとしている(近似している)のに何故著作権を侵害されているなどと言えるのかといった東浩紀、町山智浩等からの批判がある)。本人は、元々『DOB君』は自分の作品の世界観(ソニックやドラえもん等)を再構築して作ったもので、『マウスくん』がその世界観そのものを盗用しているように感じ、企業との幾度かの話し合いの末、示談になったと話している。現在のマウスくんは村上の著作権を侵害していないとされる。 アメリカの歌手カニエ・ウェストの2007年(平成19年)9月11日発売の『グラジュエイション』のジャケットのデザインを担当。同年10月以降、アメリカ・ロサンゼルス現代美術館(MOCA)で大規模な展覧会「村上隆回顧展(C)MURAKAMI」が催された。 2008年(平成20年)5月、サザビーズにて等身大フィギュア『My Lonesome CowBoy』が1516万ドル(約16億円)された。オークション前の落札予想額は3~4億円であった。 2010年(平成22年)9月14日にフランス・ヴェルサイユ宮殿で村上の作品展『Murakami Versailles』が開催されたが、宮殿に彼の作品は合わないとして、フランス国内の団体が抗議デモをおこなった。10月22日には、フランス王ルイ14世の子孫の1人シクスト・アンリ・ド・ブルボン=パルムが、「世界遺産にポルノ作品を飾っており、祖先に対する冒涜に当たる」として作品展の中止を要求し、主催者である宮殿当局に対する法的措置を取ることを表明した。
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