発表前 - 「ピーナッツパニック」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/04 23:41 UTC 版)
「IBM PCjr」の記事における「発表前 - 「ピーナッツパニック」」の解説
1980年代初頭、IBMは世界最大のコンピュータ会社だった。メインフレーム市場のシェア70%を持ち、その売上はアップル、コンパック、DEC、HP、TIの売上合計より巨大だった。1981年8月、IBMは最初のパーソナルコンピュータであるIBM PCを発表してアップルを含む新興のマイクロコンピュータ会社群から自社を防衛し、2年間でIBM PCはビジネス向けコンピュータ分野のハードウェアおよびソフトウェアの新しい巨大なエコシステムを形成して、1983年には全てのマイクロコンピュータ販売の26%を占めて市場首位となり、大きく離れて2位はコモドール64、3位はApple IIであった。 PCjr発表の前年に、コードネーム「ピーナッツ」と呼ばれたIBM新製品が、IBM PCの成功を再現するだろうとの噂がコンピュータ業界で語られた。その噂ではピーナッツは、巨大なIBM PC用ソフトウェアとの互換性を持った64KBメモリ搭載のホームコンピュータで、AppleIIeより低価格な600~1,000 USドルとされた。公式にはまだ存在しないコンピュータに影響されて、ユーザーは製品を購入しようと店を訪れ、競合会社の売上・製品計画・株価も影響されたため、各紙は「ピーナッツパニック」または「ピーナッツロースト」と呼んだ。 多くの人が、IBMはアップルやコモドールなどの競合他社を全て破壊すると推測した一方で、IBMはピーナッツの噂を否定し続けた。パーソナルコンピュータの50~70%は小売店で販売されて家庭で使用されていると推計され、IBM CEOのジョン・オペル(John R. Opel)はIBMの「明日の日の出は不可避」と記した。1983年8月には、公式には存在しないピーナッツに関する書籍や雑誌の記事は少し進展し、ソフトウェア会社は「ピーナッツ互換」(Peanut compatible)製品市場の準備をし、IBMは初年度で50万台を製造するとの噂も流れた。 私の母や、彼女のような数百万の人々にとって、「IBM」と「コンピュータ」は同義語だ。 — InfoWorld, 1982
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